最新更新日:2024/06/19 | |
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ありがとうございました
文化祭二日目,たくさんの方に来ていただきました。
現役生の保護者はもとより,卒業生も,卒業生の保護者のみなさんも。 今春卒業した新生10期生が,卒業記念としてアトリウムにスピーカーを寄贈してくれました。今回の文化祭がそのお披露目。東ブリッジの下にかかるバック幕は,5期生からの贈り物です。舞台としての整備が進み,特に音響が格段によくなったアトリウム。 そのアトリウムで3年生がパフォーマンスに燃えました。苦労した筋立て。凝った衣装や道具。入れ替わり立ち替わりの演技。最後はどのクラスも全員でダンス。狭い会場をいっぱいに使って踊る姿は若々しいエネルギーの爆発です。光る汗とまぶしい動き。そして迎えるフィナーレのはじけるような笑顔。来ていた卒業生の一人がつぶやきました。「ここまでくるのが大変やったなあ」。 順風満帆という言葉とは程遠い2か月。さまざまなぶつかりや意気消沈や苦しさを乗り越えて本番を迎え,夢中で演じきる30分。その最後の場面で,生徒たちはどんな思いになるのでしょうか。 他の日程はすべて終了して,3時30分から吹奏楽部のコンサート。60名の部員の演奏は圧巻です。アトリウムを囲む各階のブリッジや廊下も鈴なりの人だかり。演奏に合わせて始まるスウィング。引退する3年生一人ひとりの紹介が始まると,あちらこちらから声援。それに手を振って応える部員。 もらったプログラムに3年生部員の言葉が書いてありました。 「負けたら終わりでなく,やめたら終わり」 「過去と他人は変えられない。未来と自分は変えられる」 「できないことはない。やらないだけである」 「一に努力,二に努力。不幸も何かの役に立つ!」 ウォルト・ディズニーの言葉やヘレン・ケラーの言葉もありました。みんな思い思いの言葉を連ねています。 「行きあたりばっちり」というのもありました。 言葉で支える,やわらかいこころ。 閉会式。生徒会長と文化部長のあいさつ。講評と各賞の発表。歓声が上がります。拍手が沸き起こります。そして恒例の「ありがとう」。 ………………… 昨日の開会式で,台風は去ったけど空は晴れないと言ってたが,さっきはまぶしい日が射した。賞をとったクラスも残念だったクラスもあるが,文化祭はいよいよクライマックスだ。 13期生いいか。12期生いいか。そして,11期生いいか。 いっぱい「ありがとう」を言いたい。堀川文化祭「ありがとう2011」。今年も心をこめてよろしく。 まず,今年は台風の影響で順延になりました。それだけでなくいろんな山あり谷あり。その中でさまざまに奮闘して開催にこぎつけてくれた生徒会執行部の諸君,本当に(とマイクを高々と上げると,アトリウムを震わせて) 「ありがとう」 いまも後片付けをしてくれている人がいる。野球部は長椅子を,陸上部はテントを用意してくれた。野球部は来週の秋季大会がんばってほしい。陸上部は近畿大会に4人出る。がんばってほしい。君たちの知らないところで文化祭を支えてくれたすべての人たちに 「ありがとう」 とりわけ,生徒部の先生たち 「ありがとう」 担任の先生や食堂のみなさんといった教職員編が続いて,次に。 君たちの取り組みを黙って見守る教室,講堂,アリーナ,廊下,階段,トイレ,5期生が卒業記念品でくれたバックカーテン,10期生のスピーカー,このアトリウムに 「ありがとう」 BIG BOXに 「ありがとう」 「わいわいサロン」で文化祭を盛り上げてくださったPTAのお母さん,お父さん 「ありがとう」 なかなか声に出して言えないけど,家族に。いろいろ言いたいだろうけど見守ってくれて,昨日来てくれて,今日も来てくれて,おかあさん,おとうさん,家族のみんな 「ありがとう」 他校の友だちも来てくれた。近所の方も。君たちに知ってほしい。卒業生の保護者の方が,月曜日に堀川へ行こうというメールを回してくださった。そんなふうに堀川を支えてくださるすべての方へ 「ありがとう」 先輩 「ありがとう」 出演したすべての諸君に,舞台裏で汗だくで頑張ったすべての諸君に,クラスのみんなに。言い争いもしたけど,ハプニングもあったけど,つらいこともあったけど,優しくしてくれて,厳しく言ってくれて,一緒にいてくれて 「ありがとう」 13期生に,「ありがとう」。12期生に,「ありがとう」。続いて11期生に,と言ったときにハプニングが起きました。3年生たちが,学年主任の名を呼び出したのです。そして拍手。何度か呼ばれておずおずとアトリウム中央に登場した学年主任に,声を揃えて, 「ありがとう」 クラッカーが鳴りました。きらきら光りながら舞う七色のリボン。 学年主任が3年生たちのいる1階を見つめ,2階を見上げ, 「ありがとう」 さあ続けよう。いま隣にいる友だちに いまここにいる自分に 今日という日に 明日が来ることに ありがとう 仲間たちに ありがとう ありがとう ………………… 生徒たちは最後に,いきものがかりの「ありがとう」を大合唱しました。1回で終わることなく2回歌いました。そのあと,We are the Horikawas! 私たちは堀川の仲間だ,という意味です。 文化祭が終わりました。アトリウムで肩を組んで歌っていた3年生たちが,床に散らばるクラッカーのリボンを拾い集めていました。 見えるものは,すべて見えないところで準備されている。また生徒たちから教わりました。 2011.09.06……荒瀬克己 写真左:9月6日,BIG BOXは青い空を背負って夏の終わりの夕日を受けていました。 写真中:文化祭が終わって日常に戻ったアトリウム。 写真右:アトリウムでフーコーの振り子だけが動いていました。 明日の月曜日に堀川へぜひ
