京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/03/28
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北にそびえる 鏡山   西に連なる東山 松のみどりに 包まれて 白くあかるく 照りはえる 希望あらたな 学び舎は 我らの 花山中学校

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「離任式」
 今年もこの日がやってきます。一年間で最もつらい日です。期間の違いこそあれ、共に働いた仲間との別れは、やはり寂しいです。これまで2年間で20人の教職員を送り出してきました。そして、今年度も11人を送ることになります。「あの人といえば、こんな場面のことが思い出される。」そう思えば、31人との関係の中で学んだことが、今の私の中に確かに生きているということです。
 また私の場合、これまでに送られる側を3度経験しましたが、そのどれもが忘れられないものになっています。次の職場への期待と不安、仲間やお世話になった皆さんへの感謝と別れの寂しさなど、その感情は、先日子どもたちが経験した卒業式でのものと同じなのだと今更ながらに思います。「人生は、出会いと別れの繰り返し。」人がその過程で成長するのならば、「別れの日」は、避けて通ってはならない大切な日でもあります。だからこそ、明日の離任式には凛として臨みたいです。
 今年の離任者を簡単に紹介しましょう。
 ○森谷先生は、現役生活最後の3年間を先日卒業した学年と共に過ごされ、晴れてご退職になります。授業のない時には、廊下に出した机で生徒のために教科の掲示物を作っておられました。○澤田先生は、最後の1年を私達と一緒に50周年の記念行事に関わりたいと、強い思いで1年間頑張ってこられました。○橋戸先生は、奥野先生の初任者研修指導員として1年間ご勤務頂きました。校長職を経験されておられるため、奥野先生以外の教職員も先生にはお世話になりました。○管理用務員の西出さんは、朝早くから学校内外の掃除をしてくださり、壊れた個所があれば、たちどころに修理されました。○真田先生は、非常に熱く心のこもった指導をされます。今後もその気持ちを失わないでほしいと思います。○今出先生は、音楽科の講師として2年間ご勤務頂きました。来年度は新規採用教員として次の学校へ赴任されます。○諏佐先生は、本校では生徒指導部長・学年主任・教務主任など、学校の柱となる重要な役割を担っていただきました。○田中先生は、新規採用教員として新しい学校へ赴任されます。学年道徳の普及、人権学習の発展など、今後の花山中学校にとって大きな功績を残して下さいました。○加志崎先生は、不測の異動となりましたが、今は十分に納得しているということを聞き、安心して送り出せます。出直すつもりで頑張ってほしいと思います。○上田先生は、産休の代替講師として9カ月間、ご勤務頂きました。器用とは言えませんが、誠実で実直な勤務ぶりを私は高く評価しています。○中野先生といえば、何と言ってもブラスバンドの指導です。学年合唱や全校集会での、熱心で決して妥協を許さない指導が、この先生の持ち味だと頼もしく見ていました。
 転退職される教職員の名前をHPにアップした22日は、今年も大変な騒動になりました。あれから一週間が経過し、子ども達も、そして大人たちの方もそれを受け入れ、今は落ち着きをみせています。公開から離任式までの期間に、こんなに意味があるのだと改めて知りました。
 さあ、みんなが、この「別れ」を是非とも成長の糧にしたいものです。

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「年度の終わりに」
 先週の金曜日、3年生が卒業していきました。我が校のことながら、とても立派な卒業証書授与式が挙行できたと思います。
 さて、あの子たちは、実に多くのものを残していってくれましたが、後輩や我々教職員にとって最も大切だと思うのは、真面目に一生懸命やることの尊さです。彼らは、何事に対してもたいへん真面目に取り組んできました。中学生にとって、真面目に取り組むことは、時として照れ臭かったり馬鹿らしく見えたりするものです。しかし、彼らは、そんな気持に打ち勝ち、真面目に誠実に取り組むことで、感動や真心、共感、賞讃などの、今の時代に簡単には手に入らない尊いものが得られることを、自分たちの姿を通して示してくれました。
