京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/01
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洛陽工業高等学校は、平成29年度末をもって閉校し、 創立132年の歴史と伝統を京都工学院高等学校へ引き継ぎます。

洛陽メモリアル ボート部の創設

 ボート部は昭和23年(1948年)10月、洛陽工高ボート部を主体に創部されています。京都府立医大のボート(フィックス)を使用して練習、昭和24年(1949年)8月の滋賀県民大会招待レースで第一位となり、昭和24年夏からは女子クルーも誕生しています。
 翌昭和25年(1950年)春、朝日レガッタには、男子、女子そろって出場、女子クルーは初優勝、さらに7月の近畿高校選手権大会でも女子クルーは優勝しています。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 昭和30年代のバレーボール部

 昭和23年(1948年)の創部後も躍進が続いたバレーボール部ですが、昭和37年(1962年)は9人制から6人制へ移行する過渡期で、インターハイまでは9人制、秋の国体からは6人制が採用されています。この年、洛陽高は新人戦、春のリーグ戦に優勝したものの、インターハイ予選では紫野に決勝で敗れました。それが6人制への切り替えを促進する幸運な結果になったと当時のメンバーの一人は語っています。
 6人制最初の大会、国体予選では紫野に雪辱、近畿総体でも姫路南についで準優勝(この年の国体優勝校)の成績で、岡山国体に出場しました。
 予選トーナメントでは有力校を連破し、藤沢、姫路南、直方とともに決勝リーグに挑みましたが3敗となり結果は4位に終わりました。しかし、予選2回戦でインターハイ優勝の崇徳をフルセットの末に逆転で下した健闘ぶりは周囲の眼をみはらせました。昭和30年代の洛陽高バレーボール部は全国制覇も夢ではないほどのハイレベルだったと記されています。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル バレーボール部の躍進

 昭和23年に創設されたバレーボール部ですが、その後も躍進が続きます。昭和26年(1951年)は、全国上位進出をめざしてチーム力のレベルアップを図りました。春季リーグ戦から負け知らずで、5月に洛陽高で開催された近畿大会でも姫工大付を2-0で退けて優勝、インターハイ(松江)でも3回戦まで進みました。秋の近畿総体でも優勝し近畿No.1の地位を確かなものにしましたが、残念ながら第6回国体(広島)では2回戦で敗退しました。(洛陽工高百年史より引用)
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昭和10年 第一工業学校創立50周年 記念消印が押印された葉書

 金沢市在住の方が、御祖父様の遺品の中から「京都市立第一工業学校創立五十周年記念」の昭和10年11月2日付消印が押印された葉書が出てきたとのことで、寄贈して下さいました。
 沿革史によると、本校は昭和10年4月に唐橋大宮尻町に校舎を新築して移転し、同年11月に50周年式典を行っています。その記念としての消印が押されていたことになります。当時の校章、新築された本館校舎の図柄が描かれており、貴重な資料であります。
 ご寄贈いただきました金沢市の方に、感謝申し上げます。

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洛陽メモリアル バレーボール部の創設

 バレーボール部の創設は、再編成時の昭和23年(1948年)10月、洛南高校(旧ニ中)メンバーが主力となってバレーボール部の基礎づくりが進められました。
 選手の一人は当時を振り返って「当時のコートは正門脇に男女2面あり、風の強い日はトスが上がらず、レシーブミスをすれば校庭の端までボールが転がっていく始末。素足でやっているので小石は痛いし、練習の効率も上がらないので、体育館があったらなあと何度思ったことか。(中略)そこで体育館に代わるものとして、校長室横の空地(当時塵埃処理場)に着目して顧問経由で学校に許可を得て、生徒のお父さんにもお願いして山砂をトラック4台分寄付していただき、各部員より募金をしてバレーボール・コートを部員全員の労働で作ることにした。暑い日差しの中、整地作業を行い黙々とコート作りに励んだ。」と述べています。
 昭和25年(1950年)になると「京都制覇」が望めるほどチーム力は向上、打倒鴨沂を目指してインターハイ予選に出場したが決勝で惜敗、しかし9月の国体予選では鴨沂に雪辱、念願の京都制覇を果たし第5回国体(愛知)に出場しました。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 陸上部の躍進

