京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/06/19
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 昨日,宮津球場で洛水高校と対戦。敗れました。0対4。残念ながら,堀川に風は吹きませんでした。
 選手,保護者会,OB,吹奏楽部,応援してくださったみなさん,そして監督とコーチに感謝します。ありがとうございました。
 洛水高校は,実に気持ちのいいチームでした。攻守がかみ合い,チャンスをしっかりと得点に結び付けました。3回戦以降の健闘を心から祈ります。

 薄曇りで,試合途中からぽつぽつと雨も降った宮津球場。
 試合の直前,応援団のエール交換が始まらないので団長に尋ねると,「洛水の応援団が調整中みたいで,いま送ると向こうが返せないので,もう少ししてからやります」。
 差し入れのペットボトルを入れたアイスボックスを持ってスタンドに向かおうとしたとき,吹奏楽部顧問が「だれか荷物の少ない人はいないですか」。すぐさま女子生徒が二人で駆け寄ってきて,「先生,持ちます」。
 タオルを濡らそうとしていたら,野球部の保護者が「こっちに冷たい水がありますから」。「はい,どうぞ」。キャンデーもいただきました。
 試合終了後の球場前。キャプテンが走ってきて,「遠いところまで応援に来ていただいてありがとうございました」。
 レギュラーの一人が「もう1回勝つのを見てもらいたかったんですが」。「私も見たかった。チーム全体で秋につないでいってね」。
 京都新聞の記者の方が,「何人かに取材しましたが,みんなとってもきっちりと話してくれました」。
 綾部から特急はしだて6号に乗り,5時過ぎに学校に戻りました。部活の女子生徒たちが口々に「こんにちは」。よれよれになった私の様子を見て小声で,「野球部の応援に行ってはったんや」。「いいなあ」。

 行きのバスから宮津湾が見えたとき,吹奏楽部の生徒たちが「海が見える」と喜んでいた,と聞きました。私も見ていました。
 球場に送ってもらう車中で若い友人からメールが届きました。御母堂の逝去の報せ。海を見ながら思いました。「海」という文字には「母」が抱かれている……。

 5時半。一人の生徒が校長室にやって来ました。今日を生き明日に向き合おうとする高校生の思念はさまざまに交錯します。
 「一生勉強ですよ。どうであれ,勉強だけはいろいろとしておきなさい」
 「勉強ばかりし続けて,後悔しないでしょうか?」
 「どういう勉強をイメージしているの?
  勉強しないでいたら,後悔ばかりし続けますよ」
 「そういうもんでしょうか?」
 「はい」
 勉強するというのはどういうことかを書いた,数学の教員の文章を渡しました。
 「これ読んで,感想聞かせて」
 「はい。じゃあまた来ます」
 次に来たら,「100メートル全力疾走しているか」と尋ねようと思います。

 「校長室から」は火曜日に出すことにしていますが,昨日のことが記憶に新しいうちにと思って書きました。次回は19日の予定です。
                                 …… 荒瀬克己

白い帽子

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 勝ちました。7月10日,第93回全国高校野球選手権京都大会二日目の第2試合。対戦相手は府立工業高校。
 選手諸君よかったね。この1勝を大切にして次もしっかりと。吹奏楽部の諸君,お疲れさま。応援をしてくださったみなさん,ありがとうございました。

 11時半開始の予定が,始まったのは約1時間遅れでした。
 11時頃に西京極のわかさスタジアムに着いたら大きな喚声。西京対京都明徳は6回まで4対5。8回表に西京が1点返して同点。延長になって,10回表に西京が勝ち越しの1点。それを守り切り西京の勝利となりました。
 そしていよいよ堀川。行事の都合で来られない副校長たちにメールで速報を送ることになっていましたが,試合が始まったらそれどころではなくなりました。
 梅雨が明けて二日目の日曜日。とにかく暑い。京都地方気象台によれば,最高気温は36.5度。でも,球場はもっと暑かったに違いありません。メガホンを持つ手のひらが汗でびしょびしょ。野球部保護者会が用意してくださった飲み物をガブガブいただきました。
 3回1対1,5回3対1,7回3対2.そして迎えた9回裏。2アウト。途中で足がつったにもかかわらず,投げ続けてきた2年生投手。彼の投球にスタンドの応援団は懸命の声援を送ります。最後まであきらめることなく攻める府立工業の選手たちと3塁側スタンドの吹奏楽と力のこもった大きな声援。それに対抗して守備を支えようとする1塁側の声援。選手の動き,土の色,わずかに吹く風。青い夏空の下で繰り広げられる,たった1個のボールをめぐる汗と力のぶつかり合い。スタンドの大声援が一瞬遠くに聞こえるような,そして何か尊いものを見ているような気持ちになったそのとき,最後のバッターの打ち上げた球が青い空からゆっくり落ちてきて野手のグラブに吸い込まれ,試合が終了しました。
 
