最新更新日:2024/11/05 | |
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『東山を西に見て』
「厳しい状況でこそ」
去年の暮に切った蝋梅の花が、約一月経った今も色々なところで咲いています。家の中では、玄関とLDKと私の書斎に、学校では玄関と校長室に飾りました。校長室では本棚の上と窓辺に置いたのですが、窓辺のそれが先にダメになりました。本棚の上のものも先週末から時折ポロっと花が落ち、その場に居合わせた人を驚かせています。家のLDKの蝋梅もとうとう元気がなくなってきました。ところがどうでしょう。私の書斎に置いたものが、部屋いっぱいに芳香を漂わせ、写真の通り今も満開なのです。 学校が始まって以来、私は書斎を使っていません。家に帰ると、風呂と食事だけで“バタン、キュー”の状態だからです。(笑) 私の書斎を訪問されたことのある人はご存じでしょうが、古い木造建築のため、冬場は暖房を入れないと外気と変わらないほどに寒いです。そこに置いた蝋梅が一番美しく咲いているのは一体どういうことでしょうか。冬の時期に咲く花は、寒い所でこそ、その美しさを発揮するのではないかと思います。 今の子どもたちの生活を見ると、守られているというか、甘やかされているのではないかと思える部分が多いです。現状を受け入れられず、すぐに不平や不満を言う者が気になります。核家族化と少子化の影響もあって、私が子どもの頃と比べると、親や教師は格段に子どもへ関わるようにもなりました。皮肉にもこのことが悪影響を及ぼしているのかもしれません。生活レベルも随分豊かになりました。朝起きる頃にはエアコンが効いて部屋はすでに暖かいです。スウェトスーツだけで居られるほど暖かい部屋で勉強する子がいるようにも聞きます。そういえば、私は中学生の頃、「足温器」という足の裏の部分を電気で温め腰から下だけの寝袋のようなものに入り、毛糸のセーターの上に祖母に作ってもらった“どてら”を着て勉強しました。朝、部屋が寒くてなかなか布団から出られなかった経験もあります。みんながそうであったから、特に不満も不自由も感じませんでしたが…。 一昨日、横綱白鵬が、見事に6場所連続優勝を果たしました。 「巨人・大鵬・卵焼きの、尊敬する大横綱大鵬関の記録に並んだことを誇りに思う。」とインタビューで語っていたましが、私はいつも白鵬の言葉に、どこかしら懐かしさを感じます。今のモンゴルの状況は、私の育った頃の日本と似ているのでしょうか。「運は、努力した人間にしか来ない。」「勝ちにはいかない。結果を求めない。」「勝てば勝つほど苦しくなる。」など、他にも昭和の時代を生きてきた者に心地よく響くコメントを残しています。その晩のスポーツニュースでも、「稀勢の里関に敗れたときに体調を崩していたとか?」と聞かれ、「そんなこと(を答えたら)、勝った人に失礼ですから…」と返していました。 冬の花が寒い所でこそ美しく咲くように、厳しい環境の中で鍛えられたものは強いです。厳しい状況だからこそ学べることも少なくありません。目の前の子どもたちにこのことをしっかり伝え、そして、この心構えで子どもの指導に当たりたいものです。 『東山を西に見て』
「403人のきょうだい」
自分の口から出た言葉にハッとさせられることがあります。先週の金曜日のこと、場所は校長室です。私はその日、全市校長会の新年会があったのでバスと地下鉄を乗り継いで出勤しました。私が歩いているのを見ていたのか、ある生徒が尋ねました。以下は、その時の会話です。 「先生、何で今日はバイクちゃうのん?」「今晩、校長先生の新年会があって、お酒を飲むしな。」「そーか。先生、飲酒運転したらアカンで!」「当たり前やん。それはないワ。だって、君らが他の学校の子らから『お前とこの校長、飲酒運転したんやてなあ』なんて、笑われたら絶対嫌やし。」「ふーん」「それは、うちの息子らが友達から『お前のお父さん、飲酒運転で…』て言われるのがカナンのとおんなじ気持ちや」その時部屋にいた子らの顔は、妙に納得したような、満足したような表情に思えました。普段からそんなことを考えていたわけではないのですが、上手く言ったものだと思います。 さて、現在3年では面接試験の練習が行われています。3年生担当の教職員は評価を担当し、主に質問をするのは3年生以外の者です。本番さながらに行う面接に、子どもたちは緊張した面持ちで真剣に臨んでいます。私も行いました。普段はフランクに話す子どもたちがしっかりと敬語で話します。