京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/03/25
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ゆかし

 人は世界中にあるいろんなモノやコトを認識して生きています。私はそれがどんなふうに認識されていくのかという「認識」の構造について、とても興味があり、ちょこちょこ考えています。
 今となってはかなり以前の話ですが、私は国語の授業である実験をしたことがありました。教室内に存在しているモノで、ぱっと目に入って、気になるものがあれば、それは何かを記入してもらい、また、普段は全く気がつかなかったけど、あえてよく見ると、ああ、こういうものがあったのか、というものもあったら、それも記入してもらいました。結論からいうと、すぐに目に入って気になるものには、ほとんど「名前」「固有名詞」がつけられたモノでした。逆にいつもは全く気がつかなかったモノは「名前がつけられてないモノ」がほとんどでした。つまり、人とモノやコトを繋ぎやすくする、「認識を可能にする」には「ことば」の存在が大きく影響しているということです。ことばというものの存在は、私たちの日常の認識にいかに大きな役割を果たしているかということがわかります。
 それが、ある日の朝、学校の玄関入口前で、ある男子生徒との会話で、少し考えが変わりました。というか新たな「発見」「気づき」がありました。「なるほど」と思って、人の認識の構造が私自身深まりました。
 私は玄関入口前に、花を植えていて、その世話をしていたときの出来事。登校してくる生徒たちは私に「おはようございます。」とみんな声をかけて挨拶してくれます。とても清々しい気持ちになり、一日の始まりにはいいスタートです。
 その日はいつものように花がら摘みをして、水をやっていた時に、3年生の男子生徒で、とてもさわやかで活動的、リーダー的な生徒が登校してきて、私に「おはようございます。」といつもの爽やかな挨拶をしてくれました。いつもながら好青年だなぁと思っていた時に、その生徒はさらに私に近づいてきて、次のように声をかけました。
「ああ、ここに花があったんですね。」と笑顔で何の屈託もなく言いました。
 私はその時「おっ!」と思いました。目立つ花の色だけに、その存在は認識されていただろうと勝手に思っていたのです。しかし、それがちがった。その生徒にとっては、花自体は目に入っていたけれども、認識まではされていなかったということです。私は勝手に玄関を通る生徒たちの目には花が認識されているだろうと決めつけていましたが、それがちがった。いったい何が違ったのかを考えました。
 おそらく、花という存在を認識するのは、ただ単に名前や固有名詞があるからだけではない。そこに「人」が介在することによって、より存在の認識が深まったのではないかという私なりの答えにたどり着きました。ただ単に目に入るのではなく、認識する、という状態にはさらに別の人の存在がそれを促すのだろう。
 このことは、花だけにいえるのではなく、モノやコトの存在の認識すべてに当てはまると思います。当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、自分なりの疑問と気づきを経験して、また清々しい気持ちになった。

 Madonna 曰く「大切なのは、どう見えたかじゃなく、本当はどうか、なんだよ。」


 学校長 谷内 秀一

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ある卒業生の話

 西日本を中心に大きな被害をもたらした西日本豪雨では、今も被災地で捜索と救助が続いています。交通機関も混乱し、多くの人たちが普段の生活にもどるのに、まだまだ時間がかかっている状態です。被災地での復旧作業が急がれています。
 そんな状況の中で、今年4月から広島大学に進学し、東広島市で学生生活を送っている堀川高校の卒業生が、自分の生活している地域が混乱している状況の中で、大学生仲間たちとともに困っている人たちのために、積極的に活動しているという連絡がありました。
 東広島市の国道2号バイパスが寸断され、身動きの取れない車やトラックが3キロ以上立ち往生しており、そのドライバーたちに、堀川高校卒業生を含めた広島大学の学生有志15名が、自分たちで炊きだした塩おにぎり300個や飲み物などを差し入れたということです。お米も学生たちがツイッターで呼びかけて、約100合集まったそうです。卒業生はおにぎり部隊で一生懸命にぎり続けたということです。
 自分たち自身の生活もままならない中で、他者のために行動できる力は本当に尊いものだと思います。困った状況の中でも自分の位置だけではなく、周囲の状況をふまえて、客観視できる力は、想像力を豊かにし、自分に何かできることはないかと他者との協働を生み出していく。それはまさに思考力、判断力、表現力(行動力)が自然に発揮されたものなのでしょう。
 最近の若者たちは……本当にすばらしい!

 
 学校長 谷内 秀一


 写真:中国新聞社7月10日掲載記事(中国新聞社の許諾を得ています。)


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第12代校長恩田修三先生「瑞宝小綬章」受章!

