京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/23
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閉会式!

 文化祭のすべてが終了し、閉会式です。
 各賞の発表がありました。アトリウム種目、講堂種目、垂れ幕コンテスト、PRビデオ、カラオケ大会、ホリコレ、ダンスコンテストなど、それぞれの賞の発表毎に会場は盛り上がりました。
 笑顔あり、涙ありの閉会式でした。
 みなさん、本当にありがとう!!




 
 写真上:閉会式の様子
 写真中:受賞の喜び!
 写真下:テーマソング熱唱!

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アトリウムの午後!

 午後からのアトリウムでは、書道パフォーマンスやお笑いコンテスト、ダンス、ホリコレ、HDCなどが行われ、会場は大いに盛り上がりました。


 写真上:HDC(ホリカワ・ダンス・カンパニー)
 写真中:ホリコレ
 写真下:教員によるパフォーマンス


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イベントは続きます!

堀高文化祭はまだまだ続いています。
 



 写真上:講堂での演劇
 写真中:邦楽部の演奏
 写真下:美術部展示

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「辛さ」「苦しさ」と「厳しさ」は違うはず

 9月は,「自立する18歳の日」が設定できない特別活動,行事満載月間です。文化祭,体育祭はもちろん,コミュニティ・カレッジそして探究基礎発表会など探究活動の成果を発揮する機会満載です。前期末へと向かう日々の学習との二兎を追うチャレンジの月でもありましょう。部活動など課外活動とのダブルブッキングを調整したり,他人のせいにせず究極の選択を決断したりなど困難立ち向かう絶好の機会です。どうか大人も子どもも負荷に立ち向かい,困難に挑戦する方向性を共有できればと願っています。
 ところで,「自分は出来ないやつ」とか自己過小評価をしている人はいませんか。「自分はまだまだ」など謙虚な努力の姿勢は大切ですが,点数や偏差値や失敗の数で集団の中で自分の序列を過小評価して居づらくなったりしていませんか。どうか,本校の中での序列や順位には社会で挑戦していくうえで何の意味もないんだということを分かってほしいなと願っています。本校で身につける力の中にある,どんな社会に出て行っても対応できて,新たな概念の創造に貢献できる資質・能力は,失敗や挫折にどこよりもおおく出会い,時には助け合って,折れそうな心を労り,奮い立たせる集団と個の力です。そんな文化祭の取組に大人も子どもも思いっきりかかわっていこうではありませんか。


校長 恩田 徹



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「高み」をめざすには

 7月23日(土)に開催いたしました本校学校説明会には多数の方にご来校いただきまして誠にありがとうございました。アンケートすべてに目を通させていただき,企画・運営を担った「学校説明会リーダー・スタッフ」の生徒の振り返りに活用させていただきました。とりわけ,今後の改善につながる貴重なご意見を頂戴いたしましたことに感謝申し上げます。高校選びを前にされた立場と同時に,自立する18歳,京都市の公教育,わが国の人材育成など理念・経営方針に対する歴史や見方・考え方に至るまで貴重なご意見を拝聴させていただき,私どもは高校教育改革に驀進していく所存です。今回,夏季大会など中学校の行事などで参加が叶わなかった生徒・保護者の皆様におかれましては,9月3日(土),4日(日)の本校文化祭に是非とも足をお運びいただきますようお願い申し上げます。
 インタハイが中国地方で開催し,私も激励に参加いたします。日本音楽をはじめ全総文も広島県各地で開催されます。オリンピックも高校野球も間もなく始まります。
 チーム(個人種目であっても)は誰のものでもなく,主役は実際に闘う生徒であることは間違いありませんが,教職員,OB,OGも含め皆のものだといえます。闘う生徒がいなくなればチームは消滅しますが,自分たちの好きなようにすればよいというものでもありません。最高水準を目標に活動するには,これまでも頑張ってきてくれたOB,OGを含め,そこに全人格をかけて取り組むプロセスから,他の生活の場面では絶対に得ることができない多くのことを学ぶことが機会に出会えますから,高みを目指すことにこだわらなければ意味がありません。その本気に対して見守りと支援が受けられるのだと思います。闘う集団はトップダウンでなければならないとは思います。
 こういったトップダウンの闘う集団の世界だけではなく,本気の主体的で探究的な取組を見守り,支援する世界を創れないだろうかと思っています。「高みをめざす」行為は,スポーツ,芸術あるいは学問であっても,誰かに評価されるためのものでしょうか。価値がある,役に立つことを誰よりも早く,正確に到達することも高みをめざすことに違いはありません。しかし,賞やそれに向かうプロセスでの努力に対する評価だけではなく,「まだ誰もやったことのないこと」を本気で主体的に探究する集団を見守り,支援する仕組みを創りたいと思います。そんな「高みをめざす」人たちを本校は歓迎したいと思っています。

