京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/22
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『“てっぺん”獲りに行こうや!』〜Catch the top〜

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「母と息子」
 「清人ちゃん」。母は今でも私のことをそう呼ぶことがあります。私は既に56歳、よい年をしてそんな風に呼ばれると“恥ずかしい”を通り越して“イラッ”とするときさえあります。特に人前では絶対にやめてほしいものです。
 11月下旬から二男が体調を崩して3週間ほど入院しました。妻は、仕事を休んで毎日見舞いに行き、しかも病室に付っきりでいました。大学生ですから煩わしく思うことがあっても当然です。友達が見舞いにやってきた際などは、妻にやや偉そうな(京都弁で言うなら“こずら憎い”)口をきくこともあったそうです。それでも、彼女は毎日通いました。この関係を観ながら、母の「清人ちゃん」と対比させて考えています。
 81歳になった母と私との年齢差は、当然のことですがいつまでたっても変わりません。また、母にとって私はいつまでも息子であり続けます。結婚して、妻が母の前では私のことを「清人さん」と呼んでいたので、母も同じようにしていました。昨年父が亡くなって、することが激減した母は急に弱りました。そうすると、不思議なことにまた「清人ちゃん」と呼ばれることが増えてきました。今では、他人の目のない場面ではそのまま返事をしています。
 昨年、父の最期を看取りました。今弱った母を観るにつけ、自分にとっての父と母の違いを強く感じています。私は、両親には随分と世話になったと思っていますし尊敬もしています。たくさん甘えてもきたと思います。しかし、父と母とでは、尊敬の仕方や甘え方、またその内容が大きく違ったなあと感じているところです。先日、「妻が毎日二男の病室を訪れている」ということを母に告げたところ、「当たり前やん!」と言いました。父親である私にはきっとできないと思います。
 平成29年が終わります。今年も色々なことがありました。一番大きなことは、何といっても二条中学校へ赴任したことです。転勤によって生活が大きく変化します、荷物も少なくないので引っ越しも大変です。何よりも、新しい人間関係の中での生活が始まる訳ですから、それなりのストレスがかかるものです。しかし私の今回の場合は、二条中の生徒や教職員、保護者や地域の皆様との出会いに救われたと思っています。新しく出会った人たちにスムーズに受け入れて頂けたと感じているからです。(多分、勘違いではないと思うのですが…笑…)
 今、二条中学校の校長として、生徒や教職員、保護者や地域、学校のために、自分のできることのすべてをしたいと思っています。さあ、新しい年を迎えます。私とこれらの人たちとの関係は、おそらく先に挙げた「母と息子との関係」とは異なるとは思いますが、平成30年を皆様と共に素晴らしい年にしたいと思っています。
 何かとお世話になり、有難うございました。皆様、どうぞよいお年をお迎え下さい。

『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top〜

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「幸せにならねばならない」
 16日(土)、前任校の若い教員2人の結婚式と結婚披露宴に出席してきました。今は2人ともそこを離れて別々の学校で頑張っています。今回は「乾杯の音頭」を任されました。乾杯の発声の前にはスピーチも行いました。(そちらがメインです…笑…)
 こういう席上で、私はいつも若い二人に同じメッセージを贈ることにしています。それが「幸せにならねばならない」ということです。
 現在、日本の社会には様々な原因で厳しい環境の下で生活することを余儀なくされている子どもたちが少なくありません。6人に1人が貧困だと言われる今の社会にあって、結婚披露宴をしない人は少なくないと思います。日々の生活には経済的にも時間的にも“ゆとり”がなく、体を寄せ合うようにして暮らしている家族をこれまでいくつも観てきました。そういう家庭に育った子どもたちにとって、一番のモデルは学校の先生です。教師は、夫婦が互いを尊敬し合って不仲よくすること、愛情をもって子どもを育てること、そういうことを受け持つ子どもに具体的に見せる必要があると思っています。休日の部活動に子どもを連れて学校に来る先生が居ます。色々な事情があってそうしているのでしょうが、これも悪いことではないと考えます。この機会に子どもへの接し方を見せ、生徒が憧れるような親子関係を伝えればよいのです。
 それぞれ違った環境で育った元々は他人の2人が夫婦になります。生活習慣や考え方が異なっていて当然です。一緒に暮らすようになって初めて気づくことも多くあるでしょう。家族になるとは、互いがそれらを受け入れながら、新しいその家庭の文化を作っていくことです。その過程には色々なことが起こります。喧嘩があって当然です。その時に思い出してほしいのです。私たち教師は、子どもたちのモデルにならなければならない、幸せにならねばならないのだと。幸せはやってくるものではありません。理想的な夫婦像や家庭像を抱いて築いていく先にあるものなのです。
 先日、父の一周忌法要を済ませました。父の世話がなくなって母が少々弱りましたが、私の弟妹の家族も含めて、父のいない生活にも慣れました。父の代わりに地域の行事や寺社関係の会合に出る機会も増えました。その立場になって初めて、父が家族のためにやっていてくれていたこととその配慮の多さに気づきます。
『こんな時、父ならどうするだろう』近頃はよく考えます。私が家族や親戚、近所との付き合い方、更に人生について考えるとき、そのモデルの中に父が居ます。
 学校では教職員や生徒のモデルにならなければ…と考えて行動してきたつもりです。社会的な面だけではありません。そういう家庭をも築かなければならないと思って努めてきました。意識し過ぎだと笑われるかもしれません。でも、若い先生方には、是非ともそういう気持ちをもって生活してほしいと思っています。