 スタンドで応援をしていたとき,ひとかたならぬお世話になっているO先生が来てくださいました。大先輩で,いまも高野連の役員をなさっています。「頑張って応援してるね。でも暑いから気をつけて。帽子を持ってないの?」
 少し思うところがあって,あえて帽子を持ってきていませんでした。
 しばらくして,こちらもまたお世話になっている別の役員の方が来られて,「O先生から持って行ってあげてと言われました。どうぞ」。真っ白い帽子を持ってきてくださいました。日に焼けた笑顔で,「いい試合ですね」。「はい。ありがとうございました」。
 本当にありがたいことです。自分のことでなく,他人のためにわざわざ動いてくださっている。どうしようかと思いましたが,せっかく持ってきてくださった帽子ですので,少し手に持ったあと,後ろ側の帯をいちばん長くしながら,ふっと,別にそうしなくても誰にもとがめられないのに,ということを思いました。
 考えてみれば,仕事を休んで揃いのTシャツ姿で応援に来てくださっている保護者会OBも,野球部OBも,保護者も,卒業生も,生徒たちも,教職員も,みんなこの暑い中でグラウンドに向かって声の限り,あるいは祈るようなまなざしで,懸命に応援しています。別にそうしなくても誰にもとがめられないのに。
 帽子をかぶるとすっと頭が涼しくなって,そのことに少し驚きました。

 本日12日は第2回戦です。宮津市民球場の第2試合で,洛水高校と対戦します。日程を調整してもらったので,吹奏楽部の諸君と一緒に応援に行ってきます。今日は帽子を持って。
                                     …… 荒瀬克己

100メートル全力疾走

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 7月1日のロングホームルームで3年生に話しました。
 夏休みを控え,これからの勉強に向けて「気合い」を入れる。ただし学年主任からは,文化祭のこともお忘れなく,と言われていました。
 高校3年生の文化祭は生涯に1度しかありません。大学入試は毎年あります……保護者は,みなさん苦笑。すみません。でも,こういう気概がなければ,と思うのです。
 7月が近づくと,校舎内外のあちらこちらで3年生が三々五々何やら打ち合わせをしたり,身振り手振りを合わせたり,学校がどことなく静かに色めき立ってきます。高校3年生の2か月に及ぶ文化祭の始まりです。

 1999年に入学した生徒たちを,敢えて1期生と呼んだということは第1回でお伝えしました。1期生が3年生になったときに学年主任が,「文化祭は9月だから準備や本番の興奮に流されて勉強に身が入らないようになるのではないか。生徒の中にはそういった心配のいらない人もいるが,そうでない人も少なくない。よって,3年生については全クラスとも文化祭への参加を見合わせたい」ということを言ってきました。そうだろうかとは思いましたが,関係者が話し合った結果,生徒の意向を十分に聴くようにという注文を付けた上で,学年主任の意思を尊重することにしました。
 このころは,学年主導体制を構築するということが大きな課題でした。前例踏襲ではなく,その学年の集団特性に応じた指導体制を整えて教育効果を上げる。そのためにどうすればよいか。
 いまも続いていますが,初めて企画会議という場を設け,いろいろなことを議論し,実行に移していきました。いわば戦略会議です。最初は学年主任と企画部長と教頭の3人だけの会議でした。企画会議については,いずれまたご紹介することにします。
 
 2001年初夏。1期生の一人が担任に尋ねたそうです。
 「クラスとして文化祭への参加はしないということになりましたが,有志で参加するのはいいでしょうか?」
 担任は学年主任に相談した上で答えました。
 「有志が無理のない形で参加するならいいよ。ただ,講堂もアリーナも教室も全部,1年生や2年生やクラブが使うから,場所はどこにするの?」
 「アトリウムはだめでしょうか?」
 「アトリウム? なるほど,あそこはどこも使わないね」

