京都市立学校・幼稚園
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「美術を学ぶ」から「美術で学ぶ」学校へ。美工(美術工芸高校)は、生徒たちに未来必要な力を身に付けさせる教育活動を展開しています。

校長室ウェブログ更新しました  6月11日記事

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校長室ウェブログ記事を更新しました。

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校長室ウェブログ 6月11日 「対話の基礎体力」

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             「対話の基礎体力」


 前期中間考査が終わって、いよいよ文化祭準備期間が始まります。文化祭に向けた会議や準備はもうすでに始まっていましたが、この時期から、大道具や衣装の製作、音響や照明、台詞を覚えての稽古など本格的な準備の期間となります。 

 本校に着任したとき、この学校は、無からモノを創り出す学校だ、と実感しました。美術専門の授業を見ていて、生徒は、この世になかったモノを自らの感性、思考力、表現力で創造していきます。文化祭の演劇も、毎年、ゼロから創造された作品であり、教育活動としての意義を大きいと考えています。40年ほど前、私は、日吉ヶ丘高校で高校生活を送っていましたが、その時も全クラスの演劇がありました。日吉ヶ丘高校時代から美術コースの生徒の演劇は、普通科のクラスとは違っていました。

 昨年の同じ頃、やはりこのブログで文化祭の演劇のことをとりあげました。準備・制作過程で起こる気持ちや考えの“ぶつかりあい”に、どうか集団に属する者同士が対話と知恵と力で解決して欲しいと書きました。“意見の相違”“ぶつかりあい”を解決するのは、教師の指導でもSNSでもない、何よりも当事者の対話です。入学式の式辞で、劇作家の平田オリザさんの著書『わかりあえないことから』の文章を引用しました。「異なる価値観と出くわしたときに、物怖じせず、卑屈にも尊大にもならず粘り強く共有できる部分を見つけ出していくこと」が大切です。平田氏は次のようにも述べています。「演劇に限らず、音楽、美術など、どのジャンルにおいても海外で成功している芸術家の共通点は、粘り強く相手に説明することをいとわないところのあるように思う」と。平田氏はこれを「対話の基礎体力」と呼び、「対話の技術は大学や大学院でも身につきますから、どうか子どもたちは、この『対話の基礎体力』をつけてあげてください」と、学校の先生に話してきたと述べています。平田氏が言うには、意見が変わることは敗北でも恥ずかしいことでもない、むしろ価値観の異なった人との新しい出会いにより発見がありそのことにより自分の考えが変わることは喜びであると。

 私たち教職員は、できるだけ“意見の相違”“ぶつかりあい”が起こらないように“指導”するというよりも、生徒どうしの対話が成立する環境をつくり、生徒が対話を大事にし、対話をいとわない粘り強さやエネルギーをもてるよう導かなければならないと思います。そして、何よりも私たち教職員どうしが、まず、自らの対話する環境を整え、対話を絶やさない心構えをもたなければならないのでしょう。

 銅駝のクラス劇は、まさしく主体的、対話的、協働的で深い学びの場。生徒たちの成長の機会をしっかり支えていきたいと思います。

2018年6月11日
                    校長  吉田 功

校長室ウェブログ更新しました  5月7日記事

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 校長室ウェブログ記事を更新しました。

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校長室ウェブログ 5月7日 「150年」

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              150年

 ゴールデンウィーク中に、「明治150年」をテーマにした2つの展覧会に行ってきました。

 4月末に行ったのは京都市学校歴史博物館。明治150年・開館20周年記念企画展「京都画壇の明治」が開催中です。この企画展には、銅駝の収蔵庫に保管されている鈴木百年(すずきひゃくねん)の「碧流小亭図」(明治21年・1888年)も出品されています。この企画展には、鈴木百年の他に、幸野楳嶺(こうのばいれい)、望月玉泉(もちづきぎょくせん)、久保田米僊(くぼたべいせん)、今尾景年(いまおけいねん)、巨勢小石(こせしょうせき)など京都府画学校に関わりのある、明治期に活躍した多くの作家の作品が並んでいました。

