京都市立学校・幼稚園
文字: 大きく | 小さく | 標準 配色: 通常 | 白地 | 黒地
ハートフルマーク

目標を高く!!

 毎年,8月は,先の大戦でわが国はもとより,尊い命を落とされた方々に思いを馳せる機会です。理念や目標の失敗は戦術や作戦によって補えないことにも気付かされます。
 さて,いよいよ9月。明日から文化祭です。個別には課題があろうかと思いますが,この時期,日々の学習と文化祭準備にあたって,全体として生徒諸君が頼もしく二兎を追う活動を見守っています。
 各クラスが一体感を持って高みを目指すコンテストは,表彰式での落胆ぶりを見ると,切なくなります。とりわけ9月3日(日)の3年生のアトリウム・パフォーマンスは”命がけ“の取組と言えます。3位,2位と発表された時の”落胆ぶり“は,無難に満足せず,高みを目指す堀高生の本懐と言えるのではないでしょうか。この行動規範がほかの取組への汎用力となってほしいと願います。満足できないとすれば,何が問題だったのでしょうか。スキルにとどまらず,実はシナリオ自体に限界があった設計上の問題なのか,さらには伝えたい”理念”が原因なのか・・・。優勝すればすべて良しでいいのだろうか。視点を変えて,W杯出場が決まった”侍ブルー”は世界の舞台で何を伝えたいのだろうか。
 サッカーは技術の習得だけでは勝てません。相手を敬い,仲間と協働しなければ成果が上がりません。与えられた条件の中で勝負しなければならず,卑劣な算段や姑息な手段よりも向上心が大切です。目先の安易さに流されてはいけません。というのは,国内,国際共に政治上変わりようがないと思われた困難ですら,理想実現のために変えてきたのは人間です。パフォーマンスを通して伝え,共に考えたい理念,目標のために努力している実感を持つことはサッカーであってもわが国にとって非常に大切だと思います。
 わが国の教育システムは,言われたことはやるが,“自立できない人”を量産していると言われています。“自立する18歳”として堀川高校を“卒業”するため,今後さらに,“批判なき探究に進歩なし”の精神で,自分の頭で考えたもの同士が,共に自由に議論し,高みを目指してほしいと願います。

 最後になりましたが,本校SGH運営指導委員としてご指導いただいておりました早川信夫様(NHK解説委員)ご逝去のご連絡を受けました。残念でなりません。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。




 学校長 恩田徹


ストレス

 仙台でのインタハイを視察する機会に恵まれました。雨の中でしたが,サッカーに必要な3Sについて考える貴重な時間でした。speed,spirit,staminaであったり,スタミナのところにspaceを使ったり,あるいは,走り,パス,考える,この3つのスピードであったり,さすが全国に出てくる選手はそれぞれ秀でた素晴らしいトレーニングの成果を発揮していると思います。サッカーにとって立ち向かうべきものも3Sではないかと思います。速さ(speed)と強さ(strength)はボールコントロールと判断力に反比例します。さらに最も厄介なのがストレスです。ゲームが終わってみればそれほど深刻というほどではなかったのに,その時は結構きつくて負担で困難なことばかりです。サッカーは自分たちで判断し,決断する特性のスポーツです。小さい時から大人が道をつけ,与えてばかりではきっとこの先,壁にぶつかってあきらめてしまわないだろうかとおせっかいなことを考えたりします。
 受験勉強も同じではないでしょうか。多くの人が,「あの時もう少し頑張っていたら」とか「切り替えるときにきちんと本気出していたら」など失敗経験を開示してくれています。そこから学ばない手はありません。さらに,「共に高みを目指す」仲間との団体戦意識も広い意味で,ストレスをジョークに代えていけるのではないでしょうか。逃げない本物のサッカーや受験勉強に打ち込むことは成長の瞬間ではなかいと思います。受験勉強と学力との議論があることは十分理解したうえで,自分たちで本気で団体戦で取り組むことに一票入れさせていただきたいのです。



