最新更新日:2024/08/22 | |
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雪白 ∞ snow white のような
2月14日(金)
いつまでもやまない雪の1日となるそうです。参観に来ていただいた保護者の方々,ありがとうございました。 校内の地面や木々はすっかり雪に隠れてしまい,角がとれ丸みを帯びたフォルムに様変わりしました。あじさいの木は花があったところに丸く雪が積もり,白い花をつけたようになっています。 色はというとありきたりな表現ですが,1枚の水墨画のようになっています。 そんな常磐野の非日常的な景色が楽しめる中で,気の毒なのは中庭の池にいるカメたちです。雪交じりのフローズンのような中で,じっと冬眠しているのがつらそうです。1日も早い春の到来を心待ちにしているに違いありません。 今日は雪にちなんで,有名な漢詩をおひとつ。 江雪 柳宗元(こうせつ りゅうそうげん) 千山鳥飛絶 万逕人蹤滅 孤舟蓑笠翁 独釣寒江雪 (読み) 千山鳥飛ぶこと絶え, 万逕人の蹤滅ゆ 孤舟蓑笠の翁 独り釣る寒江の雪 五言絶句,たった20字でこの世界観です。とにかく「寒い」「わびしい」詩ですので,そういう気持ちをこめて読んでみてください。 うちのカメたちはこんな気分です。 遙か・雪月花・山茶花・帷子雪
2月6日(木)
2日続きの帷子雪の朝となりました。 登校してくる子どもたちも,2日目はさすがに雪を集める子どもが少なくなるようです。柵の上やバケツの上の雪もきれいなまま残っていました。 東門から出ると,山茶花が満開を過ぎ花びらが地面を敷き詰めているところもあります。その上からうっすらと雪が積もった様子は,子どもたちにも好評のようです。 「うわあ,きれい!」 「なんか,絵みたい。」 月は出てませんが,雪月花(せつげつか)の世界観さえを漂わせます。 この雪月花,中唐の詩人白居易の詩「寄殷協律」の一句「雪月花時最憶君」を由来とする言葉だそうです。 日本では雪・月・花に限らず自然の美しい景物を指す言葉として使われてきました。 読みは「雪月花の時 最も君を憶ふ」 です。 大人になっても,この美しさを覚えている子どもがいてくれていたら素敵だなあと思います。 秋色@イロイロ雷を伴う雨の予報だそうです。その一方で秋も深まり,本校にある木々たちも美しく色づいてきました。 正門を入ってよく見える桜は「秋の葉も見てよ,ほらきれいでしょ。」といわんばかりに秋もその美しさを主張しているようです。 どうしてもモミジやイチョウに人気が集まり,それらと比べると葉が厚く逆光のときに光を透かさないので地味に見える,というのがよろしくないそうです。1枚でも大きくてグラデーションになっていたり,虫食いなんかがアクセントになっていたりして春の花にも負けない趣があると思うのですが・・・。 ついついそんなら桜もひがんでしまうのか,落ち葉をまき散らして時に人を困らせます。本校ではこの落ち葉拾いを用務員さんだけでなく1年生ががんばります。見ていると1年生の子どもたちにとっては,ゴミ集めの「掃除」というよりはまるで「宝物集め」のようにそれらを眺めて楽しんでいました。 自然が織りなす中間色の中で,少しだけ鮮やかな赤や黄色が調和する均整がとれた景色のトリミングです。 枝に残った葉を写真に撮りながら,ふと思い出した秋の歌を最後にひとつ。新勅撰和歌集から藤原定家の歌です。 「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや 藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ」 職員室からの窓景色です。学校にお立ち寄りの際にはぜひご覧ください。 スパイシー☆アート
