京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/06/10
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学校教育目標 社会適応力の育成 〜変化する未来に向けて〜

ちょっといい話―62―

 「春」ももうそこまで来ています。「春」といえば別れと出会いの季節です。卒業式までもあと2週間あまり・・・・。感動的な卒業式になるよう願っています。今日は少し感傷的になる、「ちょっといい話」を紹介します。(子供に伝えたい「心に響くちょっといい話」より)
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     『母の思い,娘の思い』(年齢 :40代 性別 :女性)

 この春から長女が親元を離れ,東京で大学生活を始めることになりました。将来の夢の実現に向かって着実に歩き始めた娘を心から応援したいという気持ちと,一方で会いたいときに会えない寂しい気持ちも予想以上に大きいと感じるこのごろです。
 3月の引越しの日,上京して,長女と高校生の次女と3人で荷物の片付けをしていました。表面上はにぎやかに作業しながら,こうしていても確実に別れの「とき」は近づいているということで心は揺れていました。
 荷物も片付いていよいよ別れのとき,私は,バス停まで送ってくれた長女に無理して笑って手を振り、バスに乗り込みました。胸にこみ上げるものを感じましたが,別れた後一人きりになる娘に最後に泣き顔を見せては不憫だと思いました。ここで絶対泣いてはならないと思いました。
 でも,バスに乗り込みバスが走り出したんだとたん,これまでの緊張の糸が瞬時に解けて涙があふれてきました。傍らの次女が「お母さん,私というものがおるでしょうが。」とひょうきんに肩をたたいて励ましてくれました。その気持ちも嬉しくて笑っているのか泣いているのかわからなくなりました。
 ちょうどそのとき,遠い日の思い出が鮮やかによみがえり,まさに情景が重なったのです。

 今から28年前,私の姉がやはり親元を離れ,短大に進むことになったときのことです。当時高校生の私と母は,引越しの手伝いに出かけました。気丈な母は,荷物の片付けやら当座の買い物,大家さんへの挨拶をてきぱきと済ませました。そうしていよいよ別れることになったとき,駅まで見送りに来た姉に私たちは笑って手を振り,汽車に乗り込みました。汽車はホームを離れ,私たちは何も話しませんでした。それからしばらくして,窓のほうを向いたまま動かない母に気付きました。見ると肩を震わせ,静かに泣いているのでした。気丈な母の泣く姿など,私はこれまで見たことがなくて,正直うろたえたのを覚えています。何か声をかけなくてはと思い,「お母さん,私がおるでしょ。」と言ったのでした。その私の言葉に母は笑い,泣き顔といっしょになって顔がゆがみました。

 まさしく,繰り返される「母の思い」であり,「娘の思い」であると思いました。
 12日の母の日に,長女からメールがとどきました。
「お母さん,いつもありがとう。お母さんのおかげで私はいつも元気に日々をおくっています。お母さんも元気でおってね。」

ちょっといい話―61―

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 今日は,朝日新聞・朝刊「声」から「ちょっといい話」を・・・。
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         『バス運転手、機転の「座って」』

 通学のバスの中での話です。その日は雨が降っていたため、私が乗る始発のバス停で満席になりました。次のバス停で、赤ちゃんを右手に抱え、左手に折り畳んだ傘を持つ女性が乗ってきました。声を掛けて席をかわろうかと、私が悩んでいた時、他の人たちが声を掛けました。
 でも、その女性は座ろうとはしませんでした。そろそろ長い下り坂に入るので車内の人たちも皆心配そうでした。その時です。女性の運転手がバスを止め、
 
 「この後長い下り坂になりバスは揺れます。赤ん坊を抱えながら立つ大変さは皆知っています。他のお客様のご好意に甘えてどうか席に座ってください。お客様が座られたら発車いたします」

と言いました。傍らに座っていた人も

 「遠慮せずお座りなさい」

と優しく言い、女性は車内の人たちに頭を下げて席に着きました。優しさに包まれた車内の心温まる体験でした。今も思い出すと胸にこみ上げてくるものがあります。
(写真は、T・T「3年生からのメッセージ」でのインタビューの場面です。)

本日より、1・2年は「学年末テスト」です!

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 いよいよ1年間の総まとめです。3年生は、3月6日(火)が「公立高校一般入試」ですが、1・2年生は本日22(水)から24日(金)まで「学年末テスト」です。あと1ヵ月後には、2年生・3年生になります。今年度の学習の総まとめをしてください。粘り強く学習に取り組んでください。

T・T〜3年生からのメッセージ〜

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 2月20日(月)5限、体育館で毎年恒例となった「シンキングタイム〜3年生からのメッセージ〜」を行いました。卒業まで約3週間と迫った今、中学校生活3年間の思いを1・2年生に伝えると共に、引き継いでいってもらいたいことを暖かな雰囲気の中でつないでいきました。
 行事、部活動、生徒会活動、授業…と、溢れ出る思いを述べていきましたが、やはり一番伝えたかったことは、「勉強を頑張ること!」でした。昨年までは、1・2年生の立場で聞いていましたが、今年は違った立場で、更に成長した姿で堂々と伝えていました。暖かな雰囲気の中にも、本当に学校の将来のことを思う厳しい姿がそこにはありました。3年生の皆さん、たくさんの宝物を残してくれてありがとう!卒業までの残り少ない日々での更なる成長を期待しています!!

