京都市立学校・幼稚園
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ハートフルマーク

ココロザシ

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玄関横のクスノキ。旧校舎から移植しました。
来週は出張が続き掲載できないかも知れませんので,とっておきの写真をお届けします。


 10月12日に,「ひま部」のメンバー6人と話しました。9月21日に話すはずだったのですが,台風のため臨時休校になったので延期しました。
 「ひま部」というのは,三年生の9人で構成しているそうですが,実際にどういうことをしているのかは謎です。ただ,その名のとおり「ひま」なのかというと,どうもそうでもなくて,普通に部活に入っていましたし,それ以外にもいろんなことを議論したり,小惑星探査機「はやぶさ」を堀川に呼ぼうとしたときには署名活動をしたりと,なかなか忙しそうでもあります。

 「それで,どんなところから始めますか?」
 「個人情報保護のために裏紙の使用を一切しないということですが,環境問題を考えるとどうかなと思うんですが」
 「なるほど。確かに教職員の中にもそういった意見があります。しかし,個人情報だらけの学校の中で,それらをきっちり保護するために,はっきりとした線を引こうと考えました。個人の判断を入れることによるリスクを排除しようと考えて,そのほかにもいろいろと取り決めをしています。状況を見ながら考えていきますから,いまはこの対応を理解してください」
 「わかりましたが,生徒の中に,もっと工夫の余地はないのかという意見もあります」
 「貴重な意見です。そういうことなら始業式で話すことにしましょう」
 と言ったのに,始業式で話しそびれてしましました。「ひま部」の諸君,ごめんなさい。学年別のアセンブリなどの別の機会に話すことを含めて考えます。

 文化祭についても興味深い内容をいくつも話してくれました。
 「文化祭をなぜするのか,と思うんですよ」
 「ほう。面白いことを考えますね」
 「一緒にやっていくうちに,確かに発見があったりします。この人はこういう話し方をするのかとか,こんなことに興味をもつのかとか」
 「文化祭っていうけど,そもそも文化って何だと思う?」
 「文化ですか」
 「変なことを言うようですが,水とか塩とかは生きていく上で絶対に必要だけど,胡椒とか絹とかは別になくてもいいよね。ところが,その必ずしも生存にとって必要ではないものを求めてはるばると旅をする。それで道までできる。それを文化と言うならば,文化って,そもそも要らないことをすることのようですね。でも,それに重要な意味があったりする。あるいは重要な意味を見出したりする。価値づけ,ですね」

 生徒の言葉がきっかけになって,いろいろと考えます。実に面白いことを言っていました。やってきた6人はアクセルだそうです。残りの3人がブレーキ。
 「ハンドルがないんですよね」

 10月13日,後期始業式。HPの「新着案内」や「学校の様子」でもご紹介しているとおり,ローム株式会社からLED球とものづくりに関する書籍を図書館に寄贈していただきましたので,その贈呈式を行いました。
 SSH運営指導委員をお願いしているロームの常務取締役でいらっしゃる高須秀視氏が全校生徒に話してくださいました。その中でおっしゃったのは,三つの壁を乗り越えよ,ということ。……国の壁,技術の壁,そして自分の壁。

 会場のアリーナは10月半ばというのに蒸し暑く,贈呈式に引き続いて私が話し始めたときに生徒が一人しんどくなってしまいました。そういうことは時々あるのですが,話を続けながらも少しあわててしまって,「ひま部」との約束を飛ばしてしまいました。それだけでなく,亡くなったスティーブ・ジョブズ氏のスタンフォード大学での演説を紹介する際に,しばらく失語状態になりました。Stay hungryと言うべきところ,なぜかふっとStay hereという言葉が出かかって,あれ違う,と思ったら言葉が出なくなって,生徒の一部が失笑するほどの長い「間」ができてしまいました。
 後から若い教員が,「生徒を引き付ける絶妙の演説技術ですね」と言ってニヤリ。ソウジャナイコトヲ知ッテルクセニ。

 始業式後,呼んでもらった三年生の教室に行きました。
 「式では失礼しました。実はね,ジョブズは大変なお金を儲けたけど,世界を変えるようなものを創り出すことに生涯をかけたんですよ。これは,天野祐吉さんっていう人の受け売りですが。そこで思い出すのが「はやぶさ」。本来はイオンエンジンの実験が目的だったんですよ。こっちは朝日新聞の去年の社説の受け売りですが。それが小惑星「イトカワ」の探査という魅惑的な目標をもつことによって,困難な状況の中でもチームが懸命に動いていった。思うんだけど,目的と目標が入れ替わったみたいになったんですね。大学も,そこに入るということよりも,そこで何をするのか,そこを出てからどうするのかということの方が大事でしょ。そういった,先にあるものを見ようとすることを,たぶんココロザシって言うんですね」

