京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/19
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◆学校教育目標「自立・寛容・共生」 ◆教育方針〜みんなが「笑顔でこれて,笑顔ですごせて,笑顔でかえれる」学校

3月19日(月)生徒会による朝の挨拶運動

小雨が降る中、本日早朝より生徒会による朝の挨拶運動が行われました。本日が挨拶運動の最終日です。「おはようございます!」という大きな声が響いていました。毎週月曜日、暑い日も寒い日も、朝早くから登校してくれた生徒会協議会の人たち、本当にご苦労様でした。素晴らしい取組でした。ありがとうございました。
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3月15日(木) フキノトウ

第三校舎の北側にひっそりとフキノトウが生えていました。もうすっかり春ですね。1・2年生が登校する日も残すところ後2日となりました。しっかりと次の学年に向けて頑張りましょう。

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3月15日(木)第69回卒業証書授与式

吹奏楽部の演奏に乗せて、多くの保護者、教職員、在校生に見送られて堂々と卒業生は衣笠中学校の校門を後にしました。卒業生の皆さん、自分の将来に向かって頑張って下さい!ご卒業おめでとうございます。
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3月15日(木)第69回卒業証書授与式

「ありがとう」の合唱、退場の様子です。
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3月15日(木)第69回卒業証書授与式

送辞、答辞、「旅立ちの日に」合唱の様子です。
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3月15日(木)第69回卒業証書授与式

学校長式辞、来賓祝辞の様子です。
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3月15日(木)第69回卒業証書授与式

本日、「平成29年度 第69回卒業証書授与式」が行われました。例年になく気温が高い中、たくさんのご来賓・保護者の方々に見守られ、199名が卒業しました。まず、卒業生一人ひとりが学校長から卒業証書を受け取りました。中学生としての最後の晴れ姿を堂々と披露してくれました。そして式辞・祝辞・送辞・答辞と続き、卒業の歌「旅立ちの日に」の頃には感動もピークに達しました。式終了後、卒業生が保護者、教職員、在校生に向けて感謝の歌「ありがとう」を合唱してくれました。
 とても厳粛な雰囲気で進められ、3年間の思いを込めた卒業式となりました。参列した1・2年の在校生は卒業生の立派な後ろ姿を焼き付け、来年度以降しっかりと衣笠中学校の伝統を受け継いでくれることと思います。卒