最新更新日:2024/09/27 | |
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「治水碑」〜西京極地域の歴史を語る碑〜
雨に濡れた紫陽花のきれいな花を眺めつつも,梅雨明けが待ち遠しい季節となりました。
今月は,川勝寺のバス停から七条通りを南へ下がった次の角に建つ高さ2.6メートル,幅1.08メートルもある大きな花崗岩でできた「治水碑」のお話です。そのきっかけとなりましたのは,先日地域の方よりこの碑の拓本を学校にいただいたことです。大変貴重なものですので,終業式の日に全校児童に伝えた後に,多目的室に展示する予定をしております。機会がありましたら,どうぞご覧になってください。 さて,佛教大学名誉教授の植村善博氏によりますと,この碑は,当時西京極を流れ水害を起こしてきた御室川の改修工事完成を記念して明治38年6月に建立されたそうです。工事は明治33年〜38年に実施され,住民の労苦と水害からの解放の喜びを永く記憶し,水害のないことを願って建てられたものだそうです。そして碑の一番上に大きく書かれている「治水碑」の篆(てん)額(がく)は,元京都府知事(当時は,貴族院議員)北垣國道氏が記されたそうです。北垣國道氏といえば,4年生が社会科の学習で使用する副読本「わたしたちの京都(下)」に掲載されていますように,東京遷都でさびれた京都の町の活性化を考え,近代産業化を推進した人であり,琵琶湖疏水の計画から完成までの全段階で事業推進の中心的存在として貢献した人です。また,当時,葛野郡長だった有吉三七氏が依頼されて碑の文章を書き,筆をとられたのは,山田得多氏だそうです。有吉氏は最後に『不溢不壊 偉哉治水 一片貞碾(ていぴん) 紀功志喜(溢れず壊れず 偉大ではないか治水 石碑を一つ作って 事業を記念し喜びを書き記す)』と書き記しています。水は,人間の生活にとって欠かせないものですが,川から溢れだすと人々の生活を著しく脅かすものとなるため,当時の人々がどれほど治水工事を待ち望んでいたのかということがよくわかります。ただ,植村名誉教授が書かれた資料によりますと,残念ながら改修から30年後の昭和10年6月29日に大水害が発生し,御室川が何か所かで決壊し,濁流が西京極方面まで流れ下って来たことにより,この地域は全域が水没し被害を受けてしまったそうです。そのため,再び昭和11年から14年にかけて改修工事が行われたそうです。 話は変わりますが,さる6月18日には,大阪府北部を震源とする大きな地震があり,西京極でも大きな揺れを感じました。自然災害は,いつ起こるかわからず,人間の力が及ばないこともしばしばです。さまざまなことから学び,「備えあれば憂いなし」という先人の教えを大切にし,子どもたちの命を守るための最善の方法について,学校でも検討・改善をし続けています。これからも,地域や保護者の皆様のご協力をお願いすることもあるかと思いますが,どうぞよろしくお願いいたします。 校長 今村 ひろみ |
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