京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/06/01
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学校教育目標 自ら考え行動し、新たな一歩を踏み出す生徒の育成

4月7日 入学式

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4月7日 第61回入学式 新しく117名の新入生を迎えました。

学校の歴史

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昭和22年度 学制改革により、京都市立四条商業校内に併設開校
昭和23年度 旧京都市立太秦中学校を統合し、現在地に独立開校
第一回卒業式挙行
昭和24年度 校内放送設備完成
昭和25年度 京都市実験学校「躾を重視する教育の実感」を研究発表
昭和26年度 文部省主催・近畿中等教育研究集会で「国際理解の教育に関する研究
生徒会旗、生徒会歌制定 図書館完成
昭和28年度 被服室を床の間付き畳敷の日本風に改造
台風13号来襲で避難者300名を本校に収容する
昭和29年度 木造校舎竣工
水洗トイレ設置
裁縫室設備改善
昭和30年度 旧銃器庫を調理室に改造
生徒会誌「四条」第一号発行
昭和31年度 工作室完成
図書館が優良学校図書館として表彰される
インフルエンザが流行、冬季休業が早まる
昭和32年度 職業・家庭科、保健体育科研究発表
インフルエンザが大流行し学校閉鎖になる
ガステーブルを全教室に配置(創立10周年記念事業)
昭和33年度 健康教育対策指定校として研究発表
修学旅行専用列車「きぼう号」走る(本校生徒命名)
昭和34年度 全国音楽教育研究大会研究指定校として研究発表
昭和35年度 生徒数増加に伴い屋上に3教室増築竣工。また、雨天体操場を間仕切り
生徒総会を京都会館第一ホールで行う
野外に大時計を設置
体育科グループ学習の研究発表
昭和36年度 第二室戸台風襲来のため臨時休校
木造2階建て4教室2準備室増築竣工
新館木造に付帯して2階建て鉄筋4教室竣工
全校舎を油引きし、一足制を実施
昭和37年度 学園祭を京都会館で開催
昭和38年度 校旗を制定
昭和40年度 京都市立中学校理科研究指定校として研究発表
京都市立中学校技術家庭科研究指定校として研究発表
昭和41年度 京都市立中学校数学科研究指定校として研究発表
昭和42年度 高校進学率上昇、全国1位になる。
昭和43年度 体育部ボックス新設
旗掲揚ポール設置(同窓会より寄贈)
宿直制を廃止
昭和44年度 本館と南校舎間に廊下を新設
水洗トイレ一棟新設
京都市立中学校体育科研究指定校として研究発表
昭和45年度 家庭科調理室を新設。旧調理室を保健室に改造
昭和47年度 プレハブ2教室をグラウンド北西に新設
校内放送設備全面改造
昭和48年度 本館2・3階防音工事
プレハブ3教室をグラウンド北東に設置
昭和49年度 プール建設工事起工式
昭和50年度 四条中学校梅津分校開校(現在の梅津中学校)
プール完成。プール開き式挙行
プレハブ3教室を東テニスコート、グラウンド北東に設置
昭和51年度 グラウンド東に防球ネットを新設
昭和52年度 体育館兼用講堂竣工
旧講堂の技術室模様替え工事完了
昭和53年度 本館1階防音工事
昭和54年度 従来の生徒会歌び一部を改訂し校歌に設定
昭和55年度 四条中学校西京極分校開校(現在の西京極中学校)
昭和56年度 校内クリンキャンペーン
昭和57年度 保健室改修
昭和58年度 プール北側トイレ新設
給湯室設備完成
自転車置き場撤廃
昭和59年度 新制服制定
昭和60年度 宿直室を生徒相談室に改修
仮校舎3棟竣工
旧講堂北側校舎解体
昭和61年度 新校舎建設の起工式挙行
昭和62年度 新校舎(鉄筋3階)竣工式挙行
旧管理棟を解体し格技場建設
台風19号により臨時休校
昭和63年度 「語らいの広場」造園完工
大生徒会旗を新調
従来の「育友会」の名称を「PTA」と改める
平成元年度 屋根付き相撲場完成
グラウンド整備改修
平成2年度 格技場を武道場に改称
平成3年度 コンピューター教室設置
生徒会による校下小学校訪問、本年度より開始
平成4年度 新入学生、従来より1学級減少し4学級となる
ブロック製花壇設置
中庭にベンチ設置
平成5年度 新教育課程開始
平成6年度 阪神大震災義援金の募金及び、被災者生徒の受け入れ
4月より学校週5日制開始(第2・4土曜休業)
平成7年度 生徒会美化活動開始
野外活動教室(ラーニングワールド)の完成
職員室と図書室にエアコン設置
創立50周年事前事業「バザー・模擬店」開催
平成8年度 1年、宿泊体験活動実施(花背山の家)
四条通壁面グリーンベルト計画始動
購買部廃止
創立50周年事前事業「バザー・模擬店」開催(2回目)
平成9年度 グリーンベルト計画により、四条通のブロック塀全面撤去              校門新設 生垣を完工。
       創立50周年記念式典挙行
平成10年度 インターブロック(中庭)の設置
コンピューター教室の設備入れ替え
平成12年度 配膳室・ランチルーム完成
平成13年度 完全選択制学校給食開始
『21世紀学校づくり推進事業』研究発表
平成14年度『21世紀学校づくり推進事業』研究発表2
平成15年度『21世紀学校づくり推進事業』研究発表3
平成16年度『みやこ学校創生事業』合同研究発表
平成17年度『21世紀学校づくり推進事業』研究発表
       コンピュータ校内LAN設置
平成18年度 通級指導教室試行設置
平成19年度 通級指導教室設置
       グランド夜間照明設備設置
平成20年度 文部科学省指定『人権教育』研究発表