 5月3日には、国立近代美術館の「明治150年・明治の日本画と工芸」。この展覧会でも、「京都府画学校と同時代の日本画」というテーマで、幸野楳嶺、望月玉泉、久保田米僊、今尾景年、巨勢小石の他、岸竹堂(きしちくどう)、森寛斎(もりかんさい)、竹内栖鳳(たけうちせいほう)の作品が展示されていました。そして前期展示期間には京都府画学校の初代摂理(校長)となった田能村直入(たのむらちょくにゅう)の作品も展示されました。

 今年は明治維新150年。激動の幕末維新のあと、東京遷都となり、欧米文化の流入と近代化政策が進む中、京都で活躍した当時の最前線の日本画家の作品を2つの展覧会で鑑賞しました。明治維新から約10年あまり経った1880年(明治13年)、銅駝の学校史の最初「京都府画学校」が創立されました。それまで、画家になるには師匠に弟子入りし長く修行を積んで師匠の流派の描き方を学ぶという時代が続いてきましたが、「学校」に入学し、特定の先生だけでなく様々な先生から指導を受けるという学び方に転換することは大きな変革でした。『美工沿革史』によれば、学校設立にあたり、田能村直入が学校設立の請願書を京都府知事に提出することを聞いた幸野楳嶺が、望月玉泉、久保田米僊、巨勢小石らと相談し同様に請願書を提出したと書かれています。提出後も幸野楳嶺は他の画家に学校設立を説いたり、京都府へ再三出向いたりしますが、画学校の設立など前代未聞ということでそう簡単には進展せず、病に倒れます。それでも幸野楳嶺は、久保田米僊に、もし自分が命を落とすようなことがあっても、必ず設立して欲しいと熱い思いで頼みます。彼らは京都府画学校が設立された際には副教員として出仕しますが、創立時、幸野楳嶺は36歳、久保田米僊28歳という若さ。150年前の日本画最前線の作家が大きな情熱を注いで、本校の源が創り出されたのです。

 来年は全国に先駆けて京都で番組小学校が設立され150年になります。本校の校地は、かつて銅駝尋常小学校・銅駝中学校のあったところ。その最初は1869年(明治2年)、「上京三十一番組小学校」として設立されました。明治以来150年の歴史は、産業や経済の発展とともに戦争や貧困、災害など厳しい問題にも直面してきました。しかし、子ども、若者の学ぶ場を設け、未来を創る人を育てるという教育の営みは耐えることなく続いてきました。

 150年という時間(とき)の中にある銅駝美術工芸高校。今年度始めの挨拶でも述べたように、本校が美術専門高校としてあること、本校のような美術専門高校があることの重みを、展覧会の作品を鑑賞しながら今一度深く考えたところです。

2018年5月7日
                     校長 吉田 功

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4月9日 校長室ウェブログ記事を更新しました。

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 9日、校長室ウェブログ記事を更新しました。

 入学式式辞
 始業式に

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4月9日  始業式に

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               始業式に
 
 平成30年度、2018年度が始まりました。午前中に入学式があり、90名の新入生を迎えました。すでに3月28日には、本校に新しい先生、職員の方をお迎えしていました。今年度の銅駝の生徒・教職員、すべてのメンバーがそろって新しいスタートです。


 4月3日河原町丸太町の角に新しくできた御所東小学校の開校式に招待され、出席してきました。御所南小学校に通う児童の数が多くなりプレハブを建てるなどをされていましたが、よりよい学習環境をということで地元の方々がずいぶん話し合いをされ、子どもたちのためにという熱い思いで創立された学校です。新しい学校の校章は地元の意見を踏まえて本校の梅林先生が作られました。新しい校歌の作詞は、以前本校に勤務されていた山本純子先生が作られました。そして、御所東小学校へ通う児童の新しい通学路の安全を願って地元の方が、「飛び出し坊や」という注意喚起の看板を銅駝の生徒のイラストで作りたいと依頼があり、生徒の皆さんが作成してくれた作品の中から5つが実際の看板として設置されることとなりました。多くの人の願いや思いで支えられ、御所東小学校の新しい歴史が始まります。

