京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2021/09/21
本日:count up66
昨日:30
総数:141590
文字: 大きく | 小さく | 標準 配色: 通常 | 白地 | 黒地
ハートフルマーク
自ら学び,ともに『自己実現』をめざす宮山の子 

学校沿革史

学校沿革史
学校沿革史を配布文書に添付しました。

教育は願いであり、祈りである

画像1
《1》『雑草』という花は、ありません

 小栗栖宮山小学校はとても自然の環境に恵まれているため、毎日、いろんな楽しみ方ができます。
 山際の斜面からは、毎日のようにうぐいすの声が聞こえ、くたびれた気持ちをやさしく癒してくれます。また、雨が降りそうになると、どこからともなくかえるの合奏が始まり、さあもうひとがんばり!という気持ちにさせてくれます。校舎内にも青いザリガニや、毛の生えたハサミを持つザリガニもいますし、運動場にはチャボもいます。今、ふ卵器を借りてきて、卵をかえす試みもしています。
 子ども達は、毎日あたりまえのようにいろんな生き物を目の当たりにし、一人一人の意識の中にも無意識の中にも、「いのち」の育みが刻み込まれていく、そんな素晴らしい環境の宮山小学校がとても誇らしく感じます。
 そんな中、楽しみにしているのが、校内のいろんな花を見つけることです。学校にはいろんな草花があふれています。この前まで「花水木」が中庭を彩
っていましたし、「つつじ」も鮮やかな色を競うように咲いていました。
 ただ、最近、ちょっと気になるのが、タンポポなど、いわゆる「雑草」と呼ばれる草花です。そんな中でも特に小さくて目立たないところでこっそりと咲いている花にときどきハッとさせられます。
 右の花は何か分かるでしょうか?
 これは「ニワゼキショウ」という身の丈10cmほど花にいたっては5mmくらいで、道端にそして花壇のすみっこに、こっそり、こっそり咲いています。注意して見なければ誰も気づいてくれないかもしれません。でもよく見ると紫や黄色、白などとてもほん
のり優しい色です。そして、それは小さいながらも懸命に花びらを広げ、命を次の世代につないでいくために、虫を呼んでいるのです。
 「雑草」という草花はありません。すべての花には必ず名前があります。ただ、人の都合に合わせて名前がつけられ、時には人の記憶から遠ざかっていく花もあるだけのことです。名も知れず人にも知れず、それでも一生懸命に力強く「生きている」草花の姿にひかれるよう
です。
 気をつけて見ていると、きっと無数の花があちらこちらで見つかるでしょう。学校に通う子ども達、タンポポのように力強く育っている子もいますし、スミレのように目立たないけど気がつくとその彩りにハッとさせられる子もいます。
 言えることは、どの子もしっかり寄りそって、じっくり関わってみると、その子にしかない美しさや強さ、優しさを持っていることが分かることです。必要なのは、そのことに目を向け、耳を傾け、そして心を寄せ、気づく、周りの人の存在です。
 子ども達はまだまだ「つぼみ」かもしれません。だからこそ、これから花をいっぱいに咲かそうと懸命に育っている一人一人の力を見つけ、信じ、時には風に倒れないようそっと支えることが必要なのです。
 好きな花の一つに、道端にほんのり空色で可愛く咲く「忘れな草」という花がありす。
 花言葉は、FORGET ME NOT(私を忘れないでね・・・)



《2》知っていますか?『DO YOU KYOTO?』

 地球の温暖化が大きな問題となっています。人間が排出する二酸化炭素がこのまま増え続けると、地球の水面が上昇するだけではなく、天候や生き物のバランスが一気に崩れ、世界のあちこちで、たいへんな問題が起こってくるというものです。
 そういった危機を何とかしようと、その対策に世界が動き出しました。1997年に京都で開催された会議で、日本が世界のリーダーシップをとって先進国の二酸化炭素排出量を減らす具体的数値目標を定めたのが、『京都議定書』です。これは世界レベルで環境について発信した画期的な会議でした。
 それにちなんで、京都市では全国に先駆けて「エコ」や「環境」についての取組を進めてきました。そこで使われたのが「DO YOU KYOTO?(環境にいいことしていますか?)」です。毎月16日を「DO YOU KYOTOデー」としました。
 一方、自然の環境だけではなく、いじめやメディア依存、規範意識の退行など子ども達の育つ環境の劣化が大きな問題となってきました。京都市では地域ぐるみで子どもを育てる「環境づくり」を進めようと、人づくり21世紀委員会やPTAなどの市民団体が具体的な取組のスローガンとして掲げたのが、「DO YOU KYOTO?(子どもにいいことしていますか?)」です。K(子どもに)・Y(やさしい)・O(大人の)・TO(取組を)と覚えたら分かりやすいですね。
 未来を託す子ども達を真っすぐ健やかに育てることが、社会の発展や安定につながるといった思いのもと、京都市では大人そして社会が何をしていかなければならないかを明文化した「子どもを共に育む京都市民憲章」が平成19年に制定されました。さらに今年(平成23年4月)には、憲章を推進するため「憲章推進条例」が施行されました。
 5月は憲法月間です。すべての国民の安全と平和を目指し、命と人権を守るための拠り所となる大切なものです。「子どもを共に育む京都市民憲章」は京都の子ども達の「いのち」と「こころ」を守り育てるための大きな拠り所となるものと考えられます。自分の子どもを責任もって家庭で育てることはもちろんのことですが、すべての子どもをすべての家庭、地域の力で育てていくことが大切になってきます。
 「憲章」というと、なかなか難しくて身近なものとして感じられないと思いますが、PTAや見守り隊、そして学校の教育活動など、すべて「憲章」の具体的な実践としてつな
がっています。大切なことは、それぞれの大人が子育てのために「憲章」をその拠り所・目指す方向としてのどう共有・共感し具体的な活用ができるかです。「おはよう!」のあいさつをすることも、子どもの話をじっくり聞くことも、地域のみまもり活動もすべて「憲章」の実践です。
 DO、YOU、K(子どもに)・Y(やさしい)・O(おとなの)・TO(とりくみを)、さっそく実践していきませんか!すべての子ども達のために、豊かな未来のために…。
※ちなみに毎月16日が「DOU YOU KYOTO?デー」になっており、それに合わせて、PTAでは「ノーテレビ・ノーゲーム・ノーケータイデー」、おやじの会では「早く帰ろう!デー」などの取組発信を行っています。中身はまたお知らせしていきますね。



《3》子どもは小さい大人ではない…

 以前、ある酒場での出来事。若夫婦と一緒に幼い兄弟二人が来ていました。夜11時を回っても、子どもを放ったらかしにして親はおしゃべりに夢中、子どもは退屈なのか周りでガチャガチャ、母親が「座っとり!」とたしなめたのですが、それでも走り回ったあげくコップを倒した姉を、突然お父さんが「座っとれ言うとるやろ!」と張り倒しました。子どもはひっくり返って一回転。愕然とする周りの客を尻目に、しばらくしてその親子は帰っていきました。悲しい気分で子どもの気持ちを思うとともに、その子の将来の姿が親の行動と重なるスパイラル(連鎖)に寒気と脱力感を感じました。
 今、こういった子どもの「しんどい」状況がどんどん進行しつつあります。
子どもの「育ち」支える親のかかわりを、子どもの「発達」の視点から見てみましょう。一般的に「体や臓器」は18歳まで年齢に合わせて緩やかに成長します。しかし「脳や神経」は3歳まで急激に発達し成人の約80%、小学校卒業時にはほぼ100%の発達が見られます。乳幼児期、学童期の子どもたちへの関わりが、その子の一生に大きな影響、言いかえれば「致命的な」影響を与えるのです。
 先ほどの親子は論外とは言え、小さい時から子守をテレビやビデオ、ゲームなどにさせていないでしょうか。子どもが要求するままケータイを与えて生活リズムや人間関係の乱れを見過ごしてしていないでしょうか。これらは「暴力」だったり「放任」だったり、明らかに「虐待」にあたるのです。
 幼い子どもは人との生身の関わりを通して、特に親との温もりあるコミュニケーションを通して「ひと」としての発達を獲得していきます。心の交流からたっぷり心の栄養を補給するのです。反対にこの時期、心の栄養不足になると、積み重ねていく発達に大きな「穴」がポッカリと空いた状態になり、いびつなまま成長することになってしまいます。それが思春期に暴発し問題行動につながるとも言われています。昨今の青少年の心痛む事件が、そんな子ども達の「育ち」につながっているような気がしてなりません。
 子どもは小さな大人ではありませんし、子育ては大人の枠にはめた形成作業でもありません。どの子も未熟なのは当たり前で、その成熟を支えるのが親や教師の役目です。大人の物差しや都合、勝手で子育てや教育をしていないでしょうか。自分の価値観で思うように子どもを「作ろう」としてはいないでしょうか。子どもは自分の力で伸びる力を持っています。大人は自分の生きざまを見せつつ、その力を「信じ」、子どもを「支える」ことこそが大切です。今、次代を担っていく子ども達のため、我々大人がお互いに子育てや教育について伝えあえる関係をつくり、意識やライフスタイルをもう一度振り返り、見直していくことが、思わぬ「しっぺ返し」を食らわないために必要ですね。



