京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/19
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昼間部と夜間部の良さを生かし、世代や国籍を超えてふれあい学び合う学校

「ありがとう」…心温まる夜間部からのメッセージ

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 以前に夜間部の授業の「シーサーづくり」において,村上先生の指導のお手伝いを昼間部の生徒が行いましたが,夜間部の生徒さんから昼間部のみなさんへの感謝のメッセージが届いています。

○ どうもありがとう。日ごろ習ったこと,立派に教えてくれて感謝します。
○ 5組のみなさんが助けてくれてありがとう。それから,体育の時もいつも相手になってくれて本当にありがとう。これからもよろしくね。
○ 本当に楽しく教えてもらって,私はうれしく思います。これからもいろいろ教えてね。頑張って私も勉強していきますから,みなさんも頑張ってください。

…など,心温まるメッセージをいただきました。本当にうれしいことです。このような心の交流をこれからも一層重ねていきたいですね。

働くことの厳しさと喜びを実感!!

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 11月14日〜16日の3日間,昼間部1・2年生の5人が「生き方探究チャレンジ体験」(職場体験)を行いました。その感想やお世話になった職場の人たちへのお礼の言葉を読んでいると,3日という短い期間にもかかわらず,それぞれがとても多くのことを感じ,大切なことを学べたのではないかと思います。職場での仕事は大変だけれど,みんな自分の仕事に誇りとやりがいを持って働いておられたと思います。そのような人たちとふれあうことで,働くことの厳しさと喜びを実感し,新たな自分を発見できたのではないでしょうか。


[久世西小学校]
 プランターの植え替えの手伝いや,一年生の教室に入らせてもらったり,職員室や校長室のそうじをさせて頂きました。「働くのは大変だなぁ」と改めて思いました。そして,これからは社会人の方々を敬い,いつか自分もそんな方々に囲まれながらいろいろな事を学んでいきたいと思います。

[のぞみディサービス]
 短い期間でしたが,貴重な体験をすることができました。浴室やトイレには,身体の不自由な人が使用しやすいように,いろいろな工夫がされていて驚きました。また,利用者の方と楽しくお話したり,ゲームをしたり,体操をしたりと,楽しい思い出ができました。私は将来,身体の弱い人や病気の人を助けられるような仕事につきたいと考えています。今回の体験はとても勉強になりました。

[とむて]
 この3日間私は,仕事は最後までやりぬくことの大切さが分かりました。私は今回のチャレンジ体験を通してたくさんの方に支えられているんだなと思いました。これからも私は,立派な大人に成長していきたいと思います。

[セブンイレブン]
 コンビニにはよく行きますが,普段とはまた違った景色を見ることができ,勉強になりました。また,接客のマナーや商品の並べ方を工夫されたりなど,熱心に取り組まれている従業員のみなさまを拝見し,将来の仕事を考える時の参考になりました。

[光林保育園]
 私は将来,保育士になりたくて,職場体験の場を光林保育園にさせていただきました。今回の体験を経て,保育士は,子どもが好きなだけではやっていけないということに気づかされました。例えば,子どもたちと遊ぶ時でも,怪我をさせてしまっては大変なことになります。どんな時でも,細心の注意が必要になります。そうしたことを考えると,保育士はとても難しい仕事だと思いました。今後は,しっかりと勉強し,人格を磨き,保育士になれるよう頑張りたいと思います。

 最後になりましたが,本校の生徒を受け入れていただいた事業所のみなさまに心からお礼を申し上げます。
 ありがとございました。
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第58回全国夜間中学校研究大会

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 1948年12月10日,基本的な人権や自由がいつも尊ばれ,守られるべきであることをうたった「世界人権宣言」国際連合第3回総会で採択されました。その後,この日は「人権デー」と定められ,また日本でもこれを受けて,この日を最終日とする1週間を「人権週間」としています。

 11月29日〜30日,第58回全国夜間中学校研究大会が東京で行われました。北海道から沖縄までの夜間中学校や自主夜間中学の関係者約180名が一堂に集まり,各校の取組と熱い思いを語り合い,討議を重ねました。「塀の中の中学校」の原作者でもある角谷敏夫先生による記念講演,夜間中学校の生徒発表,各校の取組や教科における討議などが行われ,最後には「全国夜間中学校研究会要望書」を採択して閉会しました。
 全国にはまだまだ多くの義務教育を終えることができなかった人たち,夜間中学校を必要としている人たちがいます。しかし,全国には夜間中学校が8都府県に35校しかありません。「世界人権宣言」が採択された1948年以降,本当に人権が大切にされる世の中になっていたならば,このような人たちはいなかったはずです。ところが,現代においても未だに人権が守られていない現実があちこちに見られます。人権が守られ,みんなが笑って暮らせる世の中を創って行くにはどうすればいいのか,この機会に考え,できることから行動に移すことこそが大切なことです。

 教育とは希望を語ること。
 学ぶとは生きる力を養うこと。

 学ぶということは,単に計算や読み書きができるようになったり,知識が増えたりというものではなく,自分はどうあるべきか,どう生きていくべきかを考えることができるようになり,それをいかに実行していく力がついたかといことです。
…基調講演(角谷敏夫氏)より