 初めて来ていただいた方に堀川は開放感があると言われるのは,30メートルの吹き抜けの,3方がガラス張りの空間があるからでしょう。東西65メートル,幅8メートル。狭い敷地の小さな校舎ながらも,せめてもの贅沢。アトリウムは堀川のメインストリートです。正面玄関から入ったすぐの所には,ガラスの天井から吊り下げたフーコーの振り子が,ゆっくりと規則的に動いています。

 結局,「有志」とは1期生の全員でした。学年主任は苦笑いをして,「やられました」。そして付け加えました。「でも,これでいいはずがない。彼らはいま文化祭を楽しめるような状態ではない」。
 この学年主任は,生徒に対して厳しい教員でした。日ごろから,勉強するのは高校生の仕事であると言っていました。その仕事を生徒がしていない,とも。しかし,各クラスの「有志」たちの,照れながらも楽しげに演じるパフォーマンスを,目をしばたたかせて見つめていたのもまたこの学年主任でした。
 そのころは文化祭に続いて体育祭があり,体育祭の最後が学園祭の閉会式でした。体育祭は,いまも広沢の池の畔にある堀川高校嵯峨野グラウンドで行っています。その年,閉会式で「その事件」が起こりました。
 閉会式が終わった後,3年生の中から学年主任の名を連呼する声が上がりました。声は広がり,3年生全員の大合唱になっていきました。2年生や1年生が場所を譲って遠巻きに見守る中,促されて学年主任が壇上に立ちました。3年生の大合唱はやみません。中には泣きながら声を上げている生徒もいます。嵯峨野グラウンドの広い空の下,自分を包み囲んでいる生徒たちを見回しつつ言葉をかける学年主任の目にも光るものがありました。
 2001年。残暑の中で秋が始まろうとしていました。私たちが知らないうちに,1期生たちはそれぞれの卒業に向けて歩き出していました。私たちに,経験したことのなかった多くの苦労と,それらを超える数限りない感動とを与えてくれながら。
 1期生はパイオニア,すべての道を拓いた……「堀川高校物語」の第1ページです。いまに続くアトリウムでの3年生のパフォーマンスは,このようにして始まりました。

 さて,先週7月1日。11期生である3年生に話したのは,くれぐれも交通事故に気をつけること,志をもって進路実現に取り組むこと,最後の文化祭のパフォーマンスを楽しみにしていること……そこで終わるつもりでしたが,まっすぐ見つめてくれる,見慣れた多くの顔につい引き寄せられて,つい言葉を続けました。
 「かつて私服時代の堀川には,『高校生らしい服装を』というポスターが貼ってありました。不思議に思って先輩の先生に,高校生らしい服装ってどんな格好ですか,と尋ねました。そしたら,どんな答えが返ってきたと思う?」
 私としては満を持して,「で,高校生らしい服装はどんな服装かと尋ねると,その先生は事もなげに,『100メートル全力疾走できる服装やね』って……」。
 聞いていた教員の中にはにっこりしたり,声をあげて笑ったりする人もいましたが,生徒は概ねきょとんとしていました。あらら。しかし,くじけてはならじと続けました。
 「考えてごらん。君たちそれぞれにとって『100メートル全力疾走する』ってどういうことか」
                                      …… 荒瀬克己


高校生らしさ

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 「式辞から」は前回で終わりにします。今回からは学校内外の様子や,生徒とのやりとりを通じて感じたことなどをご紹介しようと思います。