《4》『困った子は、困っている子』
 
 楽しかった(はずの?)夏休みも終わり、いよいよ学校が始まりました。やっぱり学校には子ども達のにぎやかな声と、元気な笑顔と、あふれるあの「匂い」が似合うな、と感じるこの頃です。
 休み明け、登校してくる子ども達の様子を見ていると、それぞれの過ごし方が頭に浮かんできます。夏休みにがんばった工作を抱えてうれしそうに来る子、まっ黒けに日焼けし大きな声であいさつする子、一方、「楽しかったか!」と聞いてもちょっとうつむき加減で通り過ぎる子もいます。それぞれの夏休み、それぞれの過ごし方があったでしょう。ただ、学校が始まるときちんとした生活や学習のリズムが必要になります。それぞれの「夏の荷物」の点検をしながら、学校という集団活動に向かっていけるよう、しっかりと子ども達を見守っていきたいと思います。
以前こんな子がいました。
 夏休みの宿題が全然できていない、遅刻も続きますし、少しのことでイライラし友だちとけんかになることも多かったです。叱ってもなかなか変化は見られず、全く「困った子」でした。何とかしようと家に連絡をしてもなかなかつながりません。やっとのことでお母さんと話ができたのが、学校が始まって一週間ほどたってからでした。そこで、お祖母さんの具合が悪くてお母さんが付きっきりになっていたこと、食事も自分で作り一人で食べることも多かったこと、お母さんがいる時は片時も離れないでいること、など話を聞くうちに、涙が溢れそうになってきました。
 次の朝、教室の入り口でその子を迎え「ごめんな…」と言った時、初めはキョトンとしていましたが、「独りでがんばっていたこと、知らないで…」と伝えた時に、やっとその子の表情が緩み、その後「あんな、先生…。」とあふれる話をしてくれました。子どもの抱える「しんどさ」や「つらさ」を分かっていなかったし、「困った子やな…」と判断してしまった自分が情けなかったし、教師失格やったと痛感しました。
 「困った子は、困っている子」です。
子どもは一人一人いっぱい「困っている」ことを抱えて学校にやってきます。それを言葉でしっかり伝えられる子はまだいいでしょう。なかなか表現できずに「困った」言動で表したり、あるいは自分で全部抱え込んでしまったりしている子もいるのです。幼い未熟な命が大きな重い荷物を抱えて、それでも、ちょっとだけ「荷物が降ろせるかな?」と期待し学校にやってきます。そんな子の無言の叫びに気づき、受け止められる学校でなければならないと強く思います。
 一人一人の「困っている」ことやその対応の仕方は様々です。また、親と思いを共有するためには教師にもそれなりのパワーが必要ですし、支援が必要な子にはそれなりのテクニックも必要です。さらに、社会や地域・家庭の環境も大きく変化することで「困り」の質自体が変わってきています。でも、だからこそ、今、子どもの「困っている」ものが何なのかをじっくり見つめる視線を大人が持ち、支えていかなければ、子ども達は「困り」に押しつぶされてしまいます。最近、子どもの自尊感情の低下が問題になっていますが、決して子ども達にマイナスに閉じる育ちはさせてはなりません。
 子ども達は、これからの社会を担い、背負っていく大切な宝物なのですから。



《5》「ヒロシマ」で感じたこと

 9月、6年生の修学旅行に一緒に行ってきました。一泊二日でしたが、広島、岡山(倉敷)、姫路を巡るたいへん充実した内容でした。いろんなスポットであらためて6年生の子ども達のすごいパワーと連帯感の強さ、そして純粋なまなざしに数多く出会えたこと、とてもうれしかったです。6年生のみなさん、本当にごくろうさまでした、そしてありがとうございました。
 一日目の広島では平和学習として、とても大切な学習ができました。原爆ドームや資料館に行き、原爆や戦争の悲惨さや理不尽さを理屈抜きに一人ひとりが感じ取ったことは、今回の大きな成果だったと思います。真剣な眼差しで資料展示やビデオなどに見入り、一生懸命受け止めようとする子どもらの姿が、そこにはいっぱいありました。
 一方、今回特に印象に残ったことがありました(私自身は何回も資料館には訪れているのですが)。それは、原爆の熱線で体が焼けただれ生き残った人々を、同じように被害を背負いながらも一生懸命に治療にあたる人々の写真記録でした。十分な設備も医療機器もない中、もはや救われようもない重度の火傷を負った人々に薬を塗り、包帯を巻く姿は、まさに極限状態での「いのち」に対する人間の行為の尊さでした。それが、3月に東北で起こった大震災での様子と重なって感じられたのです。
 自分の家族の行方が分からないまま、自らが勤務する病院で、電気も水も薬もない中で寝ずの治療をし続けた医者や看護師の献身的な姿、そして、倒壊し放射能を放出しだした原子力発電所に十分な装備のないまま検査や修理に向かった作業員の姿、寒さに震えながら瓦礫と泥砂の中、津波に飲み込まれて行方不明になった孫を探し巡る老人の姿、そんな「人のため」に無条件に動ける人間の「本能」に、時代や地域を超えて共通する「素晴らしさ」と「すごさ」を感じました。
 今、社会ではグローバル化(世界化)が加速度的に進む一方、パーソナル化(個人化)が進み、人間の「匂い」のする人間どうしのつながりがどんどん希薄になってきています。そんな中、今まで社会の中で培われてきた前述の「本能」さえも、虚弱化してきているように思えて仕方がありません。学校は集団的活動を通して子ども達の社会の一員としての人間の「本能」を育む最後の砦のようにも感じます。
 今、学校でどんな力を子ども達に育てていかなければならないのか、どんな思いをしっかり評価し支えていかなければならないのか、教育に携わるわれわれに問われているように感じた広島での体験でした。

※他校の子ですが、資料館で被災者の写真を見て、「わあ、きもー」という子がいて、何か憂鬱な気分になりました。ただ、その発言の土台には、思考をつかさどる「言語」発達の未熟さがあるのです。その子の発言の問題性に結果を求めるのではなく、人の痛みを感じ、考え、それを表現するための道具・手段としての「言葉」を大切に育ててこなかった社会(軽薄なお笑い番組の氾濫やゲーム・ケータイの洪水等に象徴される)や、家庭、そして何よりも学校の責任と役割をしっかり考えなおさなければ、モグラたたきではこの状況は決して変わらないでしょう。



《6》「本」と出合おう!

 文化の日をはさむ2週間は『読書の日』です。
 私自身、今まで数多くの「本」と出会いは、現在の姿に大きく影響していると思います。
 最初の本との出合いは、記憶に残っている限り「いやいやえん」という本です。幼稚園以前のことです。内容は、積み木の船で海に出かけたり、約束を破って山に入ると鬼が出てきたり、お話の世界に引き込まれて、すごくワクワクしました。何十回も何百回も読んでもらったと思いますが、毎回、海や山、森に行き、主人公のしげると一緒に冒険し遊んだことが鮮明に印象に残っています。モノクロの絵ですが、しげるがクレヨンで落書きした赤色がなぜか強烈に心に焼き付いています。その後も、限りなくいろんな本と出合いました。
 戦後間もない昭和22年、まだ戦争の傷跡が数多く残る中で、「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」と、官民マスコミが一緒になって『読書週間』が始まりました。この運動は日本の国民的行事として定着し、日本人は世界有数の「本を読む国民」になりました。戦後の日本の発展を支えてきたのはこんな読書習慣の積み重ねであったかもしれません。
 しかし、時代の流れの中でテレビやゲームが急速に普及し、子ども達から「本」が離れていきました。さらにコンピュータやにケータイの加速度的な普及は、その利便性の一方で「読書」という子どもの全人格的な「まなび」を阻害し始めました。ケータイ依存、ゲーム中毒といった緊急的な課題はさて置き、目に見えないところで子ども達の活字離れがどんどん進行してきている状況は、未来の日本を背負って立つ子ども達の「想像力」「人間力」に大きな影を落としているのではないでしょうか。
 日本の子ども達の「学力」が相対的に低下しつつあるという議論がよくされます。「学力」を支える「考える作業」は、脳に豊富に使えるツール(道具)としての「言語」なしでは成り立ちません。算数でも社会でも学校でのすべての教科の学習は「言葉・文字」を通して行われます。脳の中で言語を自由に使いこなせる子と、使うのに四苦八苦している子とでは、「学び」の量や質に大きな差が出てくるのは当然です。それぞれの豊かな発想を、整理し表現していくのはまさにその子が持つ「言葉・文字」の力です。
 一方、子どもを取り巻く言語環境の劣化も見過ごせません。テレビのお笑いで「しね!」というような言葉が平気で使われる状況や、顔の見えないネットで相手へ誹謗・中傷の書き込みの氾濫など、人と人を豊かにつなぐ「言葉」の環境がどんどん失われつつあります。
 また、家庭で一日を振り返りながら楽しくじっくり語り合う場や時間が減ってきているのも事実です。さらに、本や新聞などがいつも身近にない環境にもなりつつあります。そんな中で、家庭での会話が短い単語文でしか成り立っていないところも多くなってきているでしょう。
 だからこそ、今もう一度、意識的に「本」を子ども達の手元に取り戻すことが必要なのです。学校でも『読書週間』での発信や、「一人一冊」「いつも手元に本を!」といった取組を進めています。ぜひお家でも簡単な絵本でいいので子どもに読み聞かせをしたり、一緒に図書館や本屋さんで好きな本を選んだり、大人が読書をする姿を見せたり、テレビを消して本に向かう日や時間をきめたりして、子どもの「本」との出合いをいっぱいさせてあげてください。
 勉強を楽ちんにスムーズに進められることで「学力」を向上させ、一人一人の想像力を生きる力に結び付け、未来につながる世界や道を広げること間違いナシ!です。



