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最新更新日:2024/07/23 |
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美工創立140周年記念式典 校長式辞
式 辞
本日は、美工創立一四〇周年記念式典の開催にあたり、京都市長 門川大作 様、京都市教育長 稲田新吾 様をはじめ、同窓会や保護者、地域の皆様、そして日頃から本校を御支援いただいている多くの関係者の皆様に、ご出席を賜わり、学校を代表いたしまして、厚く御礼申しあげます。 本校は、明治十三年に我が国初の公立美術学校となる「京都府画学校」として、京都御苑内に創立しました。その後、幾つかの校地・校名等の変遷を経て、戦後の昭和二十四年に学制改編に伴い、日吉ケ丘高等学校美術課程となり、そこで約三十年間普通科と併設した形で美術教育がなされていました。そして昭和五十五年、教職員や同窓会の悲願でもあった美工の独立開校が決定し、現在の銅駝美術工芸高等学校が開校。早いもので、銅駝地域の皆様に御支援いただきながら昨年度で独立開校して四十年を迎えました。 長きにわたり本校が存続できたのも、歴代校長をはじめとする諸先生方の熱心な御指導はもとより、本日ご列席の多くの皆様の御支援・御協力の賜と深く敬意を表すとともに感謝申し上げます。 さて、本校の卒業生数は、創立から累計で約八六〇〇名となり、これまで文化勲章受賞者八人をはじめ、多くの卒業生が国内外の美術工芸界や産業界の牽引役として御活躍をされており、京都だけでなく我が国の文化芸術の発展に少なからず貢献をされてきたものと認識しております。 本校の教育は今、大きな転換期を迎えています。予測不可能な時代が訪れる中、アートの重要性は高まっており、生徒たちにはゼロからイチを生み出すクリエイティブな力や自ら課題を見出し、その解決を図る力など、時代の変化に対応した様々な力を育成しなければなりません。しかし、どれだけ社会状況が変化しても、決して変わらないものがこの学校にはあります。 入学時は、ただ絵を描くことが好き、ものづくりが好きということでこの学校に集った生徒たちは、卒業時には見違えるほど大きく成長をして巣立っていきます。作品制作することは、自分との対話であり、そこには甘えが許されません。完成した作品を前に、その完成度の低さに呆然とし、自分の不甲斐なさに涙することも多々あります。そんな時、同じ志を持つ仲間がここには多くいます。皆さんと同じ経験をしてきた教員がそばにいます。仲間と切磋琢磨し、ともに高め合う文化がここにはあるのです。 こうした良き伝統をしっかりと継承・発展させながら、令和五年四月には、同じ起源を持つ京都市立芸術大学とともに京都の玄関口に移転し、文化芸術の創造の新拠点として、移転先地域に「文化芸術都市・京都」の新たなシンボルゾーンを創生する、その一翼を担ってまいりたいと決意を新たにしています。 結びに、教職員および生徒一同、本日のこの感激をあらたに、これから後も、これまで以上に頑張っていきたいと思っております。創立一四〇周年という節目を機に、将来に向かって、さらに充実した実績を積み上げてまいります。 本日ご列席の来賓の皆さま方、今後とも何卒ご協力、ご指導のほどをお願い申し上げ、式辞の言葉といたします。 令和三年七月十日 京都市立銅駝美術工芸高等学校長 名和野新吾 |
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