最新更新日:2024/09/26 | |
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大文字駅伝支部予選会続報
本校10人の選手は全員力を出し切ったのですが力及ばず9位に終わりました。結果は結果として受け止めなければなりませんが,秋以降のがんばり児童によっては中学年から陸上部としてがんばってきました。その努力はすばらしいと思います。ぜひともその経験を今後の人生に活かしてもらいたいと思っています。卒業までがんばろう。
大文字駅伝支部予選会
12月1日好天にめぐまれた出雲路橋〜葵橋周回コースにて左京南支部小学校13チームが集合し男女5人ずつ10人が1周1700m×10週17kmのコースにいどみました。本校は今週より新型インフルエンザも含めた風邪の風邪の罹患者が多く大変でしたが元気よく出走しました。
学習発表会 リハーサル 6年生あす27日の学習発表会へぜひご来校ください。 被爆アオギリ二世
先日,修学旅行で広島を訪れました。全校のみんなで折った折鶴を原爆の子の像に捧げました。貞子さんに思いを馳せながら世界平和を祈りました。その後平和記念資料館を訪れて学習をしました。その折に「被爆アオギリ二世」の苗をいただいてきました。本日,六年生の子どもたちと植樹をしました。平和への思いとともに大きく育ってほしいです。
☆被爆アオギリ☆ 1945(昭和20)年8月6日に広島に原爆(リトルボーイ)が投下され、「広島には75年間草木も生えないだろう」といわれていた。 そんな中、爆心地から約1300mのところにある広島市基町(現:中区東白島町)の広島逓信局(現:日本郵政公社中国支社)の中庭の被爆し、爆心地側の幹半分が熱線と爆風により焼けてえぐられたアオギリ(青桐=Firmiana platanifolia Schott. et Endl)は、翌1946年の春に芽吹いた。 原爆の悲劇にも負けずに、たくましく育ったアオギリは、当時絶望の中にいた人々に生きる希望を与え、現在もその傷跡を包むようにして成長を続けている。 その(被爆した)アオギリは、1973(昭和48)年5月に平和記念公園・平和記念資料館東館北側緑地帯へ移植された(移設されたのは当初3本であったが後に1本は枯れ、現在は2本)。 ☆被爆アオギリ二世☆ 奇跡的に生き残り人々に生きる勇気を与え続けたこのアオギリの種を育てた苗木を、広島市(広島市市民局国際平和推進部平和推進担当)が「平和を愛する心」を後世に伝えるため、「被爆アオギリ二世」と名付けて、各団体を通して、日本各地のほか、アメリカ、スイス、エジプト、ドミニカ共和国、中国、イギリスの諸外国に寄贈(配布)している。(資料・写真引用) 絆〜みんなの思いを一つに〜修学旅行 その3
2日目です。天気が心配でしたが,夜のうちに降っただけで快晴の朝を迎えてすがすがしかったです。お世話になった旅館の方々にごあいさつをしてバスで姫路に向かいました。世界遺産3つ目の姫路城です。天守閣からのながめは最高でした。2日間,グループ学習をしっかりして仲間としてのきずなを深めることができました。
修学旅行 その2
午後は広島から宮島へ向かいました。厳島神社へ行きました。思いがけなく引き潮でした。大鳥居の近くまで行きました。とても大きかったです。そばに寄ってきた鹿がかわいかったです。夜はおみやげを買いに出かけました。
修学旅行 その1
5月12日(火)修学旅行の出発です。出発式の後バスで京都駅まで行き新幹線で広島へ向かいました。平和の子の像の前で平和について学習したことを発表した後,全校みんなで折った折鶴をささげました。
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