最新更新日:2024/09/26 | |
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「他人ごと」ではなく,「自分ごと」として
1月17日はいつまでたっても私にとって特別な日です。
1995年1月17日 午前5時46分 これは,一瞬で多くの命が失われた日。多くの人が涙した日。命の尊さを考えた日。自分の無力さを感じた日。そして,何かできないかと多くの人が立ちあがった日。 今を生きる子ども達は,この事実を知りません。多くの大人たちは,記憶が薄れていっています。そのような中で迎える1月17日の意味は,これから大きくなっていくのではないかと思うのです。 いつか起こってしまうであろう地震のことをを考えることは,きっとあの時亡くなった方々の命を感じること。明日を生きたいと願い,その願いが叶わなかった方々の命の上に「今日」という日があることを感じること。「他人ごと」ではなく,「自分ごと」として日々を生きていこうとすること。私はそう思うんです。 そんな日に参観があり,人権作文の発表会があるのは,とても意味のある事のように思います。ちょっとだけ,自分たちの「生きる」ということについて考えるきっかけになればと思っています。 ちなみに写真は職員室にある地震を感知する機器です。昨年度の大阪の地震の際もしっかり作動していました。 |
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