 4月に行われた新入生歓迎会のことです。アトリウムで軽音楽部(フォークソング部が名称変更しました)の3年生のバンドが,ロック調にアレンジした校歌を聴かせてくれました。これがとても「カッコヨカッタ!」のです。
 後日,そのボーカリストと話しました。
 「いやあ,あの校歌はよかったですねえ」
 「ありがとうございます。先生と目が合ったんで,めちゃめちゃ緊張しました」
 「そうでしたか,ごめんなさい。あれね,卒業式の後で,みんなでやったらどうですか」
 「卒業式で歌うんですか?」
 「いや,後です,後。式ではやはり正調でしょうから。終わって退場して,教室に戻る前とかにアトリウムで。以前はそういうのを先輩たちがやっていましたよ」
 「そうですか」
 「ところで君たち,3番まで歌ってたでしょ。校歌は3部構成になっていて,1番が全日制,2番が音楽科,3番が定時制をイメージしているんですよ。知ってた?」
 「あ,なるほど」
 「音楽科は独立したし,定時制は閉じられたし,100周年の時に新たに4番をつくったらどうかと言う先生もいはったんやけど,そのままになってしまいました」
 「へえー,そうだったんですか」
 「どうですか,君たちで歌詞をつくってみませんか。よければ文化祭で披露してよ」
 「考えてみます!」
 笑顔がまことにさわやかでした。

 かつて私服時代の堀川には,「高校生らしい服装を」というポスターが貼ってありました。不思議に思って先輩の先生に「高校生らしい服装ってどんな格好ですか」と尋ねたら,「100メートル全力疾走できる服装やね」と即答されたのを覚えています。それを聞いて,風を切って100メートルを全力疾走する高校生の姿を思いました。

 先々週,16日木曜日に球技大会がありました。1・2年生は西京極体育館,3年生は本館アリーナが会場です。
 早朝から集まってバレーボールの練習をしていた生徒たち。連日,グラウンドには屈託ない歓声と笑顔がはじけていました。
 そして本番。3年生の開会式に立ち会いました。運営はすべて生徒が担当しています。
 相当に長い開会挨拶(実にユニークでした!)があり,選手宣誓。
 「私たちはア,このオ,あこがれのオ,堀川高校アリーナでエ……」
 その後の準備運動。各クラスの体育委員が前に出て号令をかけます。相当にばらばらですが,お構いなしにラジオ体操第一の演奏に合わせて,それぞれがてんでに体を動かしていました。
 アリーナに満ちるさわやかな熱気。あのボーカリストもその中にいました。走り回り,跳び,ボールを追う生徒とともに,車椅子の生徒もいます。堀川高校3年生249人。 一人ひとりにとっての,高校最後の球技大会でした。

 高校生らしさ……ひとりの高校生が成長する過程では,輝きや熱を発することもあれば,迷いや揺れにさらされ深く沈むこともあります。しかし,たとえどうであったとしても,どんなときでも,若い人たちにはまぶしい可能性が内包されています。
 高校生と一口に言っても,実にさまざまです。ひとりの高校生も,日によって,その時々によって,場面によって変わります。
 高校生らしさ……生徒たちを見ていて,「100メートル全力疾走」という意味は,自分自身に対してまっすぐに生きていくということか,と思いました。

                                ……… 荒瀬克己

三つの約束−2−

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 前回に続いて,「三つの約束」の2回目です。残りの二つをご紹介します。

<入学式の式辞から−4−>
 第二は「学校は小さな社会だ」ということです。集団の中で自己を見つめ,他者を理解する場。当然ルールがあるし,マナーも必要です。
 堀川をよりよい社会にするための責任を,みんなが共有しています。君たちは場と状況を把握し,意識した行動をとるように努めなさい。私たちは,大きな子どもではなく小さなおとなとして,君たちに対応します。
 第三は「学校は楽しいところだ」ということです。本当に楽しいというのはどういうことかについて考えなさい。楽しさは待っていて与えられるものではありません。行動することによってつくるものです。ほんものの楽しさを得るために,自ら参画し,参加する姿勢をもちなさい。私たちは,君たちの個性を尊重して,見張ることはせず見守ります。
 小さな社会である学校を本当に楽しいものにするためには,自分がどうすればよいのかを考えてください。
 いま確認しておきたいことは,堀川高等学校という学校はこれまでの歴史の中に確かに存在してはいるけれども,君たちにとっての堀川高等学校はまだ何もない,ということです。それは,君たちの先輩である11期生についても,12期生についても同様です。入学から現在までの2年間や1年間は具体的ですが,これからについては定まっていません。
 諸君,君たちが動かない限り,君たちが創らない限り,ここには空っぽの空間と単に流れ去る時間があるだけだということを認識してください。
 君たちの先輩たちは,それぞれが自分たちの堀川を築いてきました。それによっていまの堀川があります。ではその堀川が君たちを成長させるのかというと,必ずしもそうではありません。いまある堀川によって君たちがつくられるのではなく,君たちによって君たち自身の堀川がつくられ,そのことによって君たちそれぞれの成長や成熟が可能となるのです。このことを忘れないでください。
 学校教育法第51条に,高等学校教育の目標が示されています。 そこには,「社会において果たさなければならない使命の自覚」であるとか,「個性の確立に努めるとともに、社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、社会の発展に寄与する態度」といったことが書かれています。
 自分自身の個性をより一層開発するとともに,自分の学校をよりよくするためにはどうすればよいかを考えてください。そのために健全な批判力を養ってください。そしてそのことを通して,社会の発展とは何かを考え,社会における自分の役割について考え続けてください。