 昭和61年〜63年、堀川高校の学校長でいらっしゃいました恩田修三先生が「瑞宝小綬章」を受章されました。心よりお慶び申し上げます。
 7月18日に勲章と勲記をお届けにまいりました。ご受章に関しましては、「ずしっと、重いものを感じますね。」と笑顔でおっしゃっておられました。
 恩田修三先生におかれましては、堀川高校をはじめとする市立高校で積み重ねてこられた優れた教育実践並びに堀川高校校長として輝かしい伝統を築いてこられたその御功績に深く敬意を表しますとともに心から感謝申し上げます。
 これからも末永く本校を見守っていただきますようお願い申し上げます。


 学校長 谷内秀一

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間合い

 ある日の通勤電車内での出来事。
 電車の一番先頭車両の運転席後ろに立っていた。
 ななめ後ろにはお母さんと男の子がいた。
 男の子は一生懸命先頭車両の一番前の窓から電車が進んでいくのを楽しんでいた。お母さんはその横で優しげに微笑みながら男の子を見つめていた。
 子どもは総じて一番前の窓から、電車が進んでいく様子を見るのが大好きで、よくこのような親子連れを先頭車両で見かけた。
 地上を走る電車からの先頭車両から見る景色や様子は、その電車に乗っているすべての人の中でも、自分ひとりだけだ。独り占めの景色である。特等席だ。
 男の子はそんなことこれっぽっちも考えてない。ただただ、電車の進んでいく様子を楽しんでいる。
 ところが、この電車は途中から地下に潜ってしまう。そうなると景色を楽しむことができなくなる。なぜなら、運転席後ろと男の子がのぞいている窓に暗幕が下されてしまうからだ。運転手さんがトンネルに入る手前でそのスイッチを押す。電車前方の景色を楽しんでいた子どもたちは、その時点でお楽しみが終了してしまう。そんな光景をよく見た。
 この日の男の子も、そんなことをこれっぽっちも考えずに楽しんでいる。
 いよいよ地下に潜る手前にきた。スイッチが押され、暗幕が上から下りてきた。
 お母さんはやさしく男の子に「ああ、見えなくなっちゃうね。楽しかったね。」と声をかけた。
 男の子は何のことかわからないのか、聞こえないくらいに景色に集中していたのか、お母さんのことばにまったく反応せずに見入っていた。
 私もその様子を眺めていた。結論は見えなくなるという事態と決めつけていた。
ところが、その日のその時は結論が違ったのだ。本当にびっくりした。
 暗幕は降りてきていて、もうすぐ窓の一番下まで到達しようとしていた。運転手席の後ろの窓は完全に暗幕で閉じられたが、なんと、男の子が見入っている窓の暗幕は、男の子のオデコのあたりで、「ピタッ」と止まったのだ。だから男の子は、トンネルに入っても、電車の進んでいく前を、ずっと見入りつづけていた。
 お母さんは「わぁ、すごい!え〜っ、すごいね!」と男の子に話していた。話していたというよりも感嘆していたといった方が適切か。あまりにも想定外のできごとだったので、言葉が見つからなかったのだろう。しばらくして、「ありがとうございます。」と、見えない運転手さんに言葉をかけていた。
 運転手さんに届いたかどうかはわからない。
 周りにいた乗客もこの様子に驚いていた。そして、心和んでいた。
 男の子はそんなことにはまったく見向きもせず、ずっと電車の前を眺め続けていた。

 運転手さんと子ども、そしてその様子を見ていた私たちの間には、言葉は介されてはいないけれども、まちがいなく強く繋がっていて、なにか大きなエネルギーが生まれていたように感じた。感動という一言では言い表せないエネルギーが存在していた。熱く、そしてすがすがしいエネルギーだ。新しい何かが生み出された感覚だ。言葉はお互いには交わされてはいないが、新しい価値が生み出された瞬間と感じた。これは、ある意味、「対話」が成立したととらえてもいいのではないだろうか。
 対話は、自分の考えや感じ方などが他者の考えや感じ方などに出会い、結合、変形しながら新しい見方や考え方、感じ方などの新しい価値観が生み出されるところに醍醐味がある。今回のこの電車での男の子の文脈も、この対話にあたるものと言えはしまいか。
 そんなことを考えながら、すがすがしい思いで、職場に向かった。


 学校長 谷内 秀一

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「学び」の場

 ふらっとある数学の授業を見に部屋に入っていった。そこではあちこちから生徒たちの声が聞こえてきていた。グループごとに可動式の一畳ほどのホワイトボードに数式を書いたり、直線や曲線などを書いたりとワイワイやっていた。今年開設した一般的にいう「ラーニングコモンズ」での授業だ。それぞれのグループごとに別々の課題に対して熱心に、眉をひそめながらかつ楽しそうに言葉を発していた。
 熱心に対話をしている生徒の姿は目にはいるのだが、ところでこの授業の担当教員はどこにいるのかなと探したらその部屋の片隅にいて、ニコニコしながら生徒の活動を見守っていた。
 その担当教師と生徒のやりとり。