校長室に入る際に「失礼します」と言って深々と頭を下げます。質問に対して一生懸命に考えた答えを一生懸命に返します。30秒以上も答を考える者もいました。その間、私たちも無言でじっと待ちました。あの沈黙と緊張感がたまらなく心地よかったです。そして、そういう子どもたちの真摯な姿に感動すらしました。 「本校を志願した理由を述べてください。」「中学校時代の一番の思い出は何ですか。」お決まりの質問のほか、「本校は規則が厳しいです。守れますか。」「3年間、精一杯努力することを約束できますか。」など、生徒の覚悟を確認する質問もしました。この場面が有効な指導のときと考えるからです。そして、最後は全員に同じ質問をしました。 「これまでの人生で、一番大切にしてきたもの(こと)を教えてください。」 私の受け持ったほぼ全員が、“家族”“友達”、あるいは、その両方を答えました。最近の中学生は真の友達を求めないと聞くことがあります。家族関係の不安定さが中学生の問題行動を生んでいるということが話題になったりもします。そんな時代にあって、本校の子どもたちが、人間関係を大切に思っていることに安心し、今後に期待もします。 以前、校長は中学校全体の担任だと書いたことがありましたが、花山中学校が一つの大きな家族で、そこに403人の兄弟姉妹がいると考えるのは可笑しいでしょうか。どの家族にもトラブルが起こることはあります。しかし、兄弟げんかや親子げんかの度にその関係を強めていくものでもあります。冒頭の校長室での会話と、面接練習での子どもたちの答を思うとき、ふとそんな風に考えました。 ところで、すべての面接練習は、次の同じ言葉で結びました。 「これまでの関係を大切にしつつ、高校でも新たな良い関係を結んでください。」 『東山を西に見て』
「褒めて伸ばす」
左の写真は1月7日(金)の朝8時前に、本校校舎の4Fから撮影したものです。前夜からの降雪で路面の凍結が危ぶまれ、その日は自転車通勤を敢行しました。雪の舞う九条山を越えるために必死でペダルを踏みました。意外にもバイクで来るのと10分もかわりません。おまけに顔と指先以外、身体はポカポカと暖かくなります。『冬場はチャリ通もいいかな』と思ったぐらいです。そうそう、写真の話題でした。いい気分で学校に到着し、北方に目をやると、鏡山の雪景色を背景に、朝日を浴びて東海道線の電車がひっきりなしに行き交います。そして、目前のグランドではサッカー部と陸上部の生徒たちが元気に活動していました。何とも美しく活力に満ちた光景だと思い、4Fまで上がって撮影しました。カメラが良くないため、目に映ったままを残せないのが残念ですが…。 年末に紹介したクリスマスツリーに、その後の物語があります。 最終的にツリーは右の写真のようなアリサマになりました。枝におびただしい数の短冊が付けられたのです。『それは違うやろ?!』みな初めはそう思いました。でも、内容をよく見ると納得します。「志望校に合格できますように!」「残りの生活を友達と仲良く楽しめるよう」など、この時期ならではの言葉が下がっています。後になって聞いたのですが、女子たちによってツリーが飾られた翌朝、さっそく調子乗りの男子がそれを担いで廊下を走りました。「進路決定懇談の時期のピリピリした雰囲気を和ませたい」とある女子が短冊を付け、「我もわれも」とそれが増えていってからは悪戯をする者がなくなったそうです。ツリーが片付けられた今後は、模造紙に描かれたツリーにこの短冊が貼られる予定です。 ツリーは、12月27日の夕刻に一人の女子によって片付けられました。毎週校長室に花を生けに来てくれる女の子が、やってきました。「先生、花、花器と一緒に一旦家に持って帰るわ!」言うなり手際よく片付け始めました。年を越して一週間も放っておけないらしいのです。よく気の利く子だと思います。校長室に湯飲み茶わんが使ったままになっていると洗ってくれたりもします。花を片付け終わると、クリスマスツリーも片付けようかと言いました。別の子が短冊を絵のツリーに貼ろうとしている話を伝えると、微笑んで軽く頷き、丁寧に短冊を集めだしました。 短冊付きのツリーを考案した子と、生け花を片付けに来てくれた子。二人の女子は、苦手なことも少なくありません。これまで、親や担任の先生に心配をかけもしてきました。でも、“いい面”も本当にたくさんあります。じっくり話すとそれがいっぱい見えてくるのです。私のことで言えば、この子たちの“いい面”に気づけた時から関係が一気に好転したように思います。忙しい毎日の中で、なかなか難しいことでしょうが、子どものいい面をたくさん見つけ、それを褒めて伸ばす指導を心掛けたいものです。短冊の付いたツリーの写真を見て強く思います。 『東山を西に見て』
