京都市立学校・幼稚園
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本校は,第1期スーパーグローバルハイスクールに指定されました。「『しなやかさ』と『したたかさ』を備えた青年の育成」を研究開発テーマとして,グローバル社会の中で自立するために必要な態度・能力を育成するための指導法を開発します。

第71回卒業式!

 寒さが少し緩み、陽ざしに温かさを感じる季節となりました。(中略)
 ただ今、二百三十九名の卒業生に対しまして、本校における学業を成就したことの証として、栄えある卒業証書を授与いたしました。
 卒業生のみなさん、卒業おめでとうございます。みなさんは、「立志」「勉励」「自主」「友愛」の校訓のもと、「自立する十八歳」たらんとして、本校の特色ある学習活動と探究活動に対し、積極的に、かつ、主体的に自己の啓発に努め、三年間の教育課程を無事修了されました。明治四十一年1908年、堀川高等女学校創立以来一一〇周年、昭和二十三年1948年、京都市立堀川高等学校創立以来七十周年を迎え、本日、第七十一回卒業式を挙行することとなりました。平成十一年、一九九九年四月、普通科に加えて人間探究科、自然探究科を設置してから、十八期生、堀川高等学校創立以来七十一期生として、みなさんは歴史ある第一歩を新たに歩んでいきます。
 その第一歩を踏み出すにあたって、堀川高校の校訓について、少しお話します。みなさんは受け止めながら、堀川高校での活動そのものであったことを確かめてみてください。自立する十八歳に育つためには、校訓の実践は欠かせません。それは、みなさんの三年間の堀川高校での活動のいたるところに、組み込まれていたのです。
 まず、「立志」とは、みなさん自身が持つ可能性を信じ、勇気を振り絞って目標達成を目指し、実現に向けて取り組むということです。目標なしに意味ある行動をとることはできません。ただし、持つべき目標は、当然、確かなものでなければなりません。確かであるかどうかということは、正当であるかどうかということです。それを判断するためには知識と知恵、教養が必要となります。それらを身につけるために、これまでみなさんは学んできましたし、これからも学んでいきます。
 そして、「勉励」。これは、目標達成に向けて努力を重ね、目の前に立ちはだかる困難に立ち向かう姿勢のことをいいます。「自主」とは、自らをメタ的に認知し、適切な判断力と批判力を持って責任ある行動をとることをいいます。この二つは、達成すべき目標を自らの内に抱き、力の限りを尽くして真摯に取り組むことで、結果の如何に関わらず、成長していくことができるということです。たとえ失敗したとしても必ず得るものがあり、成長していきます。
 「友愛」は、周囲をじっくり観察、分析して、想像力、イマジネーションを高め、思いやる心のことをいいます。普段、見えていないものを見ようとすること、聞こえない声に耳を傾けるように、それは想像力の大切さを意味します。
 以上のように、堀川高校生活、三年間を通して、校訓は、君たちに「楽しんどい」という経験値とともに内在されてきたのです。
 「立志・勉励・自主・友愛」の根底にあって、それぞれの活動を支えているのが、「友愛」の「愛」なのです。「愛」という字形は、金文で、後ろを顧みて立つ人の形を表わす字形と「心」の字形が合わさった会意文字で、うしろに心を残しながら立ち去ろうとする人の姿を表したものです。日本古来の武道でいう「残心」に通じています。目標達成にむけて、また達成後に、心を残すとは、周囲への視点と自分自身の位置との関係に思いを馳せ、真摯に振り返ることです。それは、未知へのイマジネーションとイノベーションという未来につながっていくのです。ここで大切になるのが、周囲への視線と感知です。それはどちらも受け取る力。ただし、ここでいう力とは能力ではなく「心」のことを意味します。未来への思いとイマジネーションの想像、それはどちらも発信する力。この力も能力ではなく、「心」のことを意味します。校訓は心が基本形となっています。
 さまざまな問いに対する解決に向けた糸口の一つとして、規定から外れた思考、ちょっとした視点の変換があります。それが、新たな気づきや発見につながり、おさまりどころを形成していきます。そのような世界にむかって、さなぎたちは羽ばたいていきます。どのように羽ばたくのか。それは、どう自己変革してきた三年間であったのかということにもなります。
 いくつか私なりに振り返ってみますと、入学当初の花背山の家での宿泊研修からスタートした堀川高校生活。「探究活動のプロセスを学べ」、「Make〜仲間との団和〜」、「光を支える影となる」という係ごとの目標をたて、探究基礎のゼロ時間目という位置づけの花背山の家の研修を、戸惑いながらも必死にやり切りました。一泊二日の活動を終え、山の家から帰る直前の退所式で「ありがとうコール」をしたのを覚えているでしょうか。本来であれば、一年生が「ありがとうコール」を初体験するのは、九月文化祭の閉会式です。ですが、みなさんは、一年生の初っ端に体験したのです。その時の団長として付き添って、退所式での挨拶で、ありがとうコールをフライングしたのが、実は、当時、副校長だった私でした。みなさんの一生懸命で、健気な活動を二日間見て、思わず一体化したいと思い、やってしまいました。花背の活動は、可能性を信じて、目標達成を目指した「立志」そのものでした。
 そして、海外研修、この時のみなさんの立てた目標は、二つでした。「自分の可能性を開拓する」、そして「国境を越えて「知りたい」を追い求める」でした。私は日本にいて、みなさんの海外での活動、チャレンジの報告を現地から受け、楽しみながら、毎日、学校HPにアップをし、帰宅途中の夜空にかかっている細い月をみながら、さなぎたちも同じ月を世界各国から見ているんだろうなと思いを馳せていたのを思い出します。海外研修を通して、困難に立ち向かい、判断力と責任ある行動としての「勉励」と「自主」をやりきったのです。
 そして文化祭、「堀川徒抗争〜威信をかけた戦い〜」、「堀川のKSK(キセキ)〜この瞬間を君と共に〜」、「Premium “HORI” day 〜三時に帰っちゃいられない〜」のテーマのもと、みなさんは爆発しました。そのチャレンジ精神が、堀川高校での探究活動と化学反応を起こし、さなぎたちの自己変革の触媒となっていったのです。そして今の自分が形成されてきたのです。文化祭は、校訓「立志・勉励・自主・友愛」の全てが込められていました。みなさんは、羽ばたいていくべき自己変革を見事にやりきってきたのです。一人ひとりの未来に向かって、それぞれの方法で、羽ばたいていってください。

