京都市立学校・幼稚園
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『新人戦』バレーその3

 接戦の末、1セット目を奪われましたが、第2セットは二条中学校のリードで進みました。
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『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「自分へ向ける」
「あいさつは、『挨拶』と書きます。『挨』には心をひらく『拶』にはその心に近づくという意味があります、あいさつは、人と人との関わり合いを豊かにする上でとても大切です。」3−3の昨日の学級通信の冒頭に、あいさつについてこのように書かれてありました。
 毎朝校門で、登校してくる生徒や職場に向かわれる人々に対して「おはよう!」「おはようございます!」と声を掛けています。若い頃、こちらがあいさつしているのに、無視をしたり聞こえるかどうかわからないほどの声でしか返さない人に対して腹を立てることがありました。また、当時はこんな風に思っていました。「あいさつは、その人の中に自分の存在があるかどうかの証(あかし)だ。つまり、あいさつするというのは、『あなたのことを私は認識しているよ』という意味で、それを返さないのは『あなたは私とは関わりない人です』と言っているのと同じだ。」
 いつの頃からか、相手があいさつを返さないことも気にならなくなりました。
 「自分が好きでやっている」「人にあいさつを要求する必要はない」そんな風に思えるようになったのです。今も稀にこちらのあいさつが聞こえているはずなのに、それを返すことなく通り過ぎて行かれる大人の人が居ます。一方、初めはそうであっても、それを続けることでいつの間にか笑顔であいさつを交わす関係になった人も居ます。
 ところで、生徒とも大人の方とも、笑顔であいさつを交わした瞬間はとてもハッピーな気分になれるものですよね。「あいさつを相手に強要しない。返してもらうことを期待もしない。自分がその人との関係を大切にしたいから続ける。」そう思ってやっていて、笑顔のあいさつが返ってくると、とても豊かな気分になれるということが分かるようになりました。その方がずっといいと思ってもいます。
 昨日、生徒会役員改選がありました。1定員に2人が立候補しているポストが4つありました。つまり、昨日は4人の落選者が出ることになったわけです。立候補が締め切られた時から、どちらかが落選するということを分かったうえで選挙戦を戦ってきたのですから、ある程度の覚悟はできていたはずです。それでも、結果を目の当たりにすることはきつかったでしょう。落選した人は、男女を問わず涙を流していました。なかなか掛ける言葉を見つけられませんでした。気持ちを切り替え何とか立ち上がって、今後は学級や学年の代表として活躍してくれることを願うばかりです。
 人生には上手くいかないこともあります。努力が報われないことも多いです。むしろ、その方が多いくらいです。でも、その時に対戦相手や周囲の人や環境を呪ったところで何の解決にもなりません。冒頭のあいさつの話のように、自分が納得できる取組ができたかどうかを振り返るようにしましょう。してきたのなら、たとえ結果が思わしくなくてもOKです。必ずその経験は次へと繋がります。

『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「力の入れ処」
 3・4・5月が春、6・7・8月が夏、9・10・11月は秋、そして、12・1・2月が冬。確か幼稚園でそんな風に教わりました。また、日本には四季がある。其々によさがあって風景は美しく食べ物もおいしい。併せてそうも教わりました。いつの間にか5月と9月も夏の仲間入りです。更に、本市が推奨しているクールビズ期間は10月までですから、半年間は夏なのかもしれません。
 しかし、さすがにこの時期になると朝晩は冷え込み、上着を着て登校する生徒が一気に増えてきました。一方、日中は半袖でも十分過ごせるほどで、体調管理が難しいです。「日向はあったかいですね。」先日、朝の校門である先生がそう言いました。こんな言葉、今シーズン初めて聞きました。気温の高いのを「暑い」というと不快な感じを示しますが、「あったかい」は快の感情を表わしています。つい最近まで「暑い・あついっ!」と不快感一杯に言っていたのに、確実に季節は移っているのですね。
 さて、ただ今世界バレーが熱いです。毎晩、興奮しながらTV観戦しています。流れと勢いでしょうか、各上とされる相手に勝つこともあるので面白いですね。