《7》「ことば」の力

 子ども達の「ことば」の力の弱まりが気になります。
 「きしょい!」「うっとおし!」「しね!」…など相手のことを考えない汚い言葉があちこちから聞こえることが気なったので、宮山校で使用禁止宣(?)を行い、耳にすることは減ってきていますが、今だに時々人を傷つける「ことば」に出合います。「むし!」「ありえへん!」「さいあくー!」…、人に向って使うものではない、というだけではなく、それは次々と人との関係を断つような「ことば」なのです。それが低学年の子ども達の口からも漏れてきます。
 「しね!」という言葉がテレビの画面から普通に聞こえてくる社会風潮も問題でしょう。仕事が忙しくて家庭での日常会話が成り立たなくなってきていることも原因かもしれません。また、多忙感に追われた教師のイライラした威圧的な言葉づかいにも問題があるのでしょう。子ども達の心は純粋で真白で、どんなことでも自分の中に取り入れ色付けしていきます。ただ、身の回りのことからしか学ぶことができません。何でも吸収し、爆発的に成長している子どもの段階では、その環境の色が生涯にわたって身に染みついてしまうのです。
 『いい言葉は、いい人生をつくる』と言われます。
 「ことば」の使い方や、語彙(ごい)の多さ、それにともなう表現の豊かさは、明らかにその「人となり」を示しますし、生きていく上での人間関係にも大きくかかわってきます。まさに、「ことば」ひとつで人生は変わるのです。
 言葉には一つ一つ「肌ざわり」があります。チクチクする服よりふんわかと着心地のよい服を人が好んで着るように、チクチクする言葉より、肌ざわり・手触りのよい言葉が心地よいのは当然です。こんな「心地よい」関係が、今の子ども達にも社会にも必要です。「ありがとう」「ごくろうさま」「よかったね」…、意識すればあちこちにそんな言葉は見つかるでしょう。相手の目を見て、にっこりとしながらこういった温かい言葉が伝えられると、閉じていた相手の心も少しずつ開いていきます。「この人は、自分を大切に思ってくれている」という信頼感が、人と人のコミュニケーションの入り口なのです。
 本校では、豊かな話し合い活動を通して子ども達の「学力」や「生きる力」を育てるため、「話す」「聞く」「読む」活動を中心に研究の取組を進めています。この取組を通して子ども達の「ことばの力」が少しでも高まっていくことを期待しています。
 未来の「いい社会」のために、子ども達の「いい人生」のために、学校や家庭・地域で「ことばの力」をしっかりつけていけるようにしていきたいですね。



《8》子ども達を安全で健やかに育てる…

 最近、大きな痛ましい交通事故のニュースが目に入ってきます。考えられないような事故ばかりですが、いつどこで起こっても…という心配と恐怖が日常の中に入り込んでくることが憂われます。特に登校児童の列に突っ込んできたケースには、子どもらの安全についてもう一度しっかり見直さなければならないことを痛感させられました。
 登下校時の子ども達の歩き方、並び方はどうでしょうか?ふざけて道いっぱいに広がっていないでしょうか?スピードを出したまま自転車で交差点に突っ込んでいっていないでしょうか?坂道でスケートボードを遊んでいないでしょうか?…学校での子ども達への指導や日常のパトロール等、徹底的に進めなければいけません。PTAや地域の見守り活動も大切です。行政や各種団体との連携も必要です。
 でも、一方で学校や家庭で考えなければならないことがあります。それは、事故を起こすような加害者を絶対につくらないことです。言いかえれば、「いのち」をしっかり考え、社会の中でその一員として生きる意識を持ち、行動できる子どもを育てることです。事故を起こした少年は、ある意味で現代社会の中の被害者でもあるように思えて仕方がありません。事故についての罪を問うこととあわせて、事故を引き起こすことにつながるわれわれの社会や家庭、学校の在り方についてもう一度しっかり問い直すことをしない限り、こういったことは形を変えて繰り返されるのです。
 われわれ大人は、子どもが一人一人しっかり認められ、生かされる日々の働きかけをできているでしょうか?
 「大人は,子どもの可能性を信じ,自ら育つ力を大切にして,子どもを見守り,ほめ,時には叱り,共に成長していくことが求められます。そして,子どもを取り巻く状況を常に見つめ,命と健やかな育ちをおびやかすものに対して,毅然とした態度でのぞむ必要があります…」(『子どもを共に育む京都市民憲章』前文より)



《9》にげ道をつくる

 あるベテランお母さんから、子育てのコツだと言ってこんな話を聞いたことがあります。
「子どもが何か悪いことをしてしかるときに、必ず「にげ道」をつくってあげることをいつも考えている…、どんなに腹が立っても、イライラしてもそれが大事なしかり方だ…」と。
 大人は大きな視点からすじ道を立てて考えることができます。だから、理詰めで子どもを追いこんで「にげ道」がないようにするようなしかり方をよくします。でも、子どもはまだまだ未熟、世界もせまく感情や直感でものごとを考えます。追い込むしかり方は、言いたいことが子どもの心に伝わらないだけではなく、場合によっては子どもが自分を守るため本能的に心を閉ざしたり、「窮鼠、猫を咬む」と言われるように、猛烈に反抗的な意識を目覚めさせたりもすることになります。
 「にげ道」をつくってあげるしかり方とは、子どもが悪いことをした時に、短く要点だけしぼってビシッとしかる。それが子どもの心に少しでも響いたと感じたら、さっと引きあげ子どもを「逃がしてやる」ということです。長い説教は、子どもにとっては、ただただ「自分が否定されている」と感じるだけです。
感情にまかせてではなく、ポイントをまとめてから雷を落とす。そして、目をしばらく見てからあたたかい後ろ姿で去っていく。これは子どもに「信じているよ…」という気持ちを示すことでもあり、「あなたを信じて、存在を大切にしているよ、だから、後は自分で考えなさい」のほうが効果的なことはうけ合いです。
 ここで肝心なのは、ただ「甘い」だけ、「ゆるい」だけにならないことです。「子育ては、厳しいけれど冷たくなく、優しいけど甘くない」。ポイントを得た言葉です。
 自分自身も含めて、学校の中でも子どもを無意識のうちに追いこんでいないか、子どもの背景にあるものまでしっかり見つめ、力を信じて支えいけているかをいつも問いかけながら、子ども達にかかわっていきたいと思います。
 運動会での子ども達のパフォーマンス、とても素晴らしかったです。いっしょうけんめいの姿をいっぱい見せてくれた子どもらに感謝するとともに、お忙しい中、応援してくださったみなさま、そして日々子ども達のがんばりを支えてくださったみなさま、本当にありがとうございました。



《10》あんたは本当はわるい子やない

 子どもは毎日めまぐるしく変化しています。素晴らしい力で、世界をどんどん広げていていっています。子どもの一日は大人の一週間、一ヶ月分にあたるほど爆発的に育っています。ただ、自らの育つ力をどう発揮していいのかわからなくて、さまよっているケースも多くみられます。年相応の発達の階段を登るのに、まだまだ支えが必要なこともあります。
 私自身、担任をしていた頃は、大きな声で子どもを怒鳴り散らすこともよくありました。命にかかわる危険なことや、他の子を傷つけることなどは今でも雷を落とします。でも、あるお母さんからこんなしかり方を聞き、はっとしました。
 子どもさんが友達の家に遊びにいって、欲しかったカードを持って帰ってしまいました。自分の欲望に任せて「盗み」をしてしまったのです。親を呼んで指導をした時、お母さんは自分の子にこう言いました。
 「あんたは決して悪い子やない。けど、あんたのしたことは許されない悪いことや…」
まず、よくない行いも含めて存在を認め受け止める。そして大切な存在としてのあなたはどうしたらいいかを粘り強く示す。それが大事なのです。やってはいけないことをする、やらなければいけないことができないのは、やり方や表し方が身についていず、さまよっている姿です。赤ちゃんがおしっこをたれても、だれも怒らないでしょう。まだまだ未熟な育ちだから、優しく根気よく関わることが当たり前なのです。小学生でも、いろんなトラブルを起こしたり、問題行動を繰り返したりするまだまだ未熟な子がいます。そんな子どもに対し、「おまえが悪い、なにやっとんねん!」と存在までも否定するアプローチは、子どもをどんどん迷路に追いこんでいくことになります。自分の力で発達の階段を一歩ずつ登っている子どもにとって、かけがえのない存在として信じてもらえ、無条件で支えてくれる存在が身近にいることが、力強くまっすぐに育つためのとても大切な基盤とエネルギーとなるのです。