……………………………………………………

 先々週に,“responsibility”という言葉を紹介しました。
 私自身が自分の役割は何だろうかと思い惑いますので,生徒にも,教職員にも,あなたの役割は何かと問うことがしばしばあります。
 堀川のメインメッセージは,「すべては君の『知りたい』から始まる」。特に若い人たちには,自分の「〜たい」を見つけようとしてほしいと願っています。
 少なくともそうすることが,生徒それぞれの,自分自身に対する重要な役割であると思います。そして,堀川として欠かせない役割の一つは,その取り組みをしっかりと支えることです。
 果たせているか。問いかけは尽きません。

 「長い」というご指摘をいただき,今回は少し短くしました。
 いろいろなお声を頂戴し感謝します。
 まだ4回目ですが,三日坊主で終わらずにホッとしています。
                               ……… 荒瀬克己

三つの約束−1−

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 毎年,入学式で「三つの約束」をすることにしています。

<入学式の式辞から−3−>
 諸君,三つの約束をしたいと思います。
 第一は「学校は学びの場だ」ということです。人は,足りないものがあるから,不十分だから,学びます。失礼ながら,君たちは若くてまだまだ不十分です。自分はまだ足りないのだということを自覚して,学ぶ者としての謙虚さをもちなさい。私たちは君たちの現状を受けとりはしますが,そのままを肯定はしません。なぜならば,私たちは,君たちの可能性を肯定するからです。可能性を肯定して,君たちに,学ぶための多様な機会を提供します。
 堀川高校の校訓は「立志・勉励・自主・友愛」。
 立志……自らを愛し,可能性を信じて開拓し,目標を高く掲げ,その実現に向かって取り組む。
 勉励……謙虚であることと懸命に努力を重ねることの大切さを知り,困難に立ち向かう姿勢を培う。
 自主……自らを見つめ,じっくり考え,正しい批判力と判断力を養い,責任をもって行動する。
 友愛……自分のまわりの人やものを大切にするとともに,想像力を高め,他者を思いやる。
 校訓の示すところは,自立の精神です。この校訓を日々の指針として,ものごとに真正面から取り組んで,自立に向かって学んでください。
 人間は取り組みを通して成長します。言い換えれば,取り組まない限り何も獲得できません。
 取り組むために必要な道具は,まずは言葉です。言葉を豊富にし,正しく使い,他者とも自分自身とも向き合って学び,自分を大きくしていってください。

……………………………………………………

 堀川の校訓は,昭和60(1985)年当時に校長(高等学校第11代)であった故多田孝敏先生が考案されたものです。多田先生は,温厚にして威厳のある方でした。
 この年に京都府の公立高校普通科に類型制が導入され,入試制度が大きく変更されました。それを機に,各校で校訓が見直されたり,新たに制定されたりしました。思えば,現在も続く公立高校の,特に普通科の特色化が始まったのはこのころからでした。
 当時の堀川に校訓はありませんでした。そこで多田先生が堀川の教育指針を「立志・勉励・自主・友愛」の四語にまとめられたのです。その後平成11(1999)年に,式辞で述べているような解釈を行って現在に引き継がれています。

 ところで,「四校会」で交流している奈良県立奈良高校には,現在に至るまで校訓がないそうです。HPを拝見すると校訓の欄がありますが,「奈良高校には校訓がありません」と書いてあります。
 「四校会」とは,奈良高校のほか滋賀県立膳所高校,兵庫県立姫路西高校,そして堀川の四校で交流するための集まりです。年に2回まわり持ちで各校を会場にして,生徒の進路希望実現を中心テーマに授業の改善や学校経営について話し合っています。今年度の第1回は,三校をお招きして6月29日に堀川で開催します。

