京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/06/27
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本校は 自由快活な校風のもとで 多様性を尊重し共に高め合い 美の精神をもって広く社会に貢献できる 高い理想をもった創造性豊かな自立した青年を育成します

3月19日 後期終業式 校長の話

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●3月19日 後期終業式

 今年度の締めくくりの日になりました。

 昨年の4月8日の始業式は3学年揃って行うことが出来ず、翌日から臨時休校となりました。今年度は、皆さんも私たち教職員もかつて経験したこともない特別なスタートとなりました。新型コロナウイルス感染症への対応により、例年当たり前に出来ていたことが、出来なくなって、喪失感や無念な気持ちをどう折り合いをつけていくか、一方でやるべきことをどうしたら実現できるのか、知恵を出し合い、気持ちを合わせながら一緒に取り組むことが必要になりました。苦労はありましたが、皆さんや保護者の方の理解、協力を支えに年度末までたどりつけました。ありがとうございました。

 3月になるといつも思い出すことがあります。10年前,3月11日に発生した東日本大震災のことです。大変な被害、犠牲者を出したあの震災の時,中学校の卒業式の答辞がニュースで報道されました。宮城県気仙沼市の中学校では、3月11日の翌日12日が卒業式の予定でした。しかし11日の震災により卒業式が出来なくなり、10日ほどたって避難所となっていた体育館を式場にして卒業式が行われました。気仙沼市の階上中学校の卒業生代表,梶原裕太さんの答辞はニュースでも報道されました。その一部を紹介します。
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○2011年3月22日:気仙沼市立階上中学校 卒業式
 卒業生代表,梶原裕太さんの答辞(一部)

 階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていたわたくしたちでした。しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。辛くて、悔しくてたまりません。
 時計の針は、十四時四十六分を指したままです。でも、時は確実に流れています。生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です。
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 一緒に卒業するはずの仲間1名がなくなり,2名が行方不明という事態,学校の周りにも震災のすさまじい被災状況の中、身体から振り絞るような言葉で答辞を読みました。私は、学校というところに身を置き10代の青年とともに日常を過ごしているひとりとして、それまで感じたことのない重いものを感じました。それは今も体の中にあります。

 10年経って気仙沼市の中学校では、震災当時4歳,5歳であった中学生が自分たちで調べたり大人から聴き取りをしながら震災の語り部に取り組んでいると聞きました。聞き取ることで大人も当時を思い出し,中学生も当時,幼くてわかっていなかったことも知ることなり戸惑いやしんどさを感じながらの活動だと思います。しかし厳しい現実、難しい課題に直面したときに、目を背けたり耳をふさいだりしてやりすごすのではなく,「自分事」としてその課題に向き合い、想像し,何をすべきかを考え、踏み出すことで現実を変え、希望を創っていくということが大事であると私は学びました。

 私たちは,新型コロナウイルス感染症に直面し、当たり前によりかかっていられなくなりました。感染症の問題は収束することを望むばかりですが、4月になれば新しい仲間もふえます。厳しい現実,難しい課題であっても,そのことにしっかり向き合うこと、現状に流されたり、あきらめたりせず、「自分事」としてしっかり考えること、これから先を想像し,現状を変えるために踏み出すことを大事にしてください。

 このことを年度末のメッセージとします。

2021年3月19日
                  校長 吉田 功

18日 校内教員研修

●教員校内研修

 令和4年度から新しい学習指導要領に基づく教育課程がスタートします。何を学ぶか,どのように学ぶか,何ができるようになるかという視点を柱にして示された,生きて働く知識・技能の習得,どの状況にも対応できる思考力・判断力・表現力の育成,学びを人生や社会に生かそうとする学びに向かう力・人間性等の涵養という改訂の考え方を大事にした教育課程を編成し,実践していきます。

 今年度を振り返りながら,学校の現状と課題について教員で意見交換し,美術専門高校としてつけるべき力,学び方について,新年度を前に改めて検討しました。
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卒業式式辞

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               式  辞

 風光る3月を迎え、鴨川河畔の木々の芽吹きが始まる今日の佳き日、3年生の巣立ちの日となりました。

 本日、PTA会長様、美工交友会副会長様をご来賓としてお迎えし、多数の保護者の皆様のご臨席を賜り、第41回京都市立銅駝美術工芸高等学校卒業式を挙行できますことを、心より感謝し、教職員を代表いたしましてお礼申し上げます。

 先ほど、89名の生徒の皆さんに、卒業証書を授与いたしました。卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。美術専門高校での3年間の学びを全うし、ここに晴れて卒業の日を迎えられたこと、心よりお祝いいたします。皆さんは明治13年、1880年に創立された京都府画学校以来、140年の歴史と伝統をもつ美術学校の卒業生として、社会に巣立ちます。その誇りと大きな志をもって、それぞれの新しい道を歩み始めてください。

 保護者の皆様、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。お子様は本校で確かな力を身に着けられ、立派に成長されました。この3年間、本校の教育活動に深いご理解と温かいご協力を賜りましたこと、高い所からではございますが厚くお礼申し上げます。

 「卒業式が最後の授業」と、ある3年生が言いました。皆さんにとって高校最後の授業となる卒業式に、少し時間をいただいて私からお話をします。
 皆さんが本校の生徒となった入学式で、私は、ありのままの自分を否定せず、しかし、その自分に留まるのではなく、気づかなかった自分を発見し、広さと深さを増していく3年間にしてほしい、学校は希望を創るところ,この銅駝で新しい希望を創ってください,とお話ししました。私は、皆さんの高校生活の様々な場面に立ち会ってきて、皆さんの変化と成長を強く感じています。