 さて、保護者のみなさま、お子様のご卒業おめでとうございます。改めてお祝いを申し上げます。この三年間、本校教育に対するご理解とご支援をちょうだいいたしましとことに厚くお礼申し上げます。振り返りますとさまざまなことが思い返されます。十分でなかったところや、うまくいかなかったこと、ご心配をおかけした点もございました。特に三年生での九月の文化祭、受験準備真っただ中での各クラスの目標達成に向けてのエネルギー発散には、得も言われぬ葛藤があったこととご推察いたします。自宅学習時間が文化祭準備にとられ、なかなか増えていかない状況、さらには自宅での学習だけではなく、クラスでのダンスの宿題まであり、ご自宅で踊っていたこともありました。それをそっと見守ってくださった保護者のみなさまがあっての、十八期生の今日があります。三年間のご家庭でのお子様の様子に、その折々に温かくお見守りいただき、心から感謝いたします。
 本日、十八期生はここを巣立っていきます。彼らの記憶の中で、この三年間が、懐かしさとともに、少しの誇りを感じられるものであり続けることを願っております。今後ともどうかよろしくお願いいたします。本当にありがとうございました。
 
 十八期生、さなぎのみなさん。さなぎは、外的には静の状態に見えますが、内的には激動的な状態となっています。さなぎの内部は繊細なので、ちょっとした振動などのショックで、成長へ大きな影響を受けます。周囲の環境と対話しながら成長を遂げていきます。重層なエネルギーを保ちながらも、繊細であるさなぎの期間は、成虫に向けて、生命をかけた重要な時間です。ハードな学習活動とウルトラハードな探究活動で、もがきながらでもチャレンジし、立ち向かうことで、さなぎの総エネルギーと頑丈な器を作り出してきました。どうぞ、誇りを持ってください。
 そして、見えないものを思い、聞こえない声を受けとめるその想像力を養ってください。みなさんの目には、木々の揺らぐ細い枝や呼吸をしている小さな葉っぱが映っていますか。みなさんの耳には、そよぐ風のゆらめきが聞こえていますか。みなさんの「心」には、光輝く太陽の、温かいぬくもりが、エネルギーとなって、感じられていますか。
 それでは、十八期生さなぎのみなさん。くれぐれもからだに気をつけて。みなさんが巣立つ今日の夕刻、アトリウムに掲げた「さなぎ」の旗を、君たちの前途を祝して、たたむことにします。自立する十八歳として、少年少女から青年へ羽ばたいていく、さなぎたちの、次なる自己変革を願って。


平成三十一年三月一日 第七十一回卒業式
      京都市立堀川高等学校長 谷内 秀一





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チャレンジ!!

