京都市立学校・幼稚園
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ユリノキ

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 これまで読んでくださった方々に感謝します。
 ありがとうございました。

 お世話になったみなさん。
 本当にありがとうございました。
 また,お会いできるのを楽しみにしています。

 数年前に朝日新聞の文化欄に書いた文章です。
 すべての揺れる心に贈ります。


 冬に玄関前のユリノキが枝を伐られた。天に向かって伸び,若葉を茂らせ,木陰をつくり,秋,黄色い葉が美しかった。
 それが冬のある日,知らないうちに枝をはらわれた。広がっていた梢が短くなって,寒々とした空に突き刺さっていた。
 職員に尋ねると,あんまり広がって時計が見えなくなると困るから伐った,ということだった。時計は見えなくなってもいいから,これからはそのままにしておくようにと頼んだ。
 先日,二十四歳になる卒業生がやってきた。相談があると言う。「仕事を辞めようと思うんですが」。「どうするの」。「音楽をやりたいんです」。
 檀一雄は子どもたちへ,「お前たちの人生が多難であることを祈る」と書いたそうだ。親がわが子に多難を祈るというのを不可解に思う人もあるだろうが,私はこの言葉に,絶対の愛とも呼ぶべきものを感じている。
 それで,卒業生にもこの話をした。彼は言った。「消去法で今の会社を選びました。でも,自分の中に,本当にやりたいことをやってみたいという声が響くようになって。先のことはあんまり考えていないんですが」。「大変ですよ。しかし,先を考えないのは若者の特権とも言える。まあエイヤアッだよね」。一緒に食事をした後,「じゃあ元気で」。握手をして別れた。
 歩いていたら,生徒が近づいてきた。「先生,この木,短くなりましたね」。ユリノキをさして言う。「ねえ。そのままがよかったんですが」。「私,この木が好きなんです。なんか伸び伸びしていましたから」。「去年葉が落ちた後,気がついたら枝がなくなっていたんです。ちょっと寂しいことですね」。
 「ユリノキっていうんですか」と言って生徒が枝を見上げた。そして小さく叫んだ。「あっ,先生,あそこに緑が。あれ,葉っぱになるんでしょうか」。
 三月,進路がかなわなかった三年生,何かで傷ついた二年生,思いのままにいかない一年生。彼らにかける言葉はふるえる。
 高校生はずいぶんおとなでもあるが,それでも若いから,目の前のものが世界のすべてであるように受けとることがある。だから,何かの失敗が自己否定につながることもある。逆に,幸運に出会って有頂天になることもある。よくも悪くも,それが決してそうとばかりではないということを言っても,本人には届きにくい。
 そういうときには,言葉にするようにと言う。うまくいったこと,いかなかったこと,なぜそうなったのか,どういう思いでいるのか,どうしたいのか,それらを言葉にしてみる。書いてみるのも有効だ。そうすると,少し自分と距離が保てる。目の前のことが,世界のすべてではないことに気がつける。そして,次にどうしたらよいのかが見えてくることさえある。
 とある会合で知り合って以来たまに会う,同い年の友人がいる。心地よい毒舌家だ。神戸に家を買ったが,気が付いたら管理職になっていて,単身赴任が続いている。次はどこに行くのかと思っていたら,「まず行くことはない」はずだった東京に,この春転勤することになった。二人でささやかな送別会をした。「波のまにまに漂う人生さ」。苦笑いをして,彼は盃を干した。
 ユリノキは不格好な枝にささやかな芽をつけた。目の前の木は貧弱な姿だが,確かに春を内包していた。仕事を辞めて挑戦する卒業生にも,さまざまな思いの生徒にも,そして東京に行く友人にも伝えたい。
 ユリノキハ,キット咲クヨ。

                      45号(2012.03.29)……荒瀬克己

子と親

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27日に新校長が校内人事を発表して,昨日28日は座席の移動です。そのあと職員室の大掃除。
私の机は……。



 2010年の秋に,「内外教育」という教育関係の情報誌のコラムに書いた文章です。

………………………
 「かわいい子には旅をさせよ」と考える親はどれほどいるだろう。また、「若いうちの苦労は買ってでもせよ」と思う大人はどうだろう。
 抜け道はよくないが,近道を探す若者がいるのはいまに始まったことではない。かつてはそれを戒めるのが親や大人の役目であった。しかしいまは,簡便に快適にそして少しでも早く、というのが親子共通の願いになってさえいるのではないかと感じる。これは,私の思い込みだろうか。
 苦労や失敗や挫折はしないほうがよい。いまの子どもたちはそういうことに耐えられない。そのように考える人もいる。よって,できる限り安心できる道を選ぶほうが無難だ、となる。
 面倒なことも避けた方がよい、手っ取り早く簡単な方法があれば少々お金がかかっても手に入れるほうがよい、と考える人もいる。
 このようにして、親や大人は子どもたちに様々なものを与えてきた。手軽に、悩まずに、失敗のないように。答えも、先回りして用意してきた。
 総務省統計局の資料によると,平成20年の若年無業者(15〜34歳)は約64万人,フリーターは170万人に上り,また,厚生労働省の調査によれば,就職後3年以内に離職する率が中学校卒で7割,高等学校卒で5割,大学等卒で4割になるという。これらの原因は単純ではないだろうが,この数字には驚く。このような状況について,中教審キャリア教育・職業教育特別部会は審議経過報告(平成21年7月)において,「次代を担うべき若者が,社会的・職業的に十分自立できておらず,将来に夢や希望を持ちにくくなっている」と指摘している。なぜこういうことになるのか。
 子どもたちに問題が生じているとしたら,直接か間接かは別にして,すべての大人に責任がある。子どもたちは,育てられたように育つものだ。悪意をもって子どもを育てる人はなかろう。しかし,善意が,よかれと思ってすることが,本当にそれでよいのか。大人の責任として考えねばならない。
………………………

