最新更新日:2024/09/25 | |
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5月18日(火) 1・2・3年生遠足です。快晴の中, 1年生 動物園 2年生 植物園 3年生 梅小路公園 数人の休みは残念ですが,元気に遠足に出発しました。 楽しい一日になってほしい物です。 醍醐寺掃除デー
醍醐小学校は世界文化遺産・醍醐寺の中にある小学校です。
児童のほとんどが醍醐寺の桜並木の参道や旧奈良街道の松並木の歩道を通って学校に通っています。 そこで,自分たちが通っているその道をよりきれいにたもとうと掃除を始めました。月に一度ですが,今まで気づかなかったゴミが気になり,色々なことが見えるようになってきました。 プチトマトの苗を植えました
5月13日(木)に日本種苗協会からミニトマトの苗をいただき,2年生が生活科の時間に植えました。どのように育てれば美味しいトマトになるのか,そのコツも教えていただきました。子どもたちの心と共にミニトマトもたくさん育ってほしいと願っています。
1年生を迎える会
5月11日火曜日9時45分から,体育館で「1年生を迎える会」が行われました。 代表委員の児童が弾くトトロの曲で,63名の1年生が6年生の児童に手を引かれて入場しました。代表委員のお迎えの言葉の後,名前を呼ばれた1年生,一人一人が大きな声で「はい」と返事をしました。
きっと,1年生はこんなに大勢の人の前で返事をするのは初めてだろうと思います。 他の学年の子も,一つ学年が上がったこと,1つお兄さんお姉さんになったことを自覚したと思います。 「分からないことや,困ったことがあったら,聞いてください!」児童会の代表が1年生に言ってくれました。 憲法月間に向けて
さて,新学期が始まり,3週間が経ち,大型連休を迎えようとしています。
学校にも慣れた一年生,進級した学年で学んでいる子どもたち。 今日の朝会では,憲法月間にちなんで,人を大切にすることについて話をしました。 人を大切すること,その人の存在を認めることは,その人の話をしっかり聞くことから始まること。そして,その人との出会いは,挨拶から始まることを話しました。子どもたちに「人を大切にする人」になってほしいと切に願っています。 参観,懇談(4月21日)ありがとうございます
お忙しい中,参観,懇談にお越しいただき,ありがとうございました。
本日は,4月19日の参観以外の学年,学級を公開し,懇談会をもたせていただきました。 3週間が経ち,これから子どもたちのいいところやそうでないところも出てくる頃です。 今後も,保護者の方々と共に子どもを育んでいきたいと思いますので,よろしくお願いいたします。 参観,懇談(4月19日)ありがとうございました
お忙しい中,参観,懇談にお越しいただき,ありがとうございました。
始業式から3週間が経ち,子どもたちも緊張と不安が少し和らぐ頃だと思います。 今日は,各学級の持ち味を生かした授業,電子黒板を使った授業も見てもらいました。 今後も,保護者の方々と共に子どもを育んでいきたいと思いますので,よろしくお願いいたします。 奈良街道 松並木
山科から宇治を経て奈良に向かう道。奈良に都があった時代の北陸道(古北陸道)。
秀吉が文禄3年(1594)巨椋池中に堤を築いて大和街道とし,宇治橋を撤去。豊後橋(現観月橋)を架けてから,山科・奈良間の道は伏見を通過するのが主となった。 醍醐寺の白壁と堀に沿って,52本の松が街道の風情を醸し出している。 太田垣蓮月尼仮寓跡
醍醐寺の黒門を出て,真南にある茅葺の建物(京都市の重要建造物指定)下村家が,蓮月(1791〜1875)の寓居跡。
「あだみかた かつもまくるも あわれなり おなじみくにの ひととおもへば」と歌に詠み,三条大橋で東征軍の西郷隆盛に直訴したと伝えられている。蓮月の勇気ある行動が,江戸城の無血開城に影響したのではないかとも言われている。 醍醐寺
平成6年(1994)世界文化遺産に指定される。
真言宗醍醐派の総本山。醍醐山または深雪山と号す。当山派修験道の本拠地。本尊は,薬師如来。 上醍醐の准胝堂は西国33ヶ所観音霊場の第11番札所として庶民信仰を集める。 貞観16年(874) 聖宝理源が笠取山(現醍醐山)上に草庵を結び,准胝・如意輪の両観音像を造像。貞観18年(876)に准胝堂・如意輪堂を建立し,両観音像を安置したのが創始と伝える。延喜7年(907)醍醐天皇の勅願寺となり,薬師堂を建立し,薬師如来像を安置。延喜9年(909)に聖宝理源が没す。 五重塔・金堂及び上醍醐の薬師堂は平安期。 上醍醐の清滝宮拝殿は室町期の遺構で,いずれも国宝。延長4年(926)下醍醐に釈迦堂(金堂)を建立。天暦(てんりゃく)6年(951)には五重塔を建立。平安期の塔の唯一の遺構。初重内部の心柱は四囲を板で囲み,天井や四壁とともに極彩色で,金胎曼荼羅と真言八祖像が描かれている。 応仁・文明の乱の戦火で,五重塔を除く山内の堂塔伽藍をことごとく焼失。 現存する70余棟の建造物のほとんどは,慶長期(1596〜1615)以降の再建・移築である。 秀吉が紀州の湯浅から慶長5年(1600)に移築。桁行7間,梁間5間,入母屋造,本瓦葺。木割の太い平安末期の雄大な建築。 平安中期以降,醍醐源氏系統の一族が座主となり,繁栄の基礎を築いた。応徳2年(1085)白河上皇が中宮賢子のため上醍醐に円光院を建立。 永久3年(1115)14代座主勝覚が三宝院を創建。 室町期には,73代座主満済が足利義満・義持の信任を得,正長元年(1428)三宝院門跡として初めて准三后となり,幕政にも参画して最盛期を迎えた。 天正4年(1576)義演が80代座主となり,豊臣秀吉・秀頼の絶大なる援助のもとに復興。 慶長3年(1598)秀吉は花見の宴を行い,三宝院に壮大な庭園をつくらせた。 塔頭は, 三宝院・理性院・報恩院・成身院(女人堂) 光台院・岳西院・菩提院・金剛王院(一言寺) |
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