 昨日21日、京都府公立高校前期選抜の合格発表がありました。
 合格されたみなさんは、チャレンジした自分自身を褒め、そして、新たな新しい自分を成長させる目標をすぐに設定してください。近い未来、そして遠い未来をも見通した目標を立てましょう。
 結果が残念に終わったみなさん、同じくチャレンジした自分自身を褒め、誇りに思ってください。今回のチャレンジ精神は、必ず将来の大きな選択すべき時に、あなたの背中を押す原動力となります。自信を持ってください。そして、目標に向かって、中期選抜にもチャレンジしてください。
 例年お伝えしているとおり、本校は、中期選抜で合格してきたみなさんを、最大限の敬意をもってお迎えします。これからチャレンジするみなさんのご健闘を心からお祈りしております。
 私は自分にエネルギーを蓄えようとするときに、よく聴く歌があります。WANIMAの「やってみよう」です。その詞の中に、このような表現があります。

  踏み出そう よじ登ろう
  高い山ほど 絶景が待ってるから
  遠回りの道を 選んでみよう
  険しい峠には 何かがあるさ

 みなさんの次の目標は何ですか?


 学校長 谷内 秀一

Imagine

 缶コーヒーの「世界は誰かの仕事でできている」(つながっている篇)というCMを見て、とても感動した、と同時にとても清々しい思いになった。
 こんな場面だ。
 幹線道路の工事をしている二人が休憩時間に缶コーヒーを飲みながらの会話から始まる。スマートフォンを見ながら、「便利になったよな。」「ん?」「スマホアプリだよ。創ったやつすげぇな。」
 場面はスマホアプリ開発者へ。お昼ごはんで弁当を食べながら、「うまっ、この弁当企画した人、まじ神。」
 場面は弁当開発者へ、「お弁当は素材が命。生産農家さまさまね。」 
 場面は農家へ、「野菜は鮮度やけ。運んでくれる人に感謝やね。」
 場面はトラック運転手へ、「この道完成したんだ。たすかるわ。」
 場面は幹線道路工事の休憩中の二人へ、通過する先ほどのトラック運転手に手を振りながら、「おっ、お客さん。」「ご安全に!」「なんか他人とは思えないっすね。」「つながってんのかもな。」

 それは他者の仕事に対し「想像」を通しての「リスペクト」が根底にあるもので、頭では理解できるものではあるが、しかしながら、このサイクルは誰にでもできる当たり前のものなのかと考えてみるに、様々なしがらみを抱えているヒトの行為としては、なかなかそう簡単にはできない「想像」なのではないかと思った。他者の行為や仕事に対して行われる想像は、自分の置かれている困難さを相手の行為や仕事には見出だせずに「いいなぁ、あの人は私の抱えている困難がなくて」という羨む気持ちや妬みとなって、なかなかリスペクトには至らない。しかし、このCMの「想像」は違っている。この人たちの仕事を自分に当てはめてみたとき、これは到底自分にはなし得ない次元や技術や思いがある、それは素晴らしいという「リスペクト」へいざなう想像なのだ。妬みは時としてエネルギーとなって新しい創造を生み出すこともあるが、それはなかなか難しいものだ。
 世界が求める力の一つとしてOECD(経済協力開発機構)2030教育では、「生き延びる力」を提唱し、三つの力に分類している。その中の一つに「緊張とジレンマの調整力(Reconciling tensions and dilemmas)」というのがある。平等と自由、自立性と地域利益、変革と継続性など様々な競合する需要間のバランスをうまくとろうとする力だ。現在の日本社会ではなかなかピンとこない力なのではないだろうか。地続きで国境が目の前に存在している国々と、日本のそれとは状況が違うからだ。どちらがいいとか悪いとかではなく、状況の歴史はどうにもならない条件を突きつけてくる。それをどう前向きに受け入れて、理解しようとするのか、その態度が大事なのだろう。
 堀川高校における教育活動は自己実現を目指し、常に「探究活動」との間でバランスをとり、かつ一体となるべくつなげながら展開している。そしてそれは、他者への「リスペクト」を内在させる活動とならなければならない。

