京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/01
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洛陽工業高等学校は、平成29年度末をもって閉校し、 創立132年の歴史と伝統を京都工学院高等学校へ引き継ぎます。

洛陽メモリアル 体験学習始まる

 昭和55年(1980年)、京都市の「体験学習」制度が始まりました。これは中学生の進路選択の参考にしようという趣旨から工業高校に入学志願者を1日入学させる制度です。
 昭和50年代になると高校進学時にさまざまな問題点が指摘されるようになりました。高校進学は普通科を優先する風潮が高まり工業科を志望する生徒があっても必ずしも授業内容や進路などについて十分な理解がないままに入学するケースが全国的な傾向として現れるようになりました。
 洛陽工高でも昭和55年4月から体験入学の制度に注目、従来各中学の希望生徒が任意に見学にきていたのを組織化することになりました。
                  (洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル コンピュータ実習室の様子

 コンピュータ室が設置されたことにより、西京商高内のセンター利用当時とは比較にならないほど実習は充実したものになりました。機種はその後、リース契約更新ごとに性能向上し、最初のACOS250から350、さらにはACOS 430へと変更、端末機の数も6台から20台、そして32台と増設されていきました。磁気ディスクは100メガ2台から170メガ3台、さらに470メガ4台へと増加、XYプロッターも設置されました。
 コンピュータ実習室は各科の実習のほかに毎年入学試験の成績処理、校内成績の処理、図書館や進路指導部のデータ処理、さらに端末機の利用によるワープロ応用など広範囲に利用されました。
(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル コンピュータ実習室が稼働

 昭和55年(1980年)新設のコンピュータ実習室が稼働を開始しました。当初4月から稼働が計画されていましたが、機器の搬入・据付けの遅れもあって稼働は2学期から始まりました。機種は日本電気のACOS250でした。磁気ディスク装置は100メガ2台、端末機6台、磁気テープ装置1台、カード穿孔機・カードリーダ各1台、ラインプリンタ1台、光学マーク読取り装置1台が2階に設置されました。
 端末機1台は図書館の図書検索や統計処理に使用する目的で、1階図書館事務室カウンター横に据えつけられました。3階実習室にはプログラミング学習用の塗板を設置、1クラス分の生徒を収容できる机と椅子が用意されました。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 図書館・コンピュータ室の新設

 図書館・コンピュータ室の建設工事ですが、設計内容は若干の修正が加えられ1階の図書館は全・定それぞれの書庫を作るために南側に突き出す形で定時制書庫と事務室の設置が決められました。
 コンピュータ機器を収容する2・3階は温度を一定に保つため、空調設備が設置されました。1階の図書館は当初冷房機器の設置予定はありませんでしたが、学校ではPTAに働きかけて寄贈の形で図書館閲覧室にクーラーが設置されました。
 建設工事は紆余曲折を経て昭和54年(1979年)10月15日に竣工しました。ただちに図書館の内部整理が始められ、新図書館は昭和55年(1980年)2月4日に開館しました。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 図書館・コンピュータ室の新設

 昭和54年(1979年)は、図書館とコンピュータ実習室の建設が進められた年でした。コンピュータ実習室は図書館を新設して、その建物内部に設置されることになりました。建物は3階建てで1階が図書館、2・3階がコンピュータ実習室にあてられることになりました。
 図書館の移転は昭和53年1月から始まりましたが、それに伴い旧図書館の撤去は昭和54年1月から開始されたものの敷地から古代遺物が発見されました。京都市埋蔵文化財研究所の調査の結果、古墳時代中期の住居跡が確認され竪穴、かまど跡、甕(かめ)など多数の出土品が発見され、慎重な発掘作業が続けられる間、工事は中断されました。
(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 新食堂の建設