「新年のごあいさつ」
明けましておめでとうございます。 私にとって50回目という区切りの今年のお正月を、とりわけ新鮮な気持ちで迎えました。校長という自覚と責任がそうさせているのだと思います。また、珍しく大晦日から降り出した大雪で、京都の街がすっかり雪化粧したことも、演出効果を高めたのかもしれません。 例年なら10時頃まで寝ているのに、元旦の朝は、7時前に起きて付近を散歩しました。自動車で鴨川の風景を見にも行きました。まだ人や車があまり通っていない街の角角は、空気が澄んで張りつめ、寒さと雪景色も相まって清々しい緊張感を感じさせてくれました。 先月29日からは、完全に学校を離れて過ごしました。夏休みや春休みと比べ、この期間の休みが1年間で一番ゆっくりできるように思います。家族や親戚の者と過ごした時間が充実もしていました。例年のように蝋梅の花を切りました。今年は母も一緒です。昨年、母の入院する病院へ切った枝を届けましたが、今年は校長室でいい香りを漂わせています。大晦日の朝、小雪がちらつく中を墓掃除に出かけました。花を挿すところに固い氷が張っていて、家まで熱湯をとりに戻らなければなりませんでした。地面が凍てて雑草が抜けません。こんな経験も初めてでした。とても寒かったですが、正月に家族とともに参ったとき、行っておいて本当によかったと思いました。妻と年末恒例の買い物にも出かけました。今年は2度行ったのですが、荷物を持って妻に付いて歩いていると、2度とも鏡山小学校の吉田校長先生ご夫妻と出会いました。吉田先生も私同様荷物を持って奥様の後に付いて歩いておられ、お互い笑い合ったのが何ともいえず可笑しかったです。 さて、3年生の卒業まであと71日。登校日だけだと、たった48日です。1・2年生の修了式まででも51日しかありません。この間に一体どれだけのことをしなければならないのか。どれだけのことができるのか。そのことを考えるたびに心身の引き締まる思いがします。特に3年生には、卒業後に自分の足で立って生きていける力をつけなければなりません。温かく包むことも厳しく鍛えることもどちらも大切な教育です。 6日間の休みを終え、校長室の机に向かって学校のことを考えると、様々な顔が浮かんできます。あの子にこの子、あの先生、あの保護者にあの地域の方々、実にたくさんの顔です。『どんな風に過ごしているのか?』『どういう働きかけをしようか?』学級担任だった頃のお正月に、よく似た気持ちになったことを思い出します。教頭時代や指導主事のときには感じなかった気持です。冒頭に「校長の自覚と責任」と書きましたが、その一つがこういうことかもしれません。花山中学校の校長とは、花山学級の担任の気持ちで居てよいのかもしれないと思えてきました。403名の生徒、35名の教職員、保護者・地域の皆様、対象は実に多いですが、皆様から信頼される先生でありたいと思います。 今年も何卒よろしくお願い申し上げます。 『東山を西に見て』
「この時期の三者面談」
20日、遅ればせながら3Fのフロアーにクリスマスツリーが飾られました。今回は、このツリーについての話からはじめたいと思います。 「家に使わなくなったツリーがあるし、廊下に飾るか?」11月の終わり頃、よく校長室を訪ねる3年の女の子らにもちかけました。彼女らは大喜び。上の子が物心ついた頃、150センチメートルのツリーを購入しました。子どもたちの成長と共に家の中にものが増え、やがて飾る場所がなくなって何年間か物置にしまい込んだままになっていた代物です。学校に持って行くという私に妻が言います。「家が広くなったから、飾るのを楽しみにしてたのに!」大いに困った私は、12日に何軒かの店を回りましたが、時すでに遅く、大きなものは完売したということでした。『3年生の女の子たちに何と言って謝ろうか』困惑していた私は、たまたま訪ねて来られたPTAの副会長さんにその話をしました。「家に処分し損ねたのがあったので、よかったら使ってください。」その時は笑って聞いておられた彼女が、昨日、わざわざ家から持って来てくださいました。女の子たちに伝えたところ、段ボール箱を抱えて大喜びで飾り付けに行きました。「できた! なかなかのもんやで!!」 本校にお越しの際は、是非2Fのツリーをご覧いただきたいと思います。様々な経緯のもと、いろいろな人の愛が詰まったクリスマスツリーです。 