 海外研修に行った13期生の保護者の方からメールをいただきました。

………………………
 太平洋の向こう、親から数千キロも隔てた場所へ、かつて無いほどの時間を離れて過ごす息子には、命に危険のないぎりぎりのところで留まるくらいの、ヒヤリとするくらいまでの経験をしてきてほしいとまで願う、今や、ライオンの親心です。
 私が近くにいたのでは、絶対に彼は成長しない。
 いつも寸でのところで助けてしまう自分にも腹が立ちますし(笑)

 「振り子」のトミーのようにまではいかないまでも、堀川高校で真剣に人や物事に取り組み、そこでしか、その時間でしか、その出会いでしか成しえない奇跡に触れてほしいと思います。
 私が願えば願うほど、くるりと踵を返し反対を向いてしまう息子に、私の存在こそが彼の成長を阻んでいるのではないかと自己嫌悪にさえ陥る毎日です。

 「振り子」の答辞を読んで、トミーが過ごした堀川での3年間が、どれほど有意義で価値のある時間であったかが、まったくトミーを知らない私にもじんじん伝わってきて、読みながら涙がこみ上げてきました。
 青年が、置かれた環境の中で、困難と闘い、苦労し、助けを受け、学びながら糧を得て、ぐんぐんと空に向かって伸びていこうとするエネルギッシュな姿は、きらきらと眩しく、たくましく、周囲に感動と元気を与えますね。
 その成長をご覧になる先生たちのお幸せを羨ましく思います。

 主のいない子供部屋は少し寒いと感じました。
 読みかけの本、整理されていないプリント、ファイル、教科書・・・
 どれもみな、大きくなって帰ってくる主を期待して待っています。
 誰よりも、私が。心から・・・。
………………………

 「その成長をご覧になる先生たちのお幸せ」を忘れないで,新しい仕事に立ち向かおうと思っています。

                      44号(2012.03.29)……荒瀬克己

未定稿

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上は1月15日のグラウンド。雪と思われるかもしれませんが,実は人工芝を新しく張り替える前の状態です。こういうふうに土台があって,ものは成るのですね。
下は玄関前に立つ,米田貞一郎元校長先生の「絆」の石碑。校舎が写り込んでいます。堀川をこよなく愛してくださる米田先生の碑に,生徒はいつも見守られています。



 昨日の日曜日,堀川の教員の結婚式に行きました。会場は新装された大阪駅の上のビルの28階。式場に入ると,正面と左側が全面ガラス。天井が高くて,とてもすがすがしくて,新しい生活を始めようとするさわやかな二人にふさわしい場所だと思いました。
 新婦が父親に伴われて入場し新郎の前に近づいたとき,正面のガラスの壁の,はるか向こうの大きな白い雲を背景に,小さな飛行機がゆっくりと飛ぶのが見えました。
 雲の上には澄んだ青い空。

 式が終わって退場する二人に,参列していた家族や同僚や友人たちに交じって生徒たちも花びらをまきました。新婦が担任をしている2年生の生徒たちです。披露宴には,彼女が顧問をしている男子バレーボール部の生徒たちが突然入場して,やや照れながら一言ずつお祝いの言葉を贈っていました。

 横一列に並んだ生徒たちのいちばん端っこから少し離れて,ドアのすぐ前に,かれらと一緒に来た男性の顧問が大きな体を小さくするようにして立っています。彼は,40号「春一番?」で紹介した,モロヘイヤと素麺の教員です。生徒が話すのをにこにこして見やり,一言もしゃべらず,まったく目立ちません。クロコに徹しています。見事でした。

