京都市立学校・幼稚園
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ハートフルマーク

復活しました

 2月17日のグラウンド開きの様子を「学校の様子」でご紹介しています。懸案であった全面改修が完了しました。
 古い人工芝で怪我をしたサッカー部のOB諸君。やっと約束が果たせました。
 当日は午前中に教育委員会の検査が終わって工事完了が確認され,昼休みにグラウンド開きのセレモニーが行われました。
 卒業していく3年生にまず入らせてあげようという趣旨だったのですが,どんどん盛り上がって,紅白のテープやマイクやBGMまでが準備されました。寒い日でしたが,生徒たちも子どものように駆け回りました。
 こういう場面で「乗る」生徒と教職員。
 うれしい財産です。

 「1月17日」を出して以来,ながらく休んでいました。申し訳ありません。
 理由はいろいろありまして,それだけで延々と書かねばならなくなりそうです。よってやめにしますが,いちばん新しい理由だけをお知らせしますと,実はインフルエンザにかかっていました。月曜日に学校医の先生に診てもらい,リレンザを吸引して昨日までおとなしく療養していましたが,学校内外のみなさんにご迷惑をかけてしまいました。

 寒い日が続いています。でも,行きつ戻りつしながらも,春は近づいています。
 来週はもう3月で,1日は卒業式。堀川高等学校としては第64回卒業式になります。
 学年主任からメールがきて,「ゆっくりお休みになって,元気に戻ってきてください。卒業式,よろしくお願いします」。確かに,1週間後ろにずれていたら大変でした。

 午前10時の開式に先立って,卒業生たちは入学してきたときと同様に,アリーナ入口から舞台正面へ続くメインロードを,ホームルーム担任に先導されて入場してきます。その姿を,舞台の上の飾り幕の中央に刺繍された校章が見守ります。
 高校生が,もっとも華やかに輝くのが文化祭なら,もっとも静かに光るのは卒業式でしょう。かれらはこのとき,高校生活の最上の高みの中にいます。
 普段と変わらぬ着慣れた制服姿の胸には,後輩から贈られた心尽くしの花一輪。そして,新しい生活へのカウントダウンを待つ緊張感。
 いざさらば。われ行かん。
 いざさらば。健やかなれ。

 今年は11期生が卒業します。
 芽ぐむ11期生。空に向けて伸びる芽のしなやかに光る。
 1月13日に三年生激励会を行いました。その様子も「学校の様子」に紹介されています。
ところで今日25日は国公立大学前期試験。受験生の健闘を祈ります。
さて,激励会でかれらに伝えました。
 ……「芽ぐむ」のことだが,8期生は大地,9期生は光,10期生は炎,ときて(1999年に入学した1期生を第1ページとする『堀川高校物語』の,それぞれのページのタイトルのようにして「言葉」を贈ってきました),11期生からは名詞をやめて動詞に替えようということになった。学年主任と相談し,図書館長と図書館で辞典をひも解いた。8期生が大地だったこともあり,その卒業と入れ替わって入学してきた君たちに「芽ぐむ」というイメージをもった。「芽吹く」は枝から芽が出ること,「芽ぐむ」は地面から芽生えること。「萌む」,「恵む」にも通ずる。君たちは地面から空に向けて伸びる,輝く芽だ。
 (動詞にすることで,各学年をイメージする「言葉」が広がったかに見えたが)しかし,12期生が入学して,あれこれ考えた結果,どうも動詞は難しいということになり名詞に戻すことになって,「根っこ」にした。続いて13期生は「はがね」。だから,はるかな将来はわからないが(いつまで続くのだろうかと卒業生たちは思っているようだ),動詞の単語をイメージとして冠するのは,君たちだけだ。
 ……関係者以外にはどうでもよいような話ですが,当然ながら私たちには重要事項です。3月1日,その11期生たちが卒業します。