 世界は誰かの生き方や在り方でできている。想像していこう。


 学校長 谷内 秀一

   チャーリー浜曰く、「君たちがいて、ボクがいる。」

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Ultra High

空を見上げるとき、人はゆめうつつであるとよくいわれる。
実は、見上げているときは、「思い」の根がはっていることが多いものだ。
根がはればはるほど、見上げる先は高くなる。
根の深さは、過去の自分と同値である。
すべての自分がそこにある。
根の深さと見上げる先のバランス保有は、自分しだい。
目指す高みは、みんな持っている。

本年もよろしくお願いいたします。

学校長 谷内 秀一


 ミゲル・ロドリゴ曰く、「自分の強みを知れば、人ははばたく。」



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まわり道

 堀川高校は、文化祭や体育祭などの行事をはじめ、特別活動も含めて生徒たちの主体的な活動を応援しています。活動を通して、生徒たちは失敗を含めたいろんな経験を通して、喜びや悔しさなどいろんなことを感じ、気づいていきます。このようなリアルな経験を学習面だけではなく、このような生々しい活動の中で、生徒たちは成長していきます。一見、将来の進路実現には遠回りのように感じますが、実は密接に繋がっていて、大きな要素であると思っています。将来、豊かな人生を送るためにはこのような体験はとても大切なエネルギー源なのです。自分たちで考え、立ち止まり、失敗し、また考え、軌道修正をする。ちょっと遠回りもしますが、遠回りから見えてくるものもたくさんありますし、堀高生としてのエネルギーは確実に蓄えられています。
 今年の8月25日の土曜日、地元の本能自治会地区の夏祭りがありました。毎年本校の吹奏楽部が夏祭りのオープニング演奏に声をかけていただき、参加しています。その時の祭りの様子で、とても素敵だと感じた親子と出会いました。その親子はお父さんとよちよち歩きができるようになった1歳半くらいの女の子でした。女の子は白地にピンクの柄の入った甚平姿で、小さな赤い靴を履いていました。お父さんは片手に出店の券を数枚持っていて、おそらく出店まで行って、トウモロコシかから揚げか焼きそばなどと引き換えに行く途中だったようです。お父さんは女の子を抱っこしたり、手を引っ張って出店まで行けばその目的を早く達成できたと思いますが、そのお父さんは女の子を歩かせて、その子の後ろからそっと寄り添いながらゆっくりと歩いていました。女の子は一歩進んでは足元の芝生をつかんでみたり、一歩進んでは、横を向いてしゃべっているおばあさんの顔をじっと見つめたりと、女の子はいつもと違う風景や様子、たくさんの大人と子どもでいっぱいの会場を、そのひとつひとつの風景や人をじっと観察しながら、ゆっくりと一歩、一歩を前へ、横へと歩みを進めていました。女の子はいろんなことを見て、肌で感じ、どこからかやってくるおいしそうな匂いを嗅ぎ、足元はふわふわした芝生で、歩きにくそうで、おそらく初めての感触だったでしょう。五感を体全体で感じながら、いろんな思いを現実として体験していました。お父さんはその様子をじっと見つめて、根気強く女の子につき合っていました。娘の感じるまま、思うままを体験させて、それを大切にしていました。女の子の遠回りをじっと見守っていました。こういうリアル体験がこれからの世の中にはとても大切になっていくと思います。こういう体験をした子どもたちは、豊かに育っていくのだと思います。今の世の中、早く合理的に答えを手にすることがよしとされています。もちろん否定はしませんが、リアルな体験をともなって蓄えられるエネルギーがより良い豊かな人生を作っていくと思います。
 そういう意味では、堀川高校での生徒主体の遠回りの活動も同じだと考えています。マニュアル通り、指示通りではない、クリエイティブな探究的な活動が将来、社会で活躍するときには、必ず力となって発揮されると信じています。目の前のことやモノについて、感じたり、思ったり、考えたり、触ったりで現実を体感させて、その体験を大切にしていたのです。便利な世の中になりました。ほしいと思っている答えがすぐに手に入る時代です。今後はさらにスピーディーになっていく世の中になっていくでしょう。そういう世の中だからこそ、現実のリアルな体験が重要になっていくと考えています。

