最新更新日:2024/06/04 | |
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近衛中学校のお話
「河原町の家から,一中に通うには,鴨川にかかった荒神橋を渡らねばならない。この橋のたもとに出ると,まっすぐに叡山が見えた。その右に少し低く大文字山。さらに低く,吉田山が見える。(中略)少し歩くと道の右側に,一中の校舎が見え始める。塀の外には,大きな柳が何本も並んでいた。」日本人で初めてノーベル物理学賞を受賞された湯川秀樹先生の自伝的著書「旅人」の一節です。荒神橋から近衛通りを通って近衛中学にたどり着く風景は現在も変わっておりません。
先日の入学式でもお話しましたが,今日はみなさんに,この近衛中学校の伝統についてお話ししておきたいと思います。近衛中学は昭和23年創立であり,今はもうありませんが第二錦林小学校の跡地に建てられました。第二錦林小学校の前は京都一中吉田学舎として,明治30年から昭和4年まで,この地に学校が建てられていました。校門の横には第二錦林小学校と京都一中の記念の石碑があります。 また,近衛中学の大きな特色は自由服です。京都市の公立中学校では唯一の学校です。この近衛中学の自由服の考え方も,かつての京都一中の校風から来ているのではないでしょうか。湯川秀樹先生は「旅人」の中で,当時の一中の校風を「自由主義」と語っておられます。湯川先生は一中時代に出会った先生や友人とのエピソードをあげ,「いったん身につけた自由の気風はおそらく一生,私から離れないであろう。」とおっしゃっています。 みなさんが,この歴史のある近衛中学校の校門を,毎日,それこそ当たり前にくぐっていける日が早く来ることを祈っています。 |
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