3年生Kさん「プレッシャー」
私が今年の学校祭で最も心に残ったのは劇「ヌチドタカラ」です。台本を手にした時「めっちゃ難しそう」と思い、さらに、T先生から「君らは実際に沖縄へ行ったんやから、出来な恥ずかしい!」といったことを言われ、それがとてもプレッシャーになりました。練習も最初の方はふざけたり何度も怒られたり、台詞がとぶとすぐにつまって流れが止まるなど、全然だめでした。でも、俳優の三谷さんが来られていろいろアドバイスをしてくださり、みんなが少しずつコツをつかんできて良くなっていきました。そしていよいよ本番。「あなたの役柄はすごく重要なんだ!」と言われたことを思い出し、とても緊張していました。でも、練習通り演じきることができて良かったです。逆に、あの緊張感は必要でした。終わってからも泣いている人や先生までも泣いたりで、みんなからも「良かった!」と言ってもらえたことがとてもうれしかったです。
3年生Oさん「沖縄」
今年の劇「ヌチドタカラ」は、今までの中で一番だったと言えるものになりました。1・2年生の時にした劇はひどいものでした。声も出ていないし感情もこもっていないと、生徒、先生、保護者の方にも不評でした。そのこともあって、今年は最初からみんなのやる気がちがいました。修学旅行で行った沖縄ではたくさんのことを学びました。首里城や歴史博物館で見た資料は残酷で胸が痛くなりました。劇でこのことをみんなに伝える自信はありませんでしたが、ごく最近にこのようなひどいことがあったこと、また、台本を手にした時に泣きそうになったことを「(劇を)見ている人に分かってほしい!」という気持ちで、必死で演技に打ち込みました。できることは最後の最後までやろうと思いました。
本番も集中して演技に取り組み、涙を流してくれる人もいました。
3年生Iさん「自覚」
今年の私達3年生は、今までの「ダメダメだった学年と本当に同じなのか?」と、自分で思うほどにすばらしい合唱、演技、組体操を成し遂げたと思います。・・・そんな学年が何故、今年はこんなにもすばらしい学年になったのか。私は今までの3年生のすばらしさにあるのでは、と思います。昨年の3年生も一つ上の3年生も、・・・「さすが3年生!」と思わせる学年でした。1年生のころから3年生はあこがれの対象であり、そして、今年、私達がついに3年生。受験という大変な年ですが「悔いを残したくない!」と、まずは思いました。だからこそ、すばらしい学校祭になったのだと思います。きっと、後輩達に「さすが!」と思われたことでしょう。「自分達が上」という自覚は、良い緊張感とともに必要なものだ、と今回の学校祭で実感しました。
3年生T君「継承する者と受け継ぐ者」
洛東中では毎年、3年生がすばらしい学校祭をつくっているが、その3年生には計り知れないほどのプレッシャーがある。僕たちはそのプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。去年の合唱コンクールは3年生がとてもすばらしく、たくさんの人々に感動を与えた。その1年後に「あれほどの合唱ができるだろうか?」、3年生としてのプライドと不安の中で、僕達は見事にそのプレッシャーに打ち克ったのだ。去年の3年生を超えられたかどうかは分からないが、見ている人達に感動を与えたことは確かだろう。
継承する者には「自分達を超えてほしい!」という期待があり、受け継ぐ者には「超えないといけない!」というプレッシャーや不安があり、それに打ち克つ事で大きく成長していくのである。洛東中の学校祭はその事で大成功するのであり、その事を学ぶことができていい経験になった。
3年生M君「勝者の陰に敗者あり」
僕達は今年の学校祭のスローガンに負けないパフォーマンスができたと思う。しかし、ベストコーラス賞を受賞したクラスは目立つが、その陰には必ず敗者が居てこそ成り立っている事を忘れてはいけないと思う。
今年の夏の高校野球の決勝戦でも、・・・1点差まで追いあげて負けた高校は悔しいだろうと思って見ていたが、なんと笑っているのだ。勝者が敗者を讃えて「ありがとう!」と言う、こんな光景はすばらしいと思う。勝者を支えているのは敗者なんだ、と改めて実感した。
洛東中でもたびたびそういう光景が見てとれた。ベストコーラス賞を受賞したクラスが喜ぶのはもちろん、(それ以外のクラスに対しても)周囲の人達が拍手で讃えた。体育祭でもそうだ。総合優勝は白組で、白組は大いにわいた。しかし、白組のみならず、赤組も拍手や言葉で讃え、これが本当の勝者と敗者の関係だと思う。
これからも、洛東中の生徒はこういう事ができる生徒であってほしいと願うし、「勝者がいるのは敗者がいてこそ」を忘れてはいけないのだ。