 13・14日、本校のバレー部が新人戦を戦いました。方や世界バレー、方や京都市の予選リーグ。競技レベルは全く異なりますが、興奮度は世界バレーに匹敵するものがありました。一進一退のシーソーゲームになる場面があります。一方的に連続得点が入るときもあります。体力や技術が異なってもこの場面での精神面の動きに大きな差はないように見えます。流れを呼び込めるときとそうでないとき、いったいどこが違うのでしょうか。もちろん、一人としていい加減な気持ちの選手などいません。
 バレー部の予選リーグは3位。1・2位のチームとはフルセットを戦いました。決勝戦もフルセットになったことを考えると、1位通過も可能だったと思われます。
 私が長年かかわってきたソフトテニスなら“力の入れ処”が分かります。4ポイント先取で1ゲームを獲得するこの競技では、力が接近していると、まず間違いなく1−2か2−1になります。次の1ポイントを獲れる力があるかどうかがカギです。
2−1で勝っているなら3−1にする力、1−2で負けているなら2−2にできるかどうかが大きく勝敗を分けるのです。
 素人目には、バレーボールでは連続得点にカギがあるようです。勝っているときには連続ポイントを続ける。そして劣勢のときには連続ポイントを許さない、ということです。その時にチームの力を結集し大きな力として発揮できるかだと思うのです。
 このことは、人生でも言えるように感じます。波に乗っているときにはそれを逃さない、一方で『流れが悪い』ときにはそれを断ち切るのです。要するに、力の入れ処が大事であって、勝者と敗者の間にはそれほど大きな実力差はないのかもしれません。

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「ムードが大事な要素」
 道徳教育に魅かれて久しいです。人権教育、とりわけ同和教育に力を入れてきて、『それをやっていれば道徳教育の必要はない』と考えていた時期もあった私が、変われば変わるものだと思います。
 教師が最も力を入れるべきは教科の授業づくりだということは分かっていますが、教科の時間よりも、道徳の教材研究に力を入れ時間を使うようにもなりました。実は、私の周りにはそんな教師が何人もいます。「“道徳の先生”というのがあったら成りたい。」ある若い教師から聞いたことがあります。“英語の先生”と同じように“道徳の先生”があればやってみたいということでしょうか。専門性が問われる教科の教師と異なり、すべての教師がその個性と能力を最大限に発揮して指導に当たるのが道徳の良い所とされていますが、この考え方に私も賛成です。
 さて昨日、本校の若手教師が北・上京支部の道徳の研究授業を行いました。彼女に決まったのが6月。それから4カ月にわたって指導案を練り、繰り返し作り直して本番に臨みました。自校の教員を褒めて恐縮ですが、大変良い授業だったと思います。よい授業だったと評価する理由を2つあげます。1つめが指導方法と発問の工夫です。これは授業者が計画を立てる際の肝になる部分です。どのように展開するのか、生徒にどんな活動をさせるのかです。発問については特に吟味が必要です。ショウモナイ発問をすると、生徒は一気に学習意欲をなくしてしまうものです。2つめは生徒がみな非常に深く考えたところです。1つめが授業者のよかった点で2つめは学習者のよかった部分です。いつも言っていることですが、よい授業は、一生懸命に伝えようとする授業者と一生懸命に学ぼうとする学習者の間に生まれます。将に昨日の授業がそうでした。生徒たちは、次々とよく考えられた深い意見を述べました。誰かが深いよい意見を述べると、『ようし、僕も私も…』と更に気の利いた考えを発表しました。最高のムードに包まれたよい展開となりました。失敗した道徳の授業ではこの反対が起こります。生徒が考えることから逃げ、「分からん…」「別に…」などの無意味な言葉を言いだします。こうなると、授業がドンドンつまらなくなっていってしまいます。
 道徳に限らず、授業にはムードが大切です。明るい、軽い、面白い、楽しい、のりのよい、愉快な、テンポのよい…、そんなムードでしょうか。そしてムードづくりで工夫すべき点には2つあると考えています。1つめが授業の導入部分です。昨日は授業者自身の写真が使われました。もう1つがキーパーソンの存在です。集団の中に温かな信頼関係で結ばれた生徒が何人かいれば、その子たちが作り出してくれます。
 授業のやり易い学級とそうでない学級がありますが、その違いの重要な要素は学級のムードにあります。『あの学級はやり易いけど、この学級は…』と言っている先生、生徒や学級担任に頼らず、自分でムードをつくる工夫と努力を怠ってはいませんか。

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「正のサイクル」
 初めて文化祭に参加したけど、とても楽しかったです。合唱では、最高のものができました。3年生になったときには、今の3年生を越えられるように今よりももっと頑張りたいと思います!
