最新更新日:2024/09/20 | |
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Beyond 理不尽!
本日,「自立する18歳の日」と明日の「創立記念日」を迎えるにあたって,堀川の過去,特に「創立」について少しお話したいと思います。そもそも本校の創立記念日は,なぜ4月ではなく,10月なのでしょうか?
第二次大戦後,GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の意向が強く反映された教育改革の中で高校改革もすすめられました。この改革は,GHQの下部組織である地方軍政部の指導のもとに各地域で実施されましたが,この京都では,地方軍政部の管理がとりわけ厳格で,京都の公立高等学校では,1948年,地域制(小学区制)・総合制と同時に男女共学も実施,徹底されました。 複雑ないきさつはありましたが,結果だけ言いますと,昨日まで高等女学校だった堀川が,ある日,高等学校となり,中京区に住居のある多くの高校生は昨日まで行っていた学校や男女の別に関係なく,堀川に強制的に集められ,在籍することになりました(一部の学科を除く)。開校式が行われたその日が,10月20日,すなわち創立記念日なのです。 当時の3年生は卒業まで半年を切るというこの時期に,何という理不尽なことか! これに従わず退学を選択した生徒もいたと聞いています。 そして,時代はながれ,現在では,自分の志望に基づいて高校を選べる制度になりました。皆さんは堀川高校を希望し,受検し,入学したはずです。 かつて,戦後の教育改革はある面で生じさせた「理不尽」に,皆さんの先輩たちは憤り,抗い,そして受け容れ,友とともに乗り越えていきました。 一方で,みなさんには少なくとも高校の受検に際して,多様な選択肢が与えられたわけですが,それは望もうが望むまいがしなければならない選択でした。その意味で,強制的に選択することを迫られた上に,その選択の結果についての責任を負わねばならないのですから,今でも,ある種の「理不尽」が存在するとも言えます。 しかし,「理不尽」を超え,それでも主体的に自分の人生を選び,その結果や状況を愛し,受け入れことが,自立する18歳には必要です。 1年生はゼミ選択,コース・学科選択,海外研修のコース選択という様々な機会において,その選択の意味と結果についてしっかり考えらえれているでしょうか? 2年生は,これから広がる未来について想像するだけの力を例えば探究基礎などでつけられたでしょうか? そして必要な選択について考える準備を整え,筋道を立てているでしょうか? 3年生は,進路選択という機会で,未来の自分に対してその責任を負わせるだけの用意はできた,あるいはできているでしょうか。 今日の自立する18歳の日,そして明日の創立記念日には,かつての先輩たちが直面した「理不尽」に思いを馳せると共に,これから自分が遭遇するであろう「理不尽」を乗り越える,beyond理不尽の心意気を確認する2日間にしていただきたいと思っております。 校 長 恩田 徹 一体感
本日,終業式ですが,終業式の目的について,以下の文言を全教職員で共有しましたので,学務部長が調べ,解説してくれたことをもとに,全生徒にも翻案して少しだけ紹介いたしました。
始業式・終業式は,「特別活動」の3領域「ホームルーム活動」・「生徒会活動」・「学校行事」がある中で,学校行事の「儀礼的行事」に位置づけられており,将来的には目標と評価が求められるもの。現行の高等学校学習指導要領解説 特別活動編(pp.56-7) からの引用です。 「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと」 今回は前期の終業式ですから,本年度の中間総括として,現状を正しく把握して目標の妥当性,取組を省察してください。 言葉を徹底的に大切に出来ましたか。正解だと確信できないとコミュニケーションできないのは困ります。昨今は,コミュニケーションが緩くなり、集団の一体感を形成するのが困難な社会になってきています。しかし,本校ではコミュニケーションが双方向で成立するなら,タブレットなどハイテクに過度に依存せず,ローテクで目標を達成することも大事ではないかと思います。だからこそ全校で一斉に話を聞くこと,そして成果を上げることを尊び,儀式が学びの場になる学校でありたいとここで確認したいと思います。「一斉授業」の授業も,課題の発見を通して,知ることの素晴らしさを共に学べる学びの場である一体感を持って教材の質を高めていきます。引き続き,言葉,ふるまいを成長させること,傍観せず,取組のスピード感も加速させること,謙虚さをもって,そして決して自分を過小評価するな,以上,取組を通して成長させ,自立する18歳の育成に驀進したいと思います。 校長 恩田 徹 写真上:終業式の様子 写真中:伝達表彰の様子 写真下:恩田校長のことば 閉会式!
文化祭のすべてが終了し、閉会式です。
各賞の発表がありました。アトリウム種目、講堂種目、垂れ幕コンテスト、PRビデオ、カラオケ大会、ホリコレ、ダンスコンテストなど、それぞれの賞の発表毎に会場は盛り上がりました。 笑顔あり、涙ありの閉会式でした。 みなさん、本当にありがとう!! 写真上:閉会式の様子 写真中:受賞の喜び! 写真下:テーマソング熱唱! アトリウムの午後!