 私は式の前日に、卒業証書授与式では合唱の歌声と、担任の先生の呼名に対する返事の声に力を入れてほしいと伝えました。果たして、式ではその通りにしてくれました。呼名に対する何人かの大きな声での返事は、それだけでたいへん感動的でした。合唱については、合唱コンクールや卒業生を送る会での姿からの期待を裏切らないものでした。
 彼らは、自分たちの力で、最後の学習である卒業証書授与式を実に感動的に、一生の思い出となるものに作り上げたのです。
 多分、彼らはよく知っているのです。先生を信じて、先生の言うことに一生懸命に取り組んでいれば、成功や感動が得られることを。そのことは、彼らと彼らを担当してきた教職員とが、3年間かけて結んできた強い信頼関係にしっかりと裏打ちされています。彼らは、信頼関係の大切さも改めて教えてくれました。
 もうひとつ、卒業生から学んだことがあります。それは、日々の学習の大切さです。
 昨日、公立高校の合格発表がありました。これで、全部の高校の発表が一通り済んだことになります。ほとんどの生徒が志望する高校に合格しましたが、残念ながら思った通りの進路につけなかった者も何人かいます。その子たちも、それはそれは一生懸命に努力してきました。しかし、結果はあまりにも無常です。そういう子たちに対して、私はかける言葉を見つけることが出来ませんでした。
 今後、1・2年生の諸君には、教師の責任として思いっきり勉強させたいと思います。来年度から、公立高校の入試制度が大きく変わり、これまで以上に実力がものをいうようになってきます。あんなに真面目に頑張ってきた3年生でさえ苦しんだ進路の問題が、来年度は今の2年生の課題になります。そして、誰もが決してそこから逃げることはできないのです。だからこそ、生徒やその親との信頼関係を大切にし、学習や進路について、お互いが、素直で誠実に話し合える関係を育てなければならないと思います。
 今年も卒業生が、ちゃんと私たちに「学び」を与えて巣立っていってくれました。学んだことを次に生かしてこそ、彼らを真に大切にしたことになります。

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「卒業生を送る会」
 昨日、生徒会主催の「卒業生を送る会」が行われました。様子については後に記しますが、とても感動的で、卒業生にとっても1・2年生にとっても強く思い出に残るものになったと思います。
 ところで、ここ数年「この会の主体は、一体どっちにあるのか」と考えています。もちろん、主人公は卒業生です。多分、元々は卒業生が“招かれるお客さん”で、1・2年生が、取り組んできたことを発表してお客さんを満足させる会であったはずです。ところが、昨日の会もそうでしたが、近頃は、卒業生が、在校生にその圧倒的な力の差を見せる場になっています。そう言えば、以前にいた学校でもそうだったことを思い出します。
 それでよいのだと思います。いや、そうでなければいけないのだと思うようになりました。卒業生が、在校生にとって「あんな風になりたい」という具体的な目標になることで、学校が進化し発展していくのです。そして、それが何年か続いた時に「伝統」と呼べるものに育つのでしょう。我々教職員が、何度も抽象的な話をするよりも、「去年の学年を越えろ!」と発破をかければ、その方が子ども達にはずっと分かり易いのですから。
 「卒業生を送る会」の位置づけについても考えてみました。
 年度最後の生徒会行事であり、新しい役員が主催する最初の大きな行事です。また、“別れ”という要素があることで、この行事は、企画段階から否応なく盛り上がります。取り組み甲斐があり、成功の可能性もすこぶる高いです。だから、新生徒会役員にとっては大きな自信にもなります。最後の行事ということで、年度を締めくくるにもうってつけです。
 昨日の本校のものはどうだったでしょうか。
 1年生。練習ではなかなか全体がピリっとせず、本番直前まで上手くいくかどうか心配されました。しかし、これが行事のもつ力なのでしょう。先輩や教職員が揃ったところでは、緊張感をもってよい発表ができました。リーダー層のゆるぎない力が際立ってもいました。
 2年生。経験を積んできた分、1年生よりも素晴らしい発表になりました。特に男子の声が大人のそれに変化していることもあって、群読、合唱共により格調の高いものに感じられました。1・2年生とも、十分に成長の跡が見られました。
