京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/01
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洛陽工業高等学校は、平成29年度末をもって閉校し、 創立132年の歴史と伝統を京都工学院高等学校へ引き継ぎます。

洛陽メモリアル 自治会の活動

 洛陽高校が発足したころの自治会(その後生徒会と改名)は過渡期で、生徒たちは創造の意欲に燃えて手探りの中でも校内の諸問題に積極的に取り組みました。主な活動は風紀・校内美化、および文化運動でした。当時はまちまちな服装、さらには下駄履き登校が悩みの種となっており、清掃上からも下駄履きの禁止が学校としての大きな問題となっていました。しかしながら、禁止しても靴がないために下駄履きで登校する生徒が絶えず、自治会の厚生部は大量の藁ぞうりを購入し、昭和24年(1949年)2月から下駄履きの生徒に1日1円で貸出しを行うことに決めました。
 また、校内の美化・整備問題にも取組み教室の塗板、壁塗り、校庭の砂利ひき、校内の緑化運動などの作業を有償の仕事として生徒会が学校から引受け、アルバイトとして生徒に斡旋していたと記されています。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 自治会則の策定

 昭和23年(1948年)暮れから昭和24年初めにかけては、自治会規約草案作成に時間が費やされました。自治会会則の作成は日本国憲法を下敷きに進められ、最終的に社会科学研究部や新聞部を中心にした生徒案、教諭案、校長案の三案をもとに討議してできあがったようです。自治会則は昭和24年1月17日の生徒大会で審議され修正可決、さらに22日の会則合同審議会で最後の調整を経てひとまず規約らしい形が整いました。
 生徒自治会の第一回会長選挙は1月22日に体育館で行われました。受付で選挙人名簿にあたるクラス名簿に印をつけて投票用紙を受け取り奥に設置された投票箱に入れるといった国会、府・市会の選挙と同じような仕組みでした。
 のちにクラスごとの投票率を発表し100パーセントの投票率を達成したクラスには賞品としてソフトボールが贈られたと記録されています。
 同時期に市内の各高校にはそれぞれ自治会が発足しましたが、当時の軍政部の指示で昭和24年4月からは「生徒会」と名称が改められました。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 新時代を開いた生徒会

 終戦直後から新制高校になるまですでに旧制中学校には自治会がありました。京一工でも生徒委員会という名称で自治制度が組織されていました。この委員会には委員長1名、副委員長1名を置き、自正・週番・美化・企画・渉外・安全の6つの係を持って中央委員会を構成していました。
 昭和23年(1948年)新制高校発足、洛陽工高となるに伴い、自治制度を改め同年6月からは風紀・美化・文化の3つに大別し、各部委員から7名ずつ委員を互選して代表委員会を構成するようになりました。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 軽音楽部

 前回洛陽高校の軽音楽部発足当時について触れましたが、当時の部員の一人は、「アメリカから次々と新しいリズムや曲が入ってくるという時代背景もあって、古典的なタンゴ・バンドからハワイアン、ウエスタン、ポピュラー、ジャズなどに移行していき、熱心にこれを追った。当時は楽譜もなく楽器にもこと欠く状態だったが、みんなで研究し選曲や編曲に工夫を重ねた。」と振り返っています。
 全盛期のメンバーは約20名でタンゴ・バンドのほかコンボバンド、ハワイアン・バンドなども編成されました。昭和28年以降の軽音楽部は停滞、3年あまり休部状態に陥りましたが、昭和32年(1957年)音楽好きの生徒4名によってウエスタン・バンドが結成され、昭和38年(1963年)単独性移行時まで続いたと記録されています。(洛陽工高百年史より引用)

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京都工芸繊維大学との高大連携事業 「おもしろサイエンス教室」を開催

 洛陽工高エレクトロニクス部、京都工学院高校サイエンス部と京都工芸繊維大学”KyoTechLab”との高大連携事業で下記の通り「おもしろサイエンス教室」を開催しますので、興味のある方はぜひお越しください。
 
1. 場所 ゼスト御池 寺町広場

2. 日時 8月12日(土) 11時〜15時

3. 内容 (1)「光るファイバークリスマスツリーを作ろう!」
    *光ファイバーケーブルを用いて、自分だけのクリスマスツリー
    を作っちゃおう!
     (2)「とうろうを作ろう!」
    *木材と和紙を組み合わせてかわいいとうろうを作ります。
    できあがったとうろうは、カラフルな炎の炎色反応ロウソクと
    ともにお持帰りできます。