『“てんぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top〜

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「忘れてはいけない」
 13日(水)の6時間目、大地震が起こったことを想定して避難訓練を行いました。消防署の方と地域の消防団の方にも来ていただき評価をしてもらいました。全体としてはまずまずの出来だったと思いますが、幾つかは気になる部分がありました。それについて、生徒に対しては訓練の最後に、そして教職員に対しては翌朝の職員朝礼で話をしました。
 若い頃から避難訓練に真剣に取り組んできたかと問われれば、恥ずかしながら否。でも今、学校の責任者である校長として、この意義の重大性を強く感じています。
 やはり、神戸と東日本の2つの大きな震災を体験したからだと思っています。
 一昨日は雪が降るような寒いグランドでだったので長い話を避けました。そこで、この紙面で少々詳しく伝えたいと思います。是非、読み進めてほしいです。
 22年前のあの日。普段から眠りの深い私が大きな揺れを感じて飛び起きました。今でこそ雨音ででも起きることがありますが、当時はまだ34歳。一旦眠れば少々叩かれても起きないような状況だった私がです。妻子が寝ている隣の部屋へ急行します。当時2歳半だった上の息子は、何も知らずスヤスヤと眠ったままです。その息子の上にお腹の中に下の子を身籠っていた妻が四つん這いで覆いかぶさっています。結婚して3年足らず。当時妻は27歳。人間的には色々と頼りなさを感じていましたが、この時ばかりは彼女の中の逞しさと、母性のすごさ、素晴らしさを感じたものです。
 学校へ着いた頃、被災地の様子がTVから伝えられてきました。目を覆うばかりのシーンが次々と映し出されます。高速道路が横倒しになり、途中でちぎれてバスが落ちかけていました。神戸の街が瓦礫の山になっています。初めて「液状化現象」というものも知りました。場面が変わると、火災の広がっている様子が映し出されます。燃えさかる炎に包まれて倒壊した家屋の下敷きになっている人たちがいるのかと想像すると、地獄絵図を見ている思いがしました。それでも、京都市の学校では普通に授業ができました。授業が終わると、教職員がTV画面の周囲に集まりました。画面の端に死者の数や行方不明者の数が出され、刻々とその数が増えていきます。『もう増えないでくれ!』そう思ったものです。何日もTVではこの地震のことが報道されました。自衛隊や消防、警察官による救助の様子が増えていきます。担架で運ばれるのは『おそらく遺体だろう』と、当たり前のように思うようになっていきました。
 教師として、この経験を通じて学んだことを当時はまだ生まれていなかった今の子ども達に伝えなければならないと思っています。決して“過去のこと”にしてしまってはいけないのです。またこの機会に、家でも神戸や東日本の震災について話をしてほしいと願っています。そして考えてほしいです。普段からどんな備えができるか。どういう心掛けで居なければならないのか。