 さて,「校長室から」は45号までお届けしたいと思っています。
 今回は,以前に書きかけて途中でやめたものをいくつかご紹介します。

…………………………
 2003年だったか,アトリウムにフーコーの振り子を設置しようとしていたとき,4期生から「抗議文」を受けとりました。
 「学校が生徒のためにいろいろと考えてくださっているのは承知しています。しかし,アトリウムはぼくたちの場所です。そこに半永久的に何かをつくろうとするのに,なぜ事前にぼくたちへの相談がなされないのでしょうか。これはまるで無駄なダムと同じです……」
 文書はA4用紙で何枚かありました。この文書が届けられる前にひとりの女子生徒が,「いま何人かが先生に言いたいことをまとめています。受けとってあげてください」と頼みにきました。
 「生徒の言いたいことなら喜んで受けとりますよ」と答えると,「その文章は,何というか,抗議みたいな文章なんですが,それでも受けとってもらえますか」と,少し心配そうに言います。「内容がどんなものでも,きっちりと言いたいこと言おうとするものなら受けとるから,心配しなくていいよ」と返すと,「よかった。あの人たちは本当に真剣に考えていますから」とにっこり笑って,ぺこりと頭を下げて戻って行きました。この生徒はいまアメリカで,星の誕生について研究しています。
 さて,「抗議文」を読んだあと,生徒たちと話しました。事前に伝えて了解を得なかったことは不十分な対応であったと謝りました。また,君たちがアトリウムを自分たちの空間として大切にしていることを知ってうれしいと伝えました。そして,振り子を設置するのは,地球の自転を日常的に目で見て知ってほしいこと,こういった先人たちの工夫や発見によって科学が進歩してきたことについて考えてほしいことなどが趣旨であることを説明しました。加えて,ダムという比喩がこの場合は不適切であることも言っておきました。
 実は,私たちも考えていました。それで,邪魔になる場合は鉄球をはずして,ワイヤーは危なくないように固定できる設計にしてもらっていたのですが,だからといって,生徒に伝えていなかったことの言い訳にはなりません。「君たちのために」ということで先回りをして,生徒が考える機会をおろそかにしてしまいました。それを生徒から指摘されました。シマッタとヤラレタを同時に思いました。
…………………………
 2001年の秋,図書館で1期生と話しました。
 当時,探究科の海外研修はアメリカの首都ワシントンとボストンのいずれかを選択して,最後にフロリダ州オーランドで合流するというものでした。2001年は3期生が入学した年で,翌年の3月には当然アメリカに行く予定でした。ところが,あの同時多発テロが起こり,事態は急変しました。生徒の研修旅行委員会,アセンブリが何度もありました。なぜこういうことが起きたのかについての勉強会もしました。保護者会も5回行いました。校内での検討を進め関係機関とも協議し,結局,行先をニュージーランドにするということになりました。
 そうこうしていた秋のある日の放課後,図書館に行くと3年生の一人に声をかけられました。
 「1年生はアメリカに行けないんですか?」
 「そうやね。いま検討しているけど,海外研修そのものができるかどうか難しいからね」
 「そうですね」
 彼女がまだ何か話したそうにしているので「どうしたの?」と尋ねると,アメリカのテレビ局がアフガニスタンで,タリバンと戦う北部同盟の兵士に取材をしていたのを観たと言います。ずっと銃を脇に抱えて緊張している兵士が,最後にインタヴュアーから「もしも戦争がなかったとしたら何がしたかったか」と問われて答えた言葉に驚いたと話してくれました。
 「無表情だった兵士が,少しはにかむようにして。そしたら,ずいぶん若い人なんです。私よりもずっと下かもしれないくらい。それで『学校というところに行ってみたかった』と答えたんです」
 私は「そう」としか返事ができないまま,生徒が何を見たのかを考えていました。
…………………………
 久しぶりに会う知人と待ち合わせた店に行くと,彼はすでに来ていました。席に着いて,秋に行った韓国の話を私がひとしきりしたあと,聞いてほしいことがあると言って彼はおもむろに話し出しました。
 近所の友人が休みに子どもを海に連れて行くことになった。子どもの友だちも行きたいと言う。近所の親しい知り合いの子だ。自分の子ども二人とその子と,三人の小学生を連れて行った。しばらく泳いだが,風が強くなったので帰ることにした。ひとりは浜に上がっていたが,残りの二人が波の流れの中で遊んでいて戻って来ない。早く上がるようにと声をかけたとき,二人は波に引かれて沖に流された。友人は浮き輪を投げた。ひとりはつかまることができたが,もうひとりはそのまま流され姿が見えなくなった。友人は必死に探した。子どもたちに人を呼びに走らせた。波にのまれたひとりはそのあと浜に打ち上げられ,息を吹き返すことはなかった。自分の子ども二人は無事で,知り合いの子が亡くなった。子ども同士は仲良しで,何をするのも一緒だった。友人も,その子の両親と親しくつきあっていた。葬儀で,友人の子どもは棺を抱くようにして泣いた。同級生たちも泣いていた。亡くなった子の父親も体を震わせて泣いていた。友人は黙ってうなだれていた。
 一息にそう話したあと,「おれはずっとそばにいるだけで何の言葉もかけられなかった」と知人はつぶやきました。乾ききっているように感じられる知人の眼を,私は見ていました。
…………………………
 生徒への手紙です。

 子どものころ影踏みをよくした。地面に映る影は時間によって,季節によって,変化する。面白かった。日が落ちるまで遊んでいた。
 夕方の壁に映る影が好きだった。自分の動きをそのまま映す。指でつくる影絵も自在だ。鏡は余計なものまで見えるのでつまらない。壁の影は,形だけを映す。おまけに電信柱の上だけ切り取って,小学生の背丈と同じにしてしまう。木でも鳥でも,色を消して形だけにしてくれる。
 ある日,石垣のでこぼこに映った影を見て,自分というものが在るのを感じた。自分の影を見ている自分がいることを知った。音のない影には思いも感情もないだろうに,影の元の自分には声があったり鼓動があったり,気持ちや考えがあることに気がついた。自分以外の人もそうなのだろうかと思った。
 あれ以来,その自分を抱えて生きてきた。自分なりにいろいろと知り,さまざまに経験した。失敗もした。迷惑もかけた。
 よかったことばかりでは決してない。しかし,後悔したり恨んだりはしないでおこうと思っている。でも,気分のすぐれないときにはあれこれ思う。たまに影を見て,自分を振り返ったりもする。
 シッカリシタイナア。
 いろいろあるだろうけど,どうか元気で。


                      43号(2012.03.26)……荒瀬克己

準備

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今日2時から,京都堀川音楽高校ホールで吹奏楽部の演奏会を行います。堀音には本当にお世話になります。
20日にアトリウムで本番に向けてリハーサル行う部員たち。普段と向きを変えているのはホールの幅に合わせてのことだそうです。先日,OBが位置決めなどいろいろと指導してくれていました。
すてきな招待状をもらったのですが,今日はこれから結婚式に出席するため,私は聴きに行けません。盛会を祈ります。立派なホールで思いっきり楽しんで演奏してください。



 シラバス2012年度版ができます。教育課程の大幅な見直しを行い,巻頭言も新しくしました。

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すべては君の「知りたい」から始まる

 君たちに三つのことを求めます。
 学校教育法第51条に,高等学校教育の目標が挙げられており,その中に「健全な批判力」を養うということが書かれています。批判とは,誤りや欠点を指摘する意味もありますが,物事に検討を加えて判定し評価するという意味もあり,こちらが重要です。
 批判するということは,まず角度を変えて見つめることから始まります。自分にとってはそうだということも,他の人にとってはどうかわかりません。いまこうであると言えることも,時間が経てばどうかはわかりません。また,ここでそうであることが,どこでもそうであるとは限りません。時間の軸,空間の軸,個人の軸,集団の軸などを変えて考えてみると,同じ対象が違ったものとして浮かび上がります。
 それらを吟味して,その対象がどういう意味をもつのか,その対象にどのように関わっていくのかを考える,ということまでが,批判するという行為の意味するところです。
 正当で健全な批判力を養うよう求めます。

