京都市立学校・幼稚園
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ハートフルマーク

林檎の木の下で

 昨年末,JAXAが打ち上げ,「あらせ」と命名された衛星が地球を俯瞰していることに心より敬意を表します。新しい年にあたり,ご挨拶申し上げます。
 ずいぶんと前になりましたが「創立記念日」について意外な反響がありました。多くの皆さんが関心を持って,「自立beyod理不尽」について考えていただいたことを非常にうれしく思っています。そんななかで,校内放送の最初に流れた曲は何なのかという質問を複数お聞きしましたので,少しだけお話したいと思います。
 原曲は,1905年にIn the Shade of the Old Apple Treeとしてアメリカで発表され,盧溝橋事件,日中戦争が勃発した1937年に日本語訳でハワイアン風にアレンジしてわが国で紹介されたようです。今回流したのは,1992年におおたか清流が発表したシングル盤のB面からのもので,同年の周防正行監督の映画『シコふんじゃった。』のエンディングテーマでもあります。ちなみにA面の「悲しくてやりきれない」(フォーククルセイダーズのカバー)がこの映画のオープニングテーマ曲で,映画のストーリーでは,「理不尽」=「一流企業への就職が内定した学生の卒業の条件として,指導教官が顧問を務める体育会相撲部で試合に出ること」。「beyond理不尽」=「内定していた一流企業を蹴り,大学に残り相撲部再建を主体的に選択」。ブレイクポイントは相撲部OBから謗られる場で「次は勝ってやる」と反発したこと。
 今のご時世で,卒論の指導教官が,卒業したけりゃ相撲部で褌をしめて試合に出ろ,はパワハラであって,あり得ないことでしょう。明日から別の学校へ行け,も占領政策だからできたことかもしれません。おそらく,皆さんはこの平和で民主的な手続きが保障される社会で,理不尽を避けていくことは出来ます。しかし,自ら問いをつくるために,困難にチャレンジして自らブレイクポイントを創っていくスリリングな選択も豊かに生きるためには大切だと感じます。大学とは,誰かに評価されるためにあるのでしょうか?高校とは,大学入試や就職を目指す上で失敗や責任を回避するためにあるのでしょうか?違います。学問とは社会の問題を解決するためのテーマや問いの設定,教育とは安全に失敗を経験させるための場でもあります。
 いつの間にか,よき大人を育むための教育が,記憶力とパターン認識だけになってしまい,結果的に優秀だけれども指示されないと何もできないマシーンのような人間をつくってしまっては勿体ないと思います。ただし,決して映画のマネをせよいう意味ではありませんので,ご了解を。そして,世の中には「絶対に」などと言い切れる教育はないと思いますのであしからず。



学校長 恩田徹

自分探しをコントロールする

 年末にあたりましてごあいさつ申し上げます。
 自分との折り合いに苦しむ仲間に伝えたいことを書きたいと思います。
 自分との折り合いとは欲望とのたたかいといった面もあります。人間の欲望の典型は「嫉妬」です。欲望は主体的に生産することはできません。大概は外からの影響です。極端に言うと,他人から盗みます。その結果としてライバルを設定したりします。「負けず嫌いな人」とは実はたくさん嫉妬できる「努力家」のことです。戦国武将をはじめ,偉大な政治家,究極のアスリートのモティベーションの一つも嫉妬ではないかと思います。しかし,自分の正しさをいかなる場合にも主張するタイプの人,設定したライバルに勝つことに喜びを見出し,議論を吹っ掛け,目立つことを好み,権力や勝負を好む人となると少し異なります。ライバルを持てる,ライバルとなりえるのは能力があるということです。他人を気にするよりもまずは自分自身を充実させ,目標を明確に具体化して挑戦することがはるかに重要といえます。逆に妬みも攻撃性もない人は欲望を持ちにくいとも聞きます。嫉妬自体を否定せず,欲望を目標に変えることでみんな苦しい思いをします。
 自由な社会では自由に自分を選べという課題(自分探し)も科せられます。自分探しも決して見つからないのが普通です。就活メディアは夢は無限大で際限のない自由であるというイメージを拡散すれば儲かって得をするのであまりあてにしない方がいいのかもしれません。私が私であることに苦しみ,自分を見失っている状態になると,過去の記憶に苦しめられます。過去は変えることが出来ないが,未来は変えることが出来る。この金言は自分を見失っている状態にはかえってきついと思います。過去は変えることが出来ないので,後悔の思いを引きずります。しかし,未来から過去を見たときに,過去の事実は変えられなくとも解釈は変えられると思います。今ここで苦しむのは,未来に苦しまないためだと考えるべきです。未来に押しつぶされないために,なりたい自分を見つけるために未来に進もうとしている自分のイメージを完璧でなくても作り上げようと,とりあえず未来に進んでみる。そんな「手探り」を行っては戻りつつもまた行ってみる。その苦しさに耐えることを私どもは見守っていきます。