 学校長 恩田徹

なぜ学ぶのか

 昨年の同時期,「全力を出さずに,言い訳するな」と題して,35年ぶりのリーグ優勝に突き進んでいた我がカープについて書かせていただきました。今年も気分のいい朝が多いのですが油断は禁物です。とりわけ5月6日のタイガース戦で9対0から大逆転負けを食らった失敗はスルーしてはいけません。ゴールから逆算したとき「あの時の失敗さえなければ」については,1996年7月9日の札幌丸山球場での失敗体験とともに組織として引き継ぐことが肝要です。高校での学習も一緒だと思います。「あの時に目先にとらわれず“手を抜かなければ”」は多くの卒業生の思いです。
 本校の課題の一つに学習習慣があげられます。量も質もです。学年+2時間以上の自問自答型の家庭学習習慣こそが本校生としてのあるべき学習習慣のベースです。「授業についていくのが精いっぱい」「課題をこなすのが困難」という声を聴きますが,これが本校の正常な姿だと思っております。極論すれば,「余裕でやっていけるような授業や課題」に満足する程度であれば,それは本校で学ぶ意味があまりないのではないかと思います。負荷がかかって大変な状態を「学びに限界はない」といった謙虚な学習者の志に変えれば勝ちです。
 なぜ学ぶのか?学習に対するリターンの期待を否定はしませんが,学習そのものから得られる知的快楽も含まれるということを体験してほしいと願っています。
                      


 学校長 恩田 徹

Ever onward

 昨年度は全国から60以上の学校,行政機関,NPOなど諸機関からの視察に来ていただき感謝申し上げます。今年度もたくさんお声掛けいただき大変うれしく思います。過分な評価はありがたく頂戴いたしますが,うちは優良だ,高値安定だ,と思い始めた瞬間から悪しき官僚主義が生まれると戒めております。経験上ではありますが,過信と驕りのすぐ後には「ことなかれ主義」がはびこります。そして,目標なき自転。「休まず,遅れず,働かず」。問合せに対し,「それはわかりません」,「前向きに検討いたします」のその場限りの対応をするようになると,相当に根深く回復に時間がかかります。常に,「なぜ?」と仕事のやり方そのものを根本的に検討することが出来れば脱却できるかもしれません。視察にお見えになられた皆様には,生徒,担当教員に質問を直接ぶつけていただくようお願いしております。生徒も教職員も対話を通して,現状を多面的多角的に把握し,適切な目標設定に向かえる機会となるように思います。人間というものは,いかに心の中で思っていても,それを口にするかしないかで,以降の展開が全く違ってくるものではないでしょうか。心の中で感じ,思っているのと異なり,いったん口にすると,誰よりもまず自分が聞くことになります。それは,言葉というはっきりした形になって,頭に入ってくるということです。話の中にどれくらい真実が含まれているかどうかではなく,口にして以降,真実が含まれ始めてくると思います。さらに文字化して,そこで満足せずチャレンジし,ふりかえり,また文字化する。こうして泥臭く自立に向かっていきたいと思います。
 時代錯誤と言われるかもしれませんが,学生時代に読んだエズラ・ボーゲル『ジャパン・アズ・ナンバーワン』に日本人の共同意識の強さについての記述が印象的でした。それをあらわしているのは"うちの"ということばです。うちの学校,うちの校長,うちの生徒,うちの授業などである。さらにそれぞれ集団は,社会のためとかお客さんのためとか,あるいは家族のためとか,学校や会社のためとかそれぞれ目標を持っている。こんな美しい習わしが世界のどこにあるだろうか,というものでした。グローバル時代を理由に,我々自身が「役に立たない」と捨て去って,口に出すのさえはばかる傾向にあるように感じています。私たちはこういったものがなければ生きていけない,その自覚が足りないと感じます。「組織は人だ」というのは,あくまで「仕事は人次第」ということではないでしょうか。本校の最高目標「自立する18歳の育成」のため,授業も含め,一体感のある取組になっているかどうか,そして変化には何が必要なのか,そんな点検と新しいスタートラインにつく機会のために,視察に来て下さる皆様方に心より感謝を申し上げますとともに,視察の目的が達成されることを心よりお祈り申し上げます。


