最新更新日:2024/09/24 | |
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林檎の木の下で
昨年末,JAXAが打ち上げ,「あらせ」と命名された衛星が地球を俯瞰していることに心より敬意を表します。新しい年にあたり,ご挨拶申し上げます。
ずいぶんと前になりましたが「創立記念日」について意外な反響がありました。多くの皆さんが関心を持って,「自立beyod理不尽」について考えていただいたことを非常にうれしく思っています。そんななかで,校内放送の最初に流れた曲は何なのかという質問を複数お聞きしましたので,少しだけお話したいと思います。 原曲は,1905年にIn the Shade of the Old Apple Treeとしてアメリカで発表され,盧溝橋事件,日中戦争が勃発した1937年に日本語訳でハワイアン風にアレンジしてわが国で紹介されたようです。今回流したのは,1992年におおたか清流が発表したシングル盤のB面からのもので,同年の周防正行監督の映画『シコふんじゃった。』のエンディングテーマでもあります。ちなみにA面の「悲しくてやりきれない」(フォーククルセイダーズのカバー)がこの映画のオープニングテーマ曲で,映画のストーリーでは,「理不尽」=「一流企業への就職が内定した学生の卒業の条件として,指導教官が顧問を務める体育会相撲部で試合に出ること」。「beyond理不尽」=「内定していた一流企業を蹴り,大学に残り相撲部再建を主体的に選択」。ブレイクポイントは相撲部OBから謗られる場で「次は勝ってやる」と反発したこと。 今のご時世で,卒論の指導教官が,卒業したけりゃ相撲部で褌をしめて試合に出ろ,はパワハラであって,あり得ないことでしょう。明日から別の学校へ行け,も占領政策だからできたことかもしれません。おそらく,皆さんはこの平和で民主的な手続きが保障される社会で,理不尽を避けていくことは出来ます。しかし,自ら問いをつくるために,困難にチャレンジして自らブレイクポイントを創っていくスリリングな選択も豊かに生きるためには大切だと感じます。大学とは,誰かに評価されるためにあるのでしょうか?高校とは,大学入試や就職を目指す上で失敗や責任を回避するためにあるのでしょうか?違います。学問とは社会の問題を解決するためのテーマや問いの設定,教育とは安全に失敗を経験させるための場でもあります。 いつの間にか,よき大人を育むための教育が,記憶力とパターン認識だけになってしまい,結果的に優秀だけれども指示されないと何もできないマシーンのような人間をつくってしまっては勿体ないと思います。ただし,決して映画のマネをせよいう意味ではありませんので,ご了解を。そして,世の中には「絶対に」などと言い切れる教育はないと思いますのであしからず。 学校長 恩田徹 |
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