 午後には研修会が二つありました。私は,本能館であったキャリア教育研修会に行きました。資生堂の人材開発室長である深澤晶久氏と京大総合博物館准教授の塩瀬隆之氏が,それぞれ企業と大学から見た高校のキャリア教育についてお話しくださいました。
 深澤氏「仕事には正解というものがない」。「言われなくてもするという主体性が重要」。「失敗を恐れるとか,答えがないことへの不安とか,考えることが苦手とかといった若者が多い」。「『わかっている』を『できる』に,『知っている』を『使える』に」。「修羅場体験もまた必要」。「研修では心を磨くことが重要」等々。
 塩瀬氏「コミュニケーションの研究をしているが,すればするほど言葉はなかなか伝わらないということがわかった。言葉を選ばなければいけない」。「友だちと話せることと先輩や初めて会う人と話せることとは違う。異世代間や異文化間のコミュニケーションが求められる」。「社会や人生には理系の問題とか文系の問題とかはない」等々。
 脈絡なくお伝えしましたが,実に勉強になりました。

 学校訪問に来られた島根県の校長先生とお話しした後,夜になって卒業生たちとの食事会に行きました。会の名は「夜久野会」。この日集まったのは,大学院で研究をしている人や就職している人7人。自然探究科3期生の男子です。あれやこれやと話が盛り上がっていく中で,ひとりが在学中のことを話してくれました。「成長するということは,こういうことができるようになる,ということだけではなくて,こういうことができないということがわかる,ということでもある」と私が高校生のかれらに言ったそうです。
 「そんなこと言いましたっけ」
 「はい確かに。とても印象に残っています」
 「ふうん,そうでしたか」
 かれらの高校時代の顔を浮かべました。いかにも自分が言いそうだとは思いましたが,どんな文脈で話した言葉であるかは思い出せません。その代わり,塩瀬先生がお話の最後に,「いまおとなが届けないといけないことを届けましょう」とおっしゃったのを思い出しました。

 この時期になるといつも思うのですが,三年生たちの表情がすてきです。一年生や二年生のときとは異なる,まぶしさを包みこんだ落ち着いた表情。これからに備える意志と言えばよいのか,静かな決意と言えばよいのか,それぞれが確かな存在感をもって,そこにいます。
 その前に立って自問します。かれらの視線に応えうるようなココロザシを自分は持っているか。

                      25号(2011.10.18)……荒瀬克己

あの時の前には戻れないから

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堀川北門近くのユリノキ。もう秋です。


 昨日お届けするはずでしたが,諸般の事情により遅れました。申し訳ありません。

 先週土曜日に3年生と話しました。舞台美術をやりたいという生徒に,音楽座のミュージカルと高台寺のライトアップのすごさを紹介しました,
 夜は,以前に担任をしていたクラスの同窓会に出席しました。費用を払おうとしたら「今回はご馳走します」。初めてでしたので感激しました。担任であったときの私の年齢を越えた彼らはさまざまに苦労を重ねているはずですが,それらを心にしまい込んで笑い話すことのできるおとなになっていました。ただし,笑顔は高校生のままで。
 日曜日に卒業生の結婚式に行きました。式では参列者の前で誓いを立て,続く披露宴も仰々しくなくて,親しい仲間のパーティといった感じの実にさわやかな結婚式でした。空がとても青くて,会場からは,秋というよりも懐かしい夏を思わせる海が見えていました。どうぞお幸せに。
 若々しい生徒たちと,落ち着いた卒業生たちと。年齢の違いこそあれ,いずれもがすがすがしい笑顔。あのとき以前には戻れないけれど,否,戻れないから,これからに向かってまっすぐ歩いていこうとしている。そういう姿のもつ清い力。
 同窓会に来ていたひとりからのメールです。
 ……老人ホームで人生の最後の時をみて,私の役割とともに生き方を考えることがあります。でも,最近はやることが多すぎてパンク寸前でした。……また来年もみんなに元気で会えるように,リセットしてがんばります……。