暴風警報が解除になって,1日ずらした形で文化祭が始まりました。
文化部長が開会式のあいさつで,「文化祭ができただけでもよかった」。台風の被害と東日本大震災のことを思ったのでしょう。生徒会は,文化祭期間中も被災地への義捐金を受け付けています。 卒業生たちが大勢帰ってきてくれています。 「就職が決まりました」 「おめでとう。しっかりと働いてください」 「○○は大学院に行きますよ。今日は来られないんですが。来週会います」 「そう。よろしく言っておいて」 「先生,HP読んでいますよ」 「ありがとう」 「ぼくら,明日も来ますよ」 「閉会式の<ありがとう>までいますよ」 すぐには言葉が出ませんでした。 卒業生の保護者の方たちが,「月曜日に堀川へ行こう」というメールを回してくださっているという話も聞きました。 心から感謝します。 11期生最後の文化祭。本人たちが言うように3年生だけの文化祭ではありませんが,一生に二度とない高校最後の舞台をぜひご覧いただければ,と思います。 2011.09.04……荒瀬克己 誰もいないアトリウム
9月2日金曜日,台風12号の接近を警戒して文化祭の日程変更を決めました。3日土曜の予定を4日日曜に,4日の予定を5日月曜に,それぞれ順延しました。お越しになる予定を立てていただいていたみなさんにご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした。
この日程変更によって,文化祭2日目の日曜日にやる予定だった三年生のパフォーマンスは月曜に移動しました。 「高校三年生の文化祭は生涯に一度しかありません。こういうことを申し上げると誤解を受けるかもしれませんが,大学入試は毎年あります」と言うと,保護者からは苦笑や,うなずき。三年生たちの文化祭への熱い思いが,それほどに大きく強いからです。7月になるかならないかのころから始まる準備。企画段階でのやりとりやぶつかり。内容を決定した後もなかなかうまく運ばない練習。その中で経験する数々の苦労。それらすべてを呑み込み乗り越えて,日曜日の本番を迎えるはずでした。 それが,残念ながら台風の影響で月曜日に延びました。他の高校の友人は来られません。家族の方も来られなくなるかもしれません。2日のロングホームルームで順延の決定が伝えられると,落胆の声とともに,なんとか日曜日にパフォーマンスを持ってこられないかという強い要望が出ました。 堀川の文化祭は,順に行われる発表を残りの生徒全員で観る形をとっていません。いつ頃からそうなったのか知りませんが,ずいぶん以前から複数ある会場ごとの進行となっています。また,発表や展示をするのはクラスだけでなく,文化部・体育部も,クラスや学年を超えた有志や個人もあって,さらには模擬店の開店時間もそれぞれですから,プログラムはなかなか複雑です。観客は行きたいところを選んでその会場に足を運びます。 当然ながら,前評判の高い出し物に観客は集中します。三年生のパフォーマンスはどのクラスも大きな動員力を持っています。出番のない生徒のほか,保護者,卒業生,中学生,他校生,近所の方でアトリウムはごったがえします。ですからそれと時間が重なる講堂,小ホール,アリーナ,各教室などの演劇,映画,展示,演奏,発表は,宣伝に必死です。 さて,三年生の要望を受けて,生徒会執行部はプログラムの改編ができないかを検討しました。2日の昼過ぎからのことです。台風の接近による準備の遅れ,日程変更によるあちらこちらとの連絡調整を進める傍らで,一つひとつのプログラムと出演者の重なりが生じないか,移動が可能かどうかを丁寧に見ていました。 日程変更とともにプログラムの組み替えがあるかもしれないということで,全生徒に可能な限り待機するよう指示が出されました。授業が午前中で終わっているので,学園祭準備のために買い出しに行ったり校外の施設を借りて練習したりするクラスやグループがあるからです。 一方,練習の合間をぬって,三年生各クラスの文化委員も集まりました。出番が月曜に変更になるということを受けて,どうしたいか,どうするべきか,ということについて改めて意見交換をしました。 午後4時過ぎ,生徒会執行部がなんとか変更できるという結論を出します。同じころ,三年生文化委員の話も終わり,原案通りでプログラムの変更は求めないという結論を出しました。もちろん日曜にしたいという意見もあったそうですが,文化祭は三年生だけのものではないという判断が働いたということでした。立ち会った三年の学年主任は,「みなさんにご迷惑をおかけました。生徒会執行部に感謝します。11期生たちが考えた結果を尊重してやってください」。 学年主任3人と生徒部長で,予定変更はしないと確認しました。準備で忙しい生徒会長や文化部長に代わって,生徒部長が全館放送で経緯を説明し,「すばらしい文化祭にしてほしい」と結びました。 玄関でインフォメーションセンターの準備をしている生徒の中に,生徒会長がいました。 