 …2年生は明るく元気な感じで、一人ひとりが自分の役をきちんとしてて「カッコいいな」と思いました。3年生は、戦争のことを劇にしていて、みんなとても演技がうまくて感動して泣いてしまいました。私も、先輩みたいに堂々とできる人になって来年やりたいです。                       (1−3学級通信より)
 …今回の文化祭はうまくいったと思います。でも、先生はまだ3年生に勝っていないと言ったので、次の文化祭では3年生をぬかしたいと思いました。…
 …2日目はとてもよい合唱が出来たと思うので、3年になっても今年の3年を越えられるように練習して今年みたいに学年が一つになれるようにしたい。…
 …自分が心に残っているのはやっぱり3年生で、劇でも感情の入れ方が違っていて、私は改めて戦争はすべきことではないと思いました。   (2−3学級通信より)
 …3年生の劇は、みんなで協力して素晴らしいものになりました。泣いている人とかたくさんいて嬉しかったし、戦争についてたくさんの人に知ってもらえたのは良いことだと思いました。2日目はどの学年どのクラスもすごかったです。3年1・2組のクラス合唱は鳥肌がすごく立ってとても感動しました。自分のクラスも練習よりも良いものになって嬉しかったです。…                (3−3学級通信より)
 各クラスの学級通信に生徒の感想文が掲載されています。そのすべてが「よかった」「楽しかった」「感動した」など、肯定的な内容です。その中でも、上に掲載した通り、上級生や他のクラスの発表を素直に称賛したものが多かったです。上級生が下級生のモデルになっている今の状態は、学校としてとても嬉しいことです。「あんな3年生になりたい」「あの3年生を乗り越えたい」3年生の真の価値はそう言われることにあります。
 30年ほど前、多くの中学校でその反対の現象がありました。「あんな風にはなりたくない」「あんな3年生にはなるな!」下級生や教師からそう言われる3年生たちが少なからず居ました。そんな彼らが良くなるとは思えません。必然的に下級生に負のプレッシャーをかけてきます。また、下級生の中にもそういう悪いモデルに影響されていく生徒が出てきます。「負のサイクル」です。それを断ち切るために、教師が体を張ることもしました。あの苦い経験を今の若い教職員にさせたくはありません。
 今の二条中学校では、生徒の間が「正のサイクル」で動いています。生徒と教職員との間も、そして保護者と教職員との間にも正のサイクルがあります。このサイクルをいつまでも大切にしなければなりません。一旦、サイクルが上手く回らなくなり出すと、アッと言う間に状況は大きく変化してしまうものです。

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『伝統がつくられる』
 「来年は修学旅行で沖縄へ行くのやし、文化祭の合同劇は沖縄戦を描いた“平和劇”をしたらどうや?!」昨年度の文化祭が終わった後、当時2年の学年主任にそう持ちかけました。「そうですね。私もそれができたらなって思っていたのですが…、」おそらくそれれまで在籍した学校で既に経験したことがあったのでしょう。その眼差しから“ヤル気”を感じました。新しいことに踏み出す思い切りが足りなかったのだと思います。校長の言葉が背中を押した格好になりました。
 昨年度の2本の合同劇を鑑賞し終わっての率直な感想です。『もったいない!』そう思いました。演目は、2年が『ライオンキング』、3年が『パイレーツ・オブ・カリビアン』でした。それら娯楽作品が悪いとは思っていません。でも、これだけ一生懸命に取り組むことのできる子たちなら、劇づくりを通じて、感性豊かな中学生の時期に取り組めば抜群の効果がある特別な学びをさせたいと考えたのです。学年主任は決心したようでした。2年の後半から「修学旅行の事前学習」→「現地での体験学習」→「文化祭での劇づくりによる学び直し」という長期プランができ上がりました。