10月30日(水)
11月8日(金)に行う学芸会に向けて,学年や学級での取組もそれぞれ仕上げの段階となり佳境に入ってきました。 放課後,校舎内を見回ると教室や学年の部屋,特別教室などに学芸会で使う背景や大道具などが拡げられていました。 日も暮れ,薄暗くなった誰もいない部屋に拡げられた大きな作品を見ると,子どもたちと先生の声が聞こえてくる気がします。ベテランの先生はさすがこれまでの豊富な経験を生かし,材料や色使いなど「道具」としてのポイントを押さえたつくりになっています。 若手の先生は経験が少ない分,よいと思うことは「今どきのセンス」をフル活用してつくっているようです。 あくまでも主役は子どもたちです。それでも先生は主役の味をよりよく仕上げようと,香るようなスパイスを試行錯誤しながらブレンドしています。 虹をくぐって 大きなヘビにも会いにいったら気を揉んだ台風26号はなんとか京都から離れていきました。この後も大きな被害を出さずに温帯低気圧に変わってくれることをお祈りしております。 今日の通勤途中,車道に両側からせまる木々に切り取られた青空の中,きれいな虹を見つけました。あいにく手元にカメラもなく,なんとか学校に着くまで出ていてくれと思いながらなんとか到着しました。 あわてて職員室からカメラを持ち出し,プール横へ行ってパチリ。上手には撮れませんが,まずまず記録が出来ました。 ここに写真をあげようと記事内容を書き出したのですが,あらためて思いおこしてみても「虹」が出てくる和歌は全く思い浮かびません。少し調べるとやはり日本人の詩心の原風景ともいうべき万葉集においては,虹を詠んだ歌はたった一首しかないようです。 どうも古代の人たちには虹を「大蛇」や「龍の息」と関係づけていたのでは,という見解もあるようです。そのため「虹」という字の虫偏は蛇を表し,それに【貫く・横たわる】という「工」がついたのが「虹」という字であると・・・。少し後付けのような気がしないでもありませんが本当のところはどうでしょう。古代のロマンとして置いておきたいところです。 第十四巻・3414番,上野国で詠まれた東歌です。 「伊香保ろの八尺(やさか)の堰塞(いで)に立つ虹(のじ)の顕ろまでもさ寝をさ寝てば」 意味はさておき,あきらめていた子どもが多かった中,嬉々として1・2年生が虹をくぐって遠足に出発しました。行き先は動物園です。 動物園にはキモだめし気分で,挑戦する子が多い「ひかり・みず・みどりの熱帯動物館」があります。 古代の人が「虹」と重ねた大蛇に子どもたちは遭遇するかもしれません。 中秋の名月の折に
9月19日(月)
今夜は中秋の名月です。 予想通り,この風習は中国から伝わったとされているようですが,「わび」「さび」の日本文化によくなじんだことから広まったようです。 今年のように,旧暦の中秋に満月になることは意外に珍しいそうで,それならば写真でも撮っておこうと外に出てみると,あらためてその明るさに驚きました。 現代のように街灯やビルの明かりなどがない時代は,今とは比べものにならない月光とまわりの闇が秋の趣を深めていたことでしょう。また,それだけでなく生活のための光として,夜道を照らす貴重な光源であったに違いありません。 万葉集712番にもこのような歌が有名です。 「夕闇はみちたづたづし 月待ちて行ませ吾が背子その間にも見む」 訳 「夕闇は道がよく見えないから月が出るまでもう少しいて下さい。」 源氏物語の中で,源氏が女三宮のところから帰る口実にこの歌の第二句を引き,女三宮はそれを引き止めるのに第三句を引いてます。 月に見とれて,けがのないよう気を付けてお帰り下さい。 ヒカリ×色 ノ コラボレーション!