午後からのアトリウムでは、書道パフォーマンスやお笑いコンテスト、ダンス、ホリコレ、HDCなどが行われ、会場は大いに盛り上がりました。
写真上:HDC(ホリカワ・ダンス・カンパニー) 写真中:ホリコレ 写真下:教員によるパフォーマンス イベントは続きます!
堀高文化祭はまだまだ続いています。
写真上:講堂での演劇 写真中:邦楽部の演奏 写真下:美術部展示 「辛さ」「苦しさ」と「厳しさ」は違うはず
9月は,「自立する18歳の日」が設定できない特別活動,行事満載月間です。文化祭,体育祭はもちろん,コミュニティ・カレッジそして探究基礎発表会など探究活動の成果を発揮する機会満載です。前期末へと向かう日々の学習との二兎を追うチャレンジの月でもありましょう。部活動など課外活動とのダブルブッキングを調整したり,他人のせいにせず究極の選択を決断したりなど困難立ち向かう絶好の機会です。どうか大人も子どもも負荷に立ち向かい,困難に挑戦する方向性を共有できればと願っています。
ところで,「自分は出来ないやつ」とか自己過小評価をしている人はいませんか。「自分はまだまだ」など謙虚な努力の姿勢は大切ですが,点数や偏差値や失敗の数で集団の中で自分の序列を過小評価して居づらくなったりしていませんか。どうか,本校の中での序列や順位には社会で挑戦していくうえで何の意味もないんだということを分かってほしいなと願っています。本校で身につける力の中にある,どんな社会に出て行っても対応できて,新たな概念の創造に貢献できる資質・能力は,失敗や挫折にどこよりもおおく出会い,時には助け合って,折れそうな心を労り,奮い立たせる集団と個の力です。そんな文化祭の取組に大人も子どもも思いっきりかかわっていこうではありませんか。 校長 恩田 徹 「高み」をめざすには
7月23日(土)に開催いたしました本校学校説明会には多数の方にご来校いただきまして誠にありがとうございました。アンケートすべてに目を通させていただき,企画・運営を担った「学校説明会リーダー・スタッフ」の生徒の振り返りに活用させていただきました。とりわけ,今後の改善につながる貴重なご意見を頂戴いたしましたことに感謝申し上げます。高校選びを前にされた立場と同時に,自立する18歳,京都市の公教育,わが国の人材育成など理念・経営方針に対する歴史や見方・考え方に至るまで貴重なご意見を拝聴させていただき,私どもは高校教育改革に驀進していく所存です。今回,夏季大会など中学校の行事などで参加が叶わなかった生徒・保護者の皆様におかれましては,9月3日(土),4日(日)の本校文化祭に是非とも足をお運びいただきますようお願い申し上げます。
インタハイが中国地方で開催し,私も激励に参加いたします。日本音楽をはじめ全総文も広島県各地で開催されます。オリンピックも高校野球も間もなく始まります。 チーム(個人種目であっても)は誰のものでもなく,主役は実際に闘う生徒であることは間違いありませんが,教職員,OB,OGも含め皆のものだといえます。闘う生徒がいなくなればチームは消滅しますが,自分たちの好きなようにすればよいというものでもありません。最高水準を目標に活動するには,これまでも頑張ってきてくれたOB,OGを含め,そこに全人格をかけて取り組むプロセスから,他の生活の場面では絶対に得ることができない多くのことを学ぶことが機会に出会えますから,高みを目指すことにこだわらなければ意味がありません。その本気に対して見守りと支援が受けられるのだと思います。闘う集団はトップダウンでなければならないとは思います。 こういったトップダウンの闘う集団の世界だけではなく,本気の主体的で探究的な取組を見守り,支援する世界を創れないだろうかと思っています。「高みをめざす」行為は,スポーツ,芸術あるいは学問であっても,誰かに評価されるためのものでしょうか。価値がある,役に立つことを誰よりも早く,正確に到達することも高みをめざすことに違いはありません。しかし,賞やそれに向かうプロセスでの努力に対する評価だけではなく,「まだ誰もやったことのないこと」を本気で主体的に探究する集団を見守り,支援する仕組みを創りたいと思います。そんな「高みをめざす」人たちを本校は歓迎したいと思っています。 校長 恩田徹 学校説明会の様子 写真上:受付ブース 写真中:探究ブース 写真下:海外研修ブース 「全力出さずに,言い訳するな」
わがカープが好調で,気分のいい朝が増えています。1991年以来の優勝なるか。