 昭和26年(1951年)には、陸上競技部はやり投げ、110mハードル、走高跳の選手が台頭、近畿大会で総合優勝してインターハイに出場、入賞は逃しましたが陸上部の底辺を広げました。昭和27年(1952年)には、京都府高校総合体育大会で110m、走高跳と二種目優勝、近畿大会でも110メートル、走高跳で近畿高校新記録を出して優勝しています。昭和28年(1953年)から29年にはインターハイ、国体で同じく110mハードルで優勝、このころから「ハードルの洛陽」として全国的に知られるようになりました。
 昭和31年(1956年)からは、トラック競技、フィールド競技ともにバランスが取れた選手構成となりインターハイ総合優勝も夢ではないほど有力選手がそろっていました。
 このように昭和37年(1962年)ごろまで陸上競技部は第一線級の選手を輩出したと記されています。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 陸上部の創部当時

 昭和23年(1948)10月、洛陽高校発足と同時に陸上競技部も創部されました。創部に携わった部員は、当時の様子を「各校で陸上競技に励んでいた選手が中心になり、陸上競技部を創設した。初めは寄り合い所帯のようなクラブであった。狭いグラウンドで各クラブがひしめき合いながら練習し、用具もなく手作りでハードル等を作ったことがなつかしい。」と記しています。
 創部間もない昭和23年秋の国民体育大会には男子400メートル競走に出場、昭和24年(1949年)になると、やり投げで優勝、三段跳びで入賞など優秀な成績をおさめる選手が現れ、陸上競技部躍進の足掛かりを築きました。
 昭和25年(1950年)になると府下大会で総合優勝、近畿大会でも110メートルハードルややり投げで入賞しインターハイにも出場する選手たちが現れ、全国レベル活躍できるで土台を確実にしました。
(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 野球部の甲子園出場

 洛陽高校が甲子園に出場した昭和25年の全国選抜高校野球大会は4月1日に開幕されました。出場校は17校で大会前、洛陽高の実力は萩北、明治、明石、兵庫工に続くダークホース的存在と評価されていました。しかしながら、試合を前にして初出場の重圧に加えて主力選手はじめレギュラー3名がインフルエンザで倒れました。不慮のアクシデントはチーム全体に微妙な心理的影響を与え、初戦桐生高校に3対9で敗れ実力を発揮できないまま甲子園を去りました。
 試合には敗れましたが、この年の野球部は洛陽高校のスポーツクラブ躍進の突破口を開きました。その後、昭和34年(1959年)には夏の高校野球の京都府予選で1回戦から順当に勝ち進み、準決勝で紫野高校を2対0で破って決勝に進出しました。決勝戦では0対8で甲子園出場はなりませんでした。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 野球部の甲子園出場

 総合制の洛陽高校時代を通じて全国的なレベルで活躍した体育クラブには、陸上部、バレー部があげられますが、体育部全体の士気を盛り上げたのは野球部の活躍でした。野球部の歴史は古く、京一工時代には中谷信夫投手(元南海)など著名な選手も生み出しています。
 昭和23年(1948年)10月洛陽高校が誕生すると、旧京一工の部員に加えて旧京都ニ中や旧市立一中などから有名なコーチ・選手がやってきました。昭和24年(1949年)、秋のリーグ戦から洛陽高の戦績はめざましく、リーグ戦は5勝1敗、近畿大会京都府予選では山城を退けて優勝、近畿大会では滝川、明石を倒して決勝に進み、彦根高には敗れたものの準優勝。続く京都府高校総合体育大会では連戦連勝で優勝に輝きました。昭和25年(1950年)度全国高校選抜野球大会には、京滋代表として彦根高校とともに晴れの甲子園初出場が決まりました。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 移りゆく生徒会

 生徒の自治を前面に打ち出して出発した生徒会活動ですが、昭和25年(1950年)ころ転換期を迎えました。『洛陽生徒会史』には、「生徒会の形態が落ち着いてくるにつれて、ただ若さを発揮し常に新しい目標を掲げ、生徒会を進める時代は終わった。生徒も社会の落ち着きを取り戻しつつある時に存在し、大学入試の厳しさが表面化し、また、一部大学・高校生徒会の思想運動への関係から、生徒会役員の色眼鏡がかかり始めるなどの情勢をもたらし、その活動は派手な面を失い、何をすべきかという模索の時期であった。」と記されています。
 こうした背景から生徒会存続の危機が始まりました。昭和27年(1952年)前期会長の選出は難航、決定までに3回の選挙が繰り返されました。
 その後の洛陽生徒会は「生徒のための生徒会」をスローガンにして建て直しが試みられ、昭和30年(1955年)以降は文化活動を中心にさまざまな模索が続けられ、その結果昭和32年(1957年)には『クラブ十年史』、昭和34年(1959年)には、『洛陽生徒会史』が編纂・刊行されました。(洛陽高百年史より引用)

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行事予定
9/19 月曜振替授業
9/20 大掃除(45分短縮授業)
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