 良いお年を



 学校長 恩田徹
 

Beyond 理不尽!

 本日,「自立する18歳の日」と明日の「創立記念日」を迎えるにあたって,堀川の過去,特に「創立」について少しお話したいと思います。そもそも本校の創立記念日は,なぜ4月ではなく,10月なのでしょうか?

 第二次大戦後,GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の意向が強く反映された教育改革の中で高校改革もすすめられました。この改革は,GHQの下部組織である地方軍政部の指導のもとに各地域で実施されましたが,この京都では,地方軍政部の管理がとりわけ厳格で,京都の公立高等学校では,1948年,地域制(小学区制)・総合制と同時に男女共学も実施,徹底されました。

 複雑ないきさつはありましたが,結果だけ言いますと,昨日まで高等女学校だった堀川が,ある日,高等学校となり,中京区に住居のある多くの高校生は昨日まで行っていた学校や男女の別に関係なく,堀川に強制的に集められ,在籍することになりました(一部の学科を除く)。開校式が行われたその日が,10月20日,すなわち創立記念日なのです。
当時の3年生は卒業まで半年を切るというこの時期に,何という理不尽なことか! これに従わず退学を選択した生徒もいたと聞いています。
そして,時代はながれ,現在では,自分の志望に基づいて高校を選べる制度になりました。皆さんは堀川高校を希望し,受検し,入学したはずです。

 かつて,戦後の教育改革はある面で生じさせた「理不尽」に,皆さんの先輩たちは憤り,抗い,そして受け容れ,友とともに乗り越えていきました。
一方で,みなさんには少なくとも高校の受検に際して,多様な選択肢が与えられたわけですが,それは望もうが望むまいがしなければならない選択でした。その意味で,強制的に選択することを迫られた上に,その選択の結果についての責任を負わねばならないのですから,今でも,ある種の「理不尽」が存在するとも言えます。

 しかし,「理不尽」を超え,それでも主体的に自分の人生を選び,その結果や状況を愛し,受け入れことが,自立する18歳には必要です。

 1年生はゼミ選択,コース・学科選択,海外研修のコース選択という様々な機会において,その選択の意味と結果についてしっかり考えらえれているでしょうか? 2年生は,これから広がる未来について想像するだけの力を例えば探究基礎などでつけられたでしょうか? そして必要な選択について考える準備を整え,筋道を立てているでしょうか? 3年生は,進路選択という機会で,未来の自分に対してその責任を負わせるだけの用意はできた,あるいはできているでしょうか。

 今日の自立する18歳の日,そして明日の創立記念日には,かつての先輩たちが直面した「理不尽」に思いを馳せると共に,これから自分が遭遇するであろう「理不尽」を乗り越える,beyond理不尽の心意気を確認する2日間にしていただきたいと思っております。


 校 長  恩田 徹



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一体感

 本日,終業式ですが,終業式の目的について,以下の文言を全教職員で共有しましたので,学務部長が調べ,解説してくれたことをもとに,全生徒にも翻案して少しだけ紹介いたしました。

