最新更新日:2014/10/17 | |
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戦後の一橋小学校の子どもたち 閉校記念の授業 3年
昭和30年代に一橋小学校で過ごされた,鈴木さん,増永さん,板倉さんを招き昔の一橋小学校のお話をしていただきました。
事前に学んでいた給食について,実際にどんなものを食べていたか,どう思ったかをお話していただきました。 一橋校区の様子や,一番印象に残っている出来事をお話していただきました。 むかしのあそびおしえてもらったよ 1・2年
一橋小学校卒業生の大倉さん,辻下さん,石田さん,堀越さん,北村さんを招き,むかしのあそびを教えてもらいました。
1学年で180人ほどいて,校庭よりも,家の近くの道で遊ぶことが多かったそうです。 本町通りでも車がほとんど走っていなくて,安全に遊べたそうです。 一橋小学校 昔の給食 3年
京都市では昭和22年に脱脂粉乳だけ,というメニューが戦後の給食の始まりです。その写真を見て子どもたちは「え〜っ,たったこれだけ!?」「5秒で飲めそう」とびっくり。2年後の昭和24年にはパンと脱脂粉乳,そして翌年の昭和25年にはパン・脱脂粉乳・おかずの三点がそろった完全給食が実施されたことを知ると,「こんな短い間に給食の内容がどんどん増えていったのだなぁ」「これならお腹いっぱいになりそうだ」と感想を交流していました。
写真を見ただけではわからないことは何でしょうか?それは味です。現在では毎日温かい給食が提供されていますが,むかしも今のように温かいものだったのでしょうか。そして,脱脂粉乳を知らない子どもたち。牛乳をイメージすればおいしそうと思うかもしれませんが,本当に牛乳のようにのどごしがよくてゴクゴクと飲めるものだったのでしょうか。実際に食べていた人に話を聞いてみたいという意見がたくさん出ました。 今月末に一橋小の卒業生の方々が,むかしの一橋小学校の様子をお話してくださいます。今回の授業を生かして,子どもたちから出てきた質問をまとめ,脱脂粉乳が登場していた当時の給食の思い出を語っていただき,より学習を深めていきたいと思います。 |
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