 話を元に戻しますと,実は堀川には校訓のみならず校歌もありませんでした。校旗も今とは異なります。
 現在の校歌(HPをご覧ください)と校旗は,昭和55(1980)年につくられたものです。そのころ私は堀川にいませんでしたので聞いた話ですが,当時の育友会(PTA)が校歌制定を提案し,教職員が検討して職員会議で決めたそうです。校旗もまた,そのときに作られました。
 それまで入学式や卒業式はもちろん,野球部がセンバツで甲子園に行って勝ち進んだときにも,生徒たちが歌ったのは生徒歌『緑なす森に』(こちらもHPをご覧ください)でした。いまも昭和54年卒業までの同窓会に伺うと,懐かしく歌われる生徒歌の大合唱を聞くことができます。

 校旗はと言うと,昭和52(1977)年度に常勤講師として1年間在職していた私が見た校旗は,現在使用している「えんじ色と白色のダブルHの校章」が,確か金糸と銀糸で刺繍されて浮かび上がっていたように思います。旧校舎の講堂にも「ダブルH」の校章が縫いこまれていましたし,校長室のソファーカバーにも白糸で刺繍されていました。
 昭和23(1948)年に新制高校として開校した翌24年,生徒から公募した校章デザインを投票で決める際に,第1位となったものと第2位となったものが僅差であったことから,前者を校章とし,後者を襟章(バッジ)に決定したということを,当時在籍していた方から伺いました。
 校章は,当時制服であった男子の学生帽に。いっぽうバッジは男女ともに使用しました。まもなく通学時の服装が自由になり,多くの生徒が私服を着用するようになって,帽章は学生帽とともに使われなくなり,バッジのみが受け継がれていきました。そのバッジのデザインがえんじと白の「ダブルH」で,いま堀川の「校章」となっているものです。私服時代の堀川では,「バッジをつけること」という校則がありました。

 私が34年前に見た校旗は,いまはありません。現在,式場に掲揚しているものは昭和55年に作られた,かつて投票で1位であった,堀川の「堀」をデザインしたものです。
 学校要覧には「堀」と「ダブルH」を,「校章」として二つとも載せています。そんな例は少なかろうと思いますが,それはこのような歴史に由来しています。

 さて,堀川が制服(HPで紹介しています)を導入したのは,現在の校舎で再出発をした平成11(1999)年からです。デザインは当時の私服の在校生の投票で決めました。以来13年間ずっと同じデザインです。エンブレムはありませんが,制服のボタンに,「ダブルH」が写し込まれています。
 制服導入でバッジは不要になりましたが,かつて使われていたえんじと白の「ダブルH」のバッジをつけている生徒に会うことがあります。生徒会執行部員か,全国大会に出場した生徒です。
 あるとき,残っていたバッジを見つけた生徒会執行部の生徒がほしいと言うので渡したら,それを見て自分もつけたいという生徒が後を絶たず,それ以来,生徒会執行部員とさまざまな全国大会に出場する生徒に授与する,という不文律ができあがりました。
 いまもなお,堀川の生徒の襟もとに輝くえんじと白のバッジを見ることができます。
                               ……… 荒瀬克己

responsibility〜2011年6月7日

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 6月6日現在の警察庁のまとめによれば,東日本大震災の被災者数は,死者15,373人,行方不明8,198人,避難は98,303人に及びます。
 2011年3月11日という日は,少なくともこの国に住む人にとっては長く忘れられない日になることでしょう。1995年1月17日がそうであったのと同様に,いやそれ以上に,私たちにとってその意味の大きさは最初よくわかりませんでしたが,徐々に全容が明らかになるにつれて,驚愕の事実として否応なしに受け入れざるをえないものとなってきています。
 二度と元に戻ることはありませんが,少しでも悲しみが癒され,生活が安定し,安心できる日常が回復するよう,そのために政治と科学技術をはじめとした,わが国のすべての力が正当に注がれるよう,心から願うものです。