 昭和50年(1975年)当時、洛陽工高の校内食堂は昭和30年(1955年)に建設されて20年が経ち、老朽化がはげしく下水・排水なども非衛生でした。学校では昭和49年(1974年)夏から全日制・定時制合同の建設委員会も組織され市教委とともに検討が始まりました。さまざまな議論の末、新食堂は総工費4,500万円で昭和52年(1977年)1月に着工、6月に竣工しました。
 建物は鉄筋1階建て、総面積は約350平方メートル、食堂ホールは約200平方メートル、売店25平方メートル、和室48平方メートルでした。設備器具も新しいものとなり、一人一脚の回転椅子を使用、食堂ホールも収容人員200人と従来よりも拡充されました。(洛陽工高百年史より引用)
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洛陽メモリアル 化学工業科の設置

 昭和40年代の技術革新のめまぐるしい変遷、産業構造の高度化および高学歴化の到来という社会風潮の中で職業教育のあり方が問われてきました。
 昭和50年9月、京都市教育委員会は高校教育研究協議会に「市立高校の職業教育の改善について」を諮問、同協議会は昭和52年2月に『京都市における高等学校の職業教育の改善について』の報告書をまとめました。
 報告書には、施設・設備の整備と拡充、学科の制度等の改善、教育課程の弾力化、学校規模と生徒定員の適正化、進路の確立など職業教育改善策が提言されていました。この中で洛陽工高は科の統廃合による1クラス減が具体的に要請されました。その結果、工業化学科と化学工学科を統合、新しく1学級定員40名の化学工業科の設置が行われました。
(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 全クラの様子

 昭和48年(1973年)から実施された生徒全員がクラブ活動を必修科目として履修する「全クラ」ですが、週当たり1時間の時間割内クラブ活動は月曜の第6時限と決められました。文化部はともかく、運動部においてはグラウンドや体育館に多数のクラブが集結、講堂を使用しても満足な活動ができない状況でした。そこでクラブごとの情勢を見て他の曜日の時間帯のクラブ活動1時間分を時間内活動とみなすよう認めざるをえない状況となりました。従来のクラブ員との関係にも苦慮したようで、体育館などでは部員がそろって練習を始めても全クラで参加する生徒は1時間で帰ってしまい、チームプレーを身上とするスポーツでは違和感が残り、またその1時間のみ人数が多すぎて練習ができないという事態も発生しました。
 全クラはさまざまな問題をかかえながら手探りでスタートしましたが、2年目以降は運用面で創意工夫をこらして少しずつ定着化に向かいました。コンピュータクラブや図書同好会などその後に新設されたクラブもあります。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 全クラ始まる

 昭和48年(1973年)から実施される改訂学習指導要領では、高等学校の生徒全員がクラブ活動を必修科目として履修することが決められました。いわゆる「全クラ」です。全クラは週当たり1時間を時間割内クラブ活動にあてるというものです。
 洛陽工高では校務分掌に「クラブ委員会」を新設、クラブ活動に関する基本事項を決定する機関とし、日常的な実務は生徒部を中心に進められることになりました。始めるにあたって既存のクラブ、同好会のほかに生徒の希望や教職員の意見を加えて新しいクラブが設立され、このうちハンドボール、スケート、フォークソング、模型の4クラブが定着したと記録されています。
(洛陽工高100年史より引用)

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洛陽メモリアル 6時間授業へ改訂

 昭和48年(1973年)、学習指導要領の改訂によって教育課程が改訂されました。改訂の大きな特徴は6時間授業の実施と時間内クラブ活動が始まったことです。
 洛陽工高では、昭和38年(1963年)発足当時から7時間授業が問題になっていて昭和45年(1970年)4月から自主改訂して6単位減らして負担軽減を図りましたが、48年度改訂でさらに6単位を減らし完全に6時間授業(土曜日は4時間)となりました。
 新しい課程により卒業までの総履修単位は102単位となりました。
(洛陽工高百年史より引用)

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行事予定
3/1 代休日(3/3分)
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