最新更新日:2024/05/30 | |
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平成25年度学校評価アンケート結果
平成25年度学校評価アンケートを集約いたしました。
以下のアドレスおよび配布文書からご覧いただけます。 学校評価アンケート結果(保護者) https://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/files/3006... 学校評価アンケート結果(生徒) https://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/files/3006... 平成26年度京都市立堀川高等学校教員公募募集要項終業式にて
7日の終業式の様子を紹介しました。その日は前期末考査最終日で,考査を終えた生徒がアリーナに集合。9月までに優秀な成績を上げたクラブや個人を表彰した後に,全校生徒に向かって話をしました。
堀川の体育系部活動の初期の歴史を刻んでいただいた2人の女性(人見絹枝さん,松崎操さん)と,ご寄贈いただいた文集冊子と色紙を紹介するかたちで生徒に話しました。 以下,話の内容です。 ただ今,各大会において立派な成績を収めてくれた体育系・文科系部活動の個人・チームの表彰を舞台上で行いました。この舞台に立たなかった人も含めて,満足できる結果が得られた人も,悔いが残る結果に終わった人もいるのではないかと思います。結果はどうあれ,そこに至る過程を振り返ることで,今回の結果が次の飛躍につながることを強く願っています。 前期の終業式にあたり,堀川高校に関係がおありの2人の女性についての話しをします。お名前は,それぞれ人見絹枝さん,松崎操さんです。 人見絹枝さんは,1928年のアムステルダム大会陸上競技女子800m競走で銀メダルを獲得された,日本女性初のオリンピックメダリストです。また,松崎操さんはその人見絹枝さんの教え子の方です。 松崎さんは,残念ながら平成19年12月にお亡くなりになりました。その追悼の意味を込めて発刊された文集冊子「詩曼荼羅2」です。(文集冊子を紹介しました)。松崎さんや友人の方が当時を振り返り,書かれた文章が載せられています。松崎さんは俳句がご趣味で,ご自身がつくられた俳句も載せられています。また,この色紙は,人見絹枝さんから松崎さんに渡された,直筆の歌が書かれた色紙です。(色紙を紹介しました)。 時は,堀川高校の前身の京都市立第一高等女学校が京都市立堀川高等女学校に変わる1925年,今から88年前のことです。人見絹枝さんは当時18歳,4月に第一高等女学校(その後堀川高等女学校)に赴任された新任体育教師でした。そして,松崎さんは人見絹枝さんにあこがれて陸上競技を始められ,人見絹枝さんから直接指導を受けられました。 当時はまだ,女性が人前で肌を見せたりすることはタブーとされ,女性スポーツが認知されているとは言えない時代でした。しかし,大正デモクラシーの流れに乗って,開拓者の精神に富んだ第一高等女学校では,ちょうど人見絹枝さんの赴任と歩調を合わせるように,陸上競技やバスケットボールなどの体育クラブが誕生しました。ここが堀川の体育系部活動の原点と言えると思います。 当時を記す資料には,人見絹枝さんが,草ぼうぼうの運動場の隅を掘り起こし,ピットをつくり,バレーボールやバスケットボールの指導を終えた後に,一人残って練習をしていた。また,陸上部に入った松崎さんが,短パンで指導する姿の人見絹枝さんと仲良く走っておられたとの記述があります。 人見絹枝さんは,当時は学校の教師はプロと見なされ,競技会の出場が制限されるという決まりがあり,惜しまれながら4ヶ月で堀川を去り,母校の体育学校に戻られたと記されています。 松崎さんは,たった4ヶ月の短い期間でしたが,一生懸命練習に取り組むことを教えていただいた,人見先生の教えをもとに卒業まで堀川高等女学校で勉学やスポーツに励むことができたと話されています。 その後,人見絹枝さんは,女子のオリンピック参加が初めて認められた1928年のアムステルダム大会で銀メダルを獲得され,日本人女性初のメダリストとなったことは冒頭で紹介しました。陸上のトラック種目での女性メダリストは,それ以降まだ一人も出ていません。 松崎操さんのご子息の方,この方も堀川高校の卒業生ですが,本校にお越しになり,お母様のお話しを伺うことができました。