 「希望を創る」時間と空間を保障しなければならない学校が、新型コロナウイルス感染症の課題に直面し、大きな制約を受けることになって一年が経ちました。昨年春から長期にわたる臨時休校、学校再開後も続く制限や対策。新型コロナウイルス感染症は、私たちの日常と非日常をひっくり返し、当たり前が当たり前でなくなったことをどう克服するかを迫られました。しかし皆さんは私たちと一緒にその課題に向き合い、様々な気持ちに折り合いをつけながら、銅駝での高校生活を大切に丁寧に過し、今できること、やるべきことに精一杯の力を出して取り組みました。立派でした。

 ファッションデザイナーの森永邦彦さんの『AとZ』という本を読みました。森永さんは美術系の学校で学んだ経験がありません。通っていた予備校の英語の授業で、講師の先生が、自分の教え子である学生が自己表現の手段として作った一着の服を見せてくれた時、「ファッションには伝える力がある。服は言葉を持つ」と衝撃を受けたそうで、これが森永さんのファッションとの出会いとなりました。森永さんは昨年の春、緊急事態宣言が出されて、「ブランドを始めてから今まで、立ち止まることが許されない世界にいて、初めて少し立ち止まり、日常について考えた。ファッションの在り方やブランドについて振り返った。何を大切にしてこの先を進むべきなのか。そばにいたいという人間の本能を根底から否定し、人の死に立ち会ったり、人の誕生をともに喜んだりすることが難しい日常。それを非日常化することができるのか。」と自問自答し「ファッションは日常を変える装置と言い続けてきた考えを見直し、日常を取り戻す装置と位置づける必要があった。」と書いています。森永さんは、生地屋も縫製工場もストップする中、アトリエにある様々なテキスタイルをパッチワークでつなぎ、マスクを作りました。切り裂かれた日常を縫い合わせるパッチワーク、人を覆い、人を守るマスク。ファッションはウイルスを死滅させることはできないけれど、医療や医薬品とは異なる方法で、ファッションはどうしたら人を守れるか、と考えました。そしてステイホームが叫ばれる中、絶対的な安心感を与えてくれる場所「HOME」をテーマにして、家のような服、服のような家を創作し、2020年9月に開催されたパリコレクションにオンラインで参加しました。森永さんは「服は日常を変え、服は人を変える。その服の力を信じよう」そう、書いています。新型コロナウイルス感染症の問題は、私たちがこれまで見えていなかったこと、考えてこなかったことを浮き彫りにしました。私たちは今、自分や家族、そして社会をどう守り、どう行動していくのかが問われているのです。

 日本で緊急事態宣言が発令されていた5月、ドイツのメルケル首相は「芸術支援を優先順位の一番上に置いている」と演説し、モニカ・グリュッタース文化メディア大臣は「芸術とは、人間の生存という根本的な問題に向き合う上で不可欠なものであり、特に今のような確実性が崩壊し、社会的基盤のもろさが露呈し始めている時代には欠くことができません。」と発言しています。人間の生存にとって、また予測不可能な不確実な時代に芸術の力が不可欠であること、私はこのメッセージを、美術を学んできた皆さんにぜひ胸に刻んで欲しい、そして美術専門高校で皆さんとともに過してきた私たちもしっかり共有したいと思うのです。

 『13歳からのアート思考』の著者、末永幸歩さんは、「アートにおける作品は、植物で言えば花。でも本当に重要なのは地面の下です。その人独自の興味のタネとそこから四方八方に伸びる探究の根があるかどうか」と言います。皆さんは、本校に入学後、美術専門科目だけでなく普通教科の学びや総合的な学習の時間、学校行事も含めて「観る」「感じる」「考える」「表現する」活動に旺盛に取り組んできました。私は、皆さんから、中学生までの自分と大きく変わったという言葉をよく聞きました。それは、皆さんが本校でひたむきに学びながら、探究の根を広げ、感性やクリエイティブな力を磨いたからだと思います。予測不可能な出来事に直面する現代の社会、私たちは、正解を一つだと信じ早く見つけることに奔走するのではなく、感性や思考力、創造力を発揮して考え抜くこと、そして自分の周りを開放し、他分野の人と関わり合い、対話や協働によってより良い解を創り出すことが益々重要になります。

 詩人の長田弘さんは、こんな文章を書いています。「記憶は過去のものではない、それはすでに過ぎ去ったもののことではなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。とどまるのが記憶であり、自分のうちに確かにとどまって、自分の現在の土壌になってきたものは、記憶だ。記憶という土の中に種を蒔いて、季節の中で手をかけて育てることができなければ、ことばはなかなか実らない。自分の記憶をよく耕すこと。その記憶の庭に育っていくものが、人生と呼ばれるものなのだと思う。」

 卒業する皆さん、本校で過した3年間の記憶、それを大切な土としてよく耕し、根を深く、広く張り巡らし、世界にただ一つのあなたらしい花を咲かせてください。今ある道がすべての道ではありません。これから皆さんの歩くところが、道になるのです。銅駝を巣立つ日、無限の可能性をもった皆さんに心からのエールを送り、最後の授業の話といたします。

 令和3年3月1日
                京都市立銅駝美術工芸高等学校長
                           吉田 功

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