校区の紹介

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養老田川
 西高瀬川(嵐山の桂川より取水、三条通の近くを旧千本まで流れ丹波よりの木材を運んでいた運河)の山ノ内山王神社の南東の所で分流し、本校の西を流れ、野々宮神社の北で西に曲がり、天神川に合流する。
 かつては、主に田畑の灌漑用水として利用されていた。昔はこの川で水遊びができたり、魚や蛍なども多数見かけられたが、今はその面影もない。
 もともと、本校の西側及び南側一帯は、野々宮神社があっただけで、一面の田圃であった。その中を細い水路が縦横にはりめぐらされていて、様々な生き物が棲み自然にあふれていたが、昭和32年の四条地区及び五条地区の区画整理事業により、続々と工場や家々が進出してその自然もしだいに失われていった。
野々宮神社
 四条中学校の西隣に位置する野々宮神社は、斎宮(いつきのみや)とも呼ばれ、その歴史は古く、第11代垂仁天皇の第2皇女、倭姫(やまとひめ)が御祭神となっている。また、ここは伊勢斎宮の清浄潔斎所であったともいわれている。
 現在、この神社は春日住吉社(西院春日通り)の例祭御輿(みこし)御旅所となっている。
山王神社
 山ノ内宮脇町にあるこの神社は、その昔、滋賀県坂本の日吉山王大神を勧請した古い社である。山ノ内は往時、比叡山天台宗延暦寺の寺領であり、普賢寺と号する良眞座主の西の京禅房があった。その守護神として、大山咋神、遂玉依姫神、大己貴神を祀り、以来、山ノ内の鎮守として人々に信仰されてきた。
 山王神社の境内には男女岩と呼ばれるものがあり、古来より夫婦和合、安産のご利益があるとして信仰が篤い。本殿前に、右に男岩、左に女岩と並んでいるが、古説によると、両方の岩を撫でて、両岩を左より3回廻って安産を祈ると言う。
猿田彦神社
 三条通が天神川と接する南東に猿田彦神社がある。古くから山ノ内の庚申ともよばれ、また、辻に立つ道祖神として信仰がある。御祭神の猿田彦は一般に導きの神、開運や厄除け、交通安全の神として、また邪力をはらう神として祀られる。
 明治の始め、猿田彦神社は一時、安井松井町にあったが、安井におくか、山ノ内に帰属するかで争いがおきた。そこで山ノ内村の子供10人と安井村の子供10人とで決めようということになった。山ノ内の子供は皆、山ノ内だと主張したが、安井の子供のうち一人が、山ノ内でも良いのではないかと言ったので、明治18年に現在の地に移り、山ノ内に帰属することになった。以降、三条通はこの神社の北側を通ることになったとの話である。
安井御所
 その昔、後白河天皇の第1皇女、殷富門院亮子内親王の住まいで、「安井殿」と呼ばれた御所屋敷があった。これが現在の「安井」という地名の由来とも言われる。安井御所は現在の北御所町近辺にあったと推定され、「車道」「東裏」「西裏」「二条裏」などの町名が安井御所の四方を囲む呼び名に由来すると考えられる。
 小倉百人一首に、「見せばやな 雄島のあまの 袖だにも ぬれにぞぬれし 色はかはらず」との歌があるが、これは殷富門院に仕えた女官である殷富門院大輔の作であり、大輔が勧進をつとめた歌会が「千載集」に記されている。
