京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/01
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洛陽工業高等学校は、平成29年度末をもって閉校し、 創立132年の歴史と伝統を京都工学院高等学校へ引き継ぎます。

ハイパー課題研究の様子

 写真はハイパー課題研究で取り組んでいるテーマのひとつ「飲料容器の分別機の開発」の一コマです。このテーマは4人で取り組んでおり、飲料容器の材質を金属・非金属かを識別しさらに金属であればアルミなのか鉄かを識別するとともに一つずつ繰出して搬送部に落下してベルトで搬送し材質別の容器に回収する装置です。現在、CADで部品図を設計しつつ機構の詳細を詰めていることころです
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ロボットクラフト部 パテントコンテストに向けてラストスパート

 ロボットクラフト部では、今年もパテントコンテストへの応募を進めて出願に向けた準備をしています。発明の内容は電子工作などで用いるユニバーサル基板に関するもので、部員の一人が作業で行っている基板の配線の作業が煩雑で効率が悪いと感じていたことから、改善策をみんなで考えて今回の出願に結びつけたものです。
 特許庁のホームページから過去に特許が出願されていないかをチェック、抵触しないことを確認して出願書類提出に向けて取り組んでいます。
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洛陽メモリアル 昭和30年代のバレーボール部

 昭和23年(1948年)の創部後も躍進が続いたバレーボール部ですが、昭和37年(1962年)は9人制から6人制へ移行する過渡期で、インターハイまでは9人制、秋の国体からは6人制が採用されています。この年、洛陽高は新人戦、春のリーグ戦に優勝したものの、インターハイ予選では紫野に決勝で敗れました。それが6人制への切り替えを促進する幸運な結果になったと当時のメンバーの一人は語っています。
 6人制最初の大会、国体予選では紫野に雪辱、近畿総体でも姫路南についで準優勝(この年の国体優勝校)の成績で、岡山国体に出場しました。
 予選トーナメントでは有力校を連破し、藤沢、姫路南、直方とともに決勝リーグに挑みましたが3敗となり結果は4位に終わりました。しかし、予選2回戦でインターハイ優勝の崇徳をフルセットの末に逆転で下した健闘ぶりは周囲の眼をみはらせました。昭和30年代の洛陽高バレーボール部は全国制覇も夢ではないほどのハイレベルだったと記されています。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル バレーボール部の躍進

 昭和23年に創設されたバレーボール部ですが、その後も躍進が続きます。昭和26年(1951年)は、全国上位進出をめざしてチーム力のレベルアップを図りました。春季リーグ戦から負け知らずで、5月に洛陽高で開催された近畿大会でも姫工大付を2-0で退けて優勝、インターハイ(松江)でも3回戦まで進みました。秋の近畿総体でも優勝し近畿No.1の地位を確かなものにしましたが、残念ながら第6回国体(広島)では2回戦で敗退しました。(洛陽工高百年史より引用)
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昭和10年 第一工業学校創立50周年 記念消印が押印された葉書

 金沢市在住の方が、御祖父様の遺品の中から「京都市立第一工業学校創立五十周年記念」の昭和10年11月2日付消印が押印された葉書が出てきたとのことで、寄贈して下さいました。
 沿革史によると、本校は昭和10年4月に唐橋大宮尻町に校舎を新築して移転し、同年11月に50周年式典を行っています。その記念としての消印が押されていたことになります。当時の校章、新築された本館校舎の図柄が描かれており、貴重な資料であります。
 ご寄贈いただきました金沢市の方に、感謝申し上げます。

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京都府ロボット競技大会 特別賞を受賞

 「第22回京都府高等学校ロボット競技大会」が9月2日(土)本校で開催され、洛陽工高はロボット名「ギシニティ」で参加、残念ながら決勝には進めませんでしたが「特別賞」を受賞しました。
 ゲームは「稲穂」と「きりたんぽ」に見立てたペットボトルを所定の場所から取り出し、ポールに取り付けて点数を競うものです。リモコン操作型のロボットで「きりたんぽ」を取外し、自走式ロボットで「稲穂」を刈取り、操作型ロボットでそれらをポールにつけていきます。
 京都府の4校から9チームが参加、ギシニティは予選で8位の成績となり決勝戦には進めませんでしたが、他のチームにはない機構を用いたロボットで善戦しました。次回は、課題を改善して上位進出を目指したいと思います。