 一昨日の劇を観終えて思います。『教室での学習で、ここまでの学びがさせられるだろうか』と。アクティヴ・ラーニングが言われて久しいですが、その手法の一つとしてロール・プレイがあります。教室で行うロール・プレイを子どもたちは照れくさがって嫌がる傾向にあります。でも、劇で堂々と演じるとなると話は別です。登場人物に感情移入できるのは当前で、そこから学び考えることは途方もなく可能性が広がります。また、劇には大切な考え方や歴史などを台詞として覚え込むという特徴があります。私たちは普段、会話や思考をするとき、過去に覚えた言葉や体験したことを駆使して行います。将来、子どもたちが何かの場面に行き当たったとき、それがたとえ劇の台詞であったとしても、きっと思考や判断、会話の手助けになると信じています。
 今年の3年生は、二条中学校の文化祭の歴史に革命を起こしました。きっと一昨日の平和劇を見た下級生たちは、これまでと違う何かを感じたことでしょう。それは熱い魂かもしれませんし挑戦したいと思うモデルかもしれません。こうした思いが新たな歴史を作っていくのです。そして、そうして積み重ねられた歴史がいつしか“伝統”になっていきます。いきなり「平和劇」が出来ることはありません。これまでの先輩が積み重ねてきてくれた素晴らしい合同劇の歴史があったればこそなのです。
 2日目は音楽発表会です。去年の3年生が凄すぎて、これを越えることは難しいと思ってきました。しかし、どうでしょう。3年生の姿はとても立派でした。先輩を越えたいという意気込みが彼らを成長させ、学校の取組を成長させていきました。今、二条中学校は最高のサイクルで回っています。来年度が今からすでに楽しみです。

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「自覚」
 文化祭に向けての取組が続いています。どの学級学年も、合唱や合奏に劇、展示作品づくりなどに本当に一生懸命取り組んでします。
 この時期、特に午後は学校全体がせわしなく動いています。若い頃、この時期の取組が楽しい反面、毎日の活動にとても疲れ、クタクタになって帰ったことを思い出します。特に、学級や学年に生徒指導上厳しい生徒が居る場合には、この時期になると問題行動が増えたりもしました。何とか、その子たちを巻き込んで取組を成功させようと四苦八苦したものです。疲れに疲れたときには、『こんな行事なんてなくて、普段通り授業をしていた方が楽でいいのに…』と思ったこともありました。今思うと、何とも恥ずかしく情けない思い出です。
 学校からこういった行事を取り除いたら、学校教育はどれだけ味気ないものになることでしょうか。行事や部活動を通してこそ培われるものがあります。それらを通して生徒は心を豊かにし、体力をつけ、仲間や先生方との付き合い方(人間関係づくり)を学びます。今、そしてこれからの若者に望まれる力は将にこうした行事や部活動の中でこそ身に着けられると考えます。また、本番での大成功が子どもに達成感・成就感と集団への帰属感を与えます。そして、その中で自分は活かされているという「自己有用感」を生むのです。中学生にとってはこの気持ちが特に大事です。
 先週の金曜日、3年生が学年合唱の練習をしている場面を観に行きました。
 整然と整列した堂々たる態度、凛とした表情、学年集団全体が発する“ヤル気”、1・2年の練習では見られなかった空気が講堂に満ちていることを感じました。練習はまだ始まったばかりです。合唱そのものには伸びしろを感じましたが、『いいものを作るんだ!』という意思の“みなぎり”がひしひしと感じられ心を熱くさせられました。
「みんなの歌う姿を観て『3年生になったなあ』と感じました。去年の3年生をカッコいいと思ってきました。君たちの中にも同じように思っている人は少なくないと思います。でも、今のみんなの姿もカッコいいです。皆さんの中に、全力を発揮したい、自分たちの力で文化祭を成功させたいという“自覚”を感じます。その“自覚”が皆さんを大きく立派に見せています。そして、君たちが、今そんな状態にいることがとても嬉しいんです。」
 そんな話をしました。なぜか途中から声がつまり、不覚にも涙を零してしまいした。
“自覚”が人を、そして集団を成長させます。3年生に限ったことではありません。学級活動や部活動の場面もしかりです。1・2年生も、自分の置かれている立場をしっかりと “自覚”し、その立場ですべきことに全力を尽くしましょう。そうすることが個人や集団の大いなる成長に繋がるはずです。大いに期待しています。

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「壁になる」