 最後に3年生。圧巻でした。まったく照れることなく、腹の底から出す大きな声と微動だにしない態度での群読が始まるや否や、聴く者の胸に感動の波が寄せてきて思わず背筋が伸びました。次々と言葉が進みます。それが一つひとつ心に沁み込んでいきました。続いて合唱。大きな声と美しいハーモニーは聴く者の魂を揺さぶります。「この瞬間が終わらないでほしい。」そう思ったのは、おそらく私だけではないでしょう。「3年生、カッコよかった〜!」会が終了したとき、ある2年の女子から聞いた言葉です。
 卒業生が素晴らしい目標になってくれました。同時に、明日の卒業証書授与式への期待を大きく膨らませてもくれました。明日が、楽しみで仕方がありません。自然と気合も入ります。

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「豊かな心」
 かつての学校での教え子が、奥さんと二人の子供を伴って訪ねてきました。以前に会ったのは4年ほど前でしょうか。(上の)子どもが生まれたと言って教育委員会に電話をかけてきました。当時と比べて、やや荒んだ感じがしました。突然学校に現れ、中学生の頃のように肩をいからせて出会う人たちに対してツッパッテいます。「校長先生、ちょっと変わった方がお見えになっていますが…」会議の最中に呼ばれました。玄関まで行って「15分待ってくれ」と言うと、大きな声で「会議と俺とどっちが大事やねん!」とワザと人に聞こえるように言います。後から聞いた話ですが、学校へ入るなり、何人かの体格のよい男性教師に対して「お前か。体罰したんは!」「絶対にアカン。俺が許さんぞ!」などと息巻いていたということです。突然そんなことを言われた本校の先生にしたら、何のことだか分からなかったと思いますが、本人はそんなことは一向にお構いなしです。
 奥さんと子どもとを別室で待機させ、二人で校長室に入ります。先ほどまでの厳めしい態度が一変し、すぐにヤンチャな中学生とその先生のような関係になりました。要は、私を心配して訪ねてくれたのです。心の優しい奴なのです。「新聞、TVを見てびっくりした。」「その教師に説教したいけど…、」そんな言葉を何度も吐いていました。
 少年院や刑務所にも厄介になった若者です。まだ29歳ですが、もっと年上に見えます。残念ながら豊かな人生を送っているとは言い難い雰囲気を身にまとってもいました。初対面の人に対して、威嚇するように居丈高に振る舞う彼の言動は、学歴がなく前科のある者が生きていくために自然と身につけたに違いありません。彼を知っている私にはそう理解できますが、果たして昨日彼と接した教職員にそれが分かったでしょうか。
 さて、本校で実地研修をした京都教師塾の塾生が感想を残してくれたので抜粋します。
 授業を見学させていただき、どの先生も面白い工夫をされており、生徒への思いがたくさん詰まった授業で、すごく参考になりました。−略− 毎日充実感に満たされ、楽しい思い出も作りながら花山中学校が大好きになった研修となりました。共に学ぶ教師を目指して今後も努力したいと思います。【河野大将】
 私自身この花山中学校出身で、6年ぶりに帰ってきました。その頃から変わらぬ伝統も多くあり、さらに新しい花山中のKasan`s Prideをたくさん見せて頂きました。卒業生としてとても嬉しく思います。−略−「今」という時間は、すべて未来と繋がっています。一人ひとりの時間の内容は違いますが、その「今」という時間を大切にしてほしいなと思います。【井上莉佳子】
 物心両面での生活の豊かさが、人格形成に大きく影響することは分かっています。それにしても、そのことをこうもハッキリと気づかされると言葉が出ません。
 出会った生徒一人ひとりにきちんと向き合い、せめて心の豊かさをもたせたいと改めて思います。二人の塾生さん、是非とも「教師になる」という尊い夢を叶えてください。

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「突然」
 季節は徐々に移り変わっていくものだとは思いますが、ある日突然それに気づくことが多いです。今年の場合は、先週の水曜日、20日にそれを感じました。
 毎朝同じ時刻(5:50)に起きます。朝に出すのが、一般ゴミか再生ゴミかの違いぐらいなもので、ウィークデイの朝のルーティーンはほぼ同じです。愛犬“檸檬”を連れての散歩は雨の日でも欠かすことはありません。20日の朝の散歩の途中、前日と同じ時刻なのに明らかに「明るくなった!」と感じました。またその日の出勤時、九条山を越えて東を向いたときの朝日の光量が前日とは大きく異なったのです。この気づきに、大儲けをしたような気がしています。
