京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/17
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「美術を学ぶ」から「美術で学ぶ」学校へ。美工(美術工芸高校)は、生徒たちに未来必要な力を身に付けさせる教育活動を展開しています。

学校百景(2) ブロンズ像 ロダン「青銅時代」

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 学校玄関を入ると右手にロダン作「青銅時代」のブロンズ像があります。このブロンズ像は、もとは「日吉ケ丘高等学校」に設置されていた像です。

 本校は、戦前、「京都市立美術工芸学校」の時代が長くありました。戦後、1948年4月「京都市立美術高等学校」と改称、同年8月京都府は高校三原則(総合制・小学区制・男女共学制)の実施を決定したことにより、普通課程・商業課程・美術課程を併設する「日吉ケ丘高等学校」となりました。こうして戦前の京都市立美術工芸学校は、日吉ケ丘高等学校美術課程へと引き継がれました。そして1953年4月、美術課程は美術工芸課程と改称。この頃には日本画科、西洋画科、彫刻科、陶芸科、服飾科、図案科、漆芸科の7科が設置されていました(染織科は1980年に設置)。実習棟・本館の設計をした堀口捨巳博士は、本館からグラウンドに出る陸橋の傍らに記念のために彫刻作品を設置する構想を持っていましたが、当時、彫刻科を担当していた藤庭賢一教諭の推薦と斡旋によりこの像に決定し、1954年8月このブロンズ像が建立されました。

 1980年、本校が「日吉ヶ丘高等学校美術工芸課程」から独立して、現校地に移転し、美術専門高校「銅駝美術工芸高等学校」が発足した際、このブロンズ像は、本校玄関に移管され、現在に至ります。

 一方、普通科単独高校となった日吉ヶ丘高校では、当時を偲ぶ旧職員や卒業生が「ロダン『青銅時代』を再建する会」を発足させ、創立50周年に向けた事業のひとつとして、銅駝の像を元に制作、1999年もう一度日吉ヶ丘の地に設置されることとなりました。

 「青銅時代」は、1877年、オーギュスト・ロダンの37歳の時の作品で、オーギュスト・ネイトという人物をモデルにした等身大の男性像。緻密でリアルな作品であっため、「実際の人間から型を取ったのではないか」との疑いをかけられ、2年後に人間よりもかなり大き目のサイズの彫刻を新たに作って、疑いを晴らしたと言われています。

 像が制作された時から数えると、もう60年以上、そして現校地で銅駝美術工芸高校として単独開校して以来、40年近く、多くの若者が、この像を見て社会に出ていきました。
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行事予定
4/19 自主学習の日
4/22 3年生大学給付金等説明会
4/24 (45分短縮)、1年人権学習(5〜7限)
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