 自然であれ人為であれ,圧倒的な「暴力」の前に人間は無力です。哀しいくらいに。
 しかし,そういう人間の間違いなく誰もが,存在していることによる力をもっています。いのちの力と呼べるようなものです。この力は,その人自身が生きていることによって生じる力で,その人自身には気づかれないこともありますが,周囲の人は,やはりそれを意識するかどうかは別としても,その力を受けて生きています。人は近しい人から力を吸収しているからこそやっていけるのだと言えます。
 だから,それが失われたときに生じる喪失感は,言葉に尽くせぬものになります。

 母が亡くなったとき,私は22歳でした。呼吸の間隔が長くなり,しだいに不規則にもなり,息をするだけの母になり,吸った息をいつまで待っても吐かなくなって,医師が静かにいくつかの動きをしたあと,母の腕を布団に入れて,そこにまだ姿があるのに,私の母がいなくなりました。病室は6階でした。私は,もう母のいない部屋を出て,階段を下りて,地下の洗面所で何度も顔を洗いました。
 祖父母や叔父の葬儀に出たことはありましたが,身近な人が死ぬのに直面するのは初めてでした。しかも,それが母だったので,私は相当に揺れ惑いました。ずっと入院していましたから気持ちの準備もできていようはずなのに,実際の死は,私にとっては突然に訪れ,したがって衝撃もまた突然襲いかかってきたのでした。
 そのときの私の気持ちはてんでばらばらで,言葉に表せるものではありませんでしたが,そんな中でひとつの言葉が頭の中をぐるぐると回っていました。いなくなった,いなくなった,いなくなった……。私は母の死に,言いようのない理不尽を感じました。

 3月11日から7か月。1995年1月17日は午前5時46分,2011年3月11日は午後2時46分。地震発生の時間の違いについて,哲学者の鷲田清一氏は「同じ46分だが,人の生活を考えると午前5時と午後2時は意味合いが異なる」とおっしゃいました。早朝なら家族は一緒にいる場合が多いけれど,昼間はそれぞれが別の場所にいる,したがって,親や知り合いのおとなを失った子どもが多いのではないか,と案じておられました。
 ヘリコプタから撮られた,火を上げつつ見る間に田畑を呑み込んでいく津波。あまりにも簡単に流される家や車。阪神淡路大震災とは異なる,別種の驚愕の映像がいまも焼き付いています。けれども,それらのカメラに映った場面とは別に,映像にならなかった現実が無数にあったという事実を思うと言葉を失います。
 あれからの時間が,被災された方それぞれにとってどのようなものであったか。なかなか進まない復旧と原発問題の未解決。二度と戻らない時間といのち。

 先が見えず,社会全体もまた,どうしてよいのかわからない閉塞感にとらわれ,さらには,どう言えばよいのか,私たちは自然に振る舞うことにためらいをもつようになったのではないか,とさえ感じます。
 力を受けていたいのちを失った人が多くいて,それがめぐりめぐって数知れない人が喪失感を抱き,また,多くのいのちが,見えない不安にさらされていることで,言うに言われぬ頼りなさにさいなまれているようです。

 こういう状況は,わかりやすさを求める傾向を増幅します。不確かであることや,よくわからないことに向き合う手続きの複雑さや面倒が徐々に敬遠され,排除されていくため,時にはある種の「スローガン」が,正当な合意のないままに喧伝されることになります。一方で,判断の基準になるデータが「不足」しているため,最新の科学的知見による適切な対応ができていないのではないかと思われるケースも見られます。
 困難のさなかにあって,私たちの知恵が試されています。

 2011年3月11日午後2時46分以前に戻ることはできません。理不尽であっても,状況を受け入れざるを得ません。しかし,どういう状況であっても,人為で理不尽を作ってはなりません。
 ならば私たちは,これからをどのように生きればよいのでしょうか。どう人と関わって生きるのか。いのちをどのように守るのか。育てるのか。本当の安全をどう確保するのか。どのような社会をつくっていくのか。考え,語り合わねばなりません。それらを行動につなげていくために。立場や世代を超えて。不十分ではあっても言葉の力を尽くして。なお希望をもって。