《11》今、することは…

 先日、5年生の子どもらと「花背山の家」に行ってきました。五日間もの長い宿泊学習、いったいどうなるかな…と思っていたのですが、心配とは裏腹にみんな元気いっぱい、こちらが子ども達のパワーに圧倒されたというのが実感です。一日をかけてみんな登りきった山、雨の中、自分たちで力を合わせ泊まったテント、感動的にグループで盛り上げたキャンプファイヤーなどいろんな活動一つ一つに素晴らしい姿をいっぱい見せてくれました。本当に子ども達の持っている力は素晴らしいです。そんな子ども達の能力を信じて、活動できる場(状況)を用意し、どこまでも支え切る、それが我々大人の大きな宿題だと強く感じました。
 さて、今日から2学期制の後半が始まります。前期の間に楽しいことや困ったこといろいろあったと思いますが、新しいスタートとして楽しみいっぱい意欲的に後期を迎えてほしいと願っています。
 そこで、自身の心にこんな言葉を刻んで取組を進めていきたいと考えました。それは  「今、することは、今、やりたくないこと…」
 日々の生活の中で、いっぱいしなければならないことがあります。でも、なかなか気が重くて、後回しになっていることはいっぱいありませんか。例えば、宿題今は気がのらないし遊んでから…、ゴミが落っていても誰かが拾ってくれるやろ…、疲れてるから整理は後で…など、やろうと思えばできるけど後でもいいやろ、だれかがしてくれるかも…、と後回しにしてしまっていることはないでしょうか。
 でも、気持ち一つで今すぐにでもできることはいっぱいあります。やりたくないことから先に手をつけることでずいぶん気持が楽になりますし、余裕ができる分、見通しをもってでき、楽しみを考えられる時間も増えます。これは子どもも大人も「やろうと思えば、すぐにできる」自己改革の近道です。
 山の家では、やりたいこともやりたくないことも、やらなければならない!ということが子ども達を突き動かしていました。どっちみちしなければならないことの中から、後回しにしたいことを先にしていく、このことが少しでも自分自身の変化につながっていければ、それが子ども達の成長に少しでもつながれば…と思うこの頃です。



《12》笑う門には福来る

 先日、教師の研究会でおもしろい授業がありました。道徳の授業なのですが、ジュニア日本文化検定のテキストをもとに仏像を調べ、日本の歴史や文化について学ぶものです。その中で滋賀県高源寺の十一面観音のあるさまざまな表情から、昔から人々が大切にしてきたものを感じ取るといった内容がありました。穏やかな表情や、怒った顔などいろんな顔がある中で、裏にある仏の表情が「がははっ」を大爆笑しているのです。そこから、なぜ昔から人々は「笑い」を大切にしてきたか考えるのです。子ども達も笑いや笑顔の大切さをそれぞれが考え意見を交流し合いました。「笑う門には福来る」とか「笑いは百薬の長」とか言われ、人間の幸せで健康な生き方のために「笑い」が大切なものであることはわかっていますが、今の自分が、心から笑えることがいかに少ないか考えさせられ、これから「笑顔」があふれる学校や家庭にしていこう!と、意識して取組を進めていこうと心に決めました。
 一方、「おわらい」はテレビなどのメディアにあふれており、子ども達も大人もどっぷ
りと浸かっています。でも、人を傷つけ困らせたり、ばかにしたりしてケラケラ…の笑いに毒されすぎていないでしょうか。
 授業の中で一人の子どもが「笑いというものは、あたたかいものです」と言っていました。日本人が育んできた心が暖まって元気がでる本来の「笑い」を、大人が子ども達にしっかり与えていたいものです



《13》へえ、こきよった…
 
 私が小学生2年生の時、こんなことがありました。
 クラスの一人の女の子が、体育の着替え中、しゃがんだ時に「プ〜」としてしまったのです。横にいた私も含め2人の男子がすかさず「へえ、こきよった!」と冗談ではやし立てたことで、女の子は真っ赤になって泣いてしまいました。遊び半分で言ったことなので「そんなくらいで、泣かんでもええやん!」とか言ってなだめようとしましたが、女の子はそのまま家に走って帰ってしまいました。
 その後、内容はよく覚えていませんが、先生に呼ばれてひどく叱られました。「自分らでしたことは、自分らで解決しなさい!」と首筋をつかまれて職員室から放り出されたことだけは覚えています。三人で「どうしたらいいんやろ?」と考えました。
 まず、女の子の家に行って「ごめんなさい」と何回も謝りましたが、泣いて目も合わせてくれません。しまいにはお母さんが出てきて、「自分が言われたらどう思うんや!」とグサッと、とどめを刺されてしまう始末。
 途方にくれながら、一つの思いつきを実行に移しました。おいもを家から取ってきて、草むらで焼いて、食べて、女の子の前でおならをもらして、相手と同じ状態に立って謝るという八才児の稚拙な思いつきでした。案の定、簡単におならは出ないし、火を使うので恐々、気張りすぎてパンツは汚しそうになるし、だんだん暗い気持ちになってきました。「なんで、あんなことを言ってしまったんだろう…」夕暮れせまる中、一つの言葉の重さについて、人それぞれの感じ方の違いについて、つくづく考えさせられました。
 今月は人権月間です。「人権」というと、「すべての人の体と心が大切にされること!」と、子どもたちには話していますが、そんなに簡単に身に着くものではありません。最近、マスコミをにぎわしている「いじめ」の問題にしても、立場によって感じ方が全く違うようですし、いじめがまた違った人権問題を呼んでいるようなケースも多く見られます。人権!と怒った顔で叫ぶのだけではなくて、子ども達に、立場の違う人の思いを感じることのできる「想像力」や、それを得るための「経験」の場を、私たち大人がじっくりとていねいに与えていくことが、何でもマニュアル化した現代の子ども達には必要です。
 「人権」問題の解決には矛盾に対する憤りの心情が大切です。でも、一方で「人権」は卵を温めるように、じっくりと人の温もりの中で育まれるものでもあります。
 夕方になって、作戦の事も含めて思いを話し、もう一度謝ろうと女の子の家に行きました。汚れそうになったパンツの一件のところで、クスッとなった女の子の「もう、ええし…」とい言った時の天使のような微笑みを、今でも鮮明に覚えています。



《14》「体罰」について

 大阪の高校の生徒が自殺した事件をきっかけに、最近「体罰」の事が頻繁に話題になっています。学校という場で子ども達に対して手をあげることは、決してあってはならないことですし、もしあったとしたら、それは教師の敗北宣言です。「体罰」によって子どもは本質的に何も変わりません。ただの痛みによって子どもを自分の範疇に収めようとする教師の思い上がり、勘違いでしかありません。それは暴力によってしか問題解決ができない人間の再生産を行っている行為でもあるのです。絶対的弱者の子どもと教師という立場で考えると、まさに「いじめ」と同じレベルのものです。
 自分自身を振り返ると、若い時は目の前の事しか考えず自分の感情に任せて子ども達を叱り倒したこともありました。そんな自分が養護学校(今の支援学校)に勤務する機会があったのですが、その7年間は一回も叱ったことも腹が立ったこともありませんでした。それは、叱っても分からないから子ども達だからではなく、障害のある子ども達一人一人がいっしょうけんめいに伝えてくる「願い」を、子どもの視線で受け止めなくては、何よりも優先される「いのち」を守り、育てることができない場であったからです。このことは、以降就任したどの学校でも、どんな子ども達でも共通することでもありました。
 一人一人の子ども達には、それぞれいろんな育つ環境や家庭があります。毎日、教師や保護者を含め、まわりのいろんな大人から爆発的に多くの考えや行いを吸収しながら育っています。たった一言や一瞬の関わりが子どもの一生のエネルギーになることもあるし、一方で深い傷になることもあるのです。「教育」や「しつけ」といった名のもとに、絶対的弱者という存在であっても、未来を創っていく子ども達の「いのち」を蔑み、壊す「体罰」というものが、この社会から、そして宮山からなくなることを心から願います。