 銅駝は、明治にできた京都府画学校の創立がスタートなので今年で139年、この場所で銅駝美術工芸高校としてスタートしてからは39年の歴史を歩んできました。銅駝が開校する前は銅駝中学校、その前は小学校があり、この校舎グラウンド自体が長い歴史を持っています。学校ホームページのブログの記事にも書きましたが、春休み中に80歳を過ぎたご年配の女性が、遠方からわざわざ銅駝を訪ねて来られました。その方は戦前この場所にあった銅駝尋常小学校の卒業生で、大切に残しておられた入学の時の写真を鞄から取り出し、見せてくださいました。それは今もある本館東側の藤棚の前で撮影されたもの。現在の本館は昭和初期の校舎、現在の藤棚も当時のまま大事に残されてきたことがわかりました。思い出の場所で記念写真をお撮りしましたが、感激してお帰りになりました。ちょうど本館の廊下教室の油引きをしてから2,3日経った日のことでした。油引きすることで、ほこりや汚れを防ぎ、板をしなやかにして、割れや痛みを防ぎます。尋常小学校の頃からこの校舎、床や廊下は、万を超える子ども、教職員が踏みしめてきたんだなあと考えると学校という場所の重みを感じます。

 学校は、生徒と教職員が毎日毎日様々な活動をして様々な思いが積み重なって歴史が創られていきます。そういう意味では、学校は単なる「入れもの」ではなく「生き物」だと思います。生き物と同じように学校にも心臓の「鼓動」や「体温」「息づかい」が必要です。それがあってこそ、生徒が学べて、生活ができて、成長できるのだと思います。入学式で、私は「学校は希望を創るところだ」と言いました。希望は探すものでも、どこからか現れるものでもなく、主体的に創り出すものです。この学校で希望を創り出すためには、この銅駝が「鼓動」「体温」「息づかい」のある学校でなければならないと思います。今、ここにいる生徒の皆さんと教職員がそういう思いで新年度スタートしたいと思います。

平成30年度 第39回入学式 式辞

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              式  辞

 鴨川河畔に咲き誇った桜が満開の時を過ぎ、川面が、零れ桜に染まるこの佳き日、京都市教育委員会をはじめ、PTA会長様、平素より本校にご支援をいただいております美工交友会、京都パレスライオンズクラブ、銅駝自治連合会のご来賓の皆様、そして、多数の保護者の皆様のご臨席を賜り、平成三十年度 京都市立銅駝美術工芸高等学校、第三十九回 入学式を挙行できますことは、誠に大きな喜びであり、本校教職員を代表いたしまして、心よりお礼申し上げます。

 ただ今、九〇名の新入生の入学を許可いたしました。まずは、新入生の皆さん、ご入学、おめでとうございます。皆さんを本校の生徒として迎えることを、教職員一同たいへんうれしく思っております。

 保護者の皆様、本日はお子様のご入学、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。お子様が本校を志望されるにあたり、保護者の皆様が、本校の教育をご理解いただき、進路実現を目指すお子様を励まし、ご支援くださいましたことに、あらためて感謝申し上げます。これからの三年間、教職員一同、力を尽くしてお子様の成長を支援してまいります。どうかご理解、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

 本校は、明治十三年、一八八〇年に「京都府画学校」として創立され、今年度で一三九年目、現校地で銅駝美術工芸高校として開校してから、三十九回目の入学生を迎えることとなりました。長い歴史と伝統をもつ本校を卒業された諸先輩方は、美術界、産業界、教育界ほか、各方面で活躍されておられます。皆さんは、本日、晴れてこの歴史と伝統のある学校の生徒になりました。銅駝美術工芸高校の生徒として、しっかりとした自覚と誇りをもって、志 高く、学習に取り組んでください。皆さんは、今、期待と不安の交錯する気持ちでこの場所に臨んでいると思います。入学の時のその新鮮な感覚を大切にし、美術専門高校での第一歩を踏み出してください。