 次に求めるのは,メタ認知能力の向上です。メタ認知とは,人間が自分自身を認識する場合において,自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識することで,それを行う能力がメタ認知能力です。
 アレクサンダー大王は,これを解く者がアジアの支配者になるという伝説のあった,複雑に絡み合った「ゴルディアスの結び目」を一刀のもとに切断し,「運命とは伝説によってもたらされるものではなく,自らの剣によって切り拓くものだ」と宣言したそうです。手に負えない問題を,誰も思いつかなかった大胆な方法で解決することのメタファー(暗喩)として使われるこの逸話について,君たちはどう思うでしょうか。
 複雑な問題に対応するときに有効な方法は,対象を要素に分解し,その一つ一つについて吟味し,全体の解決方法を探ることです。その際に,使いやすい要素だけを選び取って,不都合な,あるいは面倒な要素を捨てたり排除したりするといった思考の単純化をしてしまっては,問題の本質的な解決から遠ざかります。
 その意味であえて言えば,アレクサンダーは問題そのものをすり替えた可能性があります。だから天才なのだということもできるかもしれません。しかし,私たちは,結び目がどれほど解くのに困難であっても,また,時間がかかっても,人間の知恵で,知恵の結集で,丹念かつ誠実に,ほどいていかなければならないでしょう。
 その方法を見いだすためにも,メタ認知が必要になります。

 最後は,疑問を大切にすることです。それは,「知りたい」という思いを抱き続けることです。答えは容易に出ないでしょうが,求め続けください。また,答えと思ったことが,新たな疑問や悩みの始まりになるかもしれません。しかし,学ぶということは,それを繰り返すことで,そうすることによって君たちは成長していくのです。
 君たちがこの堀川で思索し,行動し,自立するひとりの人間として,よりよく生きていくことを期待しています。
………………………………

 23日金曜日,香川大にいる卒業生が訪ねてくれました。香川に戻る前にということで会いに来てくれたのですが,夕方から校長会があってずいぶん待たせてしまいました。そのおかげで,というのも申し訳なのですが,後期で合格した11期生にいろいろとアドバイスをしてくれていたそうです。
 この卒業生は3年生にしてすでに医者の雰囲気を備えています。それを言うと,「気のせいです」。横から進路部長が,「過度の謙遜は嫌味になるよ」と言って,にやり。これは,10号「自慢話」で書いた姫路西高校の中杉先生の言葉。
 さて,後期の発表が続き,結果が出そろいました。
 希望が叶った人は,気を引き締めて。
 捲土重来を期する諸君。次回に向けてまずはしっかりと基礎を。もう始めているか?
 思いの叶わなかった諸君。しかし悩んだ末に選んだのなら,その道を愛せ。
 諸君。さあ準備を始めよう。

 四条堀川をほんの少し東に行くと,北側に「楊」という看板が逆さになった中華料理店があります。
 「看板がひっくり返っていますね」と言って店を覗く人がいるけれど,理由だけ聞いてそのまま行ってしまう,と店主の楊正武さんは苦笑い。この方は堀川高校の卒業生です。

 「倒」と「到」が同じ発音なので,「福」という字を逆さ(倒)にして,福が到来するという意味を表わす。そこからひねって,店の看板をひっくり返した。お客さんに,いらっしゃいませ,ありがとうございました,と頭を下げてるんや。

 楊さんは,30年にわたって中華料理の出張奉仕を行っている「琢磨会」の会長です。会員は京都を中心に約40人。店内にはあちらこちらからの感謝状や表彰状がずらり。

 37歳から始めた。42歳のときに5周年を迎えた。尊敬する先生から「だいたいこんな会は3年ぐらいでつぶれるものだが,よくここまでやった」とほめられた。その言葉が忘れられない。しんどいこともあったが,なにくそと思って意地で今日までやってきた。年も年やし,でも鍋が振れるあいだはやれるやろうから,やっていく。

 このほどその活動が1000回を迎えて,3月15日付の京都新聞に大きくとり上げられました。児童養護施設の子どもが書いた「社会に出て一生懸命働いたら楊さんの店に食べに行きます」という手紙が紹介されています。
 記事は楊さんの言葉で結ばれています。
 「きちんとした食事をすることで体にも心にも栄養になることを知ってほしい」
 「長く健康でいられたのは福祉活動のおかげと私が感謝している。不況で本業も厳しく会員も減ったが,まだまだ続けたい」

 準備をするだけでも大変だと思うのです。それを30年。1000回。ふう。気が遠くなります。意地と言うてはったなあ。肩の力を抜いて淡々と続けるような意地もあるのか。

 「それで先生のあとは誰がしはるんですか」
 「川浪さんです」
 「そら,ええわ。でもさびしいね」
 「まあ,どこかでキリがあるものやから」
 「そうやね。しかし,まだまだこれからやで」

                      42号(2012.03.25)……荒瀬克己

手品

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使い慣れて気に入っていた私の机(ご覧になった方はたいてい何かおっしゃいます)