思えば,つくば市の研修所で夏を過ごした1996年が最悪でした。1996年,この年のシーズンは中盤までぶっちぎり独走状態だったわがカープが二位巨人に11.5ゲーム差をつけていました。しかし,11ゲーム差で迎えた7月9日の対巨人戦(札幌市円山球場)で,2回二死走者なしから9者連続安打で一挙7点を奪われて負けたのを機に,失速が始まり,長嶋茂雄監督(当時)のメイク・ドラマというわけのわからない流行語大賞に貢献した非常に痛い経験をしてしまいました。したがって少なくとも来月まで油断は禁物です。 さて,8割の人が目的を持って生きるのを面倒と考える,といわれます。理由は,容易に目的は達成されないから。失敗をして悔しい思いをするより,流されて生きるのが楽だからといわれます。何が人生を楽しくするかは,その人次第です。考え抜き,挑戦することが脳のためにやっているとすれば,目標をちょっと高めに設定するだけでいい。成功しても達成感のない活動は浪費と同じではないでしょうか。 格差社会は非常に大きな問題ですが,全力で物事に取り組む人が少なくなったことはさらに問題です。自分はこんなものだと,自分で限界を設定してしまっているケースが非常に多いと感じます。本気で走り,本気で挑戦する機会がなく,したがって,自分の実力がわからないまま自分を過小評価していないだろうか。教育問題の本質は,教育は「教え,授ける」ではなく「引き出す(エデュース)」であるという原点にたち還るべきだと思っています。この資質・能力を高め,社会で孤立せず,自分だけでなく,相手も社会も何かを得る関係を構築する「自立した」「学校だけで閉じない」打たれ強い個を育てていきたい。そんな7月であることを願っています。 学校長 恩田徹 写真は7月1日のLHRの様子 惜別
米田貞一郎先生が,とうとう逝かれた。いつかは,と覚悟していたが,喪失感ははかりしれない。わたしどもにとって,米田先生ははるか高みにあって自ずと光を発する導きの星だった。会えるかどうか微妙だった亡くなられる一週間前,扉の向こうに,先生がいると思ったら,心臓が早鐘のように打ったことを覚えている。おそるおそるドアをノックした。ご家族の方が少し待ってほしいとおっしゃった。しばらして入室を許可していただいた先に,何と着替えられて車いすにわざわざ座られた矍鑠たる先生がそこにおられた。筆談ではあったが,学校,生徒,教職員のことを最後まで気にかけてくださった。別れ際に握ってくださった手の力強さに驚き,またお会いできるものと思った。
米田先生はもうこの世にいない。このひとが同時代に生きていてくれてよかった,と心から思える。 米田貞一郎先生。校長ということばはこの人のためにある,と思える。どんな主義主張にも拠らず,とことん生徒目線で教育と学校経営を考えぬかれた。 学校長 恩田 徹 写真は米田先生の100歳の誕生日での雄姿と101歳の誕生日を祝って書いていただいた「絆」の本校玄関前の石碑 「楽する」と「楽しむ」は違う
次期学習指導要領の方向性には「探究」が満載で少し面映ゆくなってしまいます。業界用語のように「元祖」「本家」などと名乗るのも品がないなと思っています。アクティブラーニングであれ,探究活動であれ,楽をして,よくわかることばかりを望んでいませんか。あなたご自身はどうですか。できるだけわかりやすく教えてくれる先生ばかり望んでいませんか。
「わからなかったらわかるまで考えなさい」 「わからなかったら自分で調べるという努力をしなさい」 「わからなかったら前に習ったことを忘れていないか,復習してみなさい」 学習成果という観点から見てみると,大きくはつぎの4つのタイプに分かれます。 (1)実力もあり運もあり,いつも満足のいく成果を得る人。 (2)特別な努力をしている様子はないけれども,なぜか結果を出す人。 (3)努力はするけれども,なかなか報われない人。 (4)やる気に乏しく,結果も出せない人。 いちばん多い答えが(3)ではないでしょうか。「けっしてやる気がないわけじゃない。能力が低いわけでもない。何かきっかけがあれば・・・」と思っていますよね。わたしたちが自分自身どんなときにいちばんやる気が出て,本気でがんばることができるか。それはまぎれもなく「なるほど,こうすればいいのか」 「なんだ,こんなことだったのか」と,その解決方法がはっきりとわかったとき。何か壁に当たったときにどうしたらいいかわからずに,「私ってダメな人間なのかも・・・」とずっと悩んできたかもしれません。 勉強においても自立しないといけません。そして孤立してはいけません。つまづきの事例と原因を声に出して他人に話しましょう。困っていることをため込まず話題にして面白がる能動性と協働性が欲しいのです。 大人はもっと悲惨ですよ。8割の人が目的を持って生きるのを面倒と考えています。理由のNo.1は,容易に目的は達成されないから。失敗をして悔しい思いをするより、流されて生きるのが楽だからであるといわれています。そして,残りの2割の人も失敗の中で苦しんでいます。どちらが人生を楽しくするかは、その人次第ですが,人より一歩前に出る相対評価ではなく、面白がって自分が楽しめたかという絶対評価に対して満足すべきだと思って,決して孤立することなく,踠こうではありませんか。 校長 恩田 徹 |
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