 8月30日には3年で、そして昨日は1年で「学年道徳」をさせてもらいました。この年齢、この立場になっても授業の前には緊張します。前の晩は、色々と考えて毎回あまり眠れません。しかし、授業後は『やって良かった』と思うことができます。やはり、私は教師なのですね。授業という場面と時間を子どもたちと共有することがとても楽しいし、子どもの発言に感心させられエネルギーをもらうこともしばしばあります。また、授業の感想を読むと、そこに書かれた内容に励まされ、大きな喜びも感じます。
 1学期には休日参観で3年、2学期には1年、そして3学期には2年で、年に3回「学年道徳」をさせてもらっています。毎日授業をする先生方と比べると準備に時間をかけられることもあって、その1回に賭ける思いは当然強くもなります。
 授業実践を続けている校長は、京都市内でも多くはないと思います。決して自慢するつもりはありません。また、教職員に対しておもねるつもりもないのですが、こうしてさせて頂いていることに心から感謝しています。
 私が授業実践を続ける理由ですが、もちろん授業(づくり)が好き、子どもと共有する時間が大好きという部分はあります。しかし、別の意味もあるのです。『偉そうに』と思われると心外なのですが敢えて書くことにします。
 2つあります。1つは参考にしてほしいと思うことです。私の後に続く後輩教師たちに、私の実践を見せることで学び、自らの実践を振り返り、新しいことに気づき挑戦してもらいたいと思っています。もう1つは、この授業を学級づくりや学年づくりに上手く使ってほしいのです。
 先日、ハイチ出身のアメリカ人の父と日本人の母をもつ大阪なおみ選手が、全米オープンテニスで優勝しました。大阪選手の国籍は日本。日本人としての全米オープンチャンピオンは歴史上初めての快挙で、メディアにも多く取り上げられました。優勝賞金が4億2000万円というのも驚きです。彼女の優勝スピーチも多く紹介されましたが、松岡修造氏とのやりとりが一番印象に残ったのでここで紹介します。
松岡:「我慢強くなったね。我慢しているとき、どんなことを思っていたの?」
大阪:「"You can do it !"とずっと、心の中で自分に言い聞かせていました。」
 突然耳にした"You can do it !"に心が躍りました。
 私は信じています。後輩はいずれ先輩を乗り越えていくものです。そして、生徒はいつか教師を乗り越えていかなければなりません。もちろん、簡単に乗り越えられないような「高い壁」になる覚悟は、私にも二条中学校の教職員にもあります。目の前の高い壁を乗り越えようとする営みこそが人間を育てます。
 "You can do it !" 君たちなら、いずれきっとそれができるはずです。

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「愛校心を感じるとき」
 「今までに経験したことのないような…」「25年に一度あるかないかの…」非常に強い台風21号が接近してきた際、アナウンサーがこんな言葉を発しました。
 教育委員会から早々と翌日を臨時休校にする旨の連絡が入りました。当日の午後は、外へ出ることは到底考えられないほどの暴風雨になりました。校舎の玄関の窓越しに何度も外を窺いましたが、アナウンサーのコメントを思い出し『確かに!』と感じたところです。
 嵐が去った後、校門の外を見てビックリしました。ハナミズキが2本根っこから倒れています。桜の太い枝が折れています。二条城内の樹木が真二つに折れたり根からえぐれたりもしていました。後にTVで知ったのですが、高潮で関西空港の滑走路が完全に海水に浸かっています。流された船舶がぶつかり連絡橋を壊しています。トラックや自動車が横転するシーンや風で吹き飛ばされるシーンも映し出されました。
 暴風雨に耐え、踏ん張るカナリーヤシの姿をHPにアップしました。
「カナリーヤシが心配です。大丈夫なことを祈ってます。」最初はPTAの役員さんから連絡が入りました。これに対しては「彼は頑張りました」と返しました。
翌日になって出勤してきた先生が私に向かって「カナリーが無事でよかったですね。」と声を掛けてくれました。また、登校してきた女子生徒が校門に入るなり「カナリーヤシ、大丈夫やった。よかったーっ!」とつぶやきました。更に、退職された校長先生からも電話を頂きました。「玄関のカナリーヤシ、倒れんかったか?」。