そして,この文集冊子「詩曼荼羅2」と,人見絹枝さんの直筆の歌が書かれ,お母様が大切にされていた色紙をご寄贈いただきました。 ご子息からは,母校の堀川高校の生徒がいろいろなことにチャレンジして,よく頑張っている姿を見て大変嬉しく思うこと,また,人と人との絆を大切にして高校生活を送ってほしいというお言葉をいただきました。 それぞれの時代で,人と人がつながり,新たなことに挑戦することで堀川の歴史が刻まれてきました。皆さんは,これからの堀川の歴史をつくる若者です。その作業は,堀川で学校生活を送る時間はもちろん,その先もずっと続くものと考えます。一人一人がどんな堀川の歴史を刻むのか,そのために何をなすのか,真剣に考えて実践してください。小さなことに対しても挑戦しようとする気持ちを忘れず,仲間や先生方とのつながりを大切にして,一日一日成長してくれることを願っています。 ・・・ 校長 川浪 重治 ・・・ 写真上:文集冊子「詩曼荼羅2」 写真下:人見絹枝さん直筆の歌が書かれた色紙 全国高校総体応援記
平成25年度全国高校総体陸上競技の会場、大分銀行ドーム。サッカーJ1大分トリニータのホームグラウンドです。収容人数4万人のスタンドを持つドームスタジアムで、トラック競技が行われるメイントラックは、全天候対応舗装の立派なものです。大会中は可動屋根が開かれていて、夏の強い日差しが照りつけ、トラック上の気温はセッ氏35度に達していました。
7月31日午後3時、女子5000m競歩決勝。前日の予選を通過した16名の選手がスタートラインに整列。本校3年生山田はなさんは、ゼッケン1番で真っ先に紹介され、右手をあげて笑顔でスタンドに応えてくれました。 ピストルが鳴り、レースがスタート。先頭のペースが速いため、1周目から選手の列が縦に長く伸び、ひとり飛び出した選手を5人の集団が追いかける形となりました。その5人の集団に山田さんはしっかりと含まれていて、これについていけない選手とは徐々に差が開きました。歩きながら給水を取り、それを口に含んだり体にかけて冷やしたりして、暑さへの対応も大変です。 レース中盤、先頭集団は5人に絞られました。世界ユース選手権日本代表選手と6月に行われた近畿大会で1〜4位(このとき山田さんは4位)を占めた選手の5人です。トップレベルの選手の駆け引きがしばらく続きました。 3000mを通過したころ、レースが動きました。優勝候補の2人が競り合いながらペースを上げ、山田さんは少しそこから離れる形で3人での3位争いに。 ところで、競歩競技には歩形に関して守らなければならないルールが2つあります。どちらかの足が常に地面に接していること、そして、前に出した脚が接地の瞬間から地面と垂直になるまで膝が伸びていることです。これに違反すると警告が出され、警告3枚で失格になります。疲れてきたときや、無理にペースを上げようとすると歩形が乱れ、警告が出ます。女子の予選では6人の失格者が出ました。 他の選手が腕をしっかり振って「力強く歩く」というのに対して、山田さんの「歩き方」は、上半身をリラックスさせて、足の回転を素早く行うことで自然に無理なく歩いているといった感じです。「流れるように歩く」というのが彼女のモットーと聞きました。 スタンドからの応援の声が一層大きくなり、いよいよレースは残り1周。応援する側も手に力が入ります。後で聞いたのですが、このとき、彼女は警告が2枚となり、どうしようかと思ったそうです。前の選手を追いかけながら、全力を出し切ってのゴール。会場の大型スクリーンに、ゴールをして、崩れる姿が映し出されました。1.2位が大会新記録の中での4位入賞。19日の壮行会で、全校生徒の前での「表彰台に上がります」という約束を見事に果たしてくれました。 表彰台の彼女の笑顔は、これまで以上に輝いて見えました。高校から陸上競技を始め、限られた時間の中で厳しい練習をこなした末に得られた最高の結果です。この勢いが、翌日の男子の山西君につながりました。 翌日の午後1時50分、男子5000m競歩決勝。気温はさらに上昇し、セッ氏36.5度。団扇の送る風は涼しく感じられません。前日に「明日は、支えていただいた皆さんへの、恩返しのレースをさせていただきます」と、顧問の教諭から言葉をもらいました。本校3年生山西利和君、前評判では、「記録、実績とも他を一歩リード」と評価されていましたが、その分プレッシャーが大きくならないかを心配しました。 