 昨日19日の9時に進級認定会議があり,休学等の2名を除いて全員の進級が認定されました。
 全員が進級し,全員が卒業するというのは,生徒と教職員と保護者のコラボレーションによる成果で,本当にうれしく思っています。認定会議の審議ののち,教務主任から「荒瀬校長,これでよろしいでしょうか?」と求められて決裁を行い,続いて教職員の労をねぎらってそれぞれの尽力に感謝していることを伝えました。その間,私に向けられた教職員のまなざしに,大きな力を感じました。私が言うのはなんですが,個性的で,実にすてきな人たち。こういうメンバーと時間を重ねてきたのかと思うと,少し熱くなりました。
 アリガトウ,ミナサン。アナタ方ノオカゲデ,ココマデヤッテクルコトガデキマシタ。ホントウニ感謝シテイマス。
 最後に管理職の異動について話しました。青天の霹靂という言葉は使いませんでしたが,これをそう言うのだろうと思いながら。
 今年から離任式を年度内にすることにしたが,それは私が異動することを知っていたからではありません,と言いました。少し笑ってくれました。
 あの机をどうするのかと思っている人も多いでしょうが,手品のようにきれいに片づけて見せるから,乞うご期待,と言いました。また少し笑ってくれました。

 9時40分から1年生海外研修旅行の解団式。病気になったりスリに遭ったりといったトラブルはありましたが,全員が帰ってくることができて安心しました。

 初めて普通科・探究科の別なく選択制にし,しかもヨーロッパを新たに採り入れた海外研修が成功して本当によかった。世界は広い。その広い世界と無縁に生きていくことはできない。その中で君たちは生きていく。正解を求めることは大事だが,容易には見つからないし,実はないかも知れない。ではどうするのか。納得のできる判断をできるように,その力をつけるために学べ。

 研修旅行委員は,教職員や旅行社の方や,そして保護者の方に感謝の言葉を述べて,最後は全員が起立して一本締め。

 11時から終業式。京都府の放送コンテストや京大主催の剣道大会や税の作文・標語コンクールで賞を受けた生徒たちの伝達表彰を行ったあと,第1回科学の甲子園に京都府代表として出場する8人の生徒たちが舞台に上がり,代表が決意表明。大きな拍手を受けていました。ガンバレヨ。
 1年生と2年生だけになって,広く感じられるフロアに立つ生徒たちに話しました。

 去年の終業式では,3月11日の東日本大震災で亡くなられた方のご冥福を祈って黙とうを捧げた。この震災とその後の状況を忘れてはならない。
 11期生が多くの感動を残して卒業した。「芽ぐむ11期生」の答辞をHPに載せているので読んでほしい。
 今日は午後に合格者が保護者とともに登校する。14期生だ。根っこの12期生,はがねの13期生,そして新たに加わる14期生。それぞれがそれぞれの堀川をつくっていってくれることを願う。堀川はすでにあるのではない。つくるから形づくられる。先輩たちがそうしてきたように,いまの堀川を乗り越えて,君たちも自分の堀川,自分たちの堀川をつくってくれ。
 その際に言葉が重要な意味をもつ。思いを言葉にせよ。考えを言葉にせよ。言葉の通じる世界をつくっていってほしい。
 4月から校長が替わる。川浪副校長先生が校長になられる。新しく教頭として,教育委員会から谷内秀一先生に来ていただく。古池教頭先生,中野事務長は引き続き君たちと一緒だ。私は教育委員会に行くことになる。保護者の方にお知らせする文章を書いたので,持って帰ってほしい。君たちへの挨拶は26日の離任式でするが,今日はお礼を言っておきたい。君たちのおかげでいい時間を過ごすことができた。君たちといるとき,私はとても幸せだった。本当にお世話になりました。ありがとう。

 拍手を受け降壇して,生徒部長が,安全確保の観点で上履きをスリッパから運動靴に変更するという連絡をしているときに,言い忘れたことがあったのに気づきました。生徒部長の話のあとで再び登壇。

 大事なことを言い忘れました。来年度の1年生14期生から,総合探究と探究基礎の名称を統一して,探究基礎とします。すでに君たちの取り組んでいる内容が同じであるし,基礎をやっているんだ,言い換えれば,基礎しかやっていないんだ,ということを改めて認識するためです。13期生については,カリキュラムが確定しているので名称はそのままです。それにしても,一旦下りたのにまた上がってくるって,未練やね。
 生徒の中から笑い声が聞こえました。

 在籍生徒の保護者の方にお渡しした文章ですが,卒業生の保護者の方や,お世話になった多くの方々へも,同じことを同じ気持ちでお伝えしたいと思います。
……………………………
 平素は本校教育活動にご理解をいただき,まことにありがとうございます。
 このたび管理職の人事異動が発令されましたのでお知らせいたします。生徒諸君には本日の終業式で伝えました。なお,教職員への発令は3月23日以降になります。
 まず私についてですが,京都市教育委員会事務局に転出することとなりました。平成10年4月に教頭として着任して以来14年間,とりわけ校長になってからの9年間,保護者の皆様にはひとかたならぬお世話になりました。心から感謝いたします。本来ならば,直接お礼を申し上げねばなりませんが,書面にて失礼することをお許しください。
 在任中,生徒には常に多くを教えてもらいました。加えて,保護者の皆様には様々な形でご支援いただきました。それにもかかわらず,私の力不足のためにご心配をおかけすることも多々あったかと思います。申し訳ありませんでした。
 思えば実にいろいろなことがありました。出会った生徒は,3,800人を超えます。その一人ひとりが,掛け値なく私の財産です。かつて卒業生の一人が,「石炭燃やして汽車走る。思い出燃やしてぼくらは歩む」と書きました。楽しかったことや苦しかったこと,辛かったことを思い出に換えて,生徒や卒業生がこれからをよりよく生きていってくれることを願っています。
 さて,後任の校長には,川浪重治副校長が就任します。学年主任,企画部長,進路部長,研究開発部長,教頭,副校長を歴任し,陰ひなたなく堀川を守ってきました。私になさってくださいましたように,ぜひ川浪重治新校長をお支えください。
 また,新たに教頭として,教育委員会学校指導課高校担当の谷内秀一主任指導主事が着任します。高校教育の取りまとめ役で,実に誠実な人物です。
 古池強志教頭と中野幸一事務長は,川浪校長のもとで引き続きその職を務めます。これまで同様,よろしくお引き立てください。
 管理職は一部交代しますが,堀川が変わることはありません。11期生の一人が卒業式の後で,「普通の学校にならないようにしてください」と言いました。どういう意味かと尋ねると,「堀川は特別じゃないですか」と答えます。私が「堀川は普通の学校ですよ」と言うと,「それなら堀川の普通を変えないでください」と真剣なまなざしで見つめます。君たちが,その「堀川の普通」をつくってきたんだよ,と思いました。
 生徒がいる限り,教職員がいる限り,そして保護者の皆様が支えてくださる限り,堀川が堀川でなくなることは絶対にありません。
 最後になりましたが,生徒諸君と保護者の皆様のご健康をお祈りいたします。
 重ね重ね本当にありがとうございました。
……………………………
 長年にわたって本当にお世話になりました。この場を借りて,深く感謝いたします。