 教師「問題を解きあったら、解答を確かめるために解答例を配るからね。」
 ある生徒「先生、今、解答例を配ったら見たくなるので、配らないでください。自分たちで最後まで考えたいので。」
 教師「・・・・なるほど。わかりました。」

 学びを深め合う場として、本校の図書館の二階マルチメディアルームを大幅に進化させた。京都市教育委員会のご協力のもと設置できた。生徒たちが自主的に、勝手に議論、対話をかわし、新しい何か、新しい価値、学びや気づきの喜びなどをクリエイトする探究の空間を作った。
 提供しているものは難しいものではなく、対話をする人数によって机を組み立てやすくし、意見や考えや思考のプロセスを可視化するために必要な可動性に富んだホワイトボードを数十枚用意した空間だ。プロジェクター9台とノートPC28台も必要なら使えるように備えている。主体は生徒だ。5月から教科の授業や探究基礎の授業、委員会活動、または生徒個人でも活用している。教室での学びとこのラーニングコモンズでの学びは別々のものではなく、生徒たちが自主的に、学びの連続性を保ち、そしてさらなる学びへの意欲を創出する空間として展開していくことを願っている。
 今後は、BIGBOX(校舎)全体をラーニングコモンズとしていきたい。


 学校長 谷内 秀一

 写真:ラーニングコモンズでの活動の様子

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Somethin’ Else

 先日、車を運転しているとき、小学生の女の子が道路を渡ろうと左右の車の往来を真剣に確認していた。反対側からの車も来てなかったのもあって、私は車を止めて渡ってもらおうとした。女の子は左手をしっかりと挙げて小走りで、しかも真剣に渡っていった。私はよかったと思い、車を発進させたその瞬間、目に入ったのが、渡り終えた女の子がこちらに向かってキレイなおじぎをしていた姿だった。なんとも嬉しく、清々しい気持ちになった。
 自分の小学校時代を思い返してみたが、左右から車が来ないかを確認し、手を挙げて横断歩道を渡っていた。しかし、止まってくれた車に対してお礼を伝えた記憶がなく、日本独特?の歩行者優先の意識のもと、当たり前に渡っていたように思う。50年経った今、小学生から感謝の伝え方を教わった。
 人の所作や行動はこのようなお互いに清々しかったり、ホッとしたりすることが根底にあってコミュニケーションを有機的に成立させていくのだろう。
 では、「感謝」の念を相手に伝えるシステムとはいかなるものなのだろうか。ふと疑問に思った。自分の欲求を満たすのに困難な状況が眼前に立ちはだかり、自分一人ではその状況を打破できないときに、他者が可能な状態にしてくれること、か?多様なシステムがあるのだろうが、今回の少女の横断歩道のスタイルではこんな感じか。
 近年開発進展の凄まじいAIに思いを寄せたときの疑問として、このスタイルもヒト以外の対象物が同じようにコミュニケートするのだろうかということだった。シンギュラリティを提唱するレイ・カーツワイル氏であれば、「当然だ」ということなのだろうが、アナログチックな私としては、世界最先端の彼の野望には大きな期待と疑問の念を持ちつつも、まったく予測困難でイメージができない。
 高大接続改革で求める「予見の困難な時代の中で新たな価値を創造していく力」とはまさにこのような力なのだろう。とすれば、東大ロボットプロジェクトをすすめる新井紀子氏の指摘する丸暗記学習は現在のAIの学習スタイルと同じで、それでは将来生き抜くにはだめだ、読解可能な能力を教育でつけるべしという示唆が我が身を引き締めさせる。
 ロボットとヒトを考えたときに、その関係は、対するものなのか、向き合うものなのか、内在させていくものなのかなど想像を絶する課題がある。草薙素子が身体的に自己を認知する方法を知るすべがあるのか、さらにバトーの苦悩は我々も知りえない。そのなかでトグサが生身を保ちつつ、翻弄されるその世界は、そう遠くはないとは思いつつ、別の意味で少女の横断歩道での所作が「尊い」ものだと心に突き刺さり、いつまでも気になってしょうがない。


 学校長 谷内 秀一

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行事予定
8/23 1・2年全員学習  3年夏季補習
8/24 1・2年全員学習(夏課題テスト2年:英国数)  3年夏季補習
8/25 PSTなし  3年:全統記述模試(本能館・希望者受験)
8/27 短縮授業(1・2・3・4限の授業) 午後:文化祭準備  完全下校18:30
8/28 短縮授業(1・5・6・7限の授業) 午後:文化祭準備  完全下校18:30
8/29 短縮授業(1・5・6・7限の授業) 午後:文化祭準備  完全下校18:30
京都市立堀川高等学校
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