《15》「光にあて、水をやる」

 小栗栖宮山小学校に赴任してから、早いもので3年目に入りました。
 新しく1年生を迎えて312名の子ども達の元気な姿に、今年も出会えたことがとてもうれしく感じました。登校の時も、一人一人が目をキラキラとしているのが印象的でした。子ども達は学校の宝物です。そんな子ども達を、真っすぐに太く育てていく学校の責任を改めて強く感じました。
 教育活動は、まかれた種に水を与え、陽の光に当てることだと言われます。子ども達の成長する力を信じて、地道にその栄養となる水や肥料を与え続け、一人一人が育ちやすいように光のあたる場所を用意していくことを大切にしなければいけないと考えます。また、水や肥料のやり加減と、その子に合った光の当て方を、教職員がしっかりと考え、身につけていくことが求められています。この一年間で子ども達の育ちを、心から願ってそして楽しみにして日々の取組を進めていきたいと思います。
 今年の教育目標は、『優しくたくましい心で、高め合い、「自己実現」を目指す宮山の子』としました。
 優しさやたくましさは子ども達が社会で豊かな生き方をしていくための土台になります。また、一人一人が集団の中で個性を自由に発揮し、影響し合いながらみんなで高まっていける学級や学校なることを目指していくことも大切です。そして何よりも、一歩一歩前に進むためのエネルギーとなる「夢」をいっぱい与えられるような日々の取組を進めることを大事にしてきます。本校のさまざまな取組は、この教育目標を柱として進めていきますので、ご理解、ご協力いただきますようよろしくお願いいたします。
 学校の職員体制も大きく変わり、若手の教師も増えました。ベテランも含めまだまだ至らないところもあると思いますが、みんな子どもに対する願いや熱意があふれている教職員集団です。どうか保護者や地域のみなさまと力を合わせ、思いをしっかり受け止め、知恵をいただきながら、子ども達を一緒に支えていけるように力を合わせてがんばりますので、この一年間、どうかよろしくお願いいたします。


《16》「憲法月間」

 今月は憲法月間です。憲法や人権というと、ちょっと難しいイメージですが、私達の身の回りには、憲法や人権のすぐにできる具体的なことがあちこちにあります。未来をたくす子どもを健やかに真っすぐ育てることは、日本社会の全ての人々にとっての、大切な約束事です。もう一度、私達学校の教職員も含めて、子ども達への関わり方、大人の姿の見せ方を見つめ直すことが憲法月間の大切な取組になるでしょう。
 京都には、われわれ大人が子どもを徹底的に守り、育てていくための行動の指針となる「子どもを共に育む京都市民憲章」があり、条例化もされています。もう一度、5月の憲法月間に、上の言葉や憲章をしっかり読み、子どもに向かう自分の姿を確かめたいものです。


≪17≫「雨の日のできごと」
 
 先日、学校でこんな子に出会いました。
 少し雨がふる朝、カサをさしながら、いつものようにアサガオの鉢に水をあげているのです。「雨がふっているから、今日は水をあげなくていいんじゃないの?」と聞くと、その子は丸い目をぱちぱちしながら「あげたいから、あげてるの…。見て!見て!こんなに芽が出てきた、ほら!」
 その言葉に、ハッとしました。余計な忠告をしてしまったというはずかしさとともに、何やら心が温かくなりホッとする気持ちがこみ上げてきました。
その子にとって水をやることは、単なる水やりという行為ではなく、「思い」や「願い」をいっぱい込めてアサガオと向き合う大切な時間でした。それはまた、所在が不確かな「いのち」というものを、心の中に実体化していく貴重な体験活動でもありました。
 子ども達は大人とは違う世界の中で生き、育っています。大人の常識では理解できない世界をいっぱい持っています。そこはまた子どもの「育ち」のエネルギーを生み出す場です。子ども達が上っていく「発達の階段」は、エネルギーをためて、ためて、一気にグンッと昇ることができます。夢や想像で力をため込んでいる子ども達の世界を、「なにしてんねん!」と大人の論理や基準で無造作に否定したりつぶしたりしていないでしょうか。子育てや教育の必要なのは、子どもの目線に立って、子どもの育つ力を信じて、それを大人がしっかり見守り、支え切ることです。
 今、子ども達はデジタルな社会の中で生きています。ゲームやパソコン・インターネットなど、仮想の命がはびこる中で、また、ボタンひとつで他社とつながったり切れたりする世界の中で育っています。人と人とのつながりが薄まりつつある社会の中で、子どもも大人も実体のない世界を漂っているような危うさを感じるこの頃ですが、アサガオに一生懸命になって水をあげている子が、一つの自然の「いのち」と接しながら「ひと」として心豊かに育っている姿を見て、子ども達の存在の尊さをあらためて感じた出来事でした。
 6月1日は運動会です。走りに、踊りに、体操に、一生懸命に練習に励んできました。結果だけではなく、一つ一つの動きや表情に込められた一人一人の「思い」や「願い」を感じながら、応援よろしくお願いいたします。
 てるてるぼうずさん、がんばって!



《18》「おこだでませんように」
 
 こんな題名の本に出会いました。
 「ぼくは いつも おこられる…いえでも がっこうでも…」で始まる物語で、がんばって妹のめんどうを見ても、言うことをきかない妹はすぐに泣いてしまい帰ってきたお母さんに怒られ、学校で虫を女の子に見せて泣かせてしまい先生に怒られ、遊んでいても「らんぼうやから なかまに入れてやらへん!」と言われ、パンチをしてまたきつく怒られ、何をしても何を言っても怒られてばかりの1年生。寝ながら、「ぼくは、どないしたら怒られへんのやろ、どないしたらほめてもらえるのやろ、ぼくは悪い子なんやろか…」と考えます。
 そんなある日、クラスで七夕の短冊にお願いごとを書くことになり、「はやく書きなさい!」とまた怒られながら、教室で教えてもらったひらがなで一字一字、心をこめて書いたお願いが『おこだでませんように』でした。
 その短冊をずっと見ていた先生が、目に涙をあふれさせながら「ごめんね…、よう書けたね、ほんまにええお願いやね」と頭をなでてくれ、先生からの電話で、お母ちゃんも「ごめんね、お母ちゃんの宝物やで…」と、ギュッと抱きしめてくれた、と言うお話です。
 作者が「おこだでませんように…」と書かれた短冊と出会って、その短い言葉に込められた あふれるような思いを感じて描いた絵本です。自分の思いをうまく伝えられなかったり、調子にのってやりすぎてしまったり、大人の都合に合わないからと結果として怒られてしまうことはあるかもしれません。でも、子ども達は心の底から、「わかってほしい、ほめてほしい…」と願っています。
 このお話の「ぼく」は、天へ向けての祈りを込めて、小さな短冊にいっしょうけんめい書いたのでしょう。
 「子ども達一人一人に、その時々でゆれ動く心があります。そして、どの子の心の中にも、このお話の『ぼく』のような思いがあるのです。どうか、私たち大人こそが、とらわれのない素直なまなざしをもち、子ども達の心の中にある祈りのような思いに気づくことができますように…」

(作者あとがきより)
 身の回りにも、こんな願いや祈りをいっしょうけんめいに伝えようとしている子がいっぱいいるでしょう。大人の温かい眼差しが、こんな子ども達をまっすぐ大きく、朗らかに育てるでしょうね。



《19》「早寝、早起き、朝ごはん」
 
 先日、夏の研修会で東北大学の川島隆太教授の話を聞く機会がありました。テレビ出演やDSの脳トレ開発、AKBといっしょのコマーシャルなどでご存じの方も多いでしょう。子ども達の学びや育ちを最先端の脳科学の分野から研究されています。
 そのお話では、今の子どもたちの体や脳が危ない、それを防ぐために親や学校が考え、行動しなければならないことなどを「早寝、早起き、朝ごはん」の観点から熱心に訴えておられました。その一部をお伝えしたいと思います。

≪幼少期の眠りの大切さ≫
 幼児や小学生の頃の子ども達の睡眠は、一生の心と体の健康にとって非常に大切です。睡眠には、ほぼ90分ごとに深い眠り(ノンレム睡眠)と夢を見ている浅い眠り(レム睡眠)があって、ノンレム睡眠の時に子どもの心身の成長に必要な「成長ホルモン」が活発に出てきます。しかし、夜遅くまでゲームやテレビなどをしている子は、深い眠りになかなか入れなく、さらに回数も減って、一生つき合う自分の体(内臓や骨格も含めた)の育ちに致命的な影響を及ぼすというのです。
 さらに、人の成長ホルモンが盛んに出るのは夜の10時頃で、夜型の生活、例えば遅くまでのテレビやゲーム・ケータイ漬け、遅くの外食、などは子どもの成長にとって大きな妨げになるのです。夏休みのジブリ映画の放映が11時まであること自体、日本社会の不健全さの表れである、ということでした。
 さらに、浅い眠り(レム睡眠)は、ただ目覚めに向かうためにあるのではなくて、夢をいっぱい見ることでもわかるように、脳が活発に働き、その日にあったことや勉強したことを脳が自動的に復習し、一日の「学び」を脳に整理し、刻んでいく大切な時間なのです。一晩に数回繰り返すそんな貴重な時間を、不規則な生活リズムや睡眠不足で無くしていくことは、まさに「学力」低下につながっているというのです。
 「子どもを大切に、子どものために!」と言いながら、約束事もなしに子どもにケータイやスマホを与えるような大人の勝手な論理がまかり通っている今の世の中に対する警鐘でした。
 すべての子どもは健康にたくましく自分の「いのち」を全うする権利を持っています。そんな一人一人の「いのち」を大人の都合や勝手で削ったり弱めたりしていないでしょうか。未来を託さなければならない子どもたちに対して、私たち大人がもう一度、自分たちの生き方、今の社会のありかた、子どもたちにできること、しなければならないことを見つめ直すための宿題をいっぱいいただいたお話でした。(つづく)

≪20≫「早寝、早起き、朝ごはん」(つづき)
 