 校長 恩田徹


 
 学校説明会の様子

 写真上:受付ブース
 写真中:探究ブース
 写真下:海外研修ブース

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「全力出さずに,言い訳するな」

 わがカープが好調で,気分のいい朝が増えています。1991年以来の優勝なるか。
 思えば,つくば市の研修所で夏を過ごした1996年が最悪でした。1996年,この年のシーズンは中盤までぶっちぎり独走状態だったわがカープが二位巨人に11.5ゲーム差をつけていました。しかし,11ゲーム差で迎えた7月9日の対巨人戦(札幌市円山球場)で,2回二死走者なしから9者連続安打で一挙7点を奪われて負けたのを機に,失速が始まり,長嶋茂雄監督(当時)のメイク・ドラマというわけのわからない流行語大賞に貢献した非常に痛い経験をしてしまいました。したがって少なくとも来月まで油断は禁物です。
 さて,8割の人が目的を持って生きるのを面倒と考える,といわれます。理由は,容易に目的は達成されないから。失敗をして悔しい思いをするより,流されて生きるのが楽だからといわれます。何が人生を楽しくするかは,その人次第です。考え抜き,挑戦することが脳のためにやっているとすれば,目標をちょっと高めに設定するだけでいい。成功しても達成感のない活動は浪費と同じではないでしょうか。
 格差社会は非常に大きな問題ですが,全力で物事に取り組む人が少なくなったことはさらに問題です。自分はこんなものだと,自分で限界を設定してしまっているケースが非常に多いと感じます。本気で走り,本気で挑戦する機会がなく,したがって,自分の実力がわからないまま自分を過小評価していないだろうか。教育問題の本質は,教育は「教え,授ける」ではなく「引き出す(エデュース)」であるという原点にたち還るべきだと思っています。この資質・能力を高め,社会で孤立せず,自分だけでなく,相手も社会も何かを得る関係を構築する「自立した」「学校だけで閉じない」打たれ強い個を育てていきたい。そんな7月であることを願っています。

 学校長 恩田徹




 写真は7月1日のLHRの様子

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惜別

 米田貞一郎先生が,とうとう逝かれた。いつかは,と覚悟していたが,喪失感ははかりしれない。わたしどもにとって,米田先生ははるか高みにあって自ずと光を発する導きの星だった。会えるかどうか微妙だった亡くなられる一週間前,扉の向こうに,先生がいると思ったら,心臓が早鐘のように打ったことを覚えている。おそるおそるドアをノックした。ご家族の方が少し待ってほしいとおっしゃった。しばらして入室を許可していただいた先に,何と着替えられて車いすにわざわざ座られた矍鑠たる先生がそこにおられた。筆談ではあったが,学校,生徒,教職員のことを最後まで気にかけてくださった。別れ際に握ってくださった手の力強さに驚き,またお会いできるものと思った。
 米田先生はもうこの世にいない。このひとが同時代に生きていてくれてよかった,と心から思える。
 米田貞一郎先生。校長ということばはこの人のためにある,と思える。どんな主義主張にも拠らず,とことん生徒目線で教育と学校経営を考えぬかれた。

 学校長 恩田 徹




写真は米田先生の100歳の誕生日での雄姿と101歳の誕生日を祝って書いていただいた「絆」の本校玄関前の石碑

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「楽する」と「楽しむ」は違う

 次期学習指導要領の方向性には「探究」が満載で少し面映ゆくなってしまいます。業界用語のように「元祖」「本家」などと名乗るのも品がないなと思っています。アクティブラーニングであれ,探究活動であれ,楽をして,よくわかることばかりを望んでいませんか。あなたご自身はどうですか。できるだけわかりやすく教えてくれる先生ばかり望んでいませんか。
「わからなかったらわかるまで考えなさい」
「わからなかったら自分で調べるという努力をしなさい」
「わからなかったら前に習ったことを忘れていないか,復習してみなさい」