第25回 卒業式のご案内

 本日生徒を通じて配布しました「第25回卒業証書授与式」のご案内をお知らせいたします。3年生152名の旅立ちの日を共にお祝いしたく、ご出席のほどよろしくお願い致します(写真は、18日(土)の校庭の雪景色です)。
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             第25回卒業式のご案内

 春寒の候,保護者の皆様方にはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は本校教育にご理解とご協力をいただきまして誠にありがとうございます。
 さて,平成23年度「第25回卒業式」を下記のように,とりおこなわせていただきます。つきましては,保護者の皆様方のご列席をいただきますようご案内申し上げます。

                  記


 1.日  時   平成24年3月15日(木)午前10時開式
        ・保護者の皆様は午前9時45分までに式場にご入場ください。

 2.場  所   春日丘中学校 体育館

  (お願い) ・2足制ですので,スリッパ等の上履きをご持参ください。    
        ・お車でのご来校はお控えください。
            (校内には車は入れませんのでご了承ください)

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蛍雪の功?!3年生今年度最後の土曜学習会

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 朝起きると一面の銀世界。学校に来てみてまたビックリ。グランドや裏の山にも雪が降り積もっていました。今年一番の雪景色です。
 そんな寒い中ですが、3年生の「土曜学習会」は燃えていました。あと残すは、3月6日(火)の「公立高校一般入試」です。まだまだ気は抜けません。今日は、雪明りも少し手伝ってくれ、たくましい3年生の姿がまぶしく見えました。健闘を祈ります!!

7組 冬の宿泊学習(花背山の家)

 2月16日(木)・17日(金)の1泊2日、7組の生徒さんたちは「花背山の家、冬の宿泊学習」に行ってきました。「冬の自然観察と宿泊生活を体験する」ことを目的に、普段学校では出来ない体験を、思いっきりやってきました。やはり、花背山の家には雪がたっぷりとあり、雪遊び・そりすべりなどを楽しんできました。寒かったのですが、他の学校の生徒の人たちとの交流もあり、笑顔一杯の1泊2日でした。
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ちょっといい話―60―

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 本日2月17日(金)は、雪が舞う寒い1日となりました。先週からの私立高校入試、公立高校推薦等の試験も終わり、少し落ち着きを取り戻しつつある今日この頃です。しかし、来週の火曜日21日には、公立高校推薦等の内定通知があります。不安に思っている人もいるかもしれませんが、今は天命を待つといった心境ではないでしょうか…?
 さて、今日は「姉と弟」に関係する「ちょっといい話」がありましたので紹介します。少し胸が締め付けられますが、ほのぼのとした姉弟の会話です(泣ける話・感動する話より)。
 ※上の写真は、小さな巨匠展に出品した7組の生徒の作品です。
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☆ 『俺が骨あげた時の会話』
 姉:「コレで一生アンタに借りができちゃった。」
 弟:「こんなんで借りとかいうなや」
 姉:「コレで私とアンタは運命共同体ね」
 弟:「ハハッ ちゃんとリハビリしろよ!」
 姉:「リハビリしたら歩けるようになるかな・・・」
 弟:「大丈夫だって!俺の骨は若くて丈夫だもん!!」
 姉:「傷痛くない?しばらくベルトしめれないよね?ごめんね。退院したらサスペ
ンダー、プレゼントするね」
 弟:「おぅ、早く良くなってくれよな」
 姉:「○○ちゃん、ありがとね」

 交通事故で足首の骨が粉砕してしまった姉に俺の尾?骨から骨を移植手術した時、病室に二人のベットを並べて入院してた時の会話。


☆ 俺には3つ上の姉貴がいるけど、昔はスゲー仲悪かった。
 母がたった二人の姉弟なんだから、と嘆くほど、ケンカなんて一日何回もしたし、ほとんど憎み合ってた、といってもいいくらいだった。