「会長,ご苦労さまでした」 「あ,いいえ」 少し痩せたように見える会長は,真剣なまなざしで黙々と動き続けていました。 この稿を書いているのは9月3日です。文化祭は明日と明後日。火曜は東京に出張しますので,「校長室から」はお届けできないかもしれません。文化祭については「学校の様子」をご覧ください。ただ心配なのは,台風の動きが遅いことです。場合によっては明日も開始を遅らせるか,また順延するかを考えなければならないかも知れません。 今回も長くなって恐縮ですが,文化祭のプログラム冊子に寄稿した文章を紹介します。 ………………… 君たちはどんな手続きを経たか 夏休みで帰ってくる卒業生が多い。 彼は今年二十歳。東京から戻ってきた。大学の授業のこと,学外での活動のこと,将来の夢……あれこれ話して,食事に行こうということになった。校長室を出てアトリウムへ。 11期生がパフォーマンスの練習をしていた。 「いいですね。これ,懐かしいというか,こういう経験はやり直そうとしても決してできないですから」 パフォーマンスでは一輪車に初めて乗った。何度も廊下で練習した。本番で失敗した。それでも最後まで笑顔で演じた。 成績発表のとき,三位,二位ときて,間違いなく一位でコールされると思ってたら,結果は他のクラスで,賞をとれなかった。思わず声が出た。女子生徒が泣き崩れた。自分も悲しくて仕方なかった。 在学中,苦労した卒業生も帰ってくる。 去年の文化祭に,同級生と誘い合わせてやってきた。彼もまた東京にいる。おみやげです,と言って缶コーヒーをくれた。 「本当に馬鹿だったなと思います。でも,仲間があったかかった。大学では一所懸命に勉強していますよ。ただ,なんというか,孤独です。もう一度高校一年に戻れたら,と思います」 どうして缶コーヒーを持ってきたのか,と尋ねたら, 「缶コーヒー飲んだんですよ。三年の文化祭が終わったすぐ後で。だから,文化祭というと缶コーヒーを思い出すんです」 4階のブリッジからアトリウムの練習風景を見ていた一年生がいた。何をしているのかと聞くと,「三年生の先輩たちはすごいな,と思って。私たちもあんなふうにできるんでしょうか」と言う。「できますよ」と答えて別れたが,階段を下りる前に振り返ったら,さっきと同じ姿勢でじっとアトリウムを見ていた。 今年は「ありがとう」を何回連発しようかと思案を重ねている。 毎年,文化祭の閉会式にBIG BOXは興奮のるつぼと化す。そのいちばん底に身を置いて見上げると,南館各階の廊下,A階段,東西各階のブリッジには,たわわに生った果実の如く君たちが身を乗り出している。感動的である。 私は君たちの姿を見て感動する。ただし,それは受け身の感動である。 しかし,君たちは私のように受け身では感動しがたいだろう。 感動には,そのための手続きが必要だ。 ひとつになる。高みをめざす。ひとりになる。 それぞれのやり方で,燃えよ。 ………………… 実は,冒頭の部分で「11期生」と書くべきところを「12期生」と書き間違えてしまいました。冊子が配布されたあと,読んだ教員から指摘を受けました。あってはならない失敗です。翌日,訂正と謝りの文章を出しました。ことほど左様に至らぬ校長ですが,生徒と教職員のおかげでなんとかやっています。 2011.09.03…… 荒瀬克己 高校生は輝く
先週書いたピアノの位置について京都堀川音楽高校の先生に尋ねたら,発音部がホールのもっとも音響効果のよい場所(舞台中央が多いそうですが)に位置するように設置するということでした。聞いてみたらあたりまえのことで,何をあれこれ考えたのかと我ながら可笑しくなりました。
2年生のピアニストは銀賞を受賞しました。そのクラスでは金賞該当者がなかったので,「一応1番だった」とのことです。おめでとう。 8月27日(土)に探究科説明会を開催しました。会場のアリーナは,堀川で空調のない唯一のスペースです。大変暑くて本当に申し訳ありませんでした。 いただいたアンケート用紙に「時期を変えてはどうか」というご指摘がありました。ただ,夏休み前までは中学生が部活や修学旅行などで忙しいし,9月には普通科各校が説明会を開くし(堀川は9月17日です),それ以降になると進路選択に間に合いにくいし,ということでいまの時期に行っています。 2部制にして空調のある会場でやっておられる学校もありますが,施設の関係もあり堀川の場合は現行のようになっています。熱中症対策として,うちわに加えて今年は水を用意しました。その点はアンケートでも好評でしたが,暑いことに変わりはありません。また,空調設備のある別室を用意して本会場の様子を中継しましたが,やはり臨場感が違いますので行かれた方は少数でした。暑い中でお疲れになったことと思います。いまはまだ申し上げる段階ではありませんが,担当者が何らかの改善策を検討しているようです。 当日は生徒もまた,ネクタイ・リボンをきっちりと着けていたので相当に暑かったと思います。ちなみに,堀川では制服の衣替えの時期を決めていません。暑いか寒いかは,生徒が体調を考慮して自分で判断します。夏場にネクタイ・リボンを着けるかどうかも生徒に任せています。ただし,儀式のある日やあらたまった場面では正装着用を定めています。着ていない場合は席に着けません。