 はじめに、ひとつの文章を紹介します。
 「見ることは喋る(しゃべる)ことではない。言葉は眼の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて、一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫(すみれ)の花だとわかる。何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君は、もう花の形も色も、見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って(はいって)来れば、諸君は、もう眼を閉じるのです。それほど、黙って物を見るという事は難しいことです。菫の花だと解かるという事は、花の姿や色の美しい感じを、言葉で置き換えて了う(しまう)ことです。言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま持ち続け、花を黙って見続けていれば、花は諸君に、嘗て見たこともなかった様な美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。」これは、小林秀雄さんの『美を求める心』というエッセイの一文です。本校では、「観ること」「感じること」「考えること」「表現すること」を大切にした学びがたくさんあります。そして、美術専門科目だけでなく、普通科の科目、学校行事などあらゆる活動の中で、このことを重視しています。この四つの営みは、学校の中だけでなく、これからの社会で生きていく上で、なくてはならない営みです。皆さんの三年間の旺盛な学びを期待しています。

 入学式にあたり、新入生の皆さんに、校長として二つの大切なことをお話しします。

 一つ目は「ありのまま」ということです。私たちは、この世にかけがえのない命を授かり、生まれてきました。誰ひとりとして同じ人はいません。唯一無二の存在として、生きてきた環境も、出会った人も異なり、考えてきたこと、悩んできたことも異なります。そのことに良い悪いはありません。どうか、人と異なることに不安をもたないでください。ありのままの自分を、否定しないでください。本校はまず「ありのまま」の皆さんを、受け入れて尊重します。人と異なる皆さんが、「ありのまま」を大切に素直に学べば、「観ること」「感じること」「考えること」「表現すること」は、自ずと違ったものになります。それがアートです。個性は尊重されなければなりません。しかし、個性は生まれたときから変わらないものでも、また何が個性か探すものでもありません。「ありのまま」の自分が個性です。人は、出会いと経験で成長し、その人の個性も変化します。この三年間「ありのまま」を認めながら、変化することを恐れず、むしろ殻を破って自らの魅力を高めてください。

 二つ目は「多様である」ということです。人が唯一無二の存在であれば、この世の中は当然多様であるということです。他者の「ありのまま」も、当然尊重されなければなりません。京都市立芸術大学の鷲田清一学長は、その著書『まなざしの記憶』の中で、「他人を理解するということは、その人と自分が同じ存在ではない、ということを思い知ることから始まる」と述べています。また、劇作家・演出家の平田オリザさんは、その著書『わかりあえないことから』の中で、「何でわからないんだ」「どうせわからないだろう」とあきらめるのではなく、「異なる価値観に出くわしたときに、物怖じせず、卑屈にも尊大にもならず、粘り強く共有できる部分を見つけ出してゆく」「そういう対話を繰り返す」ことの大切さを述べています。社会は多様です。そして銅駝も多様です。その銅駝で、自分と異なる仲間を認め、対話することで、異なったものの見方、考え方、価値観に触れ、自分を見つめ直してください。人は多様な中でこそ、広く深く成長するのです。

 さあ、皆さんの高校生活が始まります。ありのままの自分を否定せず、しかし、その自分に留まるのではなく、気づかなかった自分を発見し、広さと深さを増していく、かけがえのない三年間です。学校は、「希望を創るところ」です。これまでは学校に入学することが「希望」であった皆さん、今日からこの銅駝で新しい「希望を創る」のです。「希望」は、もらうものでも、探し出すものでもなく、創り出すものです。そのために、自らの表面積をいっぱいに広げ、銅駝の学びの中で出会う「ひと」や「もの」、「こと」に、しっかりと向き合い、自らの力で主体的に関わり合うことを大切にしてください。

 今日から始まる、銅駝美術工芸高校での生活。皆さんが、多様性の中で自らを磨き、大きな希望を創っていくことを心より願い、式辞といたします。

平成三十年四月九日

                 京都市立銅駝美術工芸高等学校長  
                 吉田 功

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