最新更新日:2024/09/25 | |
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「地域の人々」
「地域の人々」 文責:校長
この2日間、私は「地域の人」という言葉を耳にした。 ひとりは、渋野伸子さんからだ。ゴルフ全米オープンで優勝した渋野日向子さんのお母さんです。取材で 「子育てに秘訣は?」と聞かれたその回答が、「地域の人に育ててもらった」というコメントだった。 伸子さんによると、笑顔が注目された渋野さんだが、「小さい頃は人見知りで、学校では保健室に行きがちだった」と心配していた時期もあったという。だが、小学2年の夏に初めてゴルフの体験会に参加し、変わった。しかし、思うようなプレーができずに物に当たってしまうこともあったが、コーチや地域の人々にマナーやルールを教えられ、育まれた。ゴルフスクールから近所の駄菓子屋さんに至るまで、「私が育てたのではなく、地域の大人の人に育ててもらった。うまくいかないことがあっても、わがままを吐き出すのではなく、周りの人のことを意識し、笑顔で過ごすことの大切さを学んでいった」と言っておられた。もちろんお母さんご自分の役割を放棄しているわけではない。食育を重んじて、人間の骨格をつくる体作りを学び、3度の食事をとることやその栄養のバランスをしっかり管理されていた。彼女の天真爛漫さや緊張を感じないおおらかさそして笑顔は、お母さんを含む地域の人からの学びの成果だと感じた。 そして今日、74回目の広島平和の日、「こども平和の集い」の冒頭に「地域の人」の話が出てくる。 「平和への誓い。私たちは、広島の町が大好きです。ゆったりと流れる川、美しい自然、『おかえり。』と声をかけてくれる地域の人、どんなときでも前を向いて生きる人々。(後略)」(最後に全文掲載) 「地域の人」改めて聞くこの言葉に、ちょっと懐かしくそして誇らしく感じた。「地域の人」の話題の中心にはいつも渋野日向子さんがいたり、あの日広島の町にいた子どもたちがいたのだと思います。 京都大原学院は、まさに「地域の人」に育てていただいている学校です。改めて「子どもは地域の宝だ」と感じた2日間でした。 〜「平和への誓い」〜 私たちは、広島の町が大好きです。ゆったりと流れる川、美しい自然、 「おかえり。」と声をかけてくれる地域の人、どんなときでも前を向いて生きる人々。広島には、私たちの大切なものがあふれています。 昭和20年(1945年)8月6日。あの日から、血で染まった川、がれきの山、皮膚がはがれた人、たくさんの亡骸、 見たくなくても目に飛び込んでくる、地獄のような光景が広がったのです。 大好きな町の「悲惨な過去」です。被爆者は語ります。「戦争は忘れることのできない特別なもの」だと。私たちは、大切なものを奪われた被爆者の魂の叫びを受け止め、次の世代や世界中の人たちに伝え続けたい。「悲惨な過去」を「悲惨な過去」のままで終わらせないために。二度と戦争をおこさない未来にするために。 国や文化や歴史、違いはたくさんあるけれど、大切なもの、大切な人を思う気持ちは同じです。みんなの「大切」を守りたい。「ありがとう。」や「ごめんね。」の言葉で認め合い許し合うこと、寄り添い、助け合うこと、相手を知り、違いを理解しようと努力すること。自分の周りを平和にすることは、私たち子どもにもできることです。大好きな広島に学ぶ私たちは、互いに思いを伝え合い、相手の立場に立って考えます。意志をもって学び続けます。被爆者の思いに、私たちの思いを重ねて、平和への思いを世界につなげます。 令和元年(2019年)8月6日 こども代表 広島市立落合小学校 6年金田秋佳 広島市立矢野小学校 6年石橋忠大 |
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