京都市立学校・幼稚園
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6月3日(月)15:40-19:00 MBS放送 よんちゃんTV「ミルクボーイのおかんの代わりに学校行ってみました」(17:30頃)で本校が紹介されます!

知の行方

 この世界に存在する「情報」は私たちの生活周辺を取り巻き、時代とともに無限に広がっている。過去からの多くの情報は「知」として文字化し、記録されてきた。紙と印刷技術が発明されてからは、書籍として残されてきている。それは「知」として体系化され、図書館や博物館などの施設で保存され、また身近なところでは教育の中で私たちはそれらの「知」を引き継いできている。いわゆる巨人の肩に乗ることで、自らを高め、さらに前に進んでいく。リアル空間の中で対話し、気づき、学び、成長していく。
 インターネットが構築された現代では大きく状況が変わり、情報は個別化され、すべてを顕在化させ、記録し、そして保存している。そして分析する。ビッグデータとして共有し、還元されることは、スマートフォンなどのデバイスですでに身近に検索利用していることは、多くの人が頷けるところだ。
 一方で、リアル空間での真骨頂であった「知」の体系までも情報としてデジタル化されインターネットを通して、私たちの目の前に瞬時に、どこでも手に入れることができるようにもなってきている。そこには、リアル空間では計り知れなかった「ヒトはどう思っているか」というインビジブル情報までもが顕在化され、そして記録、保存しているのがインターネット世界の強みとなっている。それは検索というエンジンに入力するところから始まる。欲求を文字化して入力することで、答えの候補が目の前に提示されると同時に、欲求として文字化された思いが、データとして蓄積されていく。紙ベースでは考えられないデータ量が瞬時に集められ、蓄えられていく。
 リアルな文字情報の「知」の体系が大きく変わってきている。リアル「知」は洗練され、かつまとめ上げられた情報となって磨き上げられてくる。一方でネット空間の注意すべき点として、ネット上での情報は「知」の洗練より、情報の量を優先するので、フェイクを含めたすべての情報を同等に陳列してしまうところがあげられる。
 ネットを介した「知」の情報は、見極める能力を私たちにつきつけているともいえる。見極める力は、まさにクリティカルな視点、メタ的な視点、そして、ヒトの心理的な分析というリアル感であり、自己実現への礎である。堀川高校の探究の三要素がこれからの世界では必須の観点となっていくことは間違いない。それは、進路実現するプロセス自体が探究活動そのものであることの証ともいえよう。ネット空間とうまく共存するには、リアル空間での探究的学びと気づきが重要となる。

 (進路のしおり「若き狩人」巻頭言より)


 学校長 谷内 秀一


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「あふれ出てくる」ものを「言わずにいられない」自分

 19期生の予稿集の巻頭言では、泉鏡花の『夜叉が池』に登場する人と妖怪たちとの結んだ約束を人間が意識的に破っていくという話から、人の「欲」について述べた。マズローの五段階欲求の「自己実現欲求」を大切にしよう旨についてお伝えした。内的に満たされたい欲求を充足することは自然な流れであり、命ある限り私たちへの試練なのだろう。
 欲はモノに対するものと、心理的な充足欲求とがある。デジタル化が進む情報化社会の現代にあっても欲求の基本形は同じように成り立っているが、スピードとやり取りする空間が大幅に変化してきている。流れる時間のいたるところで欲を充足しようとする営みが成立する。農耕が中心となっていた時代と比べるとその差異が明確に認識される。
 江戸時代後期1800年代の『琴後集』巻十四雑文「河づらなる家に郭公(ほととぎす)を聞くといふことを題にて物語ぶみのさまにならへる文」に、以下のようなやりとりがある。
 初瀬詣でに出かけている筆者が、一夜を明かすために、ある御堂に宿をとっていた。筆者は月を愛でるために宿の横に流れている川のほとりにたたずんでいた。同宿となった別の団体の女房たちの中にも、美しく照り輝く月を眺めようと、宿の端まで出てきて月を愛でている。その様子を外に出ている筆者が目にしている。女房たちは気づいていない。しばらく月を愛でていた時に、郭公の鳴く声を聞いた女房の一人が、
「ここを瀬に鳴くほととぎすかな」
と口ずさんだところ、それに対して別の女房が、
「初瀬川波間に月もやどる夜に」
と返した。そのすばらしく趣深いやり取りを、外で聞いていた筆者は、「かかるをりに歌よまでやはあらむ、よしやうちつけなるわざも、情け知らむ人は、咎めじ」と、我慢できず、
「月見つつ寝られざりけり郭公ほのかになのる声聞きしより」
と歌を詠み、扇の端に書きとどめて、宿の中にいる女房たちの足元におし入れた。自分たちのやり取りを外で誰かが見ているとは知らずに、驚いた女房たちは、扇を手にして部屋の奥へと下がっていった。誰とも知らない人からの歌ではあるが、歌を贈られた以上、歌を返すのが礼儀であるので、女房たちは香を焚きしめた白い紙に、
「郭公月にかたらふしのび音をいづれの雲のひまもらしけむ」
と書いて扇の端に結んで、外にいる筆者に返した。筆者は自分がいきなり歌を贈るということは失礼だと知りながらも、二人の女房のやり取りの趣深い風情に我慢ができず、そして、風流を解する人たちであれば、許してくれるだろうという勝手な判断で歌を贈っている。この我慢ができない、歌を歌わないではいられない、伝えたくてたまらないという欲求は、高いレベルでの自己実現欲求である。和歌を介してのコミュニケーションのひとつであり、流れる時間の中では頻繁にあるものでもなく、絶妙なタイミングでやってくる時間と空間で成立する。そのタイミングが人と人との関わりをより深く結びつける。
 活動録においても同じく、伝えなくてはいられない魂の叫びがこめられている。書き手と読み手は直接的にはやり取りができないが、書き手の魂を読み手が受けとった時間と空間は、先のやり取りと同様、関わりを深く結びつける。

