京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/11/02
本日:count up24
昨日:47
総数:360186
文字: 大きく | 小さく | 標準 配色: 通常 | 白地 | 黒地
ハートフルマーク
次代と未来を創る 醍醐の子を育てる〜「実感」「感動」「感謝」〜来年4月に入学される新1年生の就学時健康診断は11月27日(水)に実施します。

五大力さん

画像1画像2画像3
 2月23日(火)醍醐寺の五大力尊の餅上げに,醍醐小学校の児童も参加させていただくことができました。巨大な紅白の餅を持ち上げて無病息災を祈る有名な行事です。学年に応じた人数でグループを作り,えいっと力を合わせて持ち上げていました。

なわとび集会

画像1画像2
 2月19日(金)晴天のもと,なわとび集会がありました。今まで休み時間を使って,なかよしグループごとに大なわの練習をしたり,個人でなわとびの技をみがいたりしてきました。今日もグループで協力したり応援し合ったりしながら,グループ種目の大なわと個人種目を競いました。個人種目は前とび,後ろとび,あやとび,交差とび,二重とびの中からそれぞれ得意なものをひとつ選んで跳びました。たくさんの保護者の方にもご参観いただき,一生懸命がんばっていました。

書き初め大会

画像1
 1月8日(金)書き初め大会がありました。1・2年生は各教室で自分が考えた今年の目標を短冊にフェルトペンで書きました。3年生は半紙に書き初めをしました。4・5・6年生は体育館に集まって画仙紙に書き初めをしました。地域の女性会の皆様に講師となっていただき,お手本を示していただいたりご指導を受けたりしながら,集中して真剣に筆をとっていました。

醍醐発表会

 12月3日(木)醍醐発表会が行われました。劇や合奏など,どの学年も練習の成果を発揮して一生懸命に表現していました。笑いあり,感動ありで,思わず引き込まれてしまうようなすばらしいものばかりでした。写真はコスモス学級の「コスモス太鼓,エイ・ヤ!」です。
画像1

醍醐発表会

 12月3日(木)醍醐発表会が行われました。劇や合奏など,どの学年も練習の成果を発揮して一生懸命に表現していました。笑いあり,感動ありで,思わず引き込まれてしまうようなすばらしいものばかりでした。写真は上から1年生の「チーズのすきなくに」,2年生の「森は生きている」,3年生の「リコーダーで世界一周」です。
画像1
画像2
画像3

醍醐発表会

 12月3日(木)醍醐発表会が行われました。劇や合奏など,どの学年も練習の成果を発揮して一生懸命に表現していました。笑いあり,感動ありで,思わず引き込まれてしまうようなすばらしいものばかりでした。写真は上から4年生の「寿限無」,5年生の「ビッグバンドDAIGO」,6年生の「八郎」です。
画像1
画像2
画像3

マラソン大会

画像1画像2
 12月1日(火)全校マラソン大会が行われました。晴天のもと,学年ごとにスタートして醍醐寺の周りを走りました。一人一人が今までの練習を思い出して,力いっぱいゴールをめざして走り切りました。沿道ではたくさんの保護者や地域の方が温かい声援を送って下さいました。ゴールした子どもたちの表情はやりきった満足感でとても輝いていました。

醍醐寺

画像1
 平成6年(1994)世界文化遺産に指定。
 真言宗醍醐派の総本山。醍醐山または深雪山と号す。当山派修験道の本拠地。本尊は,薬師如来。
 上醍醐の准胝堂は西国33ヶ所観音霊場の第11番札所として庶民信仰を集める。
 貞観16年(874) 聖宝理源が笠取山(現醍醐山)上に草庵を結び,准胝・如意輪の両観音像を造像。貞観18年(876)に准胝堂・如意輪堂を建立し,両観音像を安置したのが創始と伝える。延喜7年(907)醍醐天皇の勅願寺となり,薬師堂を建立し,薬師如来像を安置。延喜9年(909)に聖宝理源が没す。
 五重塔・金堂及び上醍醐の薬師堂は平安期。
 上醍醐の清滝宮拝殿は室町期の遺構で,いずれも国宝。延長4年(926)下醍醐に釈迦堂(金堂)を建立。天暦(てんりゃく)6年(951)には五重塔を建立。平安期の塔の唯一の遺構。初重内部の心柱は四囲を板で囲み,天井や四壁とともに極彩色で,金胎曼荼羅と真言八祖像が描かれている。
応仁・文明の乱の戦火で,五重塔を除く山内の堂塔伽藍をことごとく焼失。

 現存する70余棟の建造物のほとんどは,慶長期(1596〜1615)以降の再建・移築である。
 秀吉が紀州の湯浅から慶長5年(1600)に移築。桁行7間,梁間5間,入母屋造,本瓦葺。木割の太い平安末期の雄大な建築。

 平安中期以降,醍醐源氏系統の一族が座主となり,繁栄の基礎を築いた。応徳2年(1085)白河上皇が中宮賢子のため上醍醐に円光院を建立。
永久3年(1115)14代座主勝覚が三宝院を創建。

 室町期には,73代座主満済が足利義満・義持の信任を得,正長元年(1428)三宝院門跡として初めて准三后となり,幕政にも参画して最盛期を迎えた。

 天正4年(1576)義演が80代座主となり,豊臣秀吉・秀頼の絶大なる援助のもとに復興。
 慶長3年(1598)秀吉は花見の宴を行い,三宝院に壮大な庭園をつくらせた。
  
 塔頭は,
  三宝院・理性院・報恩院・成身院(女人堂)
  光台院・岳西院・菩提院・金剛王院(一言寺)

太田垣蓮月尼仮寓跡

画像1
 醍醐寺の黒門を出て,真南にある茅葺の建物(京都市の重要建造物指定)下村家が,蓮月(1791〜1875)の寓居跡。
「あだみかた かつもまくるも あわれなり おなじみくにの ひととおもへば」
と歌に詠み,三条大橋で東征軍の西郷隆盛に直訴したと伝えられている。蓮月の勇気ある行動が,江戸城の無血開城に影響したのではないかとも言われている。

洛東用水路

画像1
 昭和24年(1949)醍醐の人達が,田畑に水を引くために山科の疏水から苦労して造った灌漑用の水路。
 端山団地の山裾から日野にかけて,新池やその他の溜め池,水路が見られる。

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

学校の概要

学校運営協議会

校長室より

学校だより

学校評価結果等

保健室より

研究発表

京都市立醍醐小学校
〒601-1325
京都市伏見区醍醐東大路町31-1
TEL:075-571-0001
FAX:075-571-7022
E-mail: daigo-s@edu.city.kyoto.jp