『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top〜

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「出会いを大切に」
 12月2・3日の両日、「第69回全国人権・同和教育研究大会(全人同教)」へ参加するため島根県へ行ってきました。本校からは、私の他に2人の先生が一緒です。かつて、校区に被差別地域のある学校に勤務していた際には、毎年この大会に参加することが恒例で、楽しみの一つになっていました。というのも、ここに行くと大きな刺激と新たなエネルギーをもらってくることが出来るからです。当時は、2万人ほど(主催者発表)の教育関係者が大会に参加していました。目の前の児童生徒を徹底的に大切にした取組が具体的に次々と報告されます。それを受けて熱い討議が起こります。時には厳しい意見も聞かれますが、それも子どもを大切にするあまりであることをそこに居る者は分かり納得しています。会場は常にもの凄い熱気に包まれ、時には発表の内容や会場からの意見に涙が出そうにもなります。
 自分がそんな経験をしているので、校長になってからは特に若い人たちをこの大会へ誘うようにしてきました。雰囲気を口で伝えることは難しく、その場に我が身を置くことで理解しやすいと考えるからです。初めは自校の先生たちから始めましたが、京都市中学校教育研究会人権教育部会(中人研)の会長になってからは、全市に広く呼びかけています。ここ何年かは、現地で夕食をともにしながらの交流会をもつようにもしています。勤務する学校が異なる教員が集まり(初対面の人たちも少なくありません)、自校や自分の取組や人権教育に対する思いを交流し合います。昨年度は兵庫県の人たちと合同で交流会をもちました。私の場合、こうした出会いと繋がりが貴重で大きな財産になっています。
 「初めて参加させていただき,さまざまなことを経験させていただきました。また,色々とお気遣いいただき,京都から行かれた先生方とも通じることができました。大変お世話になりました。この経験をこれからの自分に生かしていきたいと思います。ありがとうございました。」「2日間ありがとうございました。本当に学び多く、今日からまた頑張れました。写真、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。」「全人同教に参加させていただきありがとうございました。本当に大きな刺激をうけることができました。また,交流会の時にも熱いお話ありがとうございました。メールでのお礼になってしまい申し訳ございません。今後とも勉強させて下さい。」
 これらは、はじめて参加した先生方からのメッセージです。教育活動を展開していくうえでネットワークは大事です。何か事を起こそうとするとき、これが大きな強みになります。実際、何度もそんな経験をしてきました。今回の出会いが、参加した皆さんの今後の実践に活かされることを念じてやみません。また、これは生徒たちにも言えることですが、常に新たな出会いを求め続ける人であってほしいと思います。

『お茶席』

 吹奏楽部の記念演奏に続いて、茶道体験学習をしている生徒たちによるお茶席を設けました。

 指導に当たった先生を先頭に、子どもたちがお客様にお茶をお出ししました。
 参加いただいた皆様からも大変講評でした。

 皆さん、ありがとう。発足式に花を添えてくれました。
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『吹奏楽記念演奏』その2

 その後は爽やかな演奏で、発足式を大いに盛り上げてくれました。

 参加された方からは「鳥肌が立ちました」と評価していただきました。

 部員の皆さん、ホントありがとうね。
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『吹奏楽記念演奏』

 発足式に先立って、吹奏楽部による記念演奏が行われました。

 最初に校歌が演奏されましたが、なんだかジーンとしたのは私だけだったのでしょうか。
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『発足式』その4

 本校の教職員の自己紹介で、発足式は終了です。

 そのご、委員の一人で大学の先生より「運営協議会ができることとは…」というテーマでご講演をして頂きました。

 厳粛な中、大変有意義な式典と講演会であったと思います。
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『発足式』その3

 続いて顧問の委嘱です。
 顧問には3学区の住民福祉連合協議会の会長様に就任していただきました。

 続いて、会長の指名と就任の挨拶です。
 初代会長は、元本校PTA会長の方で、現在は地域で活躍されておられる方にお引き受けいただきました。
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『発足式』その2

 3学区の住民福祉連合協議会の会長様を代表して出水学区の会長様よりご祝辞を頂きました。
 また、その後、教育委員会から指定書を頂き、各委員の方が教育委員会から任命書を頂きました。
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