京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2025/07/10
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7/7(火)待ちに待った「球技大会」を実施

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7/7(火)待ちに待った「球技大会」を実施
       ・・・この日はお天気も応援してくれました!
 7月1日に実施予定で,あいにくの雨続きで延び延びになっていた「球技大会」でしたが,6日(月)の準備の日と,7日(火)午前の奇跡的なお天気により,みんな待ちに待っていた「球技大会」(バレーボール競技)が実施されました。
 開会式で3年体育委員学年代表の T.R. 君 の爽やかな選手宣誓により,各学年に分かれて競技が行われました。試合が始まると,グランドのあちこちから審判の笛の音が響き渡り応援の歓声とボールを打つ音が心地よくこだましていました。
 クラスごとに力を出し切った後は,学年別に別れての閉会式で,体育委員から1位,2位の発表が行われると,大きな拍手と歓声が沸き上がり,みんなの笑顔がとても印象的でした。閉会式がまもなく終わろうとしている頃に,この「球技大会」が終わるのを待っていたかのような突然の雨(スコールのような)が降り出し,この日はお天気も生徒達の応援をしてくれていたように思えました。
▼「球技大会」試合結果▼
     1位    2位
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1年 男 3組   1組
   女 3・5組 1組
2年 男 2組   3組
   女 1組   2組
3年 男 2組   1組
   女 4組   3組
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アイマスク手引き体験&点字学習

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6月中下旬、2年生の4クラスで各4時間、福祉体験学習として、松永信也さんのお話、手引き体験&点字学習を行いました。下は松永さんのお話の骨子です。
(視覚障害に関する情報)
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○視覚障害者は全国で約30万人。
○全盲(まったく見えない人)が約3万人、
○弱視(磨りガラスの状態の人や親指と人差し指を丸めて少し穴を開けたわずかなところから見える状態などの人)が約27万人。
○日本人の約400人に1人が視覚障害者、4,000人に1人が全盲者。
○人間は目(視覚)から80%の情報を入手している。その他の20%は、耳(聴覚)、鼻・におい(嗅覚)、舌(味覚)、身体全体(触覚)。
○視覚障害者が日常生活で困ること。情報と移動の2つ。私は南福西の生協でよく買い物をする。夕方7時を回ると、信号の音が消える。とても困る。
○移動の手段としては、手引き・白杖・盲導犬の3つ。盲導犬は日本で950犬しかいない。
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 ある講演会のあと、一人の高校生に質問されたことがあります。「松永さんは元気ですねえ。白杖一つで京都市内だけじゃなく、全国のいろんなところに行かれて。」「目が見えなくなったとき、くじけなかったんですか?」。
 私は答えました。「とってもくじけましたよ。」「くよくよしましたよ。」「もう2度と外へは出られないんじゃないか。」「買い物にもいけないんじゃないか。」「仕事もできないんじゃないか。など、いろんな辛い思いにかられて、絶望的な生活を送っていましたよ」と。
 私は、途中失明です。網膜色素変性症という病気が原因。他には、糖尿病が原因の人、緑内障が原因の人、交通事故が原因の人などおられます。  
 私は目が見えていた頃、京都の大学に入り、京都の児童福祉施設に勤務していました。どこにでもいる普通のおにいさん。目が見えなくなるなどということを考えたこともありませんでした。
 35歳で目がかすんで見えにくくなり、39歳でほとんど見えなくなり、社会生活を送るのに支障を来すようになり、働くことを諦め、仕事を辞めました。その後、しばらくは家にこもっていました。そして毎日、くよくよしていました。
 しばらくして、くよくよすることに疲れました。外を歩きたいと思うようになりました。そして、北区千本北大路にある「京都ライトハウス」へ1年間通いました。
(「京都ライトハウス」は、視覚障害者のための総合福祉施設です。その中に、中途で視覚障害になった人の自立と社会復帰を支援するための施設があります。中途視覚障害者更正施設援護施設といいます。入所と通所で訓練を受けることができます。入所では、生活全般にわたって密度の濃い訓練が受けられます。)
 私は入所して、泊まり込みで、訓練を受けました。訓練を受けているときの話です。私とあと何人かの人が同じ頃に入所しました。誰もが将来に対する不安や悲しみで一杯の頃です。そんな私たちを見かねて、ライトハウスの先輩がこんなことを言われました。
「おまえら、暗いなあ!」。私たち入所者は暗いのが当たり前です。だって、一生もう目が見えへん人間です。悲しみを通り越して、絶望の縁にいる私たちでした。
 先輩は、「わしは生まれたときから、目がみえへん。」「機嫌のよいときに、道路の白い線がうっすら見える程度や。」「くよくよしたって、目が見えるようにはならへん。見えるようになるんやったら、なんぼでもくよくよしい。それより、新しい人生のことを考えたらどうや」と励ましてくれました。そして、いつも私たちにおもしろい話をして、楽しませてくれました。 
 今から5年前のことです。8年ぶりに、その先輩と再会しました。その先輩は「わしなあ、もう白い杖、いらんようになったんや」。またいつもの冗談で私を笑わそうとしてくれていると思いましたが、実はそうではありませんでした。
 「医学の技術が進歩したおかげで、手術して直ったんや」。「手術のあとな、部屋の隅っこが見えたんや。それから部屋にある机、その上に置いてある機械、イス、それから部屋の壁。すべてがはっきり見えたんや」。「それから子どもが夜景を見に連れて行ってくれたんや。夜景って、ほんまにきれいやなあ」。
私は、普通の人間です。頑張ろうという気持ちになるときも、落ち込んで惨めな気持ちになるときもあります。先輩からこの話を聞いたとき、一生、目が見えるようにはならない私には、とても残酷な、惨めで、なさけなく、そしてうらやましくて、ねたましくて仕方のない思いにかられる話だ、と思いました。
 しかし、私はこう叫んでいました。「先輩、よかったなあ。おめでとう」。心の底からうれしくてたまらない気持ちになりました。
 先日、桂看護学校へ講演会に行きました。講演終了後、看護師を目指している2人の男子学生が私の側に来て、声をかけてくれました。「松永さん、お久しぶりです。」「どこでお会いしましたかねえ?」と訝しがる私に、「洛西中学校で松永さんの話を聞きました」と答えてくれました。
 最近、このように、街などでよく声をかけてくれる経験をするようになりました。私以外の視覚障害者の方からも、同じことをよく聞きます。
 私たち視覚障害者も、街に出かけて、ショッピングも食事も、もちろん仕事もします。行き先が分からなくなるときや、信号を渡るとき、バスや電車に乗るとき、困ることが多いです。バスや電車の中ではいつも立っています。どの席が空いているか分からないからです。そんなとき、一言、声をかけてもらえれば、とっても助かります。私たちのために、少しの勇気(声をかける勇気)を出してくだされば、助かる人がいるんです。そんな人になってほしいと願っています。
洛西中学校の取組(松永さんの話・手引き体験・点字学習など)に、本当に感謝しています。
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