 学校長 谷内 秀一


 アルベルト・アインシュタイン曰く、
「大事なことは疑問を持つことを止めないことだ。好奇心はそれ自体で存在意義がある。」

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ことばのちから

 『柔道部物語』という漫画がある。岬商業高校柔道部が少しずつ強くなり、全国制覇するというコメディタッチのスポ根物語である。
 主人公は一人の高校生なのだが、この柔道部顧問の五十嵐先生がいい。先生自身は日本トップクラスの選手なのであるが、努力が嫌いで、他人に教えるのもめっぽう苦手という人物なのだ。普段は多くを語らない、そんな先生がやる気を出して考え抜いたある指導法がある。とてつもなくナンセンスなのだが、これがおもしろく、深い。その指導の場面はこんな感じだった。

  五十嵐先生:「体力や技術も大切だが、それ以上に気力がものをいう。気力とは何かといったら、自信だ。自信をつけるために、一番手っ取り早いのは、自分で勝手に思い込むことだ!」
  生徒たち:「え……」
  五十嵐先生:「いいか、いくぞ。大きな声で俺につづくんだ。」
        「………。」
        「俺って天才だああぁ!」
        「はい!!」
  生徒たち:「俺って、天才だあああぁ!」
  五十嵐先生:「よ〜し、次!!」
        「俺ってストロングだぜぇ!」
        「はい!!」
  生徒たち:「俺って、ストロングだぜぇ!!」
  五十嵐先生:「ただし、あんまり天才だと気が重くなったりするからバランスをとるために、もうひとつ心構えをやるぞ!!」
  生徒たち:「何ですか……、もう一つって……。」
  五十嵐先生:「……。」
        「俺ってバカだぁ〜っ!」
        「はい!!」
  生徒たち:「俺って、バカだあぁ〜っ!!」
 そして生徒たちは猛特訓を重ね、主人公は全国制覇するのである。五十嵐先生は、人としての調和を重要視していると同時に敢えてことばを使って力をつけている。

 1年生の海外研修は4月からスタートし、探究を軸として日常化してきている。堀川高校の海外研修の準備は、無形の中に「存在」を創出するというやっかいなものだが、最高に有意義な活動だ。それぞれが世界に飛び立つ。ばらばらの活動のように見えるが、地球規模で同じ時空を共有しているのだ。
 地球に境界線はない。都合によって人間が引いているだけだ。境界を意識すればするほど、結果として調和が崩れる。宇宙を含めたわれわれの存在する世界は、調和している。バランスが保たれている。
 先の五十嵐先生の大切にしている調和は、基本的にバランスをとっているともいえる。それは一般的に「釣り合う」という意味だ。しかし、もう少し地球規模、宇宙規模で捉えるなら、対極にあるものを釣り合わせるということだけではなく、すでに釣り合って安定しているものやことのことを言うのではないか。善と悪とか攻めと守りなどと表現するが、善悪の間や攻守の間には境界はなく、善に近い悪もあり、悪寄りの善もある。故に、バランスには境界線が存在しないのだ。バランスとはボーダレスを内在させている。五十嵐先生の認識には、おそらくそのことがあったはずである。
 生徒たちは来年の3月には他国を訪れるが、そういった意味では、地球を一つの総体と捉えるなら、その地の人とコミュニケーションをとることは、普段行っていることとの差異はほとんどない。文化的文脈を理解し、ことばを通して知り合う機会を大切にしていってほしい。


 中村雄二郎曰く、「対話とは、ロゴスに導かれて展開していくもの。ロゴスとはことばや言説を意味すると同時に、問題となっている事柄の真理や真相を意味する。」


 学校長 谷内 秀一

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若き狩人!