 先月には「睡眠と脳の働き」について書きました。今回も子どもたちの体や脳を守り育てるため、親や学校が考え、行動しなければならないことなどを「早寝、早起き、朝ごはん」の観点からお伝えしたいと思います。

≪食事の大切さ≫
 朝ごはんをきちんと食べない子どもが増えています。まったく食べない子や、食パン一切れの子、ポテトチップスのようなスナック菓子の子もいるそうです。朝ごはんを食べない子どもたちは学校でいろんな症状を訴えてきます。「しんどい…」「だるい…」「頭が痛い…」といった言葉や、集中力がもたずうろうろしたり何事にも飽きっぽかったりする、生あくびが出てぼんやりしている、イライラしてすぐに「キレる」子など、こうした姿で子どもは訴えているのです。
 脳の視床下部というところに、一日のリズムをつかさどる「時計」器官があり、規則正しく睡眠や食事、活動のリズムを刻んでいます。朝食は一日をスタートするリズムに大きな影響を及ぼします。朝食抜きの生活は、体や脳の活動のリズムを崩してしまうことになります。
 また、脳が働くためのエネルギーになっているブドウ糖は寝ている間も同じように消費され、朝には蓄えがない状態になってしまいます。そこで、朝食によりエネルギー補給が絶対に必要となってくるのです。低血糖のままではイライラする、集中力が続かない、しんどい…というのは当たり前になります。また朝食が体温を上げることが、一日の活動のウォーミングアップになります。勉強や遊びなどの「やる気」を起こし、充実した活動のためにも大切ですね。
 さらに、ご飯やパンに含まれる成分の一つに、脳の神経回路をうまくつなげ「かしこい」脳をつくる成分があります。お米をしっかり食べている子と、そうでない子には「賢さ」や「学力」に明らかな差があると長年のデータにより実証されています。
 ただ、朝はバタバタしてなかなか十分な食事をとる時間も余裕もない家庭も多いでしょう。前の日に用意したり、冷凍ものを使ったりしてできる範囲でいろんなおかずを用意していけるといいでしょう。
 子ども達一人一人、同じようにかけがえない存在です。ただ、事情によって健やかな体や心の育ちに悪い影響が出ることだけは避けたいものです。子ども達の生きる拠り所は、一人一人の生活している家庭ですから…。



《20》「ウリハッキョ」

 先日、宮山校区内に新しくできた「京都朝鮮初級学校」に教職員研修に行きました。校区の最北に位置する山の中に、たいへんすばらしい校舎や広い運動場などができ、子ども達も小学生、幼児合わせて150名ほどが通っています。今は六地蔵や醍醐駅からの通学バスによる登下校になっていて、出会うことも少ないかもしれませんね。5月にあった竣工式には、記念に宮山小と朝鮮学校のサッカー対抗国際マッチも行ってきました。さすが国技だけあって、すごく強かったです。
 見学では、教室や体育館、グラウンドなど案内いただき、「広い!、きれい!」感想があふれていました。校舎はたいへんオープンな感じで、子ども達のあいさつが笑顔いっぱい元気よく響き渡っていたことがとても心に残りました。
 研修会では副校長の金先生に、学校が設立された経緯や、民族教育の取組、現状や課題などについてVTRを交えてたいへん分かりやすくお話しいただきました。終戦後間もなく、京都の学校で始まった民族学級から始まった長い歴史の重みと、それに関わってこられた人々の熱い思いがいっぱい伝わってき、私達の学校という意味の「ウリハッキョ」という言葉に込められた深くて熱い思いに感動がこみ上げてくる場面もありました。
 ただ、現在、政治的に国同士の関係については、領土や拉致問題、従軍慰安婦問題などたいへんむずかしい課題が山積みです。ただ、そのことが子ども達の心に影を落とすことがなあってはなりません。朝鮮学校移転の際に地域のいろんな思いもありましたし、さまざまな思想・心情の方がいることは当然です。でも「こういった今の政治的関係や社会状況だからこそ、未来をになう偏見のない純粋な子ども達の心に、生の関わりを通してお互いを認め合える力を育んでいきたい」という、地域や学校の思いや願いが共有できたことはとても大切なことでした。
 世界のグローバル化は急速に進んできており、子ども達には世界を視野に入れた国際感覚やそれに対応できる新しい人権感覚が必要になってきています。本校には、さまざまな国籍や外国にルーツがある子ども達も数多く通ってきており、日本語教室(国際教室)も設置され、国際理解のための取組も積極的に進めています。朝鮮初級学校が近くにできたことで、今後、行事や学習交流、部活動などを含め、学校間でのさまざまな交流を進めていきたいと考えていますので、保護者や地域のみなさまのご理解とご協力をよろしくお願いいたします。
 先日、運動会の参観にも行ってきました。開会式では子ども達が手や足を上げて整然と行進する姿が見られましたが、自分の席に戻ると笑顔いっぱいやんちゃに振る舞う姿が見られて「やっぱり、子ども達はどこも一緒やな…。」とホッとしたのを覚えています。
 宮山子ども達も「私達の学校!」と胸を張って言えるような、夢や期待がいっぱいあふれる充実した学校づくりを進めていきたいです。



《21》規範意識?
 
 最近いろんな報告を読んでいると、「規範意識」という言葉がよく出てきます。
 電車に乗ると、ケータイで元気よく?話をしている人がいます。また、お化粧をしているお姉さんもいます。コンビニに行くと店の前に座り込んで、食べた後のゴミを散らかしている若者の姿もよく見ます。この人たちの「規範意識」言い換えれば「モラル感覚」はいったいどうなっているの?と思うことがあります。

 ある中学校で今年「規範意識」にかかわるアンケートが行われ、その中でこんな結果が出ています。「悪いことだと思わない」と答えた生徒の割合です。
○『電車の中でケータイで話し込む』⇒17%
○『電車やバスでお化粧をする』⇒55%
○『コンビニ入り口付近で地べたに座っている』⇒29%
 これが、子ども達の今の意識です。こういったことが当たり前と感じる子どもや大人が確実に増えてきているのでしょう。ただ、われわれが危惧するのは、こうした行為自体よりそうした行動の背景にあるものです。それは社会で豊かに生きるための「想像力」の弱まりであり、常にまわりの人のことを意識できる「生きる力」の低下です。

 京都の状況で見ると22年度の全国学力・学習状況調査で、こんな結果もでています。京都市の小学6年生と中学3年生の全国48都道府県中との順位比較です。
○『学校のきまりを守っていますか?』⇒小6で46位、中3で46位
○『友だちとの約束を守っていますか?』⇒小6で42位、中3で44位
○『いじめはどんな理由があってもいけない』⇒小6で39位、中3で46位
 われわれ教育にかかわるものとしては、決して見過ごしてはいけない数字です。
 
 先日、こんなこともありました。
 電車に乗っていると、高校生くらいの女の子が音楽プレイヤーに没頭していました。車両前部にも聞こえるくらいの大音量の「シャカシャカ」で気持ちよく眠ろうとしているのに、気になって仕方ありません。しばらくじろじろ見る人もいましたが、ついに隣のおじさんが女の子の耳元で「ごめんなぁ…」と言いながらなにやら一言つぶやきました。女の子ははじめうっとおしそうにじろっとおじさんをにらみ、また聞き出しました。なんか嫌な空気が流れだしましたが、しばらくすると黙って音量を下げました。そこまでならよくあることかもしれませんが、良かったのはその後です。女の子はしばらくして電車を降りていきましたが、降りしなに、おじさんに向ってぺこりと頭を下げていったのです。規範意識が変わる、モラルが目覚める瞬間でした。
 「規範意識」は子ども達の発達とともに放っておいてもついていくものではありません。大人が示して支えながら育てていくものです。きっと女の子も、その時までそういった「育てられ」を経験していなかったのでしょうし、意識してこなかったのでしょう。これはまさに社会や大人の問題であります。
 12月は人権月間です。未来を託す子ども達に、どんな人権感覚を教え育てていくのかということも大切ですが、ただただ純粋な子どもの力を信じ、どこまで一人ひとりを支えていけるか、また見本となる姿を示していけるかがポイントのような気がします。