<入学式の式辞から−2−>
 開式の冒頭,3月11日に東北関東で起きた東日本大震災で亡くなられた方々に黙とうを捧げました。新聞報道によれば,4月7日時点で亡くなられた方は12,690名,いまも安否の分からない方は17,026名いらっしゃいます。その数はあまりにも多く,想像することは困難です。単純な比較は慎まなければなりませんが,1995(平成7)年1月17日の阪神淡路大震災の死者は6,434名,行方不明は3名でした。
 2005(平成17)年4月25日に起こったJR西日本福知山線の脱線事故では107人が亡くなり,562人が負傷されました。その事故の後,君たちの先輩である6期生の一人の書いた文章が京都新聞の投書欄に掲載されました。タイトルは「数字の向こうにあるもの」。数が多いとか少ないとかといったことが取りざたされるが,その数字はすべて「1」が積み重なったものであり,その「1」の向こうにはそれぞれの生活があって,家族が,友人が,恋人が,また,夢や希望や仕事や会話や約束や楽しみや,さまざまなことがあったんだ。それらが事故によって永遠に失われてしまったんだ,というような内容でした。
 3月19日に,このアリーナで終業式を行いました。卒業した10期生の代表が,2月22日に起きたニュージーランド・クライストチャーチの地震の被災者に義捐金を送ったという報告をして,後輩たちに,東日本大震災の被災者の方たちへの支援を託しました。その際に彼らは,「実際に行ってみて,見知らぬ土地に暮らす人たちにも日常生活があることを知った」と言いました。
 4月1日から国土交通省で働くことになった4期生は,東京に行く前に挨拶に来てくれて,「この国の将来のために,この国で暮らす,すべての人の幸福のために,一生懸命勉強して自分の心と力を尽くしていきたい」と語りました。
 君たちの多くは阪神淡路大震災の1995年に生まれ,東日本大震災の2011年に高校生になりました。そのことに運命を見よとは言いませんが,そういう事実の中で君たちがこれまで生きてきて,これからもまた生きていくということについて,よりよく生きていくということについて,思いを新たにしてほしいと思います。 
 いま,わが国は非常に困難な状況にあります。
 目を凝らし,耳を澄まして,わが国の状況を,正確に見つめ考えてください。とてもつらいことですが,昨夜もまた,東北地方で大きな地震がありました。復旧に向けて歩み始めた人たちや,文字通り命がけで取り組んでいる人たちがいる前で,自然は厳しい表情を変えてくれません。いまこの時間においても,多くの心配や不安があり,無数の悲しみが続いています。
 どうすれば,人間が幸福によりよく生きることができるのか。このことは人類の課題です。科学や宗教や政治が,それぞれの立場から答えを出そうとしていますが,残念ながらいまだに解決できていません。
 しかし,落胆してはいけません。常に希望はあります。いや,むしろ希望をしっかりと抱きましょう。ただし,希望は,偶然には叶えられません。いのちを大切にする平和で豊かな社会も,幸福も,よりよく生きることも,具体的に取り組み続けることによってのみ実現します。
ではどう取り組むのか。それを考えるためにこそ学ぶのです。

……………………………………………………

 なれなれしい言い方で申し訳ありませんが,大阪大学総長の鷲田清一先生は実にすてきな方です。毎年生徒に話していただいています。哲学を生活に活かす,示唆に富んだ講演会です。今年は7月26日に来ていただく予定です。
 あるとき鷲田先生が,“responsibility”という語を単に「責任」と訳すのではなく,「自分が引き受けるべきつとめ,役割」と考えるほうがよいとおっしゃいました。しなければならない義務とは解釈しないで,自分が引き受けることのできる,自分がそうすることによって他者や社会とどう関わるかを形づくっていく役割,というように考えてはどうかということではないかと思います。
 高校生の一人としての役割,仲間の中での役割,家族の一人としての役割,仕事における役割,社会の一員としての役割等々,役割も時と場面によってさまざまです。
 自分の役割とは何だろうか。このことは私たちにとって,根本的でまじめな,少し重い問いかけです。その問いかけに思いをめぐらせ,自分の言葉と行動で丹念に答えていく……それが生きることであり,そのために学ぶのではないか。
 ただし,容易に答えは見つかりません。鷲田先生はこうもおっしゃっています。疑問を抱き続けること。それもまた「大切な力」だ。
 