4. 主催 ゼスト御池 京都市青少年科学センター
※ゼスト御池のHPはこちらをクリックしてください。

洛陽メモリアル 軽音楽部の発足

 軽音楽部は、昭和23年(1948年)10月の洛陽高校スタートと同時に「洛陽の軽音楽団」として発足しました。経緯は同年4月の学制改革で旧二中(洛南高)の中に名トランペッターと言われた生徒がいて、その生徒から刺激を受けた元一高のメンバーが猛練習を開始したと記されています。
 創部されて間もなくの昭和24年(1949年)2月にはタンゴバンドを結成、早くも市内全京都高校軽音楽コンクールに出場して「夕刊京都賞」を受けています。洛陽の「スーベニア・アンサンブル」は京都高校軽音楽界のトップクラスの実力を誇っていたと記録されています。(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 映画研究部

 昭和23年(1948年)創部の映画研究部は、当時人気のあるクラブのひとつでした。昭和26年(1951年)5月当時の部員は117名、校内クラブでは最大の部員をかかえていました。映画研究部の具体的な活動内容は、過去・現在の映画を総合的に研究して、すぐれた映画を選択、生徒鑑賞にひとつの指針を与えようとするものでした。芸術作品については、校内にポスターなどを掲示、PRにつとめ学生割引券なども配布したと記録されています。こうした活動の結果「破戒」の映画鑑賞会を企画し、全校行事として昭和23年12月に開催を実現させました。(洛陽工高百年史より引用)
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洛陽メモリアル 文芸部文芸誌「木窓」

 洛陽高文芸部の文芸誌「木窓」ですが、昭和24年(1949年)7月に創刊されたのち、第2号は昭和25年(1950年)1月15日に発行、総64頁と質・量ともに充実したものとなりました。昭和25年10月発行の第3号からは「青桐」と誌名を変更して年2回刊行で継続されることになり、傍系クラブの短歌部、俳句部の作品も掲載され洛陽の総合文芸誌となりました。発行部数150〜200部、校内のほか他校にも配布して交流を図る一方、作品の合評会も活発に行われました。同誌は昭和30年代の前半、第20号まで続きました。
(洛陽工高百年史より引用)

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洛陽メモリアル 文芸部の発足

 文芸部も洛陽高のスタートと同時に始まっています。洛陽工高と洛南高が同居していた二部授業時代、両校ともに文芸部がありました。洛陽工高は詩・短歌、洛南は詩・創作が中心でした。それぞれ性格を異にしていたため再編成によって洛陽高校が誕生しても、文芸部が一本化するには紆余曲折がありましたが、洛陽顧問が洛南高の部員に働きかけて新しい文芸部が生まれたようです。
 昭和24年(1949年)4月から本格的な活動を開始したころの部員は15、6名でした。作品発表の場として文芸誌が発行されることになり、誌名は「木窓」と名づけられました。「木窓」は当時の学校そのものを象徴するもので、当時は物資不足で教室の窓ガラスの修復も思うにまかせず、木の板が打ち付けられておりこうした戦後の状況をとらえて命名されたと記されています。
 「木窓」創刊号は昭和24年7月1日に刊行され、謄写版印刷41ページ、発行部数は約50部でした。
(洛陽高校百年史より引用)

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軽音楽部 京都府高等学校軽音楽コンテストに出場

7月23日(日)に京都光華高校光風館にて京都府高等学校軽音楽連盟主催の第二回京都府高等学校軽音楽コンテストが行われ、本校軽音楽部の生徒が3名出場しました。この大会は、全国大会につながる大会で、生徒はこの大会での発表に向け3か月前から楽曲を作っていました。作詞作曲から行うのは初めてで、多くの苦労がありましたが、本番では練習の成果を十分に発揮することができました。惜しくも入賞には至りませんでしたが、3年間の集大成として満足のいく演奏ができたと思います。

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行事予定
8/8 グローバル小論文キャンプ
8/9 グローバル小論文キャンプ
8/10 グローバル小論文キャンプ
8/14 学校閉鎖日(〜18)
京都市立洛陽工業高等学校
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