さて、先週から各学年で三者面談が進行中です。三年生にとっては進路を決定する重要な懇談会です。最近は、入試制度が年々ますます複雑になって、3年生と保護者の方を悩ませています。中学校としても、よく下調べをしておかないと、子どもたちに不利益を被らせては大変です。 実は、先週うちの息子も懇談を終えました。子どもの思いと親の思いとの間には隔たりがあるものだとつくづく思います。うちの学校にも少なくありませんが、息子は高校野球に強い思い入れをもって進路を考えています。小さな頃から野球に力を入れてきたのだから、当然と言えるかもしれません。「大学進学のことを視野に入れ、勉強中心で考えてはどうか。」度々伝えてきはしましたが、彼の意思は固い。これまでそういう生き方をさせてきたのだから、今さら方向転換を迫ることの方が筋違いであるようにも思います。結局、親は子どもを見守り、応援するのがよいのだろうと妙に納得します。今は、真っただ中にいるのでよく見えないことでも、何年か後には『あんなこともあったな』ときっと笑顔で話せるはずです。その時に後悔しないようにだけはさせなくてはなりません。うちの場合もそうですが、親も子どもの進路については一生懸命に考えているものです。そのことを、教師は再認識しなければならないと思います。 校長と父親という立場から、懇談会の初日、朝の打ち合わせで、「くれぐれも“丁寧な言動と誠実な対応”を心がけてください。」教職員にそう伝えました。 『東山を西に見て』
「子どもを知ることから」
「校長先生も走るんですよね。」「何で知ってんの?」「HPに書いてたやん!」 10日のクロスカントリー大会の始まる前の会話です。疏水端のコースは空気が澄み、紅葉もきれいで最高のコンディションで実施されました。ある男の子たちとこんな会話もありました。私がショートパンツ姿になった時です。「何や!?先生、走る気なん?」「僕に負けたらアカンで。」「なんぼなんでも、それはないやろ。」‐間‐『みてろ!ビックリさせたる!』(心の中) 花山中学校では、各学年の上位8人の脚に自信のある子らは、シード選手のように前方からスタートすることになっています。少しでも前から出ようとそのグループの中に入ってスタートを切ったのですが、これが災いしました。50メートル走かと思うほどのスピードで走り出す24人に完全にペースを乱し、走り出して1キロメートルもしないうちからしんどくなり、後は我慢だけの苦しいクロスカントリーとなってしまいました。表情にも表れていたのでしょうか、子どもたちを励まそうと参加したにも拘らず、追い越していく男子生徒や折り返し後に出会った女子生徒から「校長先生、頑張れ!」と声をかけられました。 何はともあれ、やっぱり一緒に走ってよかったと思います。子どもたちや、応援と交通整理に集まってくださったPTAの皆様方との関係が一層深められたようにも思うからです。 翌11日には、以前に勤務していた学校で共に過ごした先生の結婚披露宴に出席しました。宴の中で、新郎となった先生の学年主任が、次のような内容のスピーチをしました。「本校には家庭に恵まれない生徒が多く在籍しています。温かい家庭というものを知らずに成長してきた者も少なくありません。だからこそ、あなたたちはその子たちにとってのモデルとなるような、愛に溢れた温かい家庭を築いていってください。」 スピーチを聞きながら、『あれっ!?』と思いました。やがて、彼のスピーチは次のように結ばれました。「この話は、私の披露宴で先輩がしてくださったものです。」僅かの間『盗作されたな』と思った私ですが、最後まで聞いてたまらなく嬉しくなりました。学年主任が、かつて私のしたスピーチを覚えてくれていたこと、そして、それを彼のことだから確実に実践し、次の世代の先生にしっかりと繋いでいってくれたからです。 教育には、継承していかなければならないものがあると思います。そしてそれは、単なる言葉ではなく、確かな実践に基づいたものでなければなりません。 「目の前の子どもを徹底的に大切にする教育」。このフレーズもそうです。徹底的に大切にするとは、具体的にどうすることでしょうか。学校に来られない生徒、授業に入れない生徒、学習についていけない生徒たちに、どう接すれば徹底的に大切にしたことになるのでしょう。 先ずは、子どもと時間を共有することです。子どもの目線で物事を見ることです。今もこれらを大切にしたいと思っています。 教師の実践は、子どもの実態を正確に知ることから始まるのですから。 12月10日 クロスカントリー開催!!
