京都市立学校・幼稚園
文字: 大きく | 小さく | 標準 配色: 通常 | 白地 | 黒地
ハートフルマーク
たくさんの学びがあり 通いたくなる 樫原中学校を創ろう

平成24年度卒業証書授与式

画像1
平成24年度 樫原中学校卒業式 
答 辞

卒業の日が近づくにつれ、通い慣れた通学路の景色が、何かいつもと違うものに映るようになりました。春の凛とした空気、やさしい陽の光、頬をなでる気持ちのよい風、この道を、この制服を着て歩くのもあと少し、そう思うと名残惜しい気持ちで胸がいっぱいになり、今を自分のなかにとどめたくて、深く息を吸い込んでいる自分がいます。そんな日々をかみしめるように送りながら、ついに今日という日を迎えました。
 本日は、わたしたちのために、このように盛大で、心温まる式を挙行していただき、卒業生を代表して心より御礼申し上げます。

 「月日が経つのは早い」とはいうものの、中学校三年間がこんなにも短いとは、入学をひかえたあの頃のわたしは考えもしませんでした。小学校を卒業する頃、中学校のことを意識し始め、もちろん期待もありましたが、どちらかというと、不安でいっぱいなだけでした。しかし、いざ入学してみると、優しい先生や先輩、気軽に話しかけてくれる新しい仲間のお陰で、そんな不安はすぐに消え去り、これから始まる中学校生活への期待を大きくふくらませていたのが、ついこの間のように感じます。それだけに今、いろいろな場面が鮮明に思い出されてくるのです。
一年生の校外学習、嵐山散策では、どこを回るか話し合いを重ね、グループで協力して行動することでお互いを知ることができました。今思い返すと、それぞれの小学校からきたわたしたちが、この時、樫原中学校第38期生になれたような気がします。嵐山の新緑がとてもまぶしい、天気のよい日でした。そして、初めての文化祭、その頃はまだ、各学年での舞台発表があり、わたしたちは学年全員でハンドダンスをしました。練習では、それぞれの動きがなかなか合わず、本当に完成するのかと心配しましたが、本番は学年の団結が形となり、最高の演技ができました。全員でやりきったからこそ、あのすがすがしい達成感を味わえたと思います。
二年生のチャレンジ体験では、礼儀や働くことの厳しさを学ぶことができました。最初は緊張しましたが、それぞれの事業所でいろいろな経験をさせていただいたことで、社会に出て働くことの意義を教えられました。この経験で大人への第一歩を踏み出せたような気がします。それから、語り尽くせないほどに青春の情熱を燃やした部活動。先輩方が引退されてから、責任という言葉が重くのしかかってき、今まで築かれた伝統を引き継いでいけるのか、とても悩みました。しかし、先輩方から託されたものを自分たちがさらに輝かせるという熱い思いを胸にがんばっていこうと決意しました。また、学年レクレーションのイントロクイズ大会では、先生も一緒になって、学年全体で目一杯楽しみました。二年生の締めくくりの時期にあったちょっといい思い出です。
そして、三年生。中学校生活最大の行事、修学旅行。一日目、ディズニーランドへバスで向かう途中、雨が降っていました。しかし、わたしたちの思いきり夢の国を楽しみたいという祈りが通じたのか、着く頃には青空が広がっていました。神様に最高の一日をプレゼントしてもらえたかのような奇跡でした。その夜、大満足してホテルの部屋に入って窓の外に目をやると、手の届きそうなほど近くに、きらきらと輝くオープン間近のスカイツリーが見え、そのすてきな夜景は今でも目に焼き付いて離れません。二日目、フジテレビで番組制作をしました。スタジオで本物の機材を使う本格的な体験だったので、とても緊張しましたが、完成した自分たちの番組をみんなで観て大笑いしました。そのDVDは宝物です。そして夜、東京ドームで野球観戦をし、プロの試合を生で観る迫力と、モニターに映し出された自分たちに大興奮しました。最終日、東京散策では、いつか行きたいと思っていたあの場所へ、迷いながらも地図を見ながらたどり着けたとき、大げさに夢が叶ったと思いました。そして帰りの新幹線、行きと比べてとても早く感じ、もう少しこのままみんなと旅行を続けたいという寂しい気持ちをかき消すように、はしゃいでいました。
最後の球技大会。バレーボールは個人ではなく団体競技なので、仲間への声かけや支え合いがチームを一つにしていきます。わたしたちも1年の頃と比べると、大分うまくなっていて、とても白熱した試合になりました。仲間とともにボールをとことん追いかけ、声がかれるまで応援し合った球技大会は、かけがえのない思い出です。
最後の体育大会。運動が得意な人、苦手な人がいるなかで、わたしたちが共通して思っていたことがあります。それは、「楽しもう」ということです。この思いを胸に全力で競技に打ち込みました。そのなかでも、全員リレーは練習段階から本気、昼休みもグランドで練習するほどの過熱ぶりで、各クラスでしのぎを削り合いました。クラスで団結することの素晴らしさを改めて知ることができました。
最後の合唱コンクール。取り組み期間の中で、必ずといっていいほどクラスがバラバラになります。そこで、何かそれをくつがえすいい手はないか、リーダーを中心に試行錯誤を繰り返します。その姿勢がクラス全体の心を動かし、まとまった歌声が響くようになり、聴く人の心に届いていきます。学年合唱でみんなと歌った『花笑』、一生忘れません。