 この「校長室から」はもう少し続けますので,またご覧いただければ幸いです。ただし,システムの関係で,3月末に「学校の様子」ともども更新されるそうです。

 春分。今日はずいぶん暖かくて。
 ドアを開け放していると,アトリウムのあたりから生徒の歓声が聞こえてきます。
 いずれはと思っていたけれど,突然堀川を去る。手品のような気がします。

                      41号(2012.03.20)……荒瀬克己

春一番かと思った

 3月15日,卒業した11期生有志が大掃除にやってきました。
 リーダーの指示のもと,あちらこちらを掃除して,最後は文化祭でパフォーマンスを演じたアトリウムの拭き掃除。並んで,ヨオイドン。楽しそうにがんばってくれていました。
 最後に集合して解散。居合わせたのでお礼を言っておきました。その後も三々五々残っている生徒と話していたら,「大階段の手すりのところを掃除したいんです」と言う生徒がいて,家から歯ブラシを持ってきていました。生徒が「大階段」と呼んでいるのは,アトリウムにかかる階段のことです。
 「歯ブラシですか。ハミガキを使うの?」
 「ペーストは使いません」
 「ペーストってなかなかしゃれていますね」
 「家では歯磨き粉とかと言っています」
 「ふうん。私が子どものころは柳の枝で塩を使っていました」
 「えっ,ほんとですか!」
 「うそ。そんなん江戸時代みたいやんか」
 「えー。ウソついていいんですか」
 「これから世の中に出て行ったらいろんなことがありますから注意しなさい」
 「はい,気をつけます」
 かつて4期生が,床に座り込んだり,はいつくばったりして,南館の4階から1階までの汚れを取ってくれたことを話しました。
 「すごいですね」
 「すごいでしょう。君たちもね」

 15日にはとても強い風が吹いていました。春一番かなと思いましたが,そうではなかったようです。昼過ぎに,ヨーロッパ研修に行っていた13期生たちが帰ってきました。研修と時差で疲れ気味の生徒たちは,しかし,少しおとなの顔になっていました。かれらも私服。11期生たちも私服。ひとときアトリウムはいつもとは違った光景でした。
 平成11(1999)年の新入生から,それまで私服だったのを制服に切り替えたのですが,私は私服に戻したらいいのではないかと思っています。以前にそう生徒たちに言ったら,「絶対制服ですよ」と返されました。それなら秋田高校のように,制服があって式や対外的な行事では着用するが普段は制服でも私服でもよい,というようにしたらどうかと思いますが,さてどんな返事が返ってくるでしょうか。

 前回は「トミーの答辞」を紹介しました。今回は,私の式辞の最後の部分を紹介します。
……………………………………
 さて,最後に三つのことを言っておきたい。
 多くの諸君の大学入試の結果は来週明らかになる。第一志望を叶えられる人もいるだろうし,そうでない人もいるかもしれない。いま,目の前にある大学入試は君たちにとってとても大きなことであるだろうけれど,これからの人生においては,いま以上にもっと大きなことと感じる課題や壁が多く待ち受けていることだろう。そのとき,君たちは何を選択するかを考え決断するわけだ。
 そこで君たちに言っておきたいことは,「選んだものを好きになれ」ということだ。他にもいっぱい可能性はあっただろう。そちらを選択すればよかったと思うこともあるかもしれない。しかし,君たちはそれを選んだ。いい加減に選んだのなら別だが,迷いに迷って選んだ。それなら,その自分に対して誠実さや責任を持とう。「選んだものを好きになれ」。

 次に,閉ざされた個人でなく,「開かれた個人として生きていけ」ということを言いたい。言うまでもないが,「自立する18歳」も,堀川高校憲章にある「ひとりになる」も,周りと切り離れて生きることを意味しない。
 「開かれた個人として生きていけ」。

 最後に,諸君,ありがとう。
 君たちと一緒に時間を重ねることができて,感謝しています。
 君たちは若く,可能性に満ちています。
 苦しいことがあったとしても,必ず乗り越えられると,自分を信じてください。
 おしまいに言いたい言葉は,「ぜひまた会おう」。
 くれぐれも元気で。
……………………………………