 さて24日(日)、生徒会本部の子たちが「第9回若者が発信する21世紀の山科まちづくり」に出場したので見に行きました。発信したテーマは、花山中学校が今年度に取り組んだ研究についてです。本校では今年度、道徳教育を中心として「自分の思いを自分のことばで伝える」ということに取り組んできました。それが本校生徒の課題であり、京都市教育委員会が掲げている今年度の重点目標の一つでもあったからです。
 これまでの間、このことは、我々教職員の側から語られてきたのですが、今回は生徒が山科青少年活動センターに集った人たちの前で堂々と発表したのです。
 聴いていて驚きました。私たちが目指してきたことを子ども達の口から聴けたからです。もちろん、原稿作成に当たって教師の手が入ってはいますが、言葉を完全に自分のものにしていなければ、あれほどまで人に伝えることはできません。発表後、分散会がもたれました。花山中学校のテーブルでは本校の発表について質疑応答がされました。当然内容について深い質問が次々と出されましたが、それらについても生徒が上手に答えていきます。
Q「道徳の授業に取り組んで、変わったことは?」
A「いろいろな作品を通して感動とか一杯できたし、心が豊かになった。」
Q「道徳の授業を通して、社会に出てから為になるようなことはあったか?」
A「自分のことばで思いを語るということは、社会人になっても大事だと思うので、とても役に立った。」
Q「人前で話すことって、大人でも大変なのによくできるね?」
A「繰り返しトレーニングすることで、できるようになることが分かった。」
Q「道徳って言うと、押し付けられてるようなイメージがあるのだが…?」
A「どんな答えも正しくて、みんな聴いてもらえるので押しつけの感じはない。」
 今年度我々が大切にしてきたキーワードがちりばめられています。
 期待していた訳でもなく突然のことでしたが、研究を続けてきたことを素直に「良かった」と思え、「来年度、この研究を更に発展させたい」という希望が大きく膨らむきっかけとなりました。本校の子どもたちのことを改めて『愛おしい』と思いました。

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「合格発表の日に」
 毎年3月になると、有名大学の合格発表のシーンがTVに映し出されます。ガッツポーズをしたり友達や家族と抱き合ったり、中には胴上げされたりしている場面が写されますが、私はそれを見るたび複雑な気分になります。確かに、それだけ頑張って取り組んできたのだから思いっきり喜べばよいと思います。その光景は微笑ましくもあります。しかし我々教師は、どうしても不合格だった人たちのことも考えてしまうのです。きっと胴上げの陰には、そっと隠れるようにしてその場から離れる人がいるはずです。抱き合っている人たちを横目で見ながら涙を拭いている人もいるに違いないのです。
 今日は、公立高校の適性検査・推薦入学検査・特色選抜検査の結果発表がありました。本校では、放課後に、担任から一人ずつに結果を伝えることにしています。自分のクラスの受検者が全員合格していれば心から喜べるのですが、なかなかそういうことはなく、複雑な気分にならざるをえません。「4時ごろから受検した高等学校で一斉に合格発表をしてくれればよいのに」毎年のように思いますが、それはきっと私だけではないでしょう。
 自分の高校入試を思い出してみました。
 当時は「高校三原則」というものがありました。小学区制、男女共学制、総合制だったと思います。男女共学制については解説無用でしょう。小学区制とは、通学区域をできるだけ小さくし、進学希望者は一番近くの高校に通いましょうというものです。また総合制とは、同じ学校の中に普通科と職業科とがあり、HRはもちろん、教育課程の中で一緒に受講できる科目は、両方の科の生徒が同じ授業を受けることのできる制度です。
 民主的で、高校間に格差が生まれにくい制度であったように思います。この制度にも色々な課題があったのですが、当時は今よりずっと公立高校の人気が高かったように記憶しています。私の場合は、公立高校だけを受検しました。初めての入試で、テストも合格発表もとても緊張したことを覚えています。試験日の夜、TVでテスト問題の解説と正解答を伝える番組があったのですが、それを見ていてとても不安になり、担任の先生宅に電話をしたことを思い出します。合格発表は、今と同じく卒業式の翌日でした。10時に発表でしたが、1時間ほど遅れて一人で見に行きました。