 10月20日は、堀川高校の創立記念日です。
 今年は京都市立堀川高等学校としては創立70周年の年で、「京都市立高等女学校」から数えると創立110周年となります。今日の創立記念日に際しまして、「堀川高等学校校歌」のお話と、現在みんなで歌う機会がなくなって久しい、「堀川高等学校生徒歌」のお話をしたいと思います。
 堀川高校の校歌ですが、1980年(昭和55年)2月23日に、校旗とともに制定されました。えっ、と思いますよね。38年くらいしか歌われていないことになりますからね。そうなんです、堀川高校には創立当初からしばらくの間、校歌がなかったのです。そこで、まず、堀川高校の歴史をダイジェストでお伝えしたいと思います。
 1908年(明治41年)に設立された「京都市立高等女学校」の伝統を受け継ぎ、現在の校名「京都市立堀川高等学校」になったのが1948年(昭和23年)の6・3・3制の学制改革の時でした。この年の4月から学校の再編があり、10月20日に開校式が行われ、普通課程・商業課程・家庭課程・音楽課程の四課程を設置する学校として、70年前に再スタートしました。ですから、この日が創立記念日となったのです。1963年に普通課程、音楽課程の二課程となり、1997年に音楽科は京都市立音楽高等学校として独立しました。
 その後、堀川高等学校は、1999年(平成11年)に校舎を全面改築するとともに、普通科に加えて、新しい専門学科「人間探究科」「自然探究科」を設置して、新たな伝統への一歩を踏み出しました。
 さて、ここまで堀川高校の歴史をダイジェストでお伝えしました。110年の歴史の中で、校歌は1980年に制定されました。校歌に関わる話として、70年前、1948年の京都市立堀川高等学校がスタートした年に、実は、校歌を作ろうとして、在校生の生徒から校歌の歌詞を募集しました。生徒から歌詞を募集するというのは、まさに自主・自立を尊ぶ堀川高校らしいと思います。その時にトップで選ばれたのが、連隆文さんの詞だったのです。ところが、選ばれはしたのですが、歌詞の中に「堀川高校」という校名が使われていないことなどから、校歌としてはふさわしくないということで、「堀川高等学校生徒歌」と呼ぶことになったのです。作詞のご本人さんも、まさに適切な命名だったと、のちに回想しています。この詩に当時の音楽課程の岩上先生が作曲されて、生徒歌が完成し、1980年まで校歌の代わりとして歌ってきたのです。この生徒歌は今も生徒手帳に載っています。生徒全員で生徒歌を歌う機会がなくなって久しくなりますが、その生徒歌「緑なす森に」を少しでも身近にしようと、その第一歩として、今年の3月、17期生の卒業生たちが、卒業記念品として、校内のチャイム機器を贈っていただき、そのチャイムの中に、卒業生がピアノで演奏した生徒歌の「緑なす森に」のメロディの一部を、8時25分の朝の授業が始まる前に流しています。そして、生徒歌「緑なす森に」の歌詞の中にある、「若き狩人」という言葉は、現在の堀川高校の「進路のしおり」のタイトルとしても引き継いでいます。
 生徒歌の歌詞です。
 
 緑なす森 風にそよげり 木の間もれ来る 明き光に
 若き狩人 獲物追ひつつ 口笛の音の 及ばむかぎり
 逃すはあらじ 若き狩人
  立てや立て 心のままに 立てや立て 汝は得撓まじ

 緑なす森 風にそよげり 流れに映る 青雲の影
 若き狩人 あゆみ移せば 繁き露にぞ その身潤ほい
 樹々の間深く 木霊呼ぶなり
  踏めや踏め やさしき脚に 踏めや踏め 汝は得撓まじ

 緑なす森 常盤の森に 風立ち騒ぎ 変りありとも
 若き狩人 たゆむことなく 永久に住みつつ かけ廻りなん
 若き狩人 汝に幸あれ
  集へいざ 心のままに いざやいざ 共に讃へん

 作詞者の連隆文さんは、創立記念誌「あゝ 我が青春の堀川」で、歌詞の一番は「知」、二番は「情」、三番は「意」という隠れたテーマを設定し、構成したとおっしゃっています。当時の高校生の創作した「緑なす森に」は、まさに堀高生の原点です。創立記念日のこの日に、校歌とともに生徒歌「緑なす森に」を今一度振り返る機会として、現在の若き狩人たちは何を、どう感じ、どう思い、何を考えるのか、そんな時間を少し作ってみてほしいと思います。願わくは、堀高生の原点、若き狩人の意思を受け継ぎ、そして未来の堀高生、後輩につなぐ役を担ってほしいと思っています。

 学校長 谷内 秀一

 
 写真:堀川高校「メモリアルスペース」


 詳しい学校の沿革については、以下のリンク先をご覧ください。
    ↓
http://cms.edu.city.kyoto.jp/weblog/index.php?i...