 式場の檀上ではさまざまなドラマが展開します。これまで8人の答辞をただ一人,面と向かって聴いてきました。まことに贅沢な経験です。
 可能性の荒野を見いだした3期生は情熱的に,木を植えた4期生(この年まで学年の「言葉」は後に贈られていました)はさわやかに,狩人の5期生はいつ終わるか分からずハラハラしました。風の6期生は思索的で,しずくの7期生は可憐に,大地の8期生は誠実で,光の9期生は夢見がちに,炎の10期生は実に朗らかでした。そして今年,芽ぐむ11期生の答辞を読むのは「ひま部」のメンバーです。

 6期生が卒業を間近に控えていた2月。卒業準備委員会の生徒たちから,式の最後に合唱する歌を,感謝を込めて保護者に歌いたい,ついては,後ろの保護者席に向かって歌いたい,という話が出ました。相談を受けて準備委員会が開かれている教室に行くと,20人ほどの生徒たちがいました。
 「卒業式は卒業証書授与式で,学校長が主催する儀式である。生徒会が主催する文化祭とは,いずれも生徒が主役であることは変わらないが,趣旨が異なる。卒業式は君たちの発表会ではない。その点を理解しているか」と尋ねました。
 「保護者に感謝するというのは,もちろんよいことだ。しかし,前方には君たちの卒業を祝うために来てくださった来賓もおられるし,3年にわたって愛情と労力を注いできた担任も座っている。卒業生全員が合唱する歌を,感謝を込めてと言うならば,どのように歌えばよいのか考えてほしい」と伝えました。
 その上で,「どうするかは君たちに任せる。答えは当日に見せてくれればいい」。
 生徒たちは,じっと聞いていました。
 考えさせたかった,というのが生徒に話した理由です。どっちを向いて歌っても,誰も気分を害しはしないでしょうし,式の厳粛さが損なわれるものでもないでしょう。ただ,さまざまな条件のもとで,よく考えた上で行動するという経験をしてほしかったのです。
 第59回卒業式。最後の合唱。生徒たちは前を向いて歌っていました。そわそわした様子もなく,落ち着いて歌い続けます。このままずっと前向きのままなのか,どこかで後ろを向いてもいいと言っておけばよかったか,と気を揉んでいると,ほとんど最後になって,全員が音もなく回転して保護者席を向きました。音楽に乗せて発する,短い感謝の言葉が聞こえてきました。
 私は,生徒たちの背中が揺れるのを見ていました。
 ややあって,また音もなく,一糸乱れることなく正面に向き直る。
 そうか。これが君たちの答えだったか。
合唱が終わる。大きな拍手。生徒たちを包みこむように。

 昨年の10期生も感謝の言葉を会場に響かせました。
 今年の11期生も何か考えているということです。
 その年にしかない,その学年の卒業式。
 他の誰でもない,その人の卒業式。

 さて,書くかどうか迷ったのですが,もう一つ,書かないでいた理由を挙げますと,ある誠実な指摘を受けたことがあります。簡単に言えば「出来事を単に書いてあるだけではないのか」というもので,特に「1月17日」はまったくそのとおりでしたから,まさに一本取られたように思ったのでした。
 出来事を淡々と連ねて読者をうならせることができるほどの筆力をもちたいと思いました。志賀直哉をうらやましく思いましたが,一朝一夕にはどうにもならないことを改めて知るのみでした。そして,そういうことを考えていることこそが自分の乗り越えるべき弱点ではないかと気付きました。
 いつまでも隠れていても仕方がないと思いました。
 これは一つの開き直りです。ただし,気分はすがすがしい開き直りです。
 きっとこれまで自分の中に,何かいいことを書こうという姑息な思いがあったのでしょう。それが洗われたような気がします。憑きものが落ちたような。肩の力を抜いて,見たものや感じたことを,ただただ書こうと思うようになりました。すなわち「出来事を単に書く」ことを追究しようと思ったのです。
 書けるか,という思いがもたげてきます。それに対しては「さあね」というような感じです。書けるかどうかというのは結果で,その結果をうんぬんするよりも,書こう。そう思っています。
 これからもどうぞよろしくお願いします。

                      38号(2012.02.25)……荒瀬克己
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行事予定
3/31 PSTなし
4/5 新1年登校日(クラス発表・制服頒布・学習状況テスト等)
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