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最新更新日:2014/10/09 |
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持久走大会
12月12日の金曜日,全校持久走大会がありました。朝から雨が降ったりやんだりで開催が危ぶまれましたが,走り出す頃には,雲間から青空も顔をのぞかせてくれました。崇仁小学校の持久走大会は,学校の運動場をスタートに,校区の公園や鴨川の土手を走り,また学校に戻ってくる周回コースを,低学年,中学年,高学年,それぞれの時間内でどれだけ走れるかにチャレンジするものです。沿道には,保護者や地域の方が大勢応援に駆けつけてくださいました。そんな中,子どもたちは,この日に向けて続けてきた駆け足練習の成果を出そうと走りました。途中,誰一人弱音をはくこともなく,最後まで頑張りました。走りきった子どもたちを,PTAのみなさんが手作りで作ってくださった温かい薩摩汁とおにぎりが出迎えてくれました。このおにぎりのお米も薩摩汁のサツマイモも,子どもたちがビオトープで育てたものです。子どもたちは,走り終わった満足感と愛情のこもった炊き出しで,心も体も温かくなりました。
![]() ![]() ![]() ラスト崇仁記念大運動会
9月20日の日曜日,秋晴れの澄み切った青空の下,一人の欠席者もなく,ラスト崇仁記念大運動会を開きました。崇仁小学校の運動会は,学校創立130周年の平成15年度より,地域の体育祭と合同で行っています。子どもたちは,たくさんの地域の方や保護者の方に見ていただけることで頑張り,その子どもたちの頑張りに,大人の方も励まされるという合同運動会ならでは良さをもった運動会でした。これが最後の運動会ということで,崇仁小学校や地域にまつわる演目も考えました。低学年の「わかば花笠」では,校歌をアレンジした曲で踊りました。高学年の「組み立て体操」では,崇仁地区に古くから伝わるお囃子の音と共に,地域の方のご協力で鉾やお神輿も登場させていただきました。午後からの大人と子どもの合同種目では,和気藹々とした時間が流れていました。閉会式の後,残っていただいた方々と一緒に記念撮影をしました。いつまでも心に残る運動会ができました。
![]() ![]() ![]() 3校合同「花背山の家」野外活動
来年統合して新しい下京渉成小学校で一緒に勉強することになる,崇仁・植柳・六条院の3小学校の4年生が,7月13日と14日の2日間,京都市左京区の花背にある野外活動施設「花背山の家」で,野外活動を体験してきました。
みんなで知恵を出し合ったオリエンテーリング。汗をいっぱいかいて挑戦したフィールドアスレチック。雨で野外でのキャンプファイヤーはできなかったけれど,幻想的な雰囲気の中でたくさんの仲間と一緒に楽しんだキャンドルファイヤー。やるほどにおもしろくなってきたフライングディスクゴルフ。思い出に残る楽しい2日間を過ごせました。また,新しい学校に向けての仲間作りもしっかりできました。 ![]() ![]() ![]() 3校合同「みさきの家」野外活動
来年統合して新しい下京渉成小学校で一緒に勉強することになる,崇仁・植柳・六条院の3小学校の5年生が,6月23日から25日までの3日間,三重県奥志摩にある京都市の野外活動施設「みさきの家」で,野外活動を体験してきました。
1日目は,飯ごう炊さんでカレーを作りました。苦労の末のカレーの味は格別でした。2日目の磯観察では,まれに見る大潮の好条件で,小さなタツノオトシゴも見つけました。キャンプファイヤーでは,合同行事ならではの人数でできたので,とても盛り上がりました。3日目は,志摩マリンランドで,魚のえさやりにも挑戦しました。 京都では体験できない活動を体験できました。また,新校で最初の6年生,最高学年となる仲間たちとの絆も作れました。 ![]() ![]() ![]() 田植え
6月3日,ビオトープの田んぼで田植えをしました。今にも雨が降りそうな,田植えにとっては絶好の天気になりました。長年にわたって本校で稲の育て方を教えていただいているボランティア先生の辻さんに今年もお世話になりました。
まず教室で,辻さんから苗の植え方を教えていただきました。そしていよいよ田んぼに足を踏み入れる時が来ました。おそるおそる足を入れる子もいれば,土の感触を楽しんでいるかのような子もいました。苗を植える作業が始まると,最初は思うように植えられませんでしたが,何回もやっていくうちに上手になってきました。田植えを終えた子どもたちの顔には,満足そうな笑みがこぼれていました。 これからは,水の管理をしながら苗を育てていきます。とれたお米は,12月に行う持久走大会で,全校みんなでおにぎりにしていただく予定です。今から秋の稲刈りの日が楽しみです。 ![]() 青い目の人形![]() 現在,日本には約200体の「青い目の人形」が健在であると確認されています。そして,そのうちの1体が本校に残るアンちゃんです。 アンちゃんは,毎年ひな祭りの日に,崇仁校のおひな様たちと一緒にひな壇を飾ってきました。 しかし,やがて「青い目の人形」たちにとっても不幸な時代を迎えることになりました。戦争です。多くの「青い目の人形」が,敵国の人形だということで壊されてしまいました。そんな中,「小さな人形に罪はない」と考えてのことか,本校のアンちゃんは,一人の女性教師の下で隠して保管されていたということです。 戦争が終わり,アンちゃんが再びひな壇に戻ってこられる日が来ました。1975年には,修復のためボストンから里帰りした「答礼人形」のミス京都府を迎えて,京都市役所で対面式をしています。アンちゃん自身も交流展などで各地を巡り,アメリカに里帰りもしています。 今もアンちゃんは,崇仁校の子どもたちに,平和の大切さ,友情の大切さを語ってくれています。
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