                                ……… 荒瀬克己

今日から始めます

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 「校長室から」はいつからですか,というお問い合わせを多数いただきました。
 ご期待(?)くださっているみなさんにお礼とお詫びを申し上げます。
 堀川のホームページで,今年の4月から始まった「学校の様子」は日々ページを重ねています。手前味噌で恐縮ですが,なかなかやるなあと感心しています。文字通り「学校の様子」がリアルタイムで紹介されています。
 このページはとてもそのようにはいきませんが,どうぞよろしくお願いします。

 もう2か月近くも経ちましたが,4月8日の入学式で話したことについて,何回かにわたってご紹介したいと思います。

<平成23年度入学式式辞から>
 ただいま,明治41年の創立以来103年目を迎える堀川の歴史に,新しい名を加えました。諸君が,これから3年にわたりさまざまな学びの体験を経て,大きく羽ばたいてくれることを心から願っています。
 堀川は,平成11(1999)年にこの校舎で,普通科と探究科の2学科体制を始めました。それは,戦後の学制改革以来の大きな再出発でした。私たちは議論を重ね,堀川高校の最高目標を「自立する18歳の育成」と定め,目標達成のために具体的に取り組み,自己評価し,さらにまた取り組み,そしていまなお,高等学校教育とは何かということを問い続けています。
 再出発の年,堀川高等学校第54回卒業生となる平成11年度入学生を,私たちは敢えて1期生と呼びました。もとより過去を否定してのことではなく,むしろ京都の公立高校の伝統と誇りの中で育まれた堀川の自主自立の精神を引き継ぎつつ,新たな展開を図ろうと決意してのことです。
 以来12年,3月には10期生が,第63回卒業生として巣立っていきました。
 そして今日ここに,初々しい13期生を迎えました。

……………………………………………………

 現在の堀川に至る経緯を簡単にお伝えしておきたいと思います。
 平成7(1995)年8月,京都市教育委員会は教育長の諮問機関として京都市立高等学校21世紀構想委員会を設置し,「21世紀を展望した魅力ある新しい京都市立高等学校のあり方について」議論を求めました。構想委員会は,平成7年12月に議論の方向性と緊急提言をまとめ,第1次答申として提出しました。
 緊急提言には2つの内容がありました。1つは,老朽化の激しい堀川高校校舎の全面建て替えで,もう1つは,堀川高校音楽科分校の独立でした。
 2年後,音楽科は京都市立音楽高等学校となり,平成22(2010)年,堀川御池の元城巽中学校跡地に建てられた,本格的な音楽ホールをもつ新校舎に移転し,校名を京都市立京都堀川音楽高等学校と変更しています。
 さて,教育委員会と堀川の間では,学校改革について議論が重ねられていました。それらが盛り込まれて,平成8(1996)年に第2次答申がまとめられ,堀川は京都市立高校改革の「パイロット校」に指定されました。新しい学校体制と「探究活動」の構築に向けた取り組みが始まりました。
 徹夜の議論を何度もしました。あちらこちらの学校を見学させていただきました。さまざまな教育論を勉強しました。企画の書き直しを繰り返しました。今となっては,どれもこれもが懐かしい思い出です。
 学校をつくるという得難い経験をさせてもらったことに,心から感謝しています。当時の仲間たちもみんなそうでしょう。言葉に尽くせぬ充実した時間をいただきました。
 ただし,それが平成11(1999)年に終わったわけではありません。今もなお続いています。いろいろなものがそうでしょうが,学校もまた,つくったらおしまいというのではない,ということを日々新鮮に感じる毎日です。
 あたりまえですが,つくるということはつくり続けることだ,始めるということはやり続けることだ,と思い知りました。
 「できるかできないか」ではなく,「するかしないか」。このことの大切さも,取り組みを通じて学びました。
                               ……… 荒瀬克己

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行事予定
2/3 一斉清掃
2/4 PST(9:30〜16:00)
1年:学研ハイレベル模試,2年:進研プロシード模試
2/6 スクールカウンセラー来校日
2/7 適応マラソン大会(雨天時:金曜授業,一斉清掃)
2/8 3年I類追試
京都市立堀川高等学校
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