 姉貴が高校2年、俺が中学2年の時。姉貴が自転車通学の途中、車の事故に遭った。俺が病院へ行ったときは、意識がなかった。頭を打ったらしく、安心は出来ない状態だった。二日後に意識は戻ったんだけど、事故当時の記憶がなく、言語障害、運動障害が出てた。(まっすぐ歩けないなど)
 ある日、親が用事で、俺が半日くらい付き添うことになった時。姉貴はなんか俺に言いたいんだろうけど、舌が回らない。言葉を覚えたての子供が喋ってるようで、聞き取れなかった。俺は、何とか聞き取ろうしてたんだけど、そのうち姉貴が泣き出してしまった。結構美人とか言われてて、運動神経も良かった。バレー部に入ってて、レギュラーでやってたのに、運動どころか、歩くことや喋ることもまともに出来なくなって自分が情けなくなったんだろうと思う。
 いつもは気が強い姉貴がすごくか弱く小さく見えた。俺は思わず姉貴を抱きしめて、「大丈夫、きっと治るよ。もし治らなかったら、俺が姉ちゃんを一生看てやるから」本気だった。俺が姉ちゃんを守ってやる、と。姉貴は泣きながら何度もうなづいてた。打ち所もそんなに悪くなかったのか、姉貴がリハビリを頑張ったせいもあったのか、以前のように回復した。

 それから5年近く経つけど、ケンカらしいケンカはそれ以来した覚えがない。姉貴にその時のことを言うと照れ臭いのか「記憶がはっきりしてないよ」とか言うけど。あの事故がなかったら、俺達の姉弟仲は、今も悪いまんまだったのかもしれないな…。

ちょっといい話―59―

 立春を過ぎ、日1日と春が迫ってきているように感じる今日この頃です。今日は「ちょっといい話」の連発です。心も温かくなります。。(「厳選:泣ける話・感動する話」より) 
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                 「父さんありがとう」

 俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。

 俺が小学校に入学してすぐ、父母同伴の遠足があった。父は仕事で忙しく、一緒に来られなかった。一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれたので、寂しくもなかった。でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。

 当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いた。

 それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。

 そんな父も、今年結婚をした。
相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
 心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。




ちょっといい話―58―

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 私立高校の受験、お疲れ様でした。寒かったですが、大きなトラブルもなく無事入試が終わりました。今日は少し頭を休め、「ちょっといい話」で心に栄養を補給してください。これから紹介するお話は、メールにちなんだお話です。(「厳選:泣ける話・感動する話」より) 
 (写真は、春日丘中学校区地域生徒指導連絡協議会のカレンダーに掲載された人権ポスターです。)
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          「友からのメール」

 僕の友達が事故で亡くなったんです。
本当に突然のことで、何が何だかわかんなくて涙なんか出ませんでした。葬式にはクラスのみんなや友達がたくさん来てました。

 友達は遺影の中で笑ってました。いつも僕に見せていてくれた笑顔です。それを見てたら自然と涙が頬を伝っていました。それが口まで流れてきて、しょっぱいなって思って、それで自分が涙を流しているんだと気付いたんです。僕はいたたまれなくなって葬式の会場を飛び出していました。

 次の日、僕はパソコンのメールをチェックしました。そこにはあの亡くなった友達からのメールが届いていました。日付を確認すると事故の日でした。僕は何だかドキドキして、メールを開きました。すると「あさってに、いつも学校帰りで通る公園で待ってるから。午後5時にね。遅れるなよ」と書いてありました。何でわざわざメールで?と思いましたが、何か不思議な力が働いたような気分でした。
 実はその日は僕の誕生日で、親と出かけることになっていたのです。車に乗って高速道路を使い、隣の県に住むおじいちゃんの家に行くことになっていたのです。僕はおじいちゃんに電話をし、今日は行けないと伝え、親にも今日は用事があると言いました。そしておじいちゃんの家に行くのは中止になったのです。

 僕は友達からのメールの通り午後5時に公園に行きました。もちろん誰も来ません。午後5時に鳴る、公園のそばにある時計台の鐘を聞き、僕は友達との思い出を振り返って家に帰りました。
 
 そして家に帰ると親が血相を変えて僕に話し始めました。
 「さっきニュースでやってたんだけど今日通る予定だった高速道路で玉突き事故があったんだって。予定通りに行ってたら私たちも事故に遭ってたわね」僕が生まれた日に、僕が死ぬのを友達が救ってくれたんだ、そう思えてきてあのメールは今でもパソコンに保存してあります。


          「父からのメール」   

 去年3月に定年を迎えた父に兄と私で携帯電話をプレゼント。
退職前は携帯などいらんと言っていたがうれしそうだった。使い方に悪戦苦闘の父に一通り教えてまずメールを送ったが返事はこなかった。

 その6月に脳出血で孫の顔も見ずに突然の死。40年働き続けてホッとしたのはたったの2ヶ月。葬式後父の携帯に未送信のこのメールを発見した。最初で最期の私宛のメール。私は泣きながら送信ボタンを押した。

 「お前からのメールがやっと見られた。
  返事に何日もかかっている。
  お父さんは4月からは毎日が日曜日だ。
  孫が生まれたら毎日子守してやる。」

 私の一生の保護メールです。


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学校行事
3/9 1・2限:3年生を送る会
3/12 この日より午前中授業(弁当・給食あり、3年生はなし)
3/14 2・3限:卒業式予行、午後:準備、部活動なし
3/15 第25回卒業式、部活動なし
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