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10月30日 校長室ウェブログの記事を更新しました校長室ウェブログの記事を更新しましたのでご覧ください。 10月30日記事 「作品が語る 作者が語る」 こちらから→https://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?... 校長室ウェブログ(10月30日) 作品が語る 作者が語る
作品が語る 作者が語る
10月が終わろうとしています。第38回の美工作品展が15日に閉じてからも様々な余韻の中にいました。美術工芸の作品は、作者の観察、思考に基づく表現であるとともに、鑑賞者の心を揺さぶり考えさせるメッセージを発出します。美工作品展は、4日間、2会場あわせて約5800名の方々にご来場いただきましたが、1年生から3年生まで270名の表現した作品が、来場者の方に何かしらとどけたものがあったと思います。各専攻では、生徒と教員が合評の中で作品について言葉を出し合いました。また、たくさんの方々に聴いていただいたギャラリートークでは、作者である生徒が制作の意図や制作過程、作品で表現したかったことを言葉にしました。「絶対悔いの残らない作品にしたかった」「17歳でこのように絵が描けて幸せだった」「作品と自分が一体となった」、作者である生徒が語ったことは、新鮮であり深く印象に残るものでした。 生徒の作品すべてを鑑賞して、私は私なりに、美しいとか、構図や形がおもしろいとか、また引き寄せられる感じがするとか、作者を思い浮かべながら様々な印象をもちました。それは、私の持ちあわせている物や色に対するとらえ方やイメージ、ものごとの感じ方、もっといえば、自分のこれまでの経験や生き方を背景にしたものであり、作者の考えや他の人の感じ方とは異なっていたかもしれません。しかし、そのことの自由が保障されているのが美術、芸術であり、その意義はたいへん大きいと思います。「モチーフが先にあったのではなく、テーマがまず先にあってモチーフを決めた」という言葉には驚かされました。『ありがとう』という作品です。自分と弟を描いた『霞み瞬く』という作品で、「亡くなった母の視線で」描いたという作者の語りには、胸中に大きな波が寄せてくる感じがしました。自分なりの鑑賞の後、作者と言葉を交わして作品のとらえ方が変わり、作品から発せられるメッセージの深さ、重さをあらためて感じたことがたくさんありました。 美工作品展に限らず、展覧会の案内、個展の案内をよくいただくようになりました。作品を鑑賞する機会を増えたのも、行こうという気持ちが高まったのも本校に勤めてからです。中学生の時担任であった美術の先生、前任校の先生や本校の先生、本校の卒業生、やはり秋は機会が増えます。“作品が語る”こと、“作者が語る”こと、鑑賞して自らの中にわき上がる感覚とそれを語ること、そういうことを叙述された長い文章ではなく、目の前に置かれた作品と向き合ってやりとりする。日常の中にそのような時間があること大事にしたいと思います。幼い頃より、図画工作や美術が好きで、作る、描くという活動だけを楽しいと感じていた自分が、今、鑑賞することに豊かさや幸福感をもてるようになりました。先日、進路講演会にお招きした京都大学総合博物館の塩瀬隆之先生のご講演、「共創時代に生きる『表現』〜『ために』から『ともに』へ〜」のお話を今一度重ね合わせて、美術の作品制作、表現、作品鑑賞のもつ可能性や力をあらためて感じているところです。 2017年10月30日 校長 吉田 功 10月4日 校長室ウェブログの記事を更新しました
校長室ウェブログの記事を更新しましたのでご覧ください。
10月4日記事 「観る 感じる 考える 表現する 〜第38回美工作品展を前に〜」 こちらから→https://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?... 校長室ウェブログ(10月4日) 観る 感じる 考える 表現する
観る 感じる 考える 表現する
〜第38回美工作品展を前に〜 10月になりました。今年の中秋の名月は10月4日、美しい月を眺められるのを楽しみにしています。最近は街中が夜でもどんどん明るくなってきていますが、この明かりがなければ、もっと異なった月の美しさを感じられるのでしょう。以前屋久島に行ったときに、森のナイトツアーを経験しました。足下を懐中電灯で照らしながら森の中へ入っていって、懐中電灯を消すと漆黒の世界。しかし、数分間目を閉じてゆっくり目を開けると、森の中の木々がしっかり見えるのです。ガイドさんは、人間は昔、夜でも“もの”をとらえる目をもっていたが、あかりを使う生活が当たり前になって「野生の目」が衰えてきた、と話されました。「明るいところでものを見る」「暗ければ明かりをつけて見る」そんなことを常識として疑わないでいると、夜の森の樹の美しさ、神秘さは感じられません。「観る」ということをよりこだわって考えるようになったのは美術の学校、銅駝に来てからです。 私はいつも鴨川沿いか、高瀬川沿いをあるいて朝7時半過ぎに出勤します。実習棟、記念棟をみて本館へ到着。ときどきグラウンドへ出て、東山を観たり、逆にグラウンド東側から本館を眺めます。当たり前ですが、毎日感じるものは違いますし、去年と同じ季節が巡ってきても感じることは違います。夜、退校するときの校舎の姿はまた味わいがあります。一日を終えた学校の姿です。様々な場面で「観る」こと「感じる」ことの、深さや幅広さを意識します。 私は、幼い頃から「青」色が好きで、衣服も小物も結果的に青ばかりになるのですが、「青」が自分の心を動かす、作用する感覚は、この学校に着任してから少し変わったような気がします。それはやはり、生徒が制作した作品で多様な「青」を見てきたからだと思います。もっと言えば、あまり好まなかった赤色や黒色のイメージも変わりました。生徒の作品に見える赤や黒を美しいと感じるようになったのです。観ることの大切さ、感じることの深さ、制作において考えることの重さ、表現の仕方の幅広さ、そういうことを教えてもらったのは、この学校であり、生徒の制作の姿、表現された作品のおかげです。 今年、デザイン専攻の生徒が制作した手描きのリアルなトラのイラストを全面に使い、学校のポスターを作成しました。ポスターに掲げた言葉は「とことん深く、幅広く」です。専門学科の高校は、特定の分野だけをただただ学ぶのではない、深さと幅広さを土台にした専門性を学ぶ、本校はそういう美術の専門高校です。美術の専門高校でたゆまず行っている「観る」「感じる」「考える」「表現する」ことは、人が生きていく上で重要な営みです。問いに対して膨大な情報を元に計算処理して最適解を見つける、そんな技術が発達しても、「観る」「感じる」「考える」「表現する」そういうことを丁寧に重ねていくことは、よりよく生きる、社会をより豊かにするためになくてはならないものだと考えます。 そのような営みの中で制作された生徒の作品が、まもなく美工作品展に出品されます。生徒の自己表現の一つの到達点を多くの方々にご観覧いただけることをありがたく思っています。そして、作品が多くの方々の心を揺さぶることを願っています。 2017年10月4日(前期終業式の日に) 校長 吉田 功 |
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