学習成果という観点から見てみると,大きくはつぎの4つのタイプに分かれます。
 (1)実力もあり運もあり,いつも満足のいく成果を得る人。
 (2)特別な努力をしている様子はないけれども,なぜか結果を出す人。
 (3)努力はするけれども,なかなか報われない人。
 (4)やる気に乏しく,結果も出せない人。

 いちばん多い答えが(3)ではないでしょうか。「けっしてやる気がないわけじゃない。能力が低いわけでもない。何かきっかけがあれば・・・」と思っていますよね。わたしたちが自分自身どんなときにいちばんやる気が出て,本気でがんばることができるか。それはまぎれもなく「なるほど,こうすればいいのか」 「なんだ,こんなことだったのか」と,その解決方法がはっきりとわかったとき。何か壁に当たったときにどうしたらいいかわからずに,「私ってダメな人間なのかも・・・」とずっと悩んできたかもしれません。
 勉強においても自立しないといけません。そして孤立してはいけません。つまづきの事例と原因を声に出して他人に話しましょう。困っていることをため込まず話題にして面白がる能動性と協働性が欲しいのです。
 大人はもっと悲惨ですよ。8割の人が目的を持って生きるのを面倒と考えています。理由のNo.1は,容易に目的は達成されないから。失敗をして悔しい思いをするより、流されて生きるのが楽だからであるといわれています。そして,残りの2割の人も失敗の中で苦しんでいます。どちらが人生を楽しくするかは、その人次第ですが,人より一歩前に出る相対評価ではなく、面白がって自分が楽しめたかという絶対評価に対して満足すべきだと思って,決して孤立することなく,踠こうではありませんか。


校長 恩田 徹


La Gaya Scienza

疑問が発見を生み、一つの発見が新たな発見を呼び、
それらが集積されて知識となり、知識の体系が知恵に結晶する。
ひたむきに繰り返されてきた未知の扉を開こうとする人間の営み。
人類は「知る」ことによって生きてきた。



 すべては君の「知りたい」からはじまる





 写真:2年生「探究基礎」JUMPの様子

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本気で取り組むことの尊さ

本気で取り組むことの尊さ
‐「求める」と「究める」はちがう‐

 5月の初日に本校サッカー部のインタハイ予選を観戦する機会を得ました。本気で取り組んだプロセスを大事にしてほしいと心より願います。「ボール奪取したら,迷わずゴールに向かえ」との木村監督のシンプルで且つ明確な目標設定の成果に取り組んだプロセスを評価してほしいと願います。
 サッカーに限らず勉強においてもいえることは,多くの人は自分自身で答えを探しだすのではなく,指導者の求めている答えを探し出そうと黙り込んだり,多くは自分の行為が間違っていたと思い込んで黙り込むのが現実ではないでしょうか。それでは自分の考えを表現できず指導者の求める答えだけを探してしまう生徒を育てるだけになります。
 わが国は場の空気と感性の文化。指導者と生徒間でも「いわれなくてもわかりなさい」「空気を読みなさい」曖昧な問いかけに対し,曖昧な答えを述べ,それでお互いがわかったつもりになり,対話という方略が欠けていたともいえます。
 対話の技術とは思考を育てる技術のことではないかと思います。思考の中でも,私は最も大切なのは「批判的思考」ではないかと感じています。「その考えは本当に正しいのか」について,自分自身でも批判してみることで再確認することが大切だと日々感じております。
 「阿吽の呼吸と気合と根性の文化」もわが国が世界に誇る非常に高度な洞察力です。しかし,一つの答えを求めるということは問題解決のために,様々な角度から論理的に考え,究めようとするプロセスを否定することになりはしないでしょうか。画一的な方略を求め,訓練や規律や礼儀作法も求め,コミュニケーションをフリーズさせ,その延長に体罰,暴力があったのではないかと思います。
 本日(5月2日)の3時間目のHR活動で,来たる遠足の準備という周りの空気を全く読めず,テストの結果に一喜一憂するな,と学習について話し合っていたクラスに敬意を表したいと思います。

 
 写真:1年生のLHRで話をする恩田校長
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行事予定
9/4 文化祭
9/5 代休
9/6 代休
9/9 3年センター試験説明会
9/10 PST 1年生コミカレ講演会(平賀壮太氏)
京都市立堀川高等学校
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