 源公忠曰く、「行やらで山路暮らしつほととぎす今一聲の聞かまほしさに」

 (19期生「探究基礎活動録」巻頭言より)


 学校長 谷内 秀一

自立する18歳の日

本校では、年間10回程度、「自立する18歳の日」を設定しています。
これは、学校活動から一時的に離れ、「ひとり」になってあらゆる活動を振り返り、自分で目標を設定することを通して、社会での貢献や地域・家庭での役割を果たしたり、教養の獲得に向けて自主的に取り組んだりすることに目を向ける日と位置づけて実施しているものです。
今年度は、本日5月21日(火)が1回目の「自立する18歳の日」です。この日は、校内での自主活動や部活動など、あらゆる学校活動を17時までに終えて、すべての生徒が下校します。
学校活動から一時的に離れ、「ひとり」になってあらゆる活動を振り返り、自分で目標を設定することを通して、社会での貢献や地域・家庭での役割を果たしたり、教養の獲得に向けて自主的に取り組んだりすることに目を向ける日となることを期待しています。
また、教職員もこの日を自己の研鑽に努める機会として有効に活用していきたいと思います。

※今年度前期分の「自立する18歳の日」は以下の4回を予定しています。(確定した日程は月ごとの行事予定でお知らせします。また,後期分についても予定が決まり次第お知らせします)

   (1) 5/21(火)   (2) 6/14(金)  (3) 7/ 4(木)   (4) 7/22(月)

Imaginative Approach!

 さまざまな問いに対する解決に向けた糸口の一つとして、「視点」、「位置づけ」の変換作業が重要だと思っています。それは、規定から外れた思考でも、ちょっとした変換でのいいと思います。そこから新たな気づきや発見につながり、おさまりどころを形成していくのだと思います。いわゆる、ものの見方と自分自身のポジショニングの変換です。もちろん、自分のスタイルの視点、見方と立ち位置を確固として保つことは大切です。その上で、別の視点、見方や立ち位置を意識してみることで、次なるステップをより広範囲に、そして深く進めていくことができると思っています。この変換の重要な点は、自分自身に新しい気づき、発見があるだけではなく、相手の心をも動かすということです。これは、とても大切なことで、自立する18歳をめざす堀高生に身につけてほしい力だとも思っています。
 こんな経験をしました。ある年の夏、大型台風がやってくるというときに、営業していた多くのお店などが、台風対策に休業した時がありました。ほとんどのお店の入り口には、「臨時休業」または「大型台風の影響で休業いたします。」等の張り紙が貼ってありました。このこと自体は、なんの疑問もなく、特に変わったことではないです。ところが、あるラーメン屋さんの玄関の張り紙をみて、私は衝撃をうけました。その張り紙には、「大きな台風がやってきます。どうかお休みさせてください。お願いします。」と書かれてあったのです。特に気にしなければ「本日休業」と同意なので、「営業しない」という伝達事項は成立します。が、まさに同じ表現ではない。自分自身の位置づけ、ポジショニングが全く違う。主体をこちら側に置くのか、向こう側に置くのかの違いだけだけれども、こちら側に伝わってくるものの思いと重みをずしっと感じました。私はラーメン屋さんに好感を持ちましたし、繋がりたいと思いました。もっと知りたいという気持ちが起こってきました。この視点と姿勢こそが、相手を揺さぶり、理解を深め、繋がっていくエネルギーを発生させるのではないかと思います。さらには、解決策の見えない、地球規模での環境問題や欧米中心に広がっている国家間の社会的断絶の解決にむけた糸口となっていくのではないかとも感じました。ラーメン屋さんが、直接世界を救うわけではありませんが、糸口は私たちの身の周りにはたくさん存在しているのです。それに気づかないからこそ、気づくことをしなければならない。主体的に想像力を働かせ、より多層的な視点、異なる尺度や、より広範な解釈に基づいた視点が重要といえはしないでしょうか。


