京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/06/03
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休日参観  6月1日(土)2時間目(9:35から10:20)・3時間目(10:35から11:20)・4時間目(11:25から12:10)

温故歩新

 京都市の中心部から南へ11キロあまり,伏見区のほぼ中央に位置し,
『明治の帝永久に しずまり給う陵の 緑したたる朝日影 わが学舎の窓に射す・・』と現在の校歌が歌われ続けて58年。
 明治6年(1873年)12月1日に堀内小学校として伏見御香宮境内に開校する。
その後,明治19年の小学校令により,尋常科,高等科の区別がうまれ,堀内小学校は堀内尋常小学校と改称される。
 明治36年(1903年)11月1日,堀内村内に学校をとの声があがり,松平筑前に校地を移転。大正11年(1922年)4月1日には高等科を併設し,桃山尋常高等小学校と改称。児童数が増え,手狭になったため,大正13年12月4日,現在地の 伏見区桃山町本多上野の地に校地移転する。
 昭和6年(1931年)4月1日には堀内村が京都市に編入され,堀内村を桃山町に,校名を京都市立桃山尋常高等小学校と改称する。そして,昭和11年(1936年) 3月3日校歌(田中常憲氏作詞,近藤義次氏作曲)が制定される。
 戦争が激しくなる中,昭和16年(1941年)4月1日京都国民学校と改称。
 戦後の昭和22年(1947年)3月31日京都市立桃山小学校と改称し,高等科を廃止し,「かしわ原中学校」(昭和24年から桃山中学校)に編入する。
 昭和26年(1951年)11月23日,現在の校歌(饗庭正氏作詞,中原都男氏作曲)が制定される。
 近世の武将の名が町名に遺る桃山の丘,桓武天皇,光明天皇,崇光天皇,明治天皇,昭憲皇太后陵を近くに拝し,乃木神社の西に位置する正に,歴史の中に生まれ,地域と共に歩み,地域の人々に支えられながら,幾多の変遷を重ね,今ここに百三十数年の時を重ねて,六百数名の児童が通う京都市立桃山小学校は,とどまることなく絶えず流れ続ける宇治の流れを南に臨み,地域と共に子どもたちを育み続けている。
 38名の本校教職員は地域に根ざした,地域ぐるみの開かれた学校を目指し,地域と共に歩み,「安心と信頼」が実感できる教育環境を整え,子どもたちの生涯学習の基礎となる学ぶ力を育てるため,『文武両道』の伝統の下に,教職員一丸となった協働体制で教育活動を推進している。
 『子どもたちの夢は教職員一同の夢でもあり,子どもたちは教職員の夢である。』
 との思いの基,日々教育活動に汗を流している。
 
                        平成21年5月吉日
京都市立桃山小学校
校 長 吉野 文男 

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京都市立桃山小学校
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