最新更新日:2024/09/20 | |
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ふるさと岩倉を知り,愛する人に
校舎完成をお祝いして,創立30周年記念事業実行委員会より,「岩倉史謠」の銘鈑を寄贈していただきました。
この「岩倉史謠」が作られたころは,今の校区でいう岩倉南小学校・明徳小学校・岩倉北小学校の3学区をあわせて岩倉と呼んでいました。その岩倉の歴史や文化を「岩倉史謠」の歌詞から少しうかがい知ることができます。 ところで作詞者の西條八十氏をご存じでしょうか?『かなりや』(♪歌を忘れたカナリヤは後ろの山に棄てましょか)や『肩たたき』(♪母さん お肩をたたきましょう…)などの童謠を作詞された方です。歌謠曲の『東京音頭』や『青い山脈』なども作詞されています。他にも,森村誠一氏原作の映画「人間の証明」の中の「母さん,僕のあの帽子,どうしたんでせうね?ええ,夏,碓氷峠から霧積へ行く道で 渓谷へ落としたあの麦藁帽子ですよ…」というフレーズが有名ですが,実は,これも西條八十氏の『ぼくの帽子』という詩の冒頭部分なのです。そんな西條氏が「岩倉史謠」の作詞を手掛けられたいきさつは,歌碑の横に書かれていますので,ご来校の折にご覧ください。 せっかくですので,この「岩倉史謠」の歌詞の一部についてご紹介いたします。その昔,桓武天皇の時代に都が平安京に移されたとき,都の平安を祈るために,都の四方にある山の上に「いわくら(石蔵)」を造り,その中にお経を入れた筒(経筒)を納めたと言われています。岩倉は,その一つの「北石蔵」であると伝えられ,「いわくら」という地名由来説の一つにもなっているそうです。そのことが,4番の岩倉起源に「京都岩倉桓武のむかし 都まもりの経蔵たてた…」という歌詞に表わされています。歌詞は全部で10番まであり,まだまだ,たくさんの歴史や文化を知ることができます。 このような素晴らしい「岩倉史謠」の銘鈑を寄贈していただきましたことに心より御礼申しあげます。これから,本校の宝として大切にしていきたいと思います。 ※一部引用 「洛北岩倉」中村 治著 校長 今村 ひろみ |
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