 松岡正剛曰く、「模倣と連想と類推は、すべて想像力のトリガーなのである。」

 
 学校長 谷内 秀一


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平成31年度入学式 式辞

 本校は、一九〇八年、明治四一年に京都市立堀川高等女学校として設立されました。昨年、百十周年を迎えています。一九四八年、昭和二十三年に学制改革により京都市立堀川高等学校として発足し、新入生のみなさんは、その七十四期生となります。そして、一九九九年、平成十一年からこの新しい校舎で京都市の教育改革のパイロット校として新たな歴史を刻み始めました。この新たな挑戦の年輪として、ここに集う新入生を私たちは二十一期生と呼びます。このことを、新入生諸君は心に受け止めてください。
 今、二十一期生、二四八名のみなさんに入学を許可いたしました。それは、堀川高校の歴史に、新しい二四八名の名前を加えたということです。みなさんが、これから三年にわたり、ここ堀川に、変わることなく受け継がれる自主自立の精神を大切に、さまざまな学びの体験を経て、堀川高校の最高目標である「自立する十八歳」を目指し、懸命に学ぶ日々を過ごしてくれることを心から願っています。
 そのスタートとなる今日、堀川高校は皆さんと「三つの約束」をしたいと思います。
 三つの約束、その第一は、「学校は学びの場である。」ということです。人は、足りないものがあるから、不十分だから、学びます。失礼ながら、みなさんはまだまだ不十分です。自分はまだ足りないということを自覚して、学ぶ者としての謙虚さを持ってください。私たちは君たちの現状を受け取りはしますが、そのままの状態を肯定はしません。なぜならば、私たちは、あなたたちの可能性を肯定するからです。可能性を肯定して、あなたたちに、学ぶための多様な機会を提供します。
 第二は、「学校は小さな社会である。」ということです。集団の中で自己をみつめ、他者を理解する場。当然ルールがあるし、マナーも必要です。堀川高校をよりよい社会にするための責任と役割をみんなが共有しています。あなたたちは場と状況を把握し、意識した行動をとるように努めてください。私たちは、大きな子どもではなく、「小さな大人」として、君たちに対応します。
 第三は、「学校は楽しいところである。」ということです。本当に楽しいというのはどういうものかを考えてほしい。楽しさは待っていて与えられるものではありません。行動することによって創るものなのです。本物の楽しさを得るために、自ら参画し、参加する姿勢を持ってください。私たちは、あなたたちの個性を尊重して、見張ることはせずに、見守ります。
 今、みなさんと三つの約束をしました。約束とは契約です。みなさんと私たちがこの三つの約束を互いに果たしきることはそんなにたやすいことではないでしょう。一人一人の自覚とともに、お互いがことばで確認と評価し合うことによって、この堀川という学校が「学びの場」「小さな社会」そして「楽しいところ」であるという約束が果たされます。みなさんがこれから始まる堀川での日々を主体的にこの約束を果たそうと努力することが、三年後の「自立する十八歳」を創り出します。
 今日、みなさんの新しい始まりの時に、私は堀川高校二十一期生を「暁(あかつき)」と名づけます。太陽がゆっくりと少しずつ重い暗闇を凌ぎつつ、光を差し入れてくるように、未来に向けた努力と挑戦を、勇気をもって、一歩、二歩自ら歩んでほしいと願っています。
 漢字の「暁」は、太陽を表す「ひへん」と、山の極めて高い様子をあらわす「ぎょう」という字からできています。明るくなろうとする夜明けを意味し、物事の始まり、そして太陽の光が差し込んでくることによって、物事が明らかになること、はっきりわかってくることを表しています。古来日本、夜明けを表すことばはたくさんあります。「あかつき」「しののめ」「あけぼの」「あさぼらけ」などです。その中で「あかつき」は夜半から明け方までの時刻で、夜明けの一番初めを表します。つまり、太陽の昇る直前のほの暗いころで、長い夜から太陽を最初に感じ始める夜明けのスタートのころです。長い夜から朝への最初のうごめきが「あかつき」です。静寂な夜から、太陽の光を受けて、生命のいぶきが感じられる瞬間です。
 前が見えない暗闇の中でも、これから差し込んでくる光を信じて夜明けがやってくるように、先の見えない未来に向けて、自分自身の可能性を信じ、勇気ある挑戦をし続けてほしいと願ってやみません。
 保護者のみなさま、ひとことお祝い申し上げます。お子様のご入学、おめでとうございます。本日より堀高生としての高校生活が始まります。堀川高校入学がゴールではありません。ここからがスタート、夜明けとなります。希望に満ちあふれている今、ここから、濃密な三年間を送ることで、生徒たちは大きな変容を遂げていきます。どうぞ保護者のみなさま、私たちとともに生徒たちをあたたかく見守り、時に励まし、支えていただきますよう、よろしくお願いいたします。
 さあ、二四八名の二十一期生のみなさん、堀川高校の新たなる夜明けを、一緒にスタートさせましょう。