 カナリーヤシは、本校のシンボル・ツリーです。しかし、これ程まで深く生徒や教職員、保護者の方の心に入り込んでいるとは気づいていませんでした。
 嵐の後、通学路をふさぐ倒木を何とかしようと何人かの教職員で枝を切りに出ました。しかし、一向に作業が捗りません。結局「明日、みんなでやろう!」と諦めました。そして今朝です。いつもより早めに出勤した私は、目に飛び込んできた光景に驚きました。たくさんの生徒と教職員とが、倒れた木々の処理をしてくれていたのです。朝練習に来た生徒とその顧問が、練習を取り止めて作業にあたってくれたのでした。教職員はどんどん増えていきます。“楽しむ”と言っては不謹慎ですが、生徒たちも決して嫌々やってはいません。TVでよく、被災地で働くボランティアの姿が映し出されますが、まさにそんな光景でした。
 カナリーヤシを心配する人たちの存在、自分たちの学校を自分たちの力で復興させようと作業する生徒と教職員の姿、将に公立学校のあるべき姿だと感心し、写真に収めながら感動したりもしました。
 台風被害で失ったものはありますが、それ以上の得るものがありました。自分たちの学校を大切に思う心は、非常時にこそ強く感じることができるのかもしれません。

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「遅咲きの花」
 2学期が始まって1週間が経ちました。立秋がすんで暦の上では秋となるわけですがまだ8月で猛暑日が続きます。
 夏の甲子園が終わって、今は専らインドネシアで行われているアジア大会に話題が集中しています。水泳にはじまり、日本選手の活躍が毎日報道されています。そんな中、最も強く私の印象に残っているのが女子マラソンでの野上恵子選手の銀メダル獲得です。
 野上選手は、中学時代、文化系の部に入るつもりでいたところ、姉の影響で仕方なく陸上部に入ったそうです。中学時代の成績は振るわず、高校は駅伝で有名な兵庫県の須磨学園に進学します。しかし、ここでも怪我が続いて3年間補欠。実業団に入ってからも鳴かず飛ばずの状態だったとか。転機は29歳になって取り組んだマラソン。初めての名古屋ウィメンズマラソンには一般選手として参加しました。30歳を過ぎてからマラソンで上位に入賞できるようになり、今年度の名古屋ウィメンズで日本人3位になってアジア大会代表に選ばれました。選考結果を聞いた時、「私でいいのでしょうか」と語ったとか。そんな経歴を持つ野上選手です。
 25キロ付近でバーレーンのチェリモ選手が飛び出し、それには着いていけず、彼女を含めた3人の選手が銀・銅メダル争いをする展開になりました。ここからが観ていて手に汗を握ったところです。30キロの給水時、前日の男子マラソンで優勝した井上選手から「あとは気持ちです!」という言葉と共に給水ボトルを受け取ります。
「コツコツやっていればいつかは成長できる。粘り強さは負けない。諦めが悪いのが私の特徴」と本人が言うように、しんどいでしょうに給水のたびにスパートをかけます。1回目のスパートに韓国の選手がついていけず、これでメダルが確定しました。そして、解説の高橋尚子さんが「私なら次の上り坂で…」と言っていた通り、帽子とサングラスをとってそこで2度目のスパート。凛々しい表情がTV画面に眩しく映し出されました。この時は、画面を見ながら『がんばれ!』を連発しました。北朝鮮の選手を見る見る引き離し、最後は余裕の銀メダル獲得でした。
 女性の体力のピークは一般的に男子より早く、23〜25歳頃と言われています。これも解説の高橋さんの話ですが、彼女の場合は中学高校時代、怪我の影響であまり身体を酷使してこなかったことが遅咲きできた理由ではないかということでした。
 3年生は、最後の試合を終えて引退した人が多いと思います。色々な思いをもっていることでしょう。しかし、競技人生はまだまだ始まったばかりです。
野上さんのように、コツコツとやっていればいつかは成長できるはずです。かく言う私も、最も活躍できたのは大学生以降でした。
 これまでの経験は決して無駄ではありません。しっかりと今後の人生に活かしてほしいと願っています。

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