蓮華光院
 正治2年(1200年)、安井御所内に御堂が建立され、殷富門院は以仁王の遺児、道尊僧正を引き取って開基とし、蓮華光院と号した。第2代の土御門院の皇子、道円法親王の入寺以来、法親王累代門跡となり、安井門跡といわれる真言宗の名刹となる。中世以降、荒廃したが、延宝初年(1674年)頃、性演大僧正が再興し、東山安井に移転した。
 しかし、明治維新後の廃仏毀釈で衰退し、明治6年に大覚寺に「安井堂」として移り、今では同寺の鎮守社のみが、安井金毘羅宮として残っている。
瑞鳳山龍翔寺跡
 龍翔寺は、かつて安井の西、御室川のほとりに位置していた。後宇多天皇が円通大応国師の徳を慕って、没後、その離宮を寺とし、大応国師を開山としたものである。室町時代初期、足利義満が定めた五山十刹の制で京十刹中の第十とされ、寺の広さも三町歩(約300アール)に及ぶ大寺院だった。
 しかし、室町時代中期になると衰退し、長禄2年(1458年)に訪れた一休禅師がその荒廃を嘆き、「感龍翔寺廃」と題して詩を詠み、修理料を寄せている。「殿堂は花とともに零落す」との一節が大寺院の凋落を伝えている。
 応仁の乱の後、大徳寺内に移され、今では寺跡に後宇多天皇御髪塔と嘉陽門院墓のみが残る。
宝珠山竹林寺
 安井北御所町にある、臨済宗妙心寺派の寺で、「長者地蔵」と呼ばれる恵心僧都(源信)作と伝えられる地蔵尊を祀る寺として知られている。
 嵯峨天皇の時、安井は仏法流布の霊場として精舎が建立され、釈迦如来像が安置されていた。その後、比叡山の恵心僧都が悪夢により、安井に居住し、一刀三礼を尽くして地蔵菩薩を刻み安置した。
 江戸時代になって、一人の貧しい男がこの地蔵を熱心に詣り、夢のお告げ通りに境内で宝珠を拾った。以来、富み栄えて竹林長者と呼ばれるようになったと言う。この伝説は『長者地蔵縁起』(竹林寺蔵)に語られている。

ご挨拶

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本校は、旧制の四条商業学校の後を引き継いで新制中学校として昭和22年に発足し、今年で創立61周年を迎えます。そしてその間の卒業生は2万人以上の多数を数え、長い歴史と伝統のもと今日に至っています。

 今年は文部科学省の人権教育の研究指定を受け、11月に「総合育成支援教育からの人権教育」というテーマで、研究報告会を開催いたしました。皆様のご支援のもとで、多数の参観者をお迎えし、無事報告会を修了することができました。未熟な研究の取組ではありますが、一つの方向性を示した提案ができたのではないかと自負しております。

長い歴史と伝統、恵まれた広い敷地、多数の卒業生の方々の熱い思いを糧として、より一層四条中学校教育の充実に力を入れて、新しい歴史を創造して参りたいと考えています。どうか今後とも皆様のご理解とご支援をお願いいたします。


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学校行事
4/6 着任式・始業式
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