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鉄道研究部 理事長特別賞 べストクオリティ賞受賞

 8月5日(土)、6日(日)に東京ビッグサイトで開催された第9回全国高等学校鉄道模型コンテストにおいて洛陽工業高校・京都工学院高校の鉄道研究部が一畳レイアウト部門で理事長特別賞、モジュール部門で、ベストクオリティ賞を受賞しました。

 4月から合同チームになり本格的な製作活動を開始、特に7月に入ってからは部室での活動はとても暑く、他教員の協力のもと材料実験室で作業を進め、とても快適に製作を完了することができました。

 大会では8名の部員が全員で協力し合い、搬入・大会当日お客さんへの作品説明・搬出等、積極的に活動し円滑に進めることができました。
さらに、8月11日(金・祝)〜20日(日)に「みやこめっせ」にて開催された“電車王国2017 inみやこめっせ”にも作品を展示、好評を得ました。

 なお、一畳レイアウトの作品の紹介が、『イカロス出版の鉄道模型エヌ10月号』および『ネコ・パブリッシング社のRMMODEELS10月号』に掲載されました。興味のある方は是非ご覧ください。

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洛陽メモリアル バレーボール部の創設

 バレーボール部の創設は、再編成時の昭和23年(1948年)10月、洛南高校(旧ニ中)メンバーが主力となってバレーボール部の基礎づくりが進められました。
 選手の一人は当時を振り返って「当時のコートは正門脇に男女2面あり、風の強い日はトスが上がらず、レシーブミスをすれば校庭の端までボールが転がっていく始末。素足でやっているので小石は痛いし、練習の効率も上がらないので、体育館があったらなあと何度思ったことか。(中略)そこで体育館に代わるものとして、校長室横の空地(当時塵埃処理場)に着目して顧問経由で学校に許可を得て、生徒のお父さんにもお願いして山砂をトラック4台分寄付していただき、各部員より募金をしてバレーボール・コートを部員全員の労働で作ることにした。暑い日差しの中、整地作業を行い黙々とコート作りに励んだ。」と述べています。
 昭和25年(1950年)になると「京都制覇」が望めるほどチーム力は向上、打倒鴨沂を目指してインターハイ予選に出場したが決勝で惜敗、しかし9月の国体予選では鴨沂に雪辱、念願の京都制覇を果たし第5回国体(愛知)に出場しました。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 陸上部の躍進

 昭和26年(1951年)には、陸上競技部はやり投げ、110mハードル、走高跳の選手が台頭、近畿大会で総合優勝してインターハイに出場、入賞は逃しましたが陸上部の底辺を広げました。昭和27年(1952年)には、京都府高校総合体育大会で110m、走高跳と二種目優勝、近畿大会でも110メートル、走高跳で近畿高校新記録を出して優勝しています。昭和28年(1953年)から29年にはインターハイ、国体で同じく110mハードルで優勝、このころから「ハードルの洛陽」として全国的に知られるようになりました。
 昭和31年(1956年)からは、トラック競技、フィールド競技ともにバランスが取れた選手構成となりインターハイ総合優勝も夢ではないほど有力選手がそろっていました。
 このように昭和37年(1962年)ごろまで陸上競技部は第一線級の選手を輩出したと記されています。(洛陽工高百年史より引用)

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男子バスケットボール部 市立大会優勝

 今夏の8月19日、20日、21日、26日、27日に行われた「平成29年度京都市立高等学校バスケットボール大会夏季大会」において、男子バスケットボール部は洛陽工業・伏見工業・京都工学院の三校合同チームで出場し優勝しました!
 今年度から、男女とも7校になり、本大会はリーグ戦となり6勝を挙げた本校が優勝。27日の最終ゲームでは、紫野高校と対戦し101対86で勝利して見事優勝トロフィーを手にすることができました。

 応援してくださった保護者の皆さま、今年度の残りの大会もご声援の程どうぞよろしくお願いします。

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行事予定
2/10 PTA総会(10:00〜)
京都市立洛陽工業高等学校
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