《22》「スリッパそろえていますか?」
 
 日々の日課として、学校やクラスの子ども達のようすを見て回っています。その際にいつも確かめていることがあります。トイレのスリッパの並び方です。
 あっちこっちに散らばっているところもあれば、きちんとていねいに並んでいるところもあります。中には手できれいにそろえている子も見かけます。スリッパの並び方で、その時のクラスや学年、学校全体の子ども達の心の中の状態がよくわかります。
 今月(12月)は「人権月間」です。「人権」というと何か堅苦しいような、重いようなイメージがあるかもしれませんが、そんな言葉を使わなくても、人権をだいじにしている思いや心の表れは身のまわりにいっぱいあります。次の人が気持ちよく使えることを考えて、トイレのスリッパをきれいに並べておくことも、一つの「人権」感覚の表れです。他の人が困らないよう、しんどい思いをしないよう、そしてうれしい気持ちになってくれるようにいつも気配りができること、言いかえれば『人の存在をいつも意識できること』が「人権」の根となる感覚です。トイレのスリッパを並べている子をほめた時、その子はこんなことを言いました。「スリッパがきれいに並んでると、みんな気持ちよく使えるし、ぼくも気持ええねん…。」普段はおとなしくて、あまり目立たないこの子が、クラスでみんなから慕われていることがよく分かりました。
 コンビニでドアを開けて支えたまま次の人が入るのを自然に待つ人がいる、そして、待ってもらったほうは会釈や言葉で小さく「ありがとう…」と伝える、こんな日常の事でも、まさにお互いに「人の存在を意識した」豊かな人権感覚の表れを感じますね。
 ただ、こういった「人権」意識につながる感覚を、実際の行動や表現につなげていく大切なツールは「言葉」です。ちくちく・とげとげした言葉からは、ちくちく・とげとげの心が育ちます。反対にふんわか・ほかほかの言葉からは、ふんわか・ほかほかの心が育ちます。さらに、心が揺り動かされる体験や経験は、意識を行動を育て、実際の行動につなげていくためにとても大切です。学校では、豊かな言葉や体験活動をこういった面からも大切に進めていきたいと考えています。お家でも子ども達の言葉の環境を意識して整えていただくことや、感動を共鳴し合えるような場面をたくさん作っていただけるよう心から望んでいます。
 今月の7日(土)は土曜参観で「宮山タイム」があります。子ども達の「人権」に関わるさまざまな発表があるのですが、子ども達は「人権」という言葉を使うわけではありません。日常での友達や先生、家族との関わりの中で感じた心に勇気や優しさがわいてくるような話をいっしょうけんめい心を込めて話してくれることと思います。どんな話や発表が聞けるのか楽しみにしています。保護者のみなさまも、参観とあわせて多くの参加していただきますようお待ちしています!



《23》「優しくたくましい心の力で『自己実現』をめざす宮山の子」
        〜26年度 小栗栖宮山小学校教育目標〜

 昨日、始業式と入学式がありました。
 小栗栖宮山小学校のみなさん、入学そして進級おめでとうございます。
 いよいよ、新しい年度がスタートしました。新しい教職員の方も来られ、何かワクワク、ドキドキの気分ですね。
 登校初日にこんなことがありました。登校指導をしながら、子どもたちが少しでもいい気分で気持ちよく朝を迎えられるように、道に落ちているゴミを時々拾っています。おやつの食べかすやペットボトル、そして多いのがタバコ、中には犬の糞もそのまま放ったらかしのこともあります。「大人は子どもの鑑(かがみ)」とよく言われますが、子ども達には見られたくない大人の姿がいっぱい浮かんできます。
 そんな中、一人の子が「僕も拾ってあげる!」と言って、タバコの吸い殻を一緒に拾ってくれました。「汚いから、もういいよ」と言っても、黙って拾い、最後に「いつもきれいにしてくれてありがとう!」と言いながら集団登校の列に戻っていきました。そんな姿を見ながら、何かホッとするようで、「さあ、今年もがんばろう!」とエネルギーがわいてきました。
 さて、今年の学校の教育目標のキーワードは『自己実現』です。簡単に言えば「なりたい自分になる」「やりたいことができる」ということですが、その「なりたい、やりたい」ものをどこまで膨らませていくかが、学校取組の大きなポイントです。その一歩一歩は、毎日のちょっとした積み重ねです。一時間一時間の授業で、「できた!」「わかった!」という喜びをいっぱい味わうことや、本を読んで世界を広げ社会や未来のイメージを膨らませること、一生懸命に考えた自分の意見を発表してみんなに認めてもらうこと、苦手な給食が食べられるようになること、サッカーでゴールを決めること、「ありがとう!」と言える人間関係を作ること…、そんな思いや願いをかなえること一つ一つの積み重ねがすべて『自己実現』につながります。
 今、子ども達はものすごい勢いで育っています。それを支え、うまく生かしながらまっすぐに方向づけるのは私たち大人の責任です。反対に、大人のかかわり方、言葉、態度一つで、伸びようとする力の足を引っぱってしまいます。
 子どもの育つ力を信じて支えながら、一人一人の「自己実現」をしっかり方向づけていけるような学校にしていかなければならないと、一年間のスタートにあたり強く感じました。
 今年度、子ども達が輝き満ちたりた笑顔や瞳がいっぱいの学校になるよう、教職員一同がんばりますので、どうぞよろしくお願いいたします。



《24》「知ってますか?京都はぐくみ憲章」

 5月は憲法月間です。
世界遺産にも登録申請されている「日本国憲法」や、それに基づいたさまざまな法律、施策によって私たちの生活や子ども達の育ちは守られています。でも、新聞やニュース報道などを見ていますと、未来を担う子ども達は大切にされているのだろうか、と考えさせられることも多いです。虐待やいじめ、格差社会の進行や規範意識の弱まりなど、子ども達が育つ環境がどんどん劣化していっていることが心配でなりません。
 今、学校では子ども達の「ゆめ」をいっぱいに持ち、笑顔があふれるような学びや活動を日々進めています。ただ、子ども達が何よりも一番のより所としているのは,それぞれの家庭です。一日いっしょうけんめいにがんばって、楽しいことを次の日につなげ、新しく伸びる力を発揮できるパワーをため込める場は、自分を認め受け止めてもらえ、心から安心してくつろげる家庭です。
 すべての人が幸せに生きていける社会をめざすための約束事を決めている「日本国憲法」と同じように、子ども達の健やかな育ちのため、大人が「何をどう考え、行動していったらいいのか」の方向を示す条例が京都にあります。それが「京都はぐくみ憲章(子どもを共に育む京都市民憲章)」です。自分の子どもを責任をもって家庭で育てるだけではなく、すべての子どもをすべての家庭、地域の力で育ていこうとするものです。
 「憲法」「憲章」というと、なかなか難しくて身近なものとして感じられないと思いますが、日頃の子育てや教育活動が、その具体的な実践です。「おはよう!」のあいさつをすることも、子どもの話をじっくり聞くことも、PTA活動や地域のみまもり活動もすべて「憲法」や「憲章」の実践です。
 5月の憲法月間取組だけではなく、一年間を通して「京都はぐくみ憲章」の発信を通して、家庭や地域と一緒に子育てや子ども達の人権について考えていきたいと思いますので、よろしくお願いします!
≪京都はぐくみ憲章…別掲≫



《25》「カメ池のこと」
 
 プール横の中庭(桜広場)にカメ池ができました。今はまだ水がにごって、中がよく見えませんが、4匹のカメと数匹のザリガニがいます。少しずつ慣れてきて、あまり人がいないときには、陸に上がってひなたぼっこをしたり、えさがほしくて顔を出したりしていることも多くなってきました。
 昔からカメは万年と言って、長生きの象徴としてえんぎのいい生きものとして大切にされてきましたし、何よりも「ウサギとカメ」の話にあるように、動きはゆっくりですがコツコツがんばることがカメの代名詞のようになっていて、大好きな動物の一つです。
 カメ池を作ることになったきっかけは、芝生化の関係で桜広場の整備を進めようと思っていた矢先、教室で飼っていたカメがひからびて死んでしまったり、弱って動けなくなってしまったりする事件があったことです。生き物好きの先生が、動けなくなったカメに薬を与えたり、病院に連れて行ったりしてくれました。カラカラに乾いて目も開けなかったカメが、少しずつ元気になっていき、2週間ほどで自分から食べられるようにもなりました。今は、オープンしたカメ池で、泳ぎ回って、元気があまってさくを乗りこえて脱走することもあるほどになりました。
 生き物を好きな子はいっぱいいます。クラスで飼っていることもよくみられます。でも「命をあずかっている」ことは、けっして忘れないようにしてほしいです。自然の川や池で自然に生まれてきたカメが、教室のせまくて汚れた水そうの中で、ガラスをカリカリしながら一晩中すごしているのです。草むらでワクワクしながらつかまえられたバッタが、食べる草もなく、体をひからびてしまっていることもよくあります。言葉もなく、文句も言わず、つかまえた人をうらむこともなく、ただ「おなかがへったよ…、くるしいな…」という感覚の中で命をおとしていくことがあってはならないのです。
 いっぱいの生き物の中から選ばれ、せいいっぱいにがんばって生きている「いのち」の声に気づく感性を、生き物の飼育を通して子ども達に育てたいと思っています。大切に!とよく言われる「人権」の土台は、「いのち」です。いじめ問題の解消も、その感性が出発点になると考えます。
 カメ池はビオトープ(ギリシャ語:生き物の場所)にしたいと思っています。自然の環境のもと、身近にいのちを感じることができるところです。できたてのカメ池には、さっそくイトトンボが卵を産んでいますし、ツバメやスズメが水浴びをしにきています。
 宮山の子ども達も穴をほってくれたり土を運んでくれたり、いっしょうけんめい手伝ってくれたカメ池です。いろんな「いのち」がそこで育つとともに、子ども達の見つめる中で、「いのち」を感じる心がいっぱいはぐくまれることを楽しみにしています。