説明会は大勢の方をお迎えするあらたまった場ですから,ブレザーまでは求めませんが(かつては求めていました),夏の正装を着ることとしています。 舞台に上がる生徒は照明の影響もあり,舞台袖にいる生徒は狭い中に多くいるために,廊下で案内する生徒はうちわも使えず,きっと暑いはずなのですが,自分たちがきびきびと動いてさわやかに応対することで,中学生や保護者の方に少しでも心地よく過ごしてもらおうということを,準備段階でも当日朝のミーティングでも確認し合っていました。手前味噌ですが,実に見事な生徒たちです。アンケートには,多くの方が生徒たちへのねぎらいや激励を書いてくださいました。 アンケートに,「普通の子はどんな感じなのでしょうか」とお書きになった方もたくさんいらっしゃいました。説明会に出ている生徒は「普通の子ではない」という印象だったのでしょう。 昨日の月曜日,5階から順に各階を歩きました。教室にも,休憩時間の廊下にも,どこにも「普通でない子」はいません。三々五々廊下を歩く姿も,どこにでもいる普通の高校生です。「前に出てしっかりとやれる生徒」はもちろんいますが,もともとそういう力のある生徒はわずかです。 「その場面」で「そのようにしたい」,「そうなりたい」と考えて,多くの生徒が準備を重ね,懸命に努力した結果,何とかやりきれた,というのが事実です。傍らにいると,高校生の内包する力に驚かされます。実際には無理ですが,前日までのリハーサルをご覧になったとしたら,生徒がどれほど成長するかを分かっていただけます。 バックヤードがあってこそ光のあたるステージが動き出します。 見えるものはすべて見えないところで準備されています。 長くなりますが,説明会で1年生がやった群読の冒頭部分です。 ………………… その1月17日は知らないが,私たちはその年に生まれた。 そして,あの3月11日を私たちは知っている。 中学3年生だった。 4月に高校に入った。 何気ない毎日。 朝が来て町が動き出して夕方のあわただしさを経て夜を迎える。 そんな日常が,かけがえのないものだと知った。 いまも多くの人が不安の中で暮らしている。 文字通り必死になって取り組んでいる人たちがいる。 どんなにつらくても,どんなに苦しくても, 今日が始まり明日が来る。 私たちはそれを,信じる, 今日を,生きる。 明日に,向かう。 だから学ぶ。 強くなりたい。 やさしくなりたい。 社会や人のために尽くしたい。 そして,幸せになりたい。 玄関の前の植え込みに光る黒い石の板。 小さな子どもが自分の顔を写して笑ってた。 やさしい筆の文字が彫られている。 「絆」という一文字。 断ちきることのできない,つながり。 断ちきってはならない,つながり。 思い返してみようと思う。 自分がいま生きているということを。 私たちは今日を生きている。 明日を生きていく。 前を向いて。 いろいろな人とつながって。 つながりを大切にして。 希望をもって。 ひとりの人間として。 ………………… 今度の土日は文化祭です。どなたでもお越しいただけます。 高校生が輝くのをご覧ください。 2011.08.30…… 荒瀬克己 ピアノ
20日土曜日,御所の西向かいにある府民ホールで開催されたピアノコンクールに行きました。前半が終わった後の休憩時間にホールに入ると,ちょうど調律をしているところで,光を落とした舞台の上の,調律師の手慣れた仕事振りを眺めていました。できないことは数多ありますが,これも私にはできません。
調律が終わって,木の舞台にはグランドピアノだけが立っています。塗り込められて光沢を放つ黒い楽器は,周りを圧するような存在感があります。機能美の存在感。その性能がもっとも有効に発揮されるために出来上がった形にのみ許された美しさ。素材の組み合わせによる長さや厚さや重さと直線や曲線や角度や質感。その一つでさえも違ったとしたらそうはならない,これでしかないという形の美しさ。 以前から不思議に思っていたのは,グランドピアノの脚。たった3本の,まるでサラブレッドのような華奢な脚。ピアノは,移動用の金色の車輪の接地面だけで支えられています。その上の車輪の軸受けにもピアノの全重量がかかっています。その金色のあまりにも重い一線なり一点なりを思うと,胸のあたりが詰まるような感覚になります。 今回不思議に思ったのはピアノの位置。舞台中央のやや上手側に置かれていました。鍵盤側の2本の脚は舞台の中心線より左になりますが,バランスとしては右に寄っています。演奏者が中央にくるためかとも思いましたが,椅子に座ると舞台の中心には近いけれど,やはり演奏者は舞台中央の下手側になります。 チャイムが鳴って演奏が始まり,順に晴れやかな衣装で登場する弾き手たち。椅子の高さと位置を決め,ピアノの前に座って,その後少しの静寂。そして静かに,あるいは激しく動き出す,腕,体,足先,表情,視線……弾き手は別世界の存在になって,人がピアノを弾くのか,ピアノが人を弾くのか,ピアノが鳴っているのか,人が鳴っているのか,思わず眩暈を感じるほど。手はすでに鍵盤の上を駆け過ぎているのに音はそのまま続いて,瞬間,弾き手もピアノも息を止めて空白の間をつくって,10本の指が触れる88の鍵盤が,ピアノを震わせ演奏者を動かし,その流れるような音と動きの中で,脚先の車輪は光を受けていよいよ金色に輝き,弾き手は腰さえ浮かして大団円へと向かって,そして演奏が終わった後のしじま。