わたしたちの出会いから別れまでの三年という月日は、本当に束の間でした。けれど、その束の間の時間がいかに濃く、そして満ち足りたものであったか、その証拠として、今振り返った思い出のどれもが素晴らしい輝きをもち、色鮮やかな光を放っています。
 わたしたち卒業生は、このあと『虹』という曲を歌います。その曲のなかに、
「僕らの出会いを 誰かが別れと呼んだ」
「僕らの別れを 誰かが出会いと呼んだ」
「僕らの喜びを 誰かが悲しみと呼んだ」
「僕らの悲しみを 誰かが喜びと呼んだ」
という印象的な歌詞があります。
出会いの喜びがあっても、いつかは別れの悲しみがくるもの、今のわたしたちに当てはめてみれば、入学したこの学校を今日卒業しなくてはならない。それは初めから決まっていることであり、その時の流れは、いくら変えようとしても変えられるものではありません。
まさに、
「僕らの出会いを 誰かが別れと呼んだ」
「僕らの喜びを 誰かが悲しみと呼んだ」
と、この曲にある言葉通りといえます。
では、それとは反対の
「僕らの別れを 誰かが出会いと呼んだ」
「僕らの悲しみを 誰かが喜びと呼んだ」
とは、一体どういうことをいっているのでしょうか。
確かに卒業は先生方や仲間たちと別れ、この学校を去らなくてはならない悲しみに包まれます。それは、ここにいる卒業生みんなが同じ思いでしょう。そして、人は別れの悲しみを感じる時、これまでを振り返り、いろいろな思いが湧き上がってくるものです。不思議なことに、それらの思いのなかで別れの悲しみというフィルターが通すものは、うれしかったこと、楽しかったこと、がんばったこと、幸せだったこと、人の良いところ、仲間との絆、感謝の思いといったものだけなのです。たとえるならそれは、まるで七色の虹のように美しいもの。わたしには、それがはっきりと見えます。別れの悲しみを深く味わったわたしたちだからこそ、別れを出会い、そして、悲しみを喜びと呼べるのではないでしょうか。わたしは今、美しい七色の虹のような自分のなかにある気持ちに出会えた喜びを感じています。だから、卒業式は別れの儀式ではない、わたしは出会いの儀式だと思うのです。そう思いながらも、こんなに涙があふれて止まらないのは、なぜでしょうか。それは、ここにいる最高の仲間たちがいたからでしょう。そして、感謝してもしきれない先生方がおられたからでしょう。それから、いつも支えになってくれるかけがえのない大切な家族がいるからでしょう。感謝の意を表したくても、とても言葉を尽くせそうにありません。でも一言、この場で言わせてください。これまでたくさん使ってきて、手あかにまみれたような言葉でも、今なら心の奥深くから生まれてきたばかりのまっさらな言葉として言うことができます。
 「ありがとう」

最後に、わたしの誇りである「TEAM KATAGIHARA」について話をさせてください。これは、わたしが生徒会本部役員をさせていただいていた時に掲げたスローガンであり、この学校の生徒全員が一つのチームとして結束し、協力し合い、充実した中学校生活を過ごせる場所にしようという思いを込めたものでした。うれしいことに、このスローガンは次の生徒会にも引き継がれています。でも今、願うことがあります。「TEAM KATAGIHARA」は、何も樫原中学校の生徒だけにとどまるものではない、先生方、保護者の皆様、そして地域の方々すべて「TEAM」の一員です。だからわたしは、このスローガンを樫原地域全体のものとして掲げたい。そういう広がりをもつものとして、これから大きく成長していってほしいと思います。
 今後の樫原中学校のますますの発展を卒業生一同、心よりお祈り申し上げ、答辞とさせていただきます。


平成25年3月15日
卒業生代表  林田 紀乃

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
京都市立樫原中学校
〒615-8161
京都市西京区樫原蛸田町11
TEL:075-392-6630
FAX:075-392-6640
E-mail: katagihara-c@edu.city.kyoto.jp