 今から29年前の教師になった年、それまでの制度の課題を克服すべく、京都の公立高校の入試制度が大改革されました。普通科の中に、これまで通りの普通科1類の他、進学を目的とする2類と、特別な活動に重きをおく3類ができたことです。またこの頃、次々と特色ある新しい学校ができ、新しく制服を導入したり校則を厳しく改める学校が出てきました。2類を志願したが1類合格になったと、泣きながら報告に来る生徒がたくさんいたりもしました。
 来年度、入試制度はまた一新されますが、制度がいかように変化しようとも、合格発表の日には常にドラマが生まれます。校長室の外を通って帰っていく生徒の姿にも様々な表情がありました。結果はどうあれ、とにかくそれを真摯に受け止め、しっかりと今後の生き方に活かしていってほしいものです。今年度入試は、まだまだこの後も続きます。

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「緊張感をつくり、上手く使う」
「うちの子は、校長先生に面接の練習をして頂いたんですね。すごく緊張したって言ってました。3年生全員の練習に付き合ってくださっているのですか。」朝の校門指導の際、ある保護者の方からそう尋ねられました。もちろん分担があって、私の担当になった生徒たちだけが対象ですが、本音を言うと全員の面接練習を担当したいと思っています。(もちろん、不可能だとは思いますが…)それほどこの取組には魅力を感じています。
 私はおそらく校長としては、子どもたちとの会話の量が多い方だと思っています。また、会話の内容も生徒の言葉づかいもそれほど堅苦しくないものになっているのではないかとも感じています。子どもとの関係が友達のようになってしまってはいけないし、保護者の方との関係も近所づき合いのようになってはいけないと常に自分を戒めながらも、これまで親しみやすい校長像を求めてやってきました。
 面接練習の取組が好きな理由は、この10分足らずの時間が、生徒との間に普段とは異なる、とても張り詰めた緊張感をもって話の出来る時間だからです。今年は、緊張感が一気に解けたからか終わった瞬間に涙をポロポロ流す子もいました。模擬面接であるとはいえ、この緊張感の中では普段聞けないような生徒の本音を探ることができたりもします。
「本校を志望した理由は?」「高校卒業後の進路希望は?」「将来就きたい職業は?」こういった質問の次に、生徒の決意を確認します。「本校は、校則が厳しい学校です。しっかり守れますか。」「勉強がしんどくなったら部活動を辞めてもらうこともあります。文武両道で頑張れますか。」
 また、その後はこの時にしか訊けないことを尋ねます。「花山中学校はどんな学校ですか?」「担任の先生はどんな方ですか?」(隣に担任の先生がいない場合です)「中学校時代の一番の思い出は何ですか?」そして最後に必ず訊くのが次のフレーズです。「これまでの人生で、一番大切にしていることやものを教えてください。」問答の中にその生徒の生活や生き様や考え方が見えます。家族や家庭に対する思い、友達に対する願いや感情、将来の夢など、普段の会話ではあまり聴けないような回答もあり、私にとってはその生徒を知る上で大変内容の濃い10分間となっています。
 ところで教師にとって、生徒との間に瞬間的によい緊張感を作り出せるかどうかはとても重要な資質であるように思います。思い起こしてみてほしいと思います。自分が生徒だった頃にも、その方が前に立たれるだけで生徒がシーンとなるような先生がおられたのではないでしょうか。それは、その先生に備わっている人間性による部分と、身につけられたテクニックによる処とがあるとは思うのですが、生徒を指導する上で大変有効な能力です。そして、そういう教師は生徒からも保護者からも慕われ尊敬されるものです。
 話し方、声のトーン、表情、話の内容と構成のほか、風貌や経験なども大きな要素にはなるでしょうが、今後も勉強し続けて是非とも身につけたいと思います。面接練習を通じて改めてそんなことを思いました。

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 「根雪(ねゆき)」
 今日から2月です。大学の3・4回生の頃、2月といえば月の半分くらいをスキー場で過ごしました。4回生の2月。採用前研修の予定が特別に早まって、体調不良で休まれる先生の講師として担任をすることになりました。スキー場から帰った日の朝に学校へ赴き、全校集会で就任の挨拶をしたのですが、日焼けのために綺麗な逆さパンダになっていました。教師になってからも2学期(当時)の終業式を待ちかねてその日の夜から信州に出かけたものです。