すべての力と技術を尽くしきって立ち上がった挑戦者に拍手が送られ,それを合図に聴衆も再び我に返ります。 人が中心に座れば,ピアノが従となり,ピアノを中心に置けば,人が従となってしまう。舞台の正面中央にもってくるのは,鍵盤の奥にある緊張した弦を,指の動きでハンマーが音に変え,人と楽器が重なり合い交じり合って音楽が生まれる場所でなければならない。ピアノと人とが,互角に格闘して音楽を創るところが舞台の中心でなければならない。だから,ピアノはあの位置にあるのだ。そんなふうに思いました。 6人の演奏を聴いて,審査の発表前にホールを出ました。ロビーに出るところで,先ほど出演していた2年生の男子生徒が追いかけて来ました。 「今日は来ていただいてありがとうござました」 「いや,こちらこそありがとう。でき具合はどうでした?」 「80パーセントくらいです」 「そうですか」 「本番は,練習よりも上にはなりませんから」 「すごいことを言いますね」 「そうですか」 「ピアノには消しゴムがないって言った人がいたけど,それも印象的でした」 「確かにそうですね」 さっき舞台の上でピアノと格闘していたとは思えない,屈託のない表情と声。 「君,ニキビが二つ三つあったら似合いそうですね」 「は?」 その後,本能館へ。自治連合会の「本能夏まつり」です。オープニングセレモニーに吹奏楽部が出演します。近くでタクシーを降りたら,演奏が聞こえてきました。会場の芝の緑が柔らか。特設舞台の上ではオレンジのポロシャツが揺れ,楽器がリズミカルに光っています。お世話になっている,顔なじみの自治連合会のみなさんに挨拶したり,海外留学から帰ってきた,近所に住む卒業生と言葉を交わしたりして,副校長に後を頼んで学校に戻りました。 午前中からアトリウムで文化祭の練習していた3年生たちは,もういませんでした。部活で来ていた教員から練習試合に勝ったという話を聞いて,「本番は練習よりも上にはならないってピアニストが言ってたよ」。「え,それって,勝ててよかったということですよね」。「まあ,そうやね」。 午後10時頃に,コアSSHの事業として北海道で探究合宿をしていた中高生40人が帰ってくることになっています。出迎えをしてくれる教頭の机にメモを置いて,打ち合わせがあるので外に出ました。 11時過ぎに教頭からメールが届いて,「全員無事帰宅」。 みなさん,今日も一日お疲れさま。 27日土曜日に,探究科の学校説明会を行います。全体会場のアリーナには空調設備がありません。小さなうちわと水をご用意しますが,暑いですのでくれぐれもご注意ください。 生徒たちとともにお待ちしています。 2011.08.23…… 荒瀬克己 学校訪問
堀川には,多くの方が見学や視察に来られます。多くの場合,副校長と教頭が対応していますが,進路部長や図書館司書や各教科の担当者に頼むこともあります。時々は私もお会いします。
来られた方とお話しすると,居ながらにして各地の様子が垣間見えます。それで「○○県の教育は」などというのは乱暴ですが,全国の様子を少しは知ることができて,とても参考になります。また,お話しする際には,自分たちの動きを対象化しなければなりませんから,普段よりも客観的に堀川を見ることができて,こちらの取り組みを紹介している最中に,それまで気づいていなかった課題を見つけたりすることがあります。堀川に来られた方が何かを得られるとしたら,実は堀川がもっと学んでいます。 さて,文部科学省担当の財務省主計官の訪問を受けたことがあります。学校教育関連予算に直接関与しているような錯覚に陥って,冷静を装いつつ必死に応答しました。 「一人の先生の授業は週に何時間ですか?」 「京都市の高校では18時間までとなっています」 「子どもたちが好きで,教育に情熱があって教員になった人が,週40時間のうち18時間しか授業をもたないのは少ないですね」 「授業には準備が必要ですし,教員は授業だけでなく他の仕事もしています」 「教員を増やすだけでなく,事務職員を増やして教員のいわば雑用を減らすということを文科省は言うんですが,そんなに雑用が多いんですか?」 「必ずしも雑用という言葉でひとくくりにできるものではありません。担任の仕事であるとか,教科の仕事であるとか,学校経営に関わる仕事もやっています」 「そういった仕事をすべての教員がしているのですか?」 「一人がすべてをするわけでなく分担をしています」 「その部分に工夫が必要ではないでしょうか。授業をいっぱい持つ人と校務に専念する人とに分けるとか。本当に必要な予算をつけるのは国の責任ですが,すべて税金ですから,無駄な使い方はできません」 「課題はいろいろあり,確かに工夫が求められます。逃げるわけではありませんが,一方で,学校の役割と家庭や社会の役割を見直すことも必要です。そういった全体の枠組みを構築する中で,学校の変革についても進める必要があると思います」 あとで文部科学省の知り合いに聞くと,この主計官は精力的にあちらこちらを訪問して学び,財政面から教育を支えようという姿勢をもっている方だということでした。笑顔を絶やさず,しかしものすごい速さで矢を放つ主計官に対して,ナベブタの盾で応戦するのは骨が折れました。自分は何かを守ろうとしている,しかし,いったい何を守ろうとしているのか,ということを思いました。 中国の西安市は京都市の姉妹都市の一つです。西安市と近郊の市の教育長さんたちが来られました。