                      24号(2011.10.12)……荒瀬克己

神無月

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 先週土曜日は10月1日。
 午前中,西京・嵯峨野・堀川三校の専門学科合同説明会を京都駅前のキャンパスプラザで開催しました。堀川からは21人の教員が行きました。京都新聞に大きく取り上げられたので,京都や滋賀にお住まいの方はご覧になったかも知れません。
 「京都の公立高 受験生に猛攻」という見出しで,記事には「私立高の学費負担は,ほぼ公立並みに軽減され,『もはや公立,私立の差はなく,同じ競合の土俵に乗った』との強い危機意識がうかがえる」とか,「府立高校と市立高校の共闘。関係者は『受験層が重なる公立3校のタッグで,より多くの中学生を集めたかった』と打ち明ける」とかと書かれていました。
 確かにそういうことも言えなくはありません。しかし,私たちが考えたのは,当日お話ししましたように,三校のどこかに合格する生徒は,基本的に三校のどこにでも合格する可能性を持っていますから,どこが自分にとっていちばん行きたい学校かを考えてもらうための情報を提供するということでした。
 
 午後には本能館で第3回探究道場がありました。8月2日に紹介した「数学で探究〜ハカリシレナイ測り方」の第2回。前回と同じ内容で中学生に悩んでもらいました。
 8月2日に,「道場は,PBL(Problem Based LearningあるいはProject Based Learning)の手法で行っています。問題を提示した後は,基本的に説明は行いません。自分の持っている知識や技術や経験に基づき,それらを活用して取り組みます。堀川の生徒が進行役や補佐役を務めますが,手を貸すことはしません。したがって,自分でよく考えるということとともに,他のメンバーとよく話し合うということが大切になります」と書きました。今回は,うちの生徒が前期末試験直前であったため参加していません。その代わり十数人の教職員が手伝いました。
 それで何をするかというと,課題は深泥池の面積を出すこと。机の上や教室の前後にはいろいろなものが置いてあります。
 まずは,深泥池の地図。それから,定規,タコ糸,ゴムひも,ゴム風船,セロテープ,方眼紙,はさみ,紙粘土,コピー用紙,マジックペン,精密なデジタルばかり,電卓など。この中には面積計算をするのに不必要なワナのようなものもありますので,師範を務める数学科の教師が「ゴム風船を膨らまして遊んでいてはいけませんよ」と声をかけますが,そんなことをする人は一人もいません。
 前回同様,実に面白い3時間でした。
 探究道場の合間,本能館のブリッジ(渡り廊下)から見上げると,空にはきれいなうろこ雲。神無月に入って,見えるものはすっかり秋です。

 月の異名はどれも味わい深いものですが,私にとって神無月は少し特別です。
 高校時代に睦月,如月……と教わったときに,古典の先生が「八百万の神々が出雲に集まるためにいなくなるから神無月。だから出雲は神有月」とおっしゃるのを聞いて,ナルホドと思いました。ヤオヨロズノ神々という非現実が,「だから出雲は神有月」という結びで,素朴な論理的処理を施されたからです。それがなければ,では神様がみんな集まる出雲はどうなのかと理屈好きの生意気な高校生たちは,さぞかしうるさかったことでしょう。
 数年前に島根県へ行ったとき,実際に出雲で神有月と呼んでいるかどうかを尋ねてみました。私が話した土地の方は「そう言うこともありますかね」と,どうということもない風でした。

 さて,いつの時代でも高校生は生意気です。生意気は高校生の特権ですが,それは成長過程に必要な性向だからです。生意気には素直な心もまた内包されています。したがって,高校生の生意気さは好ましくさえあります。
 素直とは,謙虚や敬意や感動を備えていることです。これらは人間の心の中の神様のようなものであると思います。素直さを失うと,生意気は剛情や傲慢,時には無理解や怠惰に変成します。
 おとなはそのバランスを保つ訓練を経ているはずですが,それができない人や,できない場合があります。特に,「立場」のある人や場合が要注意です。立場は人を成長させ,充実させもしますが,逆の働きをしてしまうこともしばしばあります。
 他の組織はいざ知らず,学校では,生徒と接する教員は気をつけなければいけません。そうだとすれば,校長がもっとも気をつけなければなりません。かく言う私はどうかというと,なかなか危うい状況です。神無月というのは,警句かも知れません。

 あれこれと考えますが,この数日は空ばかり見上げてしまいます。
 神無月の四日。屋上に上がってみると北の空は青く,空気は清々しく,振り返れば南の空には絹の雲が高く。
 
                      23号(2011.10.04)……荒瀬克己

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行事予定
3/31 PSTなし
4/5 新1年登校日(クラス発表・制服頒布・学習状況テスト等)
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