 始業式・終業式は,「特別活動」の3領域「ホームルーム活動」・「生徒会活動」・「学校行事」がある中で,学校行事の「儀礼的行事」に位置づけられており,将来的には目標と評価が求められるもの。現行の高等学校学習指導要領解説 特別活動編(pp.56-7) からの引用です。
 「学校生活に有意義な変化や折り目を付け,厳粛で清新な気分を味わい,新しい生活の展開への動機付けとなるような活動を行うこと」
 今回は前期の終業式ですから,本年度の中間総括として,現状を正しく把握して目標の妥当性,取組を省察してください。
 言葉を徹底的に大切に出来ましたか。正解だと確信できないとコミュニケーションできないのは困ります。昨今は,コミュニケーションが緩くなり、集団の一体感を形成するのが困難な社会になってきています。しかし,本校ではコミュニケーションが双方向で成立するなら,タブレットなどハイテクに過度に依存せず,ローテクで目標を達成することも大事ではないかと思います。だからこそ全校で一斉に話を聞くこと,そして成果を上げることを尊び,儀式が学びの場になる学校でありたいとここで確認したいと思います。「一斉授業」の授業も,課題の発見を通して,知ることの素晴らしさを共に学べる学びの場である一体感を持って教材の質を高めていきます。引き続き,言葉,ふるまいを成長させること,傍観せず,取組のスピード感も加速させること,謙虚さをもって,そして決して自分を過小評価するな,以上,取組を通して成長させ,自立する18歳の育成に驀進したいと思います。


校長 恩田 徹




 写真上:終業式の様子
 写真中:伝達表彰の様子
 写真下:恩田校長のことば

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閉会式!

 文化祭のすべてが終了し、閉会式です。
 各賞の発表がありました。アトリウム種目、講堂種目、垂れ幕コンテスト、PRビデオ、カラオケ大会、ホリコレ、ダンスコンテストなど、それぞれの賞の発表毎に会場は盛り上がりました。
 笑顔あり、涙ありの閉会式でした。
 みなさん、本当にありがとう!!




 
 写真上:閉会式の様子
 写真中:受賞の喜び!
 写真下:テーマソング熱唱!

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アトリウムの午後!

 午後からのアトリウムでは、書道パフォーマンスやお笑いコンテスト、ダンス、ホリコレ、HDCなどが行われ、会場は大いに盛り上がりました。


 写真上:HDC(ホリカワ・ダンス・カンパニー)
 写真中:ホリコレ
 写真下:教員によるパフォーマンス


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イベントは続きます!

堀高文化祭はまだまだ続いています。
 



 写真上:講堂での演劇
 写真中:邦楽部の演奏
 写真下:美術部展示

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「辛さ」「苦しさ」と「厳しさ」は違うはず

 9月は,「自立する18歳の日」が設定できない特別活動,行事満載月間です。文化祭,体育祭はもちろん,コミュニティ・カレッジそして探究基礎発表会など探究活動の成果を発揮する機会満載です。前期末へと向かう日々の学習との二兎を追うチャレンジの月でもありましょう。部活動など課外活動とのダブルブッキングを調整したり,他人のせいにせず究極の選択を決断したりなど困難立ち向かう絶好の機会です。どうか大人も子どもも負荷に立ち向かい,困難に挑戦する方向性を共有できればと願っています。
 ところで,「自分は出来ないやつ」とか自己過小評価をしている人はいませんか。「自分はまだまだ」など謙虚な努力の姿勢は大切ですが,点数や偏差値や失敗の数で集団の中で自分の序列を過小評価して居づらくなったりしていませんか。どうか,本校の中での序列や順位には社会で挑戦していくうえで何の意味もないんだということを分かってほしいなと願っています。本校で身につける力の中にある,どんな社会に出て行っても対応できて,新たな概念の創造に貢献できる資質・能力は,失敗や挫折にどこよりもおおく出会い,時には助け合って,折れそうな心を労り,奮い立たせる集団と個の力です。そんな文化祭の取組に大人も子どもも思いっきりかかわっていこうではありませんか。