 京都生まれの京都育ちである私は、大学生になってはじめて「根雪」という言葉を知っりました。今から思えば、その頃から地球温暖化が始まっていたのかもしれませんが、雪不足でオープンできないスキー場が出るということが起こりはじめていました。少し積もっても晴天が2〜3日続くとすぐにゲレンデの雪がなくなりました。「早く根雪にならないと…」スキー場のおっちゃんの一言で「根雪」の意味を理解したものです。「根雪」とは、積もったまま春まで解けない雪のことです。降り積もる雪の根となります。
 さて今回の、皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけしている事案が新聞やTVで報道された翌日のことです。休憩時間に3年生の男子生徒と次のような会話をしました。
「校長先生、僕、昨日いろんなこと考えて寝られませんでした。」「ごめんな。こんなことになるなんて、思いもしてなかったんやけど…。」「この一年、せっかく京都で一番の学校を目指してやってきたのに。これでつぶれてしまうのかと思ったら残念で…。」「君、“根雪”って知ってるか。」「…?…」「降り積もった雪の下にある、簡単には解けない雪のことなんや。それがあると、ずっと短い時間でそれまでと同じ高さにまで雪が積もるんや。今の花山には、その“根雪”があると思うんやけど…。」「そうですね。授業に行ってきます!」
 用意していた訳でもないのに、咄嗟に上手く表現できたものだと思います。
 今回のことで、今も新しいことを学ばせてもらっています。生徒を大切にするということ、教職員を大切にするということは、具体的にどうすることでしょうか。様々な具体的な場面を想像しては考えています。教育委員会の方の考え方にも色々あります。自分の考えに近いものばかりではありません。しかし、よく聴きよく考えてみると、遠い方の意見の中に新しい発見があったりもします。
 緊急全校集会では、不安を抱えながらも、透きとおった瞳を真直ぐに私に向けて話を聴いてくれる生徒の姿に感動さえしました。また、緊急保護者会では様々なご意見を頂戴しました。相反するご意見もありました。しかし、生徒を真ん中に置き、保護者と教職員が手を組んで今のこの局面を乗り越えていこうとまとめて頂いたように思います。
 厳しい状況にはありますが、“根雪”があることを確認できたように思います。そして、この“根雪”こそが、育ちつつあるカサンズプライドではないのかと考えているところです。

『東山を西に見て』〜Make legend〜

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「動か不ること山の如し」
「疾如風 徐如林 侵掠如火 不動如山」
 言わずと知れた、甲斐の戦国大名、武田真玄の軍旗に染め抜かれた文字です。(実は、「風林火山」という文言も、諸説があって事実であったかどうかは、分からないということらしいのですが…)
 今でも中学生の多くが、歴史の中でも戦国時代を好みます。ゲームの影響でしょうか、戦国大名の名前を多く知っている生徒も少なくありません。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は人気のある武将のトップ3だと思いますが、その次くらいには武田信玄がランクインするのではないでしょうか。
 高校生の頃だったか、黒澤明氏が脚本を書き監督した「影武者」という映画を観ました。武田信玄が死んだ後しばらく、武田氏は信玄の死を他の大名に隠します。当時、どの武将も何人かの影武者をもっていたようですが、それが必要とされるのは戦場だけです。しかし、武田氏は徹底して信玄の死を隠すため、評定(ひょうじょう=会議)の場にも影武者を立たせ、側近中の側近しかそれが影武者であることを知らないという筋書きになっていました。信玄に瓜二つであるということだけで、突然城内や陣中の最も高い所へ座らされる羽目になった仲代達矢演じる罪人の男の心情が実に面白く表現されてもいました。 今でも、寝る時間を削ってでも映画を見るほど映画好きな私ですが、ロードショーの期間に2度観にいくことは滅多にありません。それが、両親にも勧めて観に行かせ、自分が2度目に行ったときにはカセットレコーダーを隠し持っていって音声を録音し、家でパンフレットを眺め映像を思い出しながら3時間分をもう一度聴いたほどのお気に入りの映画です。
 その映画の中に忘れられないワンシーンがあります。