本日のクロスカントリー大会は、予定通り実施します。
生徒は、8時50分に疏水公園に集合してください。 日ごろの練習の成果をおおいに発揮しよう!! 『東山を西に見て』
「ふれあいの意味と力」
定期テストが終わって懇談会が始まるまでの間、花山中では様々な行事が計画されています。先ずは「秋野菜を味わう会」。夏の収穫祭が縦割り集団で実施されたのに対して、今回は学年ごとの取組となっています。うまく考えられたものだと思います。今の子どもたちの社会を見ると、縦割りでの集団活動は絶対に大切です。このことについては、収穫祭について書いた本エッセイで既に述べました。しかし、はやり学校では学年の中での繋がりを大切にすべきだと思います。この横の関係が強固に築けてこそ、縦の関係は確かなものになります。すでに1・3年生は楽しく活動しました。大きな鍋に収穫した野菜と手分けして買ってきた肉などの具材を入れ、大鍋パーティーが開催されました。今週には2年生でも計画されています。彼らも大いに楽しんでほしいものです。 3日金曜日にはオープンキャンパスが行われました。校下の2小学校の6年生が本校にやって来て、新生徒会役員の司会進行のもと、中学校生活についてのガイダンスを受けたり、中学校の授業や部活動を体験しました。先生方もそれぞれにアイデアを凝らした授業を展開していました。小学生の感想を一つ拾ってみます。 中学の勉強はとても楽しかったです。理由は『+』と『−』のやり方がとてもおもしろくて、花山中学校に来て、またこの勉強をしたいと思いました。とても楽しかったです。ありがとうございました。 続いて4日土曜日。花山名物の「クリーンキャンペーン」です。花山中学校の校区を徹底的に美しくしようと何年も前から取り組まれています。地域生徒指導連絡協議会(地生連)の活動という位置づけですが、元々は地域の活動に学校も参加するようになったということです。生徒を見送った私は、小一時間の後、ゴミ袋を手に本校グランドにドンドン集まってこられる地域の皆様の数を見て『この行事にこれほどの人が関わっておられたのか!』と本当に驚かされました。 当日は朝から地域の女性会の皆様と本校PTAの皆様方が600人分の“豚汁”を作って、帰って来た生徒や参加した人たちにふるまわれます。中学生が照れもせず美味しそうに食べる姿を見て、古き良き時代の日本社会を見たような気分になりました。 10日にはクロスカントリーが予定されています。疏水端のコース約9キロメートルを走るのです。既に朝練習も始まりました。毎日8時前に出勤するのですが、グランドには大勢の生徒が多くの先生方に見守られて走っており、ワクワク感と気忙しさから部屋の中にじっとしておられません。「えーっ!校長先生、ウチら、どうしたらええの?」「何言うてんにゃな。君らも走ったらええやんか。」朝練習初日、登校した1年生と交わした会話です。 人権週間のこの時期に様々な行事が企画されているのは、こういった“ふれあい”が人間関係を築くからかもしれません。10日には、私も子どもたちの中に入って9キロメートルを走ってみようと思っています。きっと新たに感じられるものや見えてくるものがあるはずです。 『東山を西に見て』
「特別な学習ではない」
1948年、国際連合は第3回総会で「世界人権宣言」を採択。2年後には、「世界人権宣言」が採択された12月10日を「人権デー」と定めました。我が国では、「人権デー」である12月10日を最終日とする1週間を「人権週間」と定め、人権尊重のための活動を全国的に展開しています。もうすぐその「人権週間」が始まるので、先週末の定期テスト最終日に、放送を通じて全校生徒に人権についての話をさせてもらいました。これまで人権学習について考えてきたことを、子どもたちに分かりやすいように伝えたつもりです。要旨は次の通りです。 人権週間に向けて、特別な時間が設けられてはいるが、人権学習は何も特別な学習ではない。日常生活の場面で考え、学んでいくものだ。例えば、あなたの周りで泣いている人を見つけたらどうするか。困っている人を見つけたらどうするか。「どうしたの?」とか「私にできることはないですか?」などの声をかけるだろう。これが人権学習の基本だ。少なくとも、そういう時に見て見ぬふりをするような人にはなってほしくない。今の日本社会には、大変残念なことに、色々な差別がある。特定の地域に生まれたとか育ったとかで差別されることがある。また、心身に障害があるということや外国人であるということ、女性だということで不当な扱いを受けることもある。