9月19日(木)
昨日,芸術クラブの子どもたちが楽しく活動していたのでしばらく様子を見ていました。 赤,黄,青の3色の色水を混ぜて自分の思っている色をつくり,フィルムケースに入れて並べていました。 どこに並べるか,これもこの活動のポイントで,子どもたちは場所をヒントにして色を決定したり,つくりたい色に合う場所を探したりしていました。 たっぷり用意された色水を使って,何度も何度も自分が目指す色をつくりかえ,息を止めて調合する姿は,まるで魔法の薬を開発している科学者のようでした。 苦心してつくった自分の色と,日も傾きオレンジ色になった光によって,透過する色味の美しさを味わっているように見えました。 バランス アート 見ること⇔つくり出すこと
9月8日(日)
今日は日曜参観日でした。 その参観授業の1コマを使って,図画工作科の「アート・ゲーム」という学習を行っている学級がありました。 「アート・ゲーム」は,元々はゲーム的な活動を通して美術作品に親しみながら,美術作品を鑑賞する力を身につけていくことを目的として開発された図版(カード)等の教材そのものや,それを用いた学習の形態のことをいいます。 美術館では実物の作品を鑑賞しながら行えますが,学校では図版を使っての活動が多くなります。 これは作品を一方的に見つめるだけでなく,友達と相互に感想や気付いたことなどを交流し合う活発な言語活動が期待できたり,身体を使っての動作など,体全体を用いたりすることができる活動です。 2年生3クラスでは,この学習後に予定されている「物語から想像して絵に表す」題材と関連させた図版を使っての「アート・ゲーム」でした。 また4年1組では立体や平面,時代や国が違う美術作品を織り交ぜた図版を使い,行われていました。 クラスによっては保護者の方もついついのぞき込みながら,腕組みをして子どもが出題した問題を考えていたり,答えを聞いて感心していたりしておられました。 それぞれの担任も,子どもの柔軟な視点に感心していたことでしょう。 作品をつくり出すだけでなく,鑑賞する活動も充実できればとおもいます。 暑さ ひと雨今日の夕方にも昨日に勝る強い夕立がありました。 昨日はこのおかげでせっかくの夏祭りの予定が,ずいぶんと変更されました。 その後片付けも,未だにままならずテントも昨日のままになっています。 先日の出張帰り,駐車場に置いてあった車までの途中,やはり突然の夕立に思わずコンビニの店先に逃げ込みました。 やれやれと思い,周りを見ると先客が2人。初老の紳士と制服を着た高校生が私と同じ表情で雨空を見上げていました。 初老の紳士がかぶっていた帽子でパタパタと扇ぎながら,高校生の方にポツリとひとこと,ひとり言のように, 「まいったねえ,でもすぐやむよ。」 青年も 「そうっすね。」 何を根拠に,と思いながらそのやりとりをきいていたのですが,会話通りそれからものの数分で小雨となり,その後すっかり上がりました。 わずかな記憶をたどり,調べてみるとやはりありました。 「知る知らず宿りし人のわかれだに言葉のこりて晴るる夕立」〔宮川松堅 (みやがわしょうけん) 倭謌五十人一首〕 (意味)「知っているのも知らないのも一緒に雨宿りした人々が,もう止みそうだと別れの挨拶を交わす――その言葉も言い終わらないうちに,夕立はすっかり晴れてしまった。」 今日の夕立のせいで,陸上部の子どもたちや先生は困ってはいないでしょうか。 少し涼しくなって,トレーニングがしやすくなっているでしょうか。 大人も子どもも体調を壊さないようにがんばって下さい。 ナツクサ×ナツノ ヨウセイ今日から夏休みとなりました。 ひまわりサマースクールが行われていたり,部活があったりして少しにぎやかになるときはありますが,それも一時です。 北校舎に行ってみると,昨日までとは別の場所のように静まりかえっています。 ところが主役たちを失った1年生の教室は,音こそしないものの今日もまだ妖精かなにかが授業を受けていたかのような体温を感じる臨場感があったのが不思議です。 だれもいない廊下も眺めているとだれかが向こうから歩いてきて,にっこり笑いかけてきてくれそうです。そうだといいのにと思っているからかもしれません。 気分を変えてネイチャーランドに行くと,空が見えないくらい木々の葉が茂っています。緑の色も梅雨の頃と比べたら濃くなっているようです。 5年生が植えた稲も順調に育っているようです。 かれはてむ 後をば知らで 夏草の 深くも人の思ほゆるかな (古今和歌集より) この歌の詠み人「凡河内 躬恒(おおしこうち の みつね」は、平安時代前期に活躍した歌人・官人で三十六歌仙の1人でもあります。 意味は「すっかり枯れてしまう後のことなどまるで知らずに、深々と夏草が生い茂るように、離れ去ってしまう後のことなど想像もできずに深くあの人のことが思われる。」という少し切ないテイストです。 ネイチャーランドの草木たちも,後のことなど考えもせずただ太陽を目指して,届かんばかりひたむきに伸びようとしています。 始まったばかりですが,早く戻ってきてほしいなと思います。 |
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