 影武者が、評定の場で意見を求められます。それまでは、直接意見を求められることは一度もありませんでした。ただ威厳を見せてその場に座っているだけでよかったのです。側近の、彼を影であると知っている者が代わって答えることが常だったのです。ところが、その時は武田家の存亡をかけた重要な評定の場。戦(いくさ)に打って出るのか否かを決めなければならない場面です。彼を影だと知らない家臣が、殿様の直の声が聞きたいといきり立って返答を迫ります。影も側近たちも窮します。 −暫くの間− 
 やがて影がゆっくりと口を開きます。「山は動かんぞ!」
 さて、ここ何日か、深く考えさせられる悲しいニュースが相次いでいます。
 アルジェリアのテロ事件では、日本人が10人も犠牲になりました。被害にあった方々の家族や犠牲者を派遣していた会社の関係者の心中はいかばかりでしょうか。また、大阪市立桜宮高校の事件では、今も高校内外で、様々な立場の人がてんてこ舞いしていることでしょう。どうか、慌てふためいて正しい判断をし誤らないようにしてほしいです。
 自分のまわりに大きな問題が起こったり課題が山積していたりして、関係者全員が慌てたり不安に思ったりしているときには、決まって映画「影武者」のあのシーンを思い出します。「山は動かんぞ!」どっしり座って、近くから遠くへと先を見渡すようにします。
 

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「あの日」
 あの日から18年が経ちました。毎年この日は、出来る限り5時46分に起き、TVを付けて、そこに映し出される映像に合わせて黙とうをするようにしています。昨朝もそうしました。
 18年前のあの日。普段から眠りの深い私が大きな揺れを感じて飛び起きました。今でこそ、それこそ雨音ででも起きることがありますが、当時はまだ33歳。一旦眠れば少々叩かれても起きないような状況だった私がです。妻子が寝ている隣の部屋へ急行します。当時1歳半だった上の息子は、何も知らずすやすやと眠ったままです。その息子の上にお腹の中に下の子を身ごもっていた妻が四つん這いで覆いかぶさっています。結婚して2年足らず。当時妻は27歳。人間的には色々な部分に頼りなさを感じていましたが、この時ばかりは彼女の逞しさと、母性のすごさ、素晴らしさを感じたものです。
 TVを付けると地震があったとの情報が流れていました。震度・マグニチュード・震源地、そんな情報です。被災地の状況など、この時点では全く分かりませんでした。学校へ着いた頃、被災地の様子がTVから伝えられてきました。目を覆うばかりのシーンが映し出されます。高速道路が横倒しになり、途中でちぎれてバスが落ちかかっていました。神戸の街が瓦礫の山になっています。初めて「液状化現象」というものも知りました。場面が変わると、火災が広がっている様子が映し出されます。燃え盛る炎に包まれ、倒壊した家屋の下敷きになっている人たちがいるのかと想像すると、地獄絵図を見ている思いがしました。
 それでも、京都市の学校では普通に授業ができました。授業が終わると、教職員がTV画面の周囲に集まりました。画面の端に死者の数や行方不明者の数が出され、刻々とその数が増えていきます。『もう増えないでくれ!』そう思いました。何日もTVではこの地震のことが報道されました。家を失って道で寝食をする人たちの姿が映し出されるようになりました。焚火で暖をとりながら近所の人たちと寄り添って生活する人たちの姿が今も頭から離れません。自衛隊や消防、警察官による救助の様子が増えていきます。担架で運ばれるのは『おそらく遺体だろう』と、当たり前のように思うようになってきます。スーツでなく作業着で現地を訪れる政治家の姿も、この時から見るようになったように思います。
 戦争の惨劇を後の世の人たちに伝える活動をしておられる“語り部さん”を見てきました。震災について同じように思います。教師として、この経験を通じて学んだこと感じたことを当時はまだ生まれていなかった今の子ども達に伝えていくことが大切です。
 昨日の避難訓練の際も、寒いグランドで少しだけ話しました。生徒達は澄んだ眼をこちらに向けて聴いてくれていました。そして、その後の学活で担任の先生から色々なエピソードやその時に感じたことなどを聴いてほしいと締めくくりました。今も東北地方では震災は進行中です。年末年始にTVで現在の状況を報道していましたが、復興とは程遠い状況にあることも再認識しました。震災の日に当たり、思ったまま感じたままに綴ってみました。

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