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「好き」なものを「知りたい」自分

 泉鏡花の小説や戯曲が好きで、特に「お化け」ものと呼ばれるものを高校、大学の時によく読んだ。中でも戯曲の「夜叉ヶ池」が大好きだ。坂東玉三郎主演で映画化されたときには、映画館に7回足を運んだ。原典のイメージと私なりに一致したからだろう。人間と龍神の交わした約束を敢えて人間が破るにいたる物語で、どちら側にも「愛」がベースとなっている。物語中に主人公の百合が月を愛でながら「……。月は可(よ)し、灯を消して戸をしめて。」と、人形を抱っこしながらささやくシーンがある。もともと「月」が大好きな私は、この「月は可し」にやられてしまった。読みながらその場面が頭の中に鮮明に想像でされ、自己陶酔に陥った。美しい情景が心に焼き付く。しかし、妖怪たちより人間たちの方が「欲」深い。そこには有限の命というものがあるからだろう。長びく旱に生贄を捧げようとする生への行動。社会情勢が不安定で生きることに精一杯で極限的な状況であるからこそ、そう行動せざるを得ないこともあるだろう。今の世界情勢をみても似たような場面はある。
 「欲」は我々に日常的につきまとってくる。本能的な欲から社会的、心理的な欲まで多種多様な欲がある。欲は善にも悪にもなりうる。どちらかというと現代社会では悪のイメージの方が強いかもしれない。アメリカの心理学者アブハム・マズローは、欲求をピラミッド型で五段階に分類していて、第一段階は「生理的欲求」でその上に「安全欲求」、「社会的欲求」、「承認欲求」、そして一番上には「自己実現欲求」を位置づけている。第一段から三段までは「外的に満たされたい欲求」とし、四段階の「承認欲求」と五段階の「自己実現欲求」は「内的に満たされたい欲求」としている。
 大切なのはやはり自己実現に向けての欲求行動であり、探究基礎における「好きでたまらない」、だから「もっと知りたい」、そして知ることで自己認識が堅固となる一方で、知らないことが後からついてきて、悶絶し、また知りたくてたまらなくなってくるという無間地獄に陥る。もやもやするが清々しさを同居させる活動だ。前もって自分なりの帰結先を根拠とともに用意し、他者に伝えるという営みは社会の中では当たり前に成り立っている。だからこそ、世の中が求める生き抜く力とその営みを現前化することの有意義性は重要となる。
 堀川高校の探究基礎発表会にはその有意義的な営みが集結している。お互いの自己実現欲求を交流しようではないか。一人ひとりそれぞれの自己実現プロセスは、他の四段階欲求も満たされているかの確認も今後必要か。
 人の集合体全体がお互いの自己実現プロセスを受け入れ合って、我々の住む世界は「月は可し、灯を消して戸をしめて。」と、月を愛でながら一日を終える、そんなGlobeでありたいものだ。

 星野道夫曰く、「本当にやりたいと強く思うことは、時として勇気を生む。」

 (探究基礎発表会予稿集より)



 学校長 谷内 秀一
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文化祭まであと2日!!

Drastic Innovation

 私たちが生きる情報化社会の状況は急速に変化していて、とりわけ人工知能技術をはじめとする技術革新はすさまじい。社会構造も大きく変化し、次世代の新しい社会が見え隠れしている。IoT(Internet of Things)ですべての人とモノがつながり、さまざまな知識と情報が共有化されることによって、これまでになかった新たな価値が生み出され、さまざまな社会課題が克服されるといわれている。少子高齢化や地方の過疎化などの課題、情報があふれすぎて必要な情報が必要な時に見つけられないなどの課題等、これまでの社会で解決困難だったことが、AI(Artificial Intelligence)、ロボティクスなどを活用していくことで、生きていくうえでの可能性が広がっていく社会が構築される。その社会を「超スマート社会」と呼び、今の中学生や高校生が社会で活躍する頃に直面する。
 IoTやAI、ロボティクスなどといった情報を中心とする革新的技術が新しい付加価値を生み出していく社会は、SF映画で描かれているシーンによく登場するが、もうフィクションではなくなってきている。超スマート社会は、一見その中心となるのが、デジタライゼーションのようだが、私たちが大切にしなければならないのは、人間中心の豊かな社会でなければならないということだ。したがって、デジタライゼーションはあくまでも手段でなければならない。
 人間中心の豊かな社会を構築するには、一人ひとりのエンパワーメントが最も重要となる。堀川高校での「自立する18歳」にむけての自覚と成長が10年後、20年後の社会に直結していくと考えている。文化祭もその重要なエンパワーメントを強化する活動だ。想定外が目の前に立ちはだかり、朋とともに軌道修正し目標達成を目指し、もがき続ける。達成に向けての協働から得られるエネルギーは、朋が多ければ多いほど、掛け算となって増大していく。居心地のよい落ち着いた平静さの中ではイノベーションは起こりえない。新しい価値を創造するには、ドラスティックな革命を起こさなければならない。
 この革命的な2日間は、10年後、20年後のデジタライゼーションを手段とした人間中心の豊かな社会である「超スマート社会」を構築するパワーの根源となること間違いなしである。堀川高校の文化祭は日本の未来社会の土台となる魂が宿り、そしてパワーも無限に増大する場なのである。

