最新更新日:2024/06/08 | |
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準備
今日2時から,京都堀川音楽高校ホールで吹奏楽部の演奏会を行います。堀音には本当にお世話になります。
20日にアトリウムで本番に向けてリハーサル行う部員たち。普段と向きを変えているのはホールの幅に合わせてのことだそうです。先日,OBが位置決めなどいろいろと指導してくれていました。 すてきな招待状をもらったのですが,今日はこれから結婚式に出席するため,私は聴きに行けません。盛会を祈ります。立派なホールで思いっきり楽しんで演奏してください。 シラバス2012年度版ができます。教育課程の大幅な見直しを行い,巻頭言も新しくしました。 ……………………………… すべては君の「知りたい」から始まる 君たちに三つのことを求めます。 学校教育法第51条に,高等学校教育の目標が挙げられており,その中に「健全な批判力」を養うということが書かれています。批判とは,誤りや欠点を指摘する意味もありますが,物事に検討を加えて判定し評価するという意味もあり,こちらが重要です。 批判するということは,まず角度を変えて見つめることから始まります。自分にとってはそうだということも,他の人にとってはどうかわかりません。いまこうであると言えることも,時間が経てばどうかはわかりません。また,ここでそうであることが,どこでもそうであるとは限りません。時間の軸,空間の軸,個人の軸,集団の軸などを変えて考えてみると,同じ対象が違ったものとして浮かび上がります。 それらを吟味して,その対象がどういう意味をもつのか,その対象にどのように関わっていくのかを考える,ということまでが,批判するという行為の意味するところです。 正当で健全な批判力を養うよう求めます。 次に求めるのは,メタ認知能力の向上です。メタ認知とは,人間が自分自身を認識する場合において,自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識することで,それを行う能力がメタ認知能力です。 アレクサンダー大王は,これを解く者がアジアの支配者になるという伝説のあった,複雑に絡み合った「ゴルディアスの結び目」を一刀のもとに切断し,「運命とは伝説によってもたらされるものではなく,自らの剣によって切り拓くものだ」と宣言したそうです。手に負えない問題を,誰も思いつかなかった大胆な方法で解決することのメタファー(暗喩)として使われるこの逸話について,君たちはどう思うでしょうか。 複雑な問題に対応するときに有効な方法は,対象を要素に分解し,その一つ一つについて吟味し,全体の解決方法を探ることです。その際に,使いやすい要素だけを選び取って,不都合な,あるいは面倒な要素を捨てたり排除したりするといった思考の単純化をしてしまっては,問題の本質的な解決から遠ざかります。 その意味であえて言えば,アレクサンダーは問題そのものをすり替えた可能性があります。だから天才なのだということもできるかもしれません。しかし,私たちは,結び目がどれほど解くのに困難であっても,また,時間がかかっても,人間の知恵で,知恵の結集で,丹念かつ誠実に,ほどいていかなければならないでしょう。 その方法を見いだすためにも,メタ認知が必要になります。 最後は,疑問を大切にすることです。それは,「知りたい」という思いを抱き続けることです。答えは容易に出ないでしょうが,求め続けください。また,答えと思ったことが,新たな疑問や悩みの始まりになるかもしれません。しかし,学ぶということは,それを繰り返すことで,そうすることによって君たちは成長していくのです。 君たちがこの堀川で思索し,行動し,自立するひとりの人間として,よりよく生きていくことを期待しています。 ……………………………… 23日金曜日,香川大にいる卒業生が訪ねてくれました。香川に戻る前にということで会いに来てくれたのですが,夕方から校長会があってずいぶん待たせてしまいました。そのおかげで,というのも申し訳なのですが,後期で合格した11期生にいろいろとアドバイスをしてくれていたそうです。 この卒業生は3年生にしてすでに医者の雰囲気を備えています。それを言うと,「気のせいです」。横から進路部長が,「過度の謙遜は嫌味になるよ」と言って,にやり。これは,10号「自慢話」で書いた姫路西高校の中杉先生の言葉。 さて,後期の発表が続き,結果が出そろいました。 希望が叶った人は,気を引き締めて。 捲土重来を期する諸君。次回に向けてまずはしっかりと基礎を。もう始めているか? 思いの叶わなかった諸君。しかし悩んだ末に選んだのなら,その道を愛せ。 諸君。さあ準備を始めよう。 四条堀川をほんの少し東に行くと,北側に「楊」という看板が逆さになった中華料理店があります。 「看板がひっくり返っていますね」と言って店を覗く人がいるけれど,理由だけ聞いてそのまま行ってしまう,と店主の楊正武さんは苦笑い。この方は堀川高校の卒業生です。 「倒」と「到」が同じ発音なので,「福」という字を逆さ(倒)にして,福が到来するという意味を表わす。そこからひねって,店の看板をひっくり返した。お客さんに,いらっしゃいませ,ありがとうございました,と頭を下げてるんや。 楊さんは,30年にわたって中華料理の出張奉仕を行っている「琢磨会」の会長です。会員は京都を中心に約40人。店内にはあちらこちらからの感謝状や表彰状がずらり。 37歳から始めた。42歳のときに5周年を迎えた。尊敬する先生から「だいたいこんな会は3年ぐらいでつぶれるものだが,よくここまでやった」とほめられた。その言葉が忘れられない。しんどいこともあったが,なにくそと思って意地で今日までやってきた。年も年やし,でも鍋が振れるあいだはやれるやろうから,やっていく。 このほどその活動が1000回を迎えて,3月15日付の京都新聞に大きくとり上げられました。児童養護施設の子どもが書いた「社会に出て一生懸命働いたら楊さんの店に食べに行きます」という手紙が紹介されています。 記事は楊さんの言葉で結ばれています。 「きちんとした食事をすることで体にも心にも栄養になることを知ってほしい」 「長く健康でいられたのは福祉活動のおかげと私が感謝している。不況で本業も厳しく会員も減ったが,まだまだ続けたい」 準備をするだけでも大変だと思うのです。それを30年。1000回。ふう。気が遠くなります。意地と言うてはったなあ。肩の力を抜いて淡々と続けるような意地もあるのか。 「それで先生のあとは誰がしはるんですか」 「川浪さんです」 「そら,ええわ。でもさびしいね」 「まあ,どこかでキリがあるものやから」 「そうやね。しかし,まだまだこれからやで」 42号(2012.03.25)……荒瀬克己 |
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