教室にご案内したときに,国語の授業で漢詩をやっていました。担当の教員が,読んでいただけないかと頼んだら,生徒たちの前で朗々と詠じてくださいました。押韻が理解できたというのを通り越して,心は西域に飛び,詩が音楽であることを体感しました。 そのあと会議室で応対していた際のことです。あなたは若そうだが退職まで何年あるかと尋ねられました。年数を答えると,「ほう,随分ある。すると教頭が校長になろうとしたらどうするのか」とのご質問。くだけた雰囲気で話が進んでいましたので,「それはクーデターを起こすしかありませんね」と答えました。中国語の通訳の方が笑いながら伝えると,教育長さんたちは真顔でうなずいていらっしゃいます。その様子にこちらがびっくりしました。「いやそれは教育委員会が決めることです」とあわてて言ったら,みなさんたっぷりの笑み。当然でしょうが,相手が上手でした。 アメリカ合衆国教育省のトニー・ミラー副長官が来られたこともあります。元文部事務次官の佐藤禎一氏が堀川のご卒業で,実にいろいろとお世話になっています。東京の会議でお会いした際に,「ミラーさんが高校を訪問したいということなので,母校にぜひと言っておきました。よろしくお願いします」と頼まれました。 奥様とご子息と随行員の6人で,ふらっと寄ったという感じで来られました。アトリウムで生徒たちにご挨拶いただきました。そのあと会議室で10数名の生徒たちとも話し合ってくださいました。重職にある方とは思えないフランクな対応でした。それにしても,生徒の英語は見事。私は必死。英語の教員に通訳を頼んでいましたが,私の日本語がまだるっこしいものですから,なかなか英訳しにくい。加えて私が口を挟むから余計にややこしい。それでもミラー副長官は真剣に聴き,話してくださいました。事情は異なっても教育課題はどこもよく似ている,というのは早計ですが,そのように感じました。 四条烏丸の稲盛財団に行かれるので,車を呼びましょうと言ったら,近いから歩いていくとのこと。玄関で見送る私たちに,何度も振り返って手を振っておられました。 堀川にいて幸いなことの一つは,様々な方にお会いできることです。高校だけでなく,小中学校,大学,企業,教育委員会,議会等の関係者や,ご紹介したように中央省庁や国外の方もいらっしゃいます。 お会いした方の多くから感じるのは,気さくで真面目で意欲的で行動的であるということ。そして,責任感の強さ。さらには,閉ざさず開いているという姿勢。 夏の学校閉鎖は今日まで。明日からまた生徒がやってきます。文化祭の準備も大詰めを迎えます。 2011.08.16 …… 荒瀬克己 わかいいのち
この書は卒業生の作です。1年ほど前になるでしょうか,両手で抱えて持ってきてくれました。「もらっていただけませんか」と言うので,「じゃあ,どこかに掛けよう」と,二人で場所を探しました。
「ほんとうにいいんですか」 「どうしてだめなの」 「わたしなんかの書いたものですから」 「きっと読む後輩たちがいますよ」 「あんまり目立つところは,ちょっと」 「でも誰にも気づかれないところでは掛ける意味がないしね」 「そういうもんですか」 「そういうもんです」 うろうろして,アトリウムの傍らの柱に位置を決めました。後日,業者が少しの工事をして掛けてくれました。 谷川俊太郎の「やわらかいいのち」。「思春期心身症と呼ばれる少年少女たちに」という副題がついています。この卒業生は書が好きで,在学中にも半紙に書いたものを持ってきてくれたことがあります。乾いて少し凹凸のできた半紙には,「青い闇」と書いてありました。何日もかけて不安と動揺を綴った文章を読ませてくれたこともありました。 休みがちであやぶまれましたが,進級もして,みんなと一緒に卒業しました。 初夏,いつになるか分からないけど君のことと書のことを書いてもいいですか,と電話をかけました。 「そんな,ほんとうですか」 「ほんとうです」 「なんか恥ずかしいですが」 「嫌ならやめます」 「いえ,うれしいです」 「ありがとう。それで,どうしているの」 「わたし,大学受けます。やっぱり農業をやりたいと思って」 「じゃあ必死で受験勉強ってわけだ」 「そうなんですよ」 額に入れられた書の紙は,ところどころ変色しています。捨てられようとしていたものを先生に頼んで頂戴した,と言っていました。どうしてもその紙に書きたかったそうです。届けることのできる言葉と,届けることのできない言葉と。屈託のない笑顔の底で,若い人たちは時にやるせなくもがきます。 額の掛った柱の先のアトリウムでは,いま3年生たちが文化祭の練習に余念がありません。連日の猛暑の中,Tシャツと短パンに着替えて,パフォーマンスを組み立てていっています。 「水分摂ってる?」 「はい」 濡れた髪ときらきら光る汗は,まるで泳いだ後のよう。 先日,1年間のうち1日しか学校を閉めない公立高校の先生と話しました。土日も当番制で回して自習室を開けているそうです。「大変ですねえ」と言ったら,その人は「本当に」とおっしゃいました。 堀川は,明日から16日まで学校を閉鎖します。その間合宿に出ていく部活もありますが,生徒も教職員も,ONとOFFの切り替え期です。 …… 荒瀬克己 探究道場
まず,前回のセミ捕りの写真ですが,どこの公園かというお尋ねをいただきました。あれは堀川高校のさほど広くはない前庭です。近所の子どもたちがよく遊びに来ます。小さいお子さんを連れて,おばあさんやおじいさんも。