 「また会おう」。これは3期生の卒業式で,代表生徒が仲間たちに語りかけた言葉です。8年前の卒業式を思い出します。校長になって初めての卒業式でした。2年生の時にクラスで取り組んだ文化祭の劇の,坂本龍馬の台詞を彼女は最後に告げたのです。壇上で泣きながら,「龍馬は言った。『また会おう』」。
 多くの物語を紡いで時間が経ち,今年度もあと2週間で終わろうとしています。
 19日月曜日には終業式を行いますが,午後には合格者が登校し,また新しい堀川高校の準備が始まります。
 夕方,校長室に男子バレーボール部の顧問がやってきて,
 「また花を植えたいんですが,玄関前に置いてもいいでしょうか」
 「どうぞご自由に」
 「今年は,生徒がトマトやモロヘイヤや,オクラも植えたいって言っています」
 「いいですね。料理教室を開いたら」
 「生徒が食べたことがないと言うので,モロヘイヤができたら素麺と一緒に食べさせてやろうと思っています」
 モロヘイヤと素麺。私も食べたことがありません。
 去年はあざやかに花が咲いていました。今年の夏には,にぎやかな家庭菜園ができあがることでしょう。

 15日のことに戻りますが,残っていた11期生の何人かが靴箱の前に置いてあるスノコを磨いていました。そこまでするのか,感心だなあと思って声をかけたら,掃除ではなくて描いた絵を消しているとのこと。
 動かしたとき元の位置がわかるように目印をつけたらどうかと考えて,生徒部の教員に尋ねたら「やっておいて」と言われたそうです。それで番号も書いたそうですが,それだけではなく,おひさま,すいか,おさかな,なすび……色とりどりの絵を描いた。それを報告に行ったら,「消しなさい」。ということで懸命に消している最中だったのです。
 生徒に混じって,学年主任も作業をしていました。黙々とサンドペーパーでスノコの絵をこすり取っている様子は,なんだかうれしそうに見えました。
 あとで聞いたら,絵の中には緑の「芽」もあったそうです。芽ぐむ11期生。ありがとう。

 今夜9時ごろに,アメリカ研修組が帰ってきます。これで13期生が全員帰国します。
 卒業していった生徒たちがそれぞれの堀川をつくっていったように,「根っこ」の12期生,「はがね」の13期生,そして新たに加わる14期生が,自分たちの堀川をいのちあるものにしていってほしいと願っています。

                      40号(2012.03.17)……荒瀬克己

上:「大階段」の手すりの接続部を歯ブラシで掃除する卒業生。
中:そのアップ(アップを撮ると言ったら身づくろいをしてくれたのですが,撮りたかったのは歯ブラシでした。ごめんなさい)。
下:玄関横の靴箱のスノコを掃除する卒業生たち。右上が学年主任です。

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振り子

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3月6日,雨上がりの光を受けて揺れるフーコーの振り子



 今日は公立高校入学者選抜学力検査。午後3時前に無事終了し,中学生諸君を見送りました。15歳の夢が叶えられることを祈ります。

 さて,3月1日に第64回卒業式を行いました。
 行事ごとに雨のよく降った1年でしたが,この日は穏やかな一日でした。
 堀川を巣立つ11期生の代表として答辞を読んだのは「ひま部」のメンバーで,愛称は「トミー」です。本人の了解を得ましたので,その答辞を紹介します。


 答辞

 三年前。春。散り始めた桜。真新しい制服に身を包んだ僕たちの前で,振り子が静かに揺れていた。

 新入生歓迎会の席で,10期生の先輩方がおっしゃった。
 「あの振り子は,実は電気で動いているんだよ」
 身も蓋もないもんだ,と思った。もっと夢があることを言ったっていい。何といっても,あの振り子は,僕たちが入学したときからずっと,堀川高校の象徴としてそこにあったのだから。僕は,少し恥ずかしいけれど,いまこんなことを思っている。
 「あの振り子は,実は僕たち一人一人のエネルギーで動いているんだよ」

 振り子の一番下,銀色の玉のそばによって,そっと上から覗き込んでみると,堀川高校の校舎の中,360°全部が,そこに映っているのがわかる。振り子は,行事も,授業も,部活も,日々の語らいも,ずっと僕たちの姿を全部,見ていたんだ。

 *       *       *

 文化祭,体育祭,球技大会,たくさんの行事があった。その表で,裏で,生徒会,総合探究委員会,探究基礎委員会,研修旅行委員会など,たくさんの組織が動いていた。みんなで一つのことをするのは,本当に難しい。僕は,3年間,さまざまな活動に参加して,このことを身をもって知った。締め切りが守れないなどは序の口,所属する組織の存在意義さえハッキリしていないこともあった。でも,そのたびに,じっくり考え,真剣に議論し,一つ一つ乗り越えていった。たくさん失敗し,たくさん反省し,たくさん改善したことで,同じような状況で同じような失敗をすることが減った。例えば,僕の所属していた探究基礎委員会では,学年全体のまとめの会を企画した後で,「そもそもなぜまとめの会をしたのか」ということで議論したことがあった。委員のなかで,企画の目的と目標について共通認識がなければ,企画が成功したかどうかの確認さえできない,と悟った。その後のまとめの会では,企画の目的と目標を委員自身で設定し,共有することで,一人ひとりが何をすべきかが明確になり,より円滑な企画運営ができるようになった。その後,委員で行った反省会で,「前よりはよくなった」という手ごたえと共に,「次はここを改善しよう」と新たな目標も出てきて,委員会全体が一歩前進したと実感できた。僕は,このような経験が,将来の自分の糧になると強く確信している。

 それから,みんなで一つのことをしようとするとき,他の人の知らない一面が見える。3年生の文化祭のとき,本番直前,クラスの中は何だか険悪で,何とかしようと行動するも裏目に出て,自己嫌悪に陥っていた。家に帰って,ため息ついていたら,あるクラスメイトからメールが来た。「ほめ上手になりなよ」「あんまり自分を責めるな」僕は泣いた。いままで気づかなかったけれど,こんなに優しい言葉をかけてくれる仲間がいる。本当によかったと思った。このことは一生忘れられない。こんな風にして,僕たちは,少しずつお互いのことを知り,痛みも喜びも分け合って,ひとつになっていったんだ。