感謝!! 洛友中学校が教育功労者表彰受賞

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 11月8日(木),京都アスニーにおいて,平成24年度「教育功労者表彰式典」が行われ,業績表彰として本校を含む6つの学校(小学校3校,中学校3校)が表彰されました。本校の表彰内容は,「『学びたい意欲の初志貫徹を図る』ことを目指し,昼間部・夜間部が一体となった活動を通し,生徒の主体的に学習に取り組む力の育成や自己実現に向けた実践に努めるなど,本市中学校教育の進展に貢献されました」というものです。

 本校は開校してまだ6年目ですが,これまで教職員が,保護者や地域等,様々な方々の協力を得ながら,昼間部と夜間部の生徒たちと共に,「世代や国籍を超えて,ふれあい学び合う全国唯一の学校」づくりを行ってきた成果がここに実を結んだものと思います。表彰式前日には,初代校長の西寺先生からも祝福の連絡をいただきました。
 私たち教職員は,この学校を必要としている生徒がいる限り,学校の楽しさや学ぶ喜びを実感できる学校づくりを推し進めなければなりません。そして,これからも昼間部と夜間部とのより有機的な交流を図り,日本でただ一つの学校であるという誇りを持って,全教職員で頑張っていきたいと決意を新たにいたしました。

「シーサーづくり」に挑戦!!

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 昼間部と夜間部との交流を目的に,美術科の村上先生の指導のもと,「シーサーづくり」に取り組みました。
 「ここ,どうするの?」「できたわ。次は?」…という声に応え,昼間部の子どもたちは,夜間部の生徒さんに分かるように,あちこち飛び回って,一生懸命に教えることができました。そして,「ありがとう」という言葉が飛び交い,とても和やかな雰囲気の実習でした。
 シーサーは,沖縄県などでみられる伝説の獣の像です。建物の門や屋根,村落の高台などに据え付けられ,人や家,村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けとされています。「獅子」を沖縄の方言で発音したものだそうです。

東九条マダン

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 11/3(土),東九条マダンが旧陶化小学校にて行われ,本校も文化祭での展示物などを出展しました。
 “マダン”とは“広場”の意味で,「東九条で,韓国・朝鮮人と日本人がひとつのマダンに集い一つになって,みんなのまつりを実現したい」…このような思いをこめて名付けられました。

天道神社「例大祭」

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 11/3(土)午後,地元の天道神社で「例大祭」が行なわれました。神輿渡御も行われ,とても立派な行列でした。本校の支援員や学生ボランティアも参加してくれました。

歴史を学び,互いをもっと知る旅へ(1)

 今年度の宿泊学習は,舞鶴・篠山方面へ行き,「戦争の傷跡を探る中で,在日と中国等引揚者の歴史を学ぶ」ことをテーマに,舞鶴引揚記念館,浮島丸殉難者追悼の碑や篠山市を訪れました。そして,「夢千代日記」で有名な湯村温泉に泊まり,日ごろの疲れを癒しました。今一度,行程をふりかえってみたいと思います。

(1)舞鶴引揚記念館
 終戦直後,47万人以上の日本人がシベリアに抑留され,捕虜として極寒の中,強制労働に従事させられ,多くの尊い命が失われました。舞鶴では,旧ソ連(現ロシア共和国)や中国などからの引揚者を迎え入れ,終戦から13年間に664,531人の引揚者と16,269柱の遺骨を受け入れたそうです。終戦時に大陸に残された日本人の想像を絶する生活やそれを待ちわびる家族の悲しみが痛いほど伝わってきました。
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歴史を学び,互いをもっと知る旅へ(2)

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(2)浮島丸殉難者追悼の碑
 1910年の「韓国併合」以来,土地や仕事を失った朝鮮の人達は家族ぐるみの日本への移住を余儀なくされ,さらに労働力として,強制的に日本に連れてこられた人達もいました。そして,ついに終戦をむかえ,強制労働と非人間的な生活からの解放,そして夢にまで見た故郷へ帰れる喜びを胸に「浮島丸」に3,735人(政府発表)が乗り込みました。ところが,その船は舞鶴湾に入った直後,突然すさまじい爆発音とともに船体は真っ二つに折れて海底に沈みました。確認できただけでも,婦人や乳幼児を含む524人の朝鮮人が亡くなりました。この碑の銅像は釜山を見つめ,「浮島丸」で犠牲になった人達の無念さがとても重く伝わってきました。
 タルづくりでお世話になり,またこの銅像の作者でもある余江先生に解説していただき,みんなで折った千羽鶴を捧げ,黙とうをしました。

歴史を学び,互いをもっと知る旅へ(3)

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(3)篠山の在日コリアン
 篠山と朝鮮半島とのつながりは古代までさかのぼることができます。古代における渡来人の古墳からは朝鮮半島との豊かな関係を想像できる一方,大量の硅石やマンガン鉱が産出したことから,戦時中には過酷な労働に従事した朝鮮人の姿も浮かび上がってきます。
 戦争のための労働力として,多くの朝鮮人が篠山に移り住んだ(強制的に連れてこられた人もいた)ことから,戦後1950年には在日コリアンの生徒のための民族学級「篠山小学校特設学級」が,現在の篠山小学校に設置されました。そのような歴史と人権問題を,元大阪府の夜間中学校に勤務されていた松原先生から教わりました。
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