7月30日(土)に本能館で「探究道場」を開催しました。 本能館は堀川高校の東側,油小路通蛸薬師にあります。かつて本能小学校があった跡地に建てられた堀川高校の第二校舎で,その名の示すとおり,織田信長が討たれた本能寺のあった場所です。本能寺の変の後,寺は豊臣秀吉によって現在地,京都市役所の南側に移されました。 「探究道場」は,文部科学省から研究指定を受けているスーパーサイエンスハイスクール事業の一環として行っている,中学生に理科や数学について深く学ぶ機会を提供するものです。今回は数学でした。同じ内容で別の中学生を対象にもう一度実施しますので,どんなことをやったかは,いまは申し上げられません。申し訳ありません。 では何をお伝えしたいのかというと,今回の道場で見た,とても興味深いことがらについてです。実はすでに知られていることではありますが,実際にその場にいて体験すると,何度同じような経験をしていても,なるほど,やはりそうか,と改めて合点がいきます。 要は,取り組みにはコミュニケーションが大切だということです。チームワークが欠かせない,と言ってもいいかも知れません。 道場は,PBL(Problem Based LearningあるいはProject Based Learning)の手法で行っています。問題を提示した後は,基本的に説明は行いません。自分の持っている知識や技術や経験に基づき,それらを活用して取り組みます。堀川の生徒が進行役や補佐役を務めますが,手を貸すことはしません。したがって,自分でよく考えるということとともに,他のメンバーとよく話し合うということが大切になります。 同じ中学校の人を別にしますので,各グループは初対面の中学生たちで構成されます。学年も同じではありません。まずは自己紹介から始まり,練習問題をやって,本番に臨みます。その中で,どれだけ自分を出せるか。どれだけ相手を引き出せるか。受けとめられるか。発見,考案,創出するために協同できるか。それらが問われます。そして,2時間余りの試行錯誤の成果をポスター形式で発表します。 このとき,コミュニケーションが活発であったかどうか,そのことによってチームワークが図られたかどうかが如実に現れます。一人の考えた方法を,他のメンバーが質問したり指摘したりして,多角的に揉んでみたかどうか。それが行われたグループの発表は,一人では考え付かなかった確認や点検や考察が加わった結果,より論理的なものになっています。 もとより,一人の才能によって新たな世界が開くことはあります。その場合,周りがそれに気づくということが重要になります。しかしながら,それを周りが気づけるように説くということもまた重要です。おそらく,そういう練習を重ねることが,これから社会に出ていく若い人たちには必要であるだろうと思います。 「探究五箇条」なるものがあります。教員が考えました。あちらこちらから集めた感はありますが,なかなかのものであると思います。何度も読むと,これは誰に対しての言葉なのかと思ってしまいます。 探究五箇条 一、知らないということを知れ 一、常識を学べ 一、常識を疑え 一、手と頭を動かせ 一、朋と愉しめ 「はじめに,堀川高校の校長でもある,探究道場の荒瀬克己道場長からあいさつがあります」。 道場の開始にあたって,司会の生徒が紹介してくれました。校長を辞めて道場長一本でやっていくっていうのもいいなと思いました。今度名刺を作ろうかと思っています。 …… 荒瀬克己 自慢話
四校会については6月15日号でご紹介しました。一昨年の四校会のことです。
会議が終わって,ライトアップされた姫路城を眺めながら食事をしているときに堀川の話題になって,姫路西高校の中杉校長が,「本当にすごい仕事をしたね」と言ってくださいました。 「私はこれといって何もしていませんよ」と答えたら,すぐさま「荒瀬さん,過度の謙遜は嫌みになるよ」と返されました。驚きました。そんなふうに言われたのは初めてで,とても新鮮な驚きでした。 「教育委員会がすごかったのと,堀川の教職員がとても意欲的に取り組んだから何とかここまでやってきたんですが」と言葉をつなぎましたが,別れて帰りの新幹線に乗って,ぼんやり夜景を見ながらつらつらと考えました。 自分はいつ何をどのようにしてきたんだろうか? 保護者からメールです。 ……………………………………………………………………………………………… 最終章の終止符 長い長い物語がやっと終わった その物語には常に白いボールがあった 若い雄渾なる青年達がいた 大歓声の中,夢のような舞台にいた しかし,最終章はとても静かに終わった 読み終わって,目を閉じ,滲み出る感涙を抑えながら, この物語に続きがあるのかを考え始めていた。 3年間の大会を通して感動したことは,荒瀬校長の「最後まであきらめない」応援姿勢でした。雨の試合も灼熱の試合も凛と起立され,大声量による応援,微動だにしないその姿に,いつも感謝と尊敬の念を持って拝見していました。また負けそうな試合展開で,親すらあきらめのムードの中,最後まで必死の応援を続けていただき,言葉では言い尽くせない気持ちがありました。大応援,本当にありがとうございました。 