 *       *       *

 ところで,あの振り子は,学校に来客があるときだけ揺れるらしい。やっぱり身も蓋もないやつだ。僕たちは,どうだろう。若い心は,毎日揺れ動いた。迫りくるテスト。はかどらない勉強。仲たがいした友達。最近連絡のないあの子。さまざまな感情が忙しい日々の間を駆け抜けた。そんな,いつのことかもわからない,たわいもない日々の思い出が,断片的に,しかしくっきりと,手にとるように思い出されて,嬉しいような,切ないような,なんだか不思議な気持ちになる。

 「受験は団体戦」と言われて,はじめは何のことかわからなかった。勉強は,自分ひとりで,自分自身と戦うものだと思っていたから。でも,センター試験の前日,3年生激励会のとき,初めてその意味がわかった。1組の人たちのパフォーマンスに勇気付けられ,終わり際に同級生と「がんばろう」とグータッチをしたとき,何て自分は小さいんだろうと思った。同じように緊張しているはずの同級生の優しさに,自分は周りのことを気にかけてなさ過ぎると,情けない気持ちになった。でも同時に,嬉しくてたまらなかった。「一人じゃない」と思った。こんな風に,いっしょに高みを目指した11期生の一員でいられて,本当によかった。学年通信のタイトルの横にある芽のイラストが,時がたつにつれて成長しているのをご存知だろうか。「芽ぐむ」11期生は,仲間と共に,高く高く,空に向かって伸びていくことができたんだ。だれ一人欠けても,今ここにいる11期生にはならなかった。離ればなれになるのは寂しいけれど,仲間と過ごした3年間のことは忘れない。

 *       *       *

 それから,僕たちが今ここにあるのは,たくさんの人たちの支えのおかげだ。
 まず,教職員のみなさん。いつだって僕たちと真剣に向き合って,ときに優しく,ときに厳しく,教え導いてくださった。僕たちが時々思いつく突拍子もない企みに,みなさんはいつも,それを実現するためのチャンスとヒントを与えてくださった。だから僕たちは,勉強だけでなく,自分で考え,提案し,協力し,実行するとはどういうことかも,教わった。また,事務員さん,管理用務員さん,保健室の先生,スクールカウンセラーの先生は,僕たちがのびのびと学校生活をすごせるよう尽力してくださった。自分の力で生きていくにはまだまだ程遠い僕たちだけれど,「自立する18歳」に一歩一歩近づいていけたのは,教職員のみなさんのおかげです。ありがとうございました。

 それから,学校施設にもありがとうと言いたい。入学したときは空っぽだったBIGBOXが,今は僕たちの暖かい思い出と,夢と,希望でいっぱいになっている。3年間,僕たちを包み,静かに見守ってくれたBIGBOX,ありがとう。

 それから,後輩。いつもは可愛げないのに,部活を引退した後も,「最近どうすか」「受験がんばってください」と声をかけてくれる君たちに,いつも笑顔と元気をもらった。春からは新入生が入って,また新しい堀川の一年がはじまる。これからは,先輩として堀川高校をグイグイ引っ張っていってください。ありがとう。

 最後に,家族。起きている時間の大半を学校で過ごす僕たちは,家族の存在をしばしば忘れてしまいがちだけれど,本当は,これなくして今の僕たちはなかった。今日,胸を張って卒業できるのも,生まれてからずっと暖かく見守ってくれた家族のおかげです。特に,父と母には感謝してもし尽くせない。どんなに言い争いをしても,翌朝にはちゃんと食卓の上に弁当が載っていて,そんな優しさについつい甘えてしまうこともあった。自分のことさえ,自分でできていなくて,たくさん迷惑もかけた。今日からは,少しずつだけれど,そんな自分を変えていきたい。そして,いつかきっと,恩返しをしたい。それまで,元気でいてください。これからもよろしくおねがいします。ありがとう。

 *       *       *

 さて,今日も振り子は,静かに揺れているのだろうか。堀川高校,その象徴である振り子のもとで3年間を過ごした僕たちの心の中にはきっと,それぞれのリズムで揺れる,光る振り子があるはずだ。心はいつだって揺れ動くけれど,きっと大丈夫。つまずいたら,いつだってここに戻ってこられる。だから振り子よ,振り止むことなかれ。道に迷ったとき,僕たちを導いてほしい。

 振り子は教えてくれた。今日も世界は回るんだ。僕たちは,静かに揺れる振り子を胸に秘めて,今日,堀川高校を卒業する。振り子よ,振り止むことなかれ。僕たちが新しい世界を回すんだ。そんな気概と情熱をもって世界に羽ばたく,僕たちは,そんな一人一人でありたい。

 平成24年3月1日 卒業生代表


 途中からトミーは泣いていました。ずいぶん泣いていました。ときおりハナをすすりながら,ブレザーの袖で涙をぬぐっていました。
 私は彼をずっと見ていました。曇ってしまった眼鏡の向こうで,彼は少し震えていました。それでも力むことなく自然な姿で,語りかけるように言葉をつないでいきました。読み終えて,ひと呼吸して,まっすぐに私を見ました。彼の後ろのフロアには11期生が立って,こちらを見上げていました。

 11期生諸君,くれぐれも元気で。
 君たちが気概をもって生きていってくれることを心から願っています。


                      39号(2012.03.06)……荒瀬克己

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行事予定
3/31 PSTなし
4/5 新1年登校日(クラス発表・制服頒布・学習状況テスト等)
京都市立堀川高等学校
〒604-8254
京都市中京区東堀川通錦小路上ル四坊堀川町622-2
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