女子同様、男子も16名の選手による決勝です。スタートが切られ、序盤は大きな集団のままレースは進みました。それでも徐々に隊形は長くなり、4000mを過ぎる頃には、先頭集団が7人に絞られました。山西君は常に2番手をキープし、レースの流れを読みながら、じっと我慢をしているといったところです。残り600m、給水を取り、背中に水を掛けると同時に、満を持してのスパート。ロケットエンジンに点火したような一気の加速で、見る間に後続との差が広がりました。スタンドの大きなどよめき。近くの席の高校生が、「一人だけ、走っているみたいだ」と叫んでいました。彼が持論としている「究極の美しいフォームが最高のスピードを生む」。このときのために、「美しさ」を追求して練習してきたことが、実を結んだ瞬間です。 あと1周の鐘の後は、歩形をチェックしながらのスパートが続きました。最後の100mは、ビデオカメラを持つ私の手が震えて、モニターの中の山西君が踊ってしまいました。 大会新記録での優勝、そして、世界ユース選手権との二冠。「絶対優勝して、皆さんに感謝を伝いたい」と強い気持ちで臨んだレースで、彼は最高の形でそれを実現してくれました。 最後に、選手を支えてくれた本校陸上競技部員のことを話します。 大会に出発するまで、陸上競技部全体で大会に向けた準備を進めてくれたと聞きました。その中で、会場まで来ることができた部員は、身の回りの様々な世話をして、選手が試合に臨むための環境を整えてくれました。場所を確保してテントを設営し、その下で選手は入念なウォーミングアップを行っていました。飲み物や氷を準備し、暑さの対策も彼らの役目です。一旦レースが始まると、選手への応援に全力を注ぎます。堀川の応援の方法は、「なるほど」と思えるものでした。部員がスタンドに散らばり、一番前に位置して、目の前を通過する選手に声を届けます。選手はトラックを周回する間に、途切れることなく、一人一人の部員からの「励ましの言葉」を受けとり、最後まで頑張ることができたのだと思います。 レース後の、山田さん、山西君の言葉です。「多くの人に支えていただいたからこそ、このような結果を得ることができました。ありがとうございました」。個人の力によるところが大きい陸上競技ですが、その力は、様々な形のサポートがあってこそ発揮できることを、あらためてこの大会で教えてもらいました。 ・・・ 校長 川浪重治 ・・・ 写真上:会場の大分銀行ドーム 写真中:大型スクリーン 写真下:女子の表彰式のようす 新年度にあたり
堀川高等学校長,川浪重治です。
さる3月26日の離任式で,お世話になった教職員の先生方をお送りしました。そして1日,新転任の教職員13名の先生方をお迎えして,新しい年度が始まりました。4月8日には新入生250名を迎えて,三学年の生徒がそろって本格的に堀川高校が始動します。今年度1年間どうぞよろしくお願いします。 校内の桜が満開になりました。部活動で登校し,桜と校舎をバックに記念撮影をする生徒たち。さぞかし素敵な写真が撮れたことでしょう。 この3月に卒業した12期生が,卒業記念品として堀川高校に寄贈してくれたのが「海棠桜(カイドウザクラ)」の若木3本です。名前に桜が入っていますが,桜の仲間ではありません。バラ科リンゴ属。3月の下旬に濃いピンク色のつぼみをつけ,桜の開花を追うように,淡いピンク色の花を咲かせました。横に,「見えるものはすべて見えないところで準備されている」という言葉が刻まれた石碑。12期生もそれまでの卒業生と同様に,海外研修や学校行事,そして探究活動などに積極的に取り組み,大きな成果を残してくれました。そこに至るまでの準備段階での苦労を思い出します。 見えないところでの準備に目を向け,見えないものをも見ようとする,聞こえない声をも聴く姿勢を持って,新年度のスタートにのぞむ所存です。 12期生の海棠桜が堀川に根づき,毎年可愛らしい花を咲かせてくれることを願うとともに,教職員・生徒が力を合わせ,また皆様のお力添えを得て,堀川高校の一層の発展のために全力を尽くすことをお約束いたします。 今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。 |
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