 イタリアベローナ、ダンスをする老夫婦曰く、
 「タンゴはウィルスのようなものだよ。踊らずにはいられないんだ。上手に動くことより、素直な感情が大事なんだ。タンゴは3分間の人生なんだよ。」

(文化祭パンフレット挨拶より)


 学校長 谷内 秀一 



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ゆかし

 人は世界中にあるいろんなモノやコトを認識して生きています。私はそれがどんなふうに認識されていくのかという「認識」の構造について、とても興味があり、ちょこちょこ考えています。
 今となってはかなり以前の話ですが、私は国語の授業である実験をしたことがありました。教室内に存在しているモノで、ぱっと目に入って、気になるものがあれば、それは何かを記入してもらい、また、普段は全く気がつかなかったけど、あえてよく見ると、ああ、こういうものがあったのか、というものもあったら、それも記入してもらいました。結論からいうと、すぐに目に入って気になるものには、ほとんど「名前」「固有名詞」がつけられたモノでした。逆にいつもは全く気がつかなかったモノは「名前がつけられてないモノ」がほとんどでした。つまり、人とモノやコトを繋ぎやすくする、「認識を可能にする」には「ことば」の存在が大きく影響しているということです。ことばというものの存在は、私たちの日常の認識にいかに大きな役割を果たしているかということがわかります。
 それが、ある日の朝、学校の玄関入口前で、ある男子生徒との会話で、少し考えが変わりました。というか新たな「発見」「気づき」がありました。「なるほど」と思って、人の認識の構造が私自身深まりました。
 私は玄関入口前に、花を植えていて、その世話をしていたときの出来事。登校してくる生徒たちは私に「おはようございます。」とみんな声をかけて挨拶してくれます。とても清々しい気持ちになり、一日の始まりにはいいスタートです。
 その日はいつものように花がら摘みをして、水をやっていた時に、3年生の男子生徒で、とてもさわやかで活動的、リーダー的な生徒が登校してきて、私に「おはようございます。」といつもの爽やかな挨拶をしてくれました。いつもながら好青年だなぁと思っていた時に、その生徒はさらに私に近づいてきて、次のように声をかけました。
「ああ、ここに花があったんですね。」と笑顔で何の屈託もなく言いました。
 私はその時「おっ!」と思いました。目立つ花の色だけに、その存在は認識されていただろうと勝手に思っていたのです。しかし、それがちがった。その生徒にとっては、花自体は目に入っていたけれども、認識まではされていなかったということです。私は勝手に玄関を通る生徒たちの目には花が認識されているだろうと決めつけていましたが、それがちがった。いったい何が違ったのかを考えました。
 おそらく、花という存在を認識するのは、ただ単に名前や固有名詞があるからだけではない。そこに「人」が介在することによって、より存在の認識が深まったのではないかという私なりの答えにたどり着きました。ただ単に目に入るのではなく、認識する、という状態にはさらに別の人の存在がそれを促すのだろう。
 このことは、花だけにいえるのではなく、モノやコトの存在の認識すべてに当てはまると思います。当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、自分なりの疑問と気づきを経験して、また清々しい気持ちになった。

 Madonna 曰く「大切なのは、どう見えたかじゃなく、本当はどうか、なんだよ。」


 学校長 谷内 秀一

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行事予定
3/22 生徒校内立入禁止(12:00〜)         合格者登校日(13:00〜)
3/23 PSTなし
3/26 離任式(14:00〜)
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