校長 恩田 徹



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「高み」をめざすには

 7月23日(土)に開催いたしました本校学校説明会には多数の方にご来校いただきまして誠にありがとうございました。アンケートすべてに目を通させていただき,企画・運営を担った「学校説明会リーダー・スタッフ」の生徒の振り返りに活用させていただきました。とりわけ,今後の改善につながる貴重なご意見を頂戴いたしましたことに感謝申し上げます。高校選びを前にされた立場と同時に,自立する18歳,京都市の公教育,わが国の人材育成など理念・経営方針に対する歴史や見方・考え方に至るまで貴重なご意見を拝聴させていただき,私どもは高校教育改革に驀進していく所存です。今回,夏季大会など中学校の行事などで参加が叶わなかった生徒・保護者の皆様におかれましては,9月3日(土),4日(日)の本校文化祭に是非とも足をお運びいただきますようお願い申し上げます。
 インタハイが中国地方で開催し,私も激励に参加いたします。日本音楽をはじめ全総文も広島県各地で開催されます。オリンピックも高校野球も間もなく始まります。
 チーム(個人種目であっても)は誰のものでもなく,主役は実際に闘う生徒であることは間違いありませんが,教職員,OB,OGも含め皆のものだといえます。闘う生徒がいなくなればチームは消滅しますが,自分たちの好きなようにすればよいというものでもありません。最高水準を目標に活動するには,これまでも頑張ってきてくれたOB,OGを含め,そこに全人格をかけて取り組むプロセスから,他の生活の場面では絶対に得ることができない多くのことを学ぶことが機会に出会えますから,高みを目指すことにこだわらなければ意味がありません。その本気に対して見守りと支援が受けられるのだと思います。闘う集団はトップダウンでなければならないとは思います。
 こういったトップダウンの闘う集団の世界だけではなく,本気の主体的で探究的な取組を見守り,支援する世界を創れないだろうかと思っています。「高みをめざす」行為は,スポーツ,芸術あるいは学問であっても,誰かに評価されるためのものでしょうか。価値がある,役に立つことを誰よりも早く,正確に到達することも高みをめざすことに違いはありません。しかし,賞やそれに向かうプロセスでの努力に対する評価だけではなく,「まだ誰もやったことのないこと」を本気で主体的に探究する集団を見守り,支援する仕組みを創りたいと思います。そんな「高みをめざす」人たちを本校は歓迎したいと思っています。

 校長 恩田徹


 
 学校説明会の様子

 写真上:受付ブース
 写真中:探究ブース
 写真下:海外研修ブース

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「全力出さずに,言い訳するな」

 わがカープが好調で,気分のいい朝が増えています。1991年以来の優勝なるか。
 思えば,つくば市の研修所で夏を過ごした1996年が最悪でした。1996年,この年のシーズンは中盤までぶっちぎり独走状態だったわがカープが二位巨人に11.5ゲーム差をつけていました。しかし,11ゲーム差で迎えた7月9日の対巨人戦(札幌市円山球場)で,2回二死走者なしから9者連続安打で一挙7点を奪われて負けたのを機に,失速が始まり,長嶋茂雄監督(当時)のメイク・ドラマというわけのわからない流行語大賞に貢献した非常に痛い経験をしてしまいました。したがって少なくとも来月まで油断は禁物です。
 さて,8割の人が目的を持って生きるのを面倒と考える,といわれます。理由は,容易に目的は達成されないから。失敗をして悔しい思いをするより,流されて生きるのが楽だからといわれます。何が人生を楽しくするかは,その人次第です。考え抜き,挑戦することが脳のためにやっているとすれば,目標をちょっと高めに設定するだけでいい。成功しても達成感のない活動は浪費と同じではないでしょうか。
 格差社会は非常に大きな問題ですが,全力で物事に取り組む人が少なくなったことはさらに問題です。自分はこんなものだと,自分で限界を設定してしまっているケースが非常に多いと感じます。本気で走り,本気で挑戦する機会がなく,したがって,自分の実力がわからないまま自分を過小評価していないだろうか。教育問題の本質は,教育は「教え,授ける」ではなく「引き出す(エデュース)」であるという原点にたち還るべきだと思っています。この資質・能力を高め,社会で孤立せず,自分だけでなく,相手も社会も何かを得る関係を構築する「自立した」「学校だけで閉じない」打たれ強い個を育てていきたい。そんな7月であることを願っています。

 学校長 恩田徹




 写真は7月1日のLHRの様子

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行事予定
1/5 1・2年全員学習  3年センター直前演習
1/6 1・2年全員学習  3年センター直前演習
1/9 成人の日
1/10 スクールカウンセラー来校日
京都市立堀川高等学校
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