 学校長 恩田 徹


頑張れって言われるのもきついけど,もういいよって言われるのはもっとつらい

 挑戦することは,本来楽しいことです。心配に対する最適の対策は忍耐と勇気です。体力の限界はありますが,頭の限界はないと思います。人間はみんなが美しくて強い存在とは限りません。生まれつき臆病な人もいるし,弱い性格の人もいます。しかし,弱い,臆病な人でも自分の弱さを背負いながら一生懸命美しく生きようとするのが大切ではないでしょうか。ネガティブな考えも見方によっては,危険から自分を回避してくれるための技術。だから,そういう考えがあるということを否定せず,受け入れてみましょう。勝負はかけ算です。どんなにチャンスがあっても君のやる気がゼロなら結果もゼロ。「失敗を恐れない」という姿勢だけでは弱い。失敗とは転ぶことではなく,そのまま起き上がらないことなのです。忍耐は希望の技術でもあります。悲しむことではありません。「何が何でも必ず成功させるのだ」という強い意志を持って元気になってください。「不可能」の反対語は「可能」ではありません。「挑戦」です。能力のある者より意志の強い者が多くをなし遂げてきました。失敗を他人のせいにして,自分をダメにしてはいけません。
 人間はあさはかなもので,身にふりかかってこなければ,なかなかその苦しみや悲しみはわからないものです。苦しみに満ちた若き狩人たちよ。若いうちに苦しいことがたくさんあったということは,苦しみに耐えている人々にどんなにか愛情がもてることでしょう。本当に強いやさしい心の人間になる条件は,その人が,高みを目指し,経験した苦しみの数が多いほど増えていきます。他人からプレッシャーをかけられたときよりも,自分で自分を駆り立てるときのほうが,人ははるかに大きなことをやってのけると思うのです。


 校長 恩田 徹


さくらのたより

新入生を迎えた10日の入学式に満開だった桜たち。
毎年必ず満開になる桜たち。

自然に咲きだしているように見えるが、おそらく間違いなく桜たちは、
私たちには見えない想像を絶する努力をしているのだろう。

だから、感動がうまれる。




 植村直己曰く、
「あきらめないこと。どんな事態に直面してもあきらめないこと。結局、私のしたことは、それだけのことだったのかもしれない。」


画像1
画像2
画像3

さくらのたより

堀川高校のさくらたち




宇多田ヒカル曰く、
 「ユーモアって、どうにもできない状況に対して、唯一できること。」





 写真上:ソメイヨシノ
 写真下:カイドウザクラ
画像1
画像2

さくらのたより

少しずつほころびはじめました。






イタリア ストロンボリ島の老漁師曰く、
「町には欲や物が多すぎる。だからひとつでもないとパニックになる。足りない状況にあれば、順応するもの。そうすれば自立した人間になれる。」

画像1

平成29年度学校経営要項

 平成29年度京都市立堀川高等学校「学校経営要項」は以下からご覧ください。

     ↓

  https://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/files/3006...

不動如山,動如雷霆

 先日,入試が終わっても学びを止めないでほしいとお伝えしたところ,少なからずご意見をいただき感謝申し上げます。知識は物事の本質を見通す思慮や判断力というものが加わって初めて意義あるものとなるのではないか。このいわば「見識」といわれるものに高めるためにはどうするか。それは目先にとらわれないで,できるだけ長い目で観察し,かつ物事の一面にとらわれないで,できるだけ多角的,できるならば全面的に考察し,さらに枝葉末節にとらわれないで,できるだけ深く観察し,そして自分の問題として考えることです。
 堀川高校の最高目標は「自立する18歳の育成」です。さまざまな抵抗や障害を断固として排除し実践していく力量を探究活動によって高校時代にその基礎を身につけるのが本校です。知識が見識になり,さらに胆識になることによって,人間としての質を高める教育を探究に込めています。
 この担識のなさが,グローバル社会で勝てなくなった原因の一つといわれます。想定外の質問,困難に動ぜず,無茶振りに対してスピード感とユーモアをもって切り返せる「山」のような資質・能力を日々の学習と探究活動を通して汎用性のある力として身につけたいものです。雷霆とは,激しい雷のことです。動くとき,圧倒的な強さを持てということでしょう。武田軍の圧倒的な強さに恐怖した三方ケ原での敗戦が,徳川家康を大きく育てたといわれています。負けて強くなる。「歴史より学ぶ」ことも知識で止まらず,見識,担識と高めたいものです。



新年度に向けて 

校長 恩田徹


画像1
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
行事予定
9/14 スクールカウンセラー来校日
9/15 時間割変更(1・2・6・7・4・5限授業・LHR)
9/16 SSH中間報告会(午前:探究基礎研究発表会 午後:全体会) 3年共催マーク模試
京都市立堀川高等学校
〒604-8254
京都市中京区東堀川通錦小路上ル四坊堀川町622-2
TEL:075-211-5351
FAX:075-211-8975
E-mail: horikawa@edu.city.kyoto.jp