アインシュタインの言葉で,Education is that which remains if one has forgotten everything he learned in school. 教育とは学校で学んだすべての事を忘れ去った後に残るもの,とありますが,子どもが数学や英語を忘れ去った後にも必ず堀川高校で学んだいろんな事,野球や先生や友達や総合探究や言葉や形にできないすべての事がたくさん残る事は間違いないと思います。 ……………………………………………………………………………………………… 野球部3年生のおかあさんからのありがたい言葉。お尋ねしたら掲載してもよいとのことでしたのでご紹介しました。 学校というのは,ひとりで何かできるものではありません。ましてやつくることなど。できていないことがいっぱいあります。課題もまた山積。 それを十分承知で,しかし,こういうメールをもらったということを,中杉先生に自慢してみたいと思いました。 夏休み。町の中でも子どもたちは元気です。 …… 荒瀬克己 ナデシコ
ナデシコは「撫子」。広辞苑では,「ナデシコ科の多年草。秋の七草の一。日当たりのよい草地・川原などに自生。高さ数十センチメートル。葉は線形で先端がとがる。八,九月頃,淡紅色,まれに白色の花を開く。花弁は五枚で上端が深く細裂。種子は黒色で小さく,利尿に有効。カワラナデシコ。ヤマトナデシコ。とこなつ」。「襲(かさね)の色目。表は紅,裏は紫。または,表は紅梅,裏は青。とこなつ」。「紋所の名。ナデシコの花を取り合わせて描いたもの」。「愛撫する子。和歌などで,多く植物のナデシコにかけて用いる」。
「やまと(大和)」を引くと,「大和撫子」があって,「ナデシコの異称」,「日本女性の美称」。 ちなみに,ナデシコは堀川高校の前身である堀川高等女学校の校章です。堀川高女では,戦前から英語が正課であったそうです。日本人女性初のオリンピックメダリストである,陸上競技の人見絹江さんが勤めていたこともありました。いま玄関前には,第27回卒業の有志の方々からいただいたソメイヨシノが青々と葉をつけています。 7月18日月曜日は「海の日」。明け方からサッカー女子ワールドカップ決勝戦の中継を観ました。格上のアメリカチームを相手に,圧倒されても,先にゴールを決められても,90分間を最後まであきらめずに粘り強く闘って同点にした「なでしこジャパン」。延長戦でも先取され,それにも耐えて後半引き分けに持ち込み,迎えたPK戦でついに勝利。 2時間余りに及ぶ試合で2度追いついて,やっと頂点に立つという壮絶の栄光を得た選手たちの軽やかな笑顔を見て,彼女たちの必ずしも恵まれてはいない練習環境やそれぞれの苦闘とも呼ぶべき努力を思わずにはいられませんでした。それにもかかわらず,こんな小さな体のどこにあんなエネルギーがあったのだろうか,と胸が熱くなりました。 興奮の後の表彰式と閉会式。勝者をたたえて舞い降りてくる数知れぬ金色のテープ。それがとても似合う,しなやかな「なでしこ」たち。陰りのない笑顔。実にさわやかな笑顔。 7月17日は祇園祭の山鉾巡行でした。優雅で力強い祇園囃子とともに,さまざまに意匠を凝らした32基の山鉾が,炎天下の都大路をゆっくりと動いて行きます。 今年は月鉾,放下(ほうか)鉾,浄妙(じょうみょう)山3基の曳き手に堀川高校の生徒が加わりました。巡行の終点にあたる御池通りと新町通りの交差点の傍らに設けられた本部テントにも,スタッフユニフォームを着た堀川の生徒たちが詰めていました。巡行の状況を把握しつつ,到着した山鉾の関係者にお茶を出して慰労します。 祇園祭の曳き手や本部スタッフに高校単位で参加するのは堀川だけです。地元にある高校だということで参加の機会をいただいています。それを受け,堀川では「町へ出よう!プロジェクト」という企画の一つに位置付けています。この企画は,生徒たちに学校外での多様な体験を促すものです。今回は,在学中に経験した卒業生が来て,参加する生徒たち約60名を準備段階から束ねてくれました。 栄冠をめざす取り組みも,数百年の伝統を守る取り組みも,また,何らかの研究や問題解決も社会への参加や貢献も,表舞台だけしか見えないことが多くありますが,表舞台が円滑に動くためには,舞台裏での周到な準備が不可欠です。 見えるものは,見えないところで用意されている……あらためてこのことを思います。 いつ解決するかわからない,どうやったら答えに至るか見えない,そういう取り組みもまた,試行錯誤と研究と,それを続ける努力が欠かせません。それらに支えられて,事は動いていきます。あることが成功するか否か,それは誰にもわかりません。しかし,望む結果を,求める成果を得ようとして懸命に取り組むことによってのみ,期待した,あるいは望外の果実がもたらされる可能性があるのであって,何事も為さない限り,何一つ成されることはありません。 謙虚であれ。 笑顔を忘れぬ挑戦者であれ。 17日の朝,巡行を見るために四条通りに行こうと思って家を出たら,セミの声。いつもは梅雨明けに鳴き始めたセミが,今年は早く梅雨が明けたのにどうして鳴かないのかと心配していましたが,とうとう鳴きました。地上に出て木に登り短い命を力の限り謳歌するためには,セミもまたしかるべき準備が必要だったのでしょう。 …… 荒瀬克己 |
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