最新更新日:2024/09/27 | |
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ある卒業生の話
西日本を中心に大きな被害をもたらした西日本豪雨では、今も被災地で捜索と救助が続いています。交通機関も混乱し、多くの人たちが普段の生活にもどるのに、まだまだ時間がかかっている状態です。被災地での復旧作業が急がれています。
そんな状況の中で、今年4月から広島大学に進学し、東広島市で学生生活を送っている堀川高校の卒業生が、自分の生活している地域が混乱している状況の中で、大学生仲間たちとともに困っている人たちのために、積極的に活動しているという連絡がありました。 東広島市の国道2号バイパスが寸断され、身動きの取れない車やトラックが3キロ以上立ち往生しており、そのドライバーたちに、堀川高校卒業生を含めた広島大学の学生有志15名が、自分たちで炊きだした塩おにぎり300個や飲み物などを差し入れたということです。お米も学生たちがツイッターで呼びかけて、約100合集まったそうです。卒業生はおにぎり部隊で一生懸命にぎり続けたということです。 自分たち自身の生活もままならない中で、他者のために行動できる力は本当に尊いものだと思います。困った状況の中でも自分の位置だけではなく、周囲の状況をふまえて、客観視できる力は、想像力を豊かにし、自分に何かできることはないかと他者との協働を生み出していく。それはまさに思考力、判断力、表現力(行動力)が自然に発揮されたものなのでしょう。 最近の若者たちは……本当にすばらしい! 学校長 谷内 秀一 写真:中国新聞社7月10日掲載記事(中国新聞社の許諾を得ています。) 第12代校長恩田修三先生「瑞宝小綬章」受章!
昭和61年〜63年、堀川高校の学校長でいらっしゃいました恩田修三先生が「瑞宝小綬章」を受章されました。心よりお慶び申し上げます。
7月18日に勲章と勲記をお届けにまいりました。ご受章に関しましては、「ずしっと、重いものを感じますね。」と笑顔でおっしゃっておられました。 恩田修三先生におかれましては、堀川高校をはじめとする市立高校で積み重ねてこられた優れた教育実践並びに堀川高校校長として輝かしい伝統を築いてこられたその御功績に深く敬意を表しますとともに心から感謝申し上げます。 これからも末永く本校を見守っていただきますようお願い申し上げます。 学校長 谷内秀一 間合い
ある日の通勤電車内での出来事。
電車の一番先頭車両の運転席後ろに立っていた。 ななめ後ろにはお母さんと男の子がいた。 男の子は一生懸命先頭車両の一番前の窓から電車が進んでいくのを楽しんでいた。お母さんはその横で優しげに微笑みながら男の子を見つめていた。 子どもは総じて一番前の窓から、電車が進んでいく様子を見るのが大好きで、よくこのような親子連れを先頭車両で見かけた。 地上を走る電車からの先頭車両から見る景色や様子は、その電車に乗っているすべての人の中でも、自分ひとりだけだ。独り占めの景色である。特等席だ。 男の子はそんなことこれっぽっちも考えてない。ただただ、電車の進んでいく様子を楽しんでいる。 ところが、この電車は途中から地下に潜ってしまう。そうなると景色を楽しむことができなくなる。なぜなら、運転席後ろと男の子がのぞいている窓に暗幕が下されてしまうからだ。運転手さんがトンネルに入る手前でそのスイッチを押す。電車前方の景色を楽しんでいた子どもたちは、その時点でお楽しみが終了してしまう。そんな光景をよく見た。 この日の男の子も、そんなことをこれっぽっちも考えずに楽しんでいる。 いよいよ地下に潜る手前にきた。スイッチが押され、暗幕が上から下りてきた。 お母さんはやさしく男の子に「ああ、見えなくなっちゃうね。楽しかったね。」と声をかけた。 男の子は何のことかわからないのか、聞こえないくらいに景色に集中していたのか、お母さんのことばにまったく反応せずに見入っていた。 私もその様子を眺めていた。結論は見えなくなるという事態と決めつけていた。 ところが、その日のその時は結論が違ったのだ。本当にびっくりした。 暗幕は降りてきていて、もうすぐ窓の一番下まで到達しようとしていた。運転手席の後ろの窓は完全に暗幕で閉じられたが、なんと、男の子が見入っている窓の暗幕は、男の子のオデコのあたりで、「ピタッ」と止まったのだ。だから男の子は、トンネルに入っても、電車の進んでいく前を、ずっと見入りつづけていた。 お母さんは「わぁ、すごい!え〜っ、すごいね!」と男の子に話していた。話していたというよりも感嘆していたといった方が適切か。あまりにも想定外のできごとだったので、言葉が見つからなかったのだろう。しばらくして、「ありがとうございます。」と、見えない運転手さんに言葉をかけていた。 運転手さんに届いたかどうかはわからない。 周りにいた乗客もこの様子に驚いていた。そして、心和んでいた。 男の子はそんなことにはまったく見向きもせず、ずっと電車の前を眺め続けていた。 運転手さんと子ども、そしてその様子を見ていた私たちの間には、言葉は介されてはいないけれども、まちがいなく強く繋がっていて、なにか大きなエネルギーが生まれていたように感じた。感動という一言では言い表せないエネルギーが存在していた。熱く、そしてすがすがしいエネルギーだ。新しい何かが生み出された感覚だ。言葉はお互いには交わされてはいないが、新しい価値が生み出された瞬間と感じた。これは、ある意味、「対話」が成立したととらえてもいいのではないだろうか。 対話は、自分の考えや感じ方などが他者の考えや感じ方などに出会い、結合、変形しながら新しい見方や考え方、感じ方などの新しい価値観が生み出されるところに醍醐味がある。今回のこの電車での男の子の文脈も、この対話にあたるものと言えはしまいか。 そんなことを考えながら、すがすがしい思いで、職場に向かった。 学校長 谷内 秀一 |
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