更に、いじめの問題や貧困の問題、老人の問題、施設出身者に対する差別意識、親がいなかったり両親が揃っていないということで差別を受けることさえある。犯罪者やその家族に対する差別も見過ごすことはできない。こういう差別事象に出会ったとき、どういう態度をとればよいのか。泣いている人や困っている人を見かけたら…という場合と同じ。今あげた差別に、先ずは関心をもつことだ。関心をもつことによって“よそ事”が“我が事”になる。私は常々考えている。差別の壁は、このことについて考える人が増えれば増えるほど低くなっていくのだと。この機会に身の周りにある差別問題に関心をもってみて欲しい。どこかにある“よそ事”が“我が事”へと変化するかもしれない。 事前に、先生方に“よそ事”が“我が事”へと変化した経験を生徒に語ってほしいとお願いしておきました。教師の話を、目を潤ませながら聞いてくれた生徒がいたという報告も聞いています。こういう時間が子どもたちの心を耕すのだと思います。 来週に計画されている人権学習に向け、子どもにより深く考えさせられるよう、各学年で数々の読みものやビデオ、講演などが用意されています。これらを資料として上手く使って、授業者はその思いを熱く語ってほしいと思います。学力向上が強く叫ばれてはいますが、教師が、命のことや愛や友情や人権について熱く語ることがなくなれば、学校がその役割を失うとさえ考えます。人権学習の後、友達同士で、そして出来れば家に帰ってからも家族と、人権についての話ができればいいなと思います。 『東山を西に見て』
「交流の力」
20日の土曜日、第2回の土曜学習が行われる中、地域の社会福祉協議会主催で“健康すこやか学級”が開催されました。今回は、地域のお年寄りの皆様が本校ブラスバンド部の演奏を聴き、そのあと彼らと一緒に昼食をとられるということでした。お年寄りの皆様もこの行事を大変楽しみにされていると聞き、私も開催前から楽しみにしていました。ミニコンサートでは、私以上の年齢の者には馴染みの深い曲が次々と演奏されました。「ふるさと」のときには、私の隣に座っておられたおばあさんが「私、この曲が大好きやねん。今でも3番まで全部歌えるで。今も聞いていて涙が止まらへんかったわ。」と、ハンカチで目を押さえながら語られました。 昼食会の様子がまたよかったです。2人に1人という割合でお年寄りの中に中学生が入っていきます。カメラを向けると仲良くピースサインを作って笑顔を返されます。「最近、孫とも会ってないし、中学生と話ができるのは嬉しくて仕方がない。」帰り際にそう言われた方がおられました。お年寄りの優しさ、何でも包み込むような雰囲気。核家族化が進む中、世界一の長寿国でありながら、普段はお年寄りと話す機会のない生徒も多いです。中学生の方も、この取組から何かを学んでくれていることを願います。 その日の午後、4年ぶりに「全国人権・同和教育研究大会」に参加するため佐賀市まで行きました。私の中の“教師としての軸”がぶれていないかを確かめ、ぶれていたらそれを修正するためだと自分に言い聞かせて長旅に踏み切りました。 久しぶりの「全人同教」は私に十分なエネルギーを補給してくれました。子どもの幸せを願って日々活動し、自らの実践を振り返ると共に、新しい実践のヒントを得ようと全国から1万人以上が集まっています。「語ること」や「綴ること」を通して子ども同士を繋げていく取組の発表が多い分科会を選びました。子どもたちを繋げることは、学校の大切な役割だと以前から考えています。一生懸命関わってきた子どもの卒業の時、進路先でのことが不安で一緒について行きたいと思ったこともあります。それができない以上、困った時に本音で相談できる仲間を作っておく意味が出てくるのです。全国から集まった人たちから次から次へと意見が出されます。怒りや悲しみを含んだ発言も、生徒の姿が思い浮かぶようなそれもあります。それらを聞きながら本校生徒の姿を思い浮かべていました。 こういう大会に参加したら発言をするようにしています。分科会でも参加者が500人を超すので、そこで手を挙げるのはやはり緊張しますが、来た意味を思い返し思い切って今の思いを述べました。果たしてその場の人たちに届いたでしょうか。 “健康すこやか学級”と「全国人権・同和教育研究大会」。2つの交流の場面を紹介しました。交流には一人では決してできない学びがあります。仲間の意見や考えを聞くことで学びが深まったり広まったりするものです。「交流の力」を学習の場面にもっともっと取り入れてくべきだと思うのですがどうでしょう。 |
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