《26》『あかりをともす…』

 以前、ある学校の支援員の方と話をする機会があり、「子どもの中にいるのは文句なしに楽しいね!」と話をしている中で、こんなことを聞かせていただきました。
 「『先生!一緒にスキップして!』と、腕を組んでくる子がいたんです。『いいよ!』と一緒にスキップしたんだけど、それだけであんなにうれしそうに笑ってくれるんだ、子どもとリズムを合わせて動き、一緒に笑うことがこんなに幸せなことなんだって、気づきました…」
 ドキッとした言葉でした。子どもと笑顔を共にすることが幸せなことだということ、私も含めて学校の教師はどれだけ感じていることでしょう。日々、授業に準備や取組の忙しさに追われ、忘れてしまったり、感じにくくなってしまったりしていることがないか、自分自身をふり返って、子ども達にもう一度向かっていきたくなる話でした。
そして、こんな話もされました。
 「一緒にいるとき、子どもが時おりぽろりとこぼす言葉や見せる表情から、その子の抱えている『闇』に気づくときがあるんです。そのときは、どうやって小さい灯りを見つけてあげられるだろうか…、とそっと背中に手を当てながら一緒にさがすんです。」
 ハッとしました。温かく、強く心に響く重い言葉でした。
どの子も、どんな子も、目には見えないけど、いっぱいの「育ちの不安」を抱えて生きています。自分を認め、支えてくれる人を探しながら、居場所を求めてさまよっている子もいます。そんな子を支える方法は、けっして大人の目線からではなく、一人一人を大切に考え「そっと背中に手を当てながら、一緒に灯りをさがす」目線から見えてくるものです。不安だけど一生懸命に行き先を探している子ども達にとって、道しるべとなる灯りを一緒にさがしてくれる大人の存在がぜひとも必要です。子どもは小さい大人ではありません。大人の都合のいいように、思うように子どもを作りあげることが、子育てや教育ではありません。どの子も、生まれつき自分で力強く育つ力を持っています。一つ一つの「発達」の階段を一歩一歩、一生懸命に自分で上っていくのです。私たち大人の役割は、子どもの力を信じて、いつもそばに寄りそい、しんぼう強く後ろから見守り、いつも安心して力がいっぱい発揮できるような「場所」や「道しるべ」を用意してあげることなのですね。
 子ども達には、そんなすてきな大人にいっぱい出会ってほしいですし、私もそんな教師になりたいと心に深く刻む言葉でした。
 こういった支えを、ほんの少し多く必要としている子もいます。障がいがある子どもや、育ちの中でいろんな「しんどさ」を抱えてきた子ども達です。そういった子ども達の支え方には、その子に応じた工夫や心構え、知識がなければ抱えきれないケースも多くあります。学校ではすべての教職員が「教育のプロ」としての自覚や技術、そして感性をしっかり持ち、保護者や地域の方々と手を取り合いながら、すべての子ども達の「闇」に気づき、光を当てられる、そして、子ども達の笑顔やきらきら光るまなざしによろこびを感じられる教育をめざしていきたいです。
 子ども達の健やかな育ちのため、みなさまのご理解とご協力もよろしくお願いいたします。



《27》『いっぱいの思い…』
 
 夏休みが終わっていよいよ学校が始まりました。
 それぞれが、それぞれの夏休みを過ごし、それぞれの思いをいっぱい抱えて登校してきたことでしょう。にこにこ元気な顔もありましたし、ちょっとうつむき加減の顔もありました。
 すごしやすい時期でもあり、山の家、修学旅行、みさきの家といった宿泊行事も続きます。また、地域の取組もたくさん入ってきます。また、勉強や読書、スポーツなども充実した活動ができる季節、子ども達の「育ち」や「伸び」を心から楽しみにしています。
 さて、先日こんなことがありました。
 学校の桜広場で芝生がどんどん育っています。その横のビオトープにもいろんな生き物があふれています。生育中で入ってはいけない芝生の上を、走り回っている子がいました。「入ったらあかんて書いてあるやろ!」と注意したのですが、その子はこんなことを言いました。「ビオトープでオタマジャクシから育ったカエルが、池に帰れなくて干からびてしまうから、もとに戻してあげようと、とっていました。ごめんなさい。」…ハッとしました。「怒ってごめんな、やさしい気持ちやな…」と伝え、一緒にカエルを捕まえました。
 こんなこともありました。
 校門を上がったところで、ゴミ袋をいっぱい植木に結び付け、段ボールを広げています。クラスで相談して何かしていることは知っていたのですが、勝手に散らかしているようにも見えたので「何しとるんや?」と尋ねました。その子の言うのには、夏休み明け、登校してきたみんなのあいさつが元気よくできていないので、何とか学校に来て明るい気持ちになるように、通り道を明るく飾りつけをしている、ここを通ったらみんな元気がわいてくると
考えた、とのことでした。話を聞いて、やっぱりハッとなりました。
 子ども達の一つ一つの言動には、一つ一つの理由があります。それには大きな思いがいっぱい詰まっているのです。そんないっぱいの思いが込められた姿を、しっかりとらえ、認めているだろうか、大人の視線で判断して、ふくらみかけた「つぼみ」を摘んでしまうような関わりをしていないだろうか、考えさせられるできごとはいっぱいあります。子ども達は「自分からぐんぐん育つ力」を一人一人持っています。そんな力づくで引っぱりだすのではなく、しっかり「光を当てて、支えながら導いてあげる」ことが、一人一人のあふれんばかりの自ら育つ力を最大限にのばすために必要なのでしょうね。
 夏休みが明けて、子どもらの喜び合う笑顔や、強くかしこく伸びていく姿がいっぱいにあふれる学校になるようがんばっていきます。
 







平成26年度 学校評価年間計画

平成26年度 学校評価 年間計画
平成26年度 学校評価 年間計画

小栗栖宮山小学校 学校教育目標・経営方針

平成26年度 学校経営方針
小栗栖宮山小学校 学校教育目標
やさしく たくましい心で高め合い 『自己実現』をめざす宮山の子
〜教育は,願いであり,祈りである〜

後期が始まりました

画像1画像2画像3
15日(水)から後期です。
今日は,始業式とともに朝会がありました。

前期にがんばった子どもたちは,図工や書写などの表彰を受けて,表彰状を受け取りました。よかったですね。
また,6年生が社会科や広島方面の修学旅行で学んだことを全校の前で発表しました。全員,がんばっていました。

目標を新たにしてがんばろうと意気込んでいる子もいることと思います。
心機一転,がんばっていきましょう。

学校図書館の様子

画像1画像2
この日,外は雨・・・
外でおもいっきり遊びたい子供たちには残念な天気です。

しかし,学校図書館では子供たちの素敵な姿がありました。

50人ほどの子供たちが図書館に集まり,一人でまたは友達と
一緒に読書に親しんでいました。

来校していた図書の支援員の先生も
「とてもいい雰囲気だったよ」
とお話していました。

少しずつ季節は秋に変わっています。
読書の秋につながるといいですね。

夏休みが終わって授業再開です

画像1
今日,8月26日(水)から授業が再開となりました。
長い休みで,体がなまっていないか心配なところです。

宿題の提出や学習道具なども少しずつ持って来なくてはなりません。
まだまだ暑い日が続きますが,体調を整え,元気に登校してほしいと思います。

水着(ラッシュガードについて)

本校では、以前より水泳学習時の紫外線対策として
子どものラッシュガード着用を認めてきましたが、
今年度は、
校内での水着販売時に水着と一緒に注文していただくことができるようになりました。
もちろん、ご家庭で個別に購入していただいてもかまいません。
ただし、どちらにせよ以下の約束は守っていただこうと思っています。

着用時の約束
 1 スクール水着に準ずるもの(色・かたち)
 2 子ども本人が一人で着脱できるもの
 3 胸に大きく名札をつけること

場合によっては、着用を認められない場合がありますので、
ご心配の場合は、事前に学校まで連絡してください。

なお、下にサンプル画像を載せていますので、参考にしてください。
画像1
画像2

憲法月間

画像1
5月1日は,今年度初の全校朝会がありました。
5月3日が憲法記念日ということで,校長先生のお話は「憲法」についてでした。

最初に「憲法」という言葉を知っているかと尋ねたところ,児童たちの多くは知らないということが分かりました。確かに子どもたちとっては,聞きなれない言葉かもしれません。だからこそ,話をきく意味があります。
児童たちは,その成り立ちや三大原則(国民主権・基本的人権の尊重・平和主義)などについて,かみ砕いた表現で聞きました。

児童たちにとって身近とは言えないお話でしたが,この記念日はそういった話を聞くチャンスの日でもあります。自分たちの今を見つめるためにもいい機会だったと思います。

町別児童会

画像1
24日(木)の5時間目は町別児童会でした。

町別児童会では,普段の集団登校での様子はどうか,危険な場所や行動はないか,など各地域の登校班ごとに集まって振り返りを行います。

終了後は,その登校班で集団下校です。PTAの地域委員さんや先生が付き添って様子を見守ります。
登校班のメンバー全員で安全な登校を心がけていきましょう。
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
京都市立小栗栖宮山小学校
〒601-1461
京都市伏見区小栗栖宮山1-1
TEL:075-572-5216
FAX:075-572-5217
E-mail: miyayama-s@edu.city.kyoto.jp