 平成三十一年四月八日 学校長 谷内 秀一

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「Sun in the Night」

 春到来!世の中は新年度として、今日から新しくスタートする。
 スタートにはさまざまなスタイルがある。年度の始まりとしてのスタート、春夏秋冬四季としてのスタート、一日のスタートなど。これらは、再度スタートに戻ってくる循環型。この型には、実は始まりがなく、終わりもない「時」の流れとなっている。では、新元号のスタートはどうか。これは循環型ではなく、歴史的時間としての直線型で、始まりがなく、終わりもない。では、一人ひとりの人生のスタートはどうだろう。これには始まりがあり、そして終わりもある。歴史的時間とはちょっと違う。人生の普遍的時間としてのヒト型とでもいえようか。この有限の時間の流れにはそれぞれ分節あり、例えば一つには、幼児、少年、青年、中年、老年などの分節、これは当たり前だが、一度過ぎ去れば二度と戻ることはない。スタートにはさまざまなスタイルがあるが、いずれにしても、それぞれのスタートは、「今、ここ」に生きることへの強調へと向かうものといえる。
 では、新しい自分自身のスタートは、いつ、どこから始まるのか。それは自分を知るところから始まるのではないだろうか。自分を知るとは他者を知ることなしには始まらない。とすれば、他者との新しい出会いやコンタクトがその時でもある。学校という小さな社会の中でもさまざまなスタートがある。4月には新入生が入学し、新しいコミュニティが加わる。2年生や3年生は同じメンバーでも、4月からは、新しいコミュニティに進化する。やはり、一人ひとりのスタートとなる。
 それは、長い夜から朝がやってくるあの感覚、太陽がゆっくりと少しずつ重い暗闇を凌ぎ、光を差し入れてくる、あの瞬間の楽しみと喜び、未来に期待するわくわく感は誰でも経験しているように、毎日が新しいスタートでもあり、進んでいる途中でもある。
 私たちは、先が見えないが、一人ひとりのそれぞれの朝を求めて、「今」に生きているのだろう。


 大伴家持曰く、
  「高円(たかまど)の野辺のあきはぎこのころの
             あかとき露に咲きにけむかも」


  学校長 谷内 秀一  


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行事予定
7/9 HOPポスター発表会
7/10 HOPポスター発表会
7/11 HOPポスター発表会  スクールカウンセラー来校日
7/12 短縮授業(1・2・4限の授業・LHR)  午後:保護者懇談会
7/13 PST(9:30〜16:00)  探究道場(午前)
7/15 海の日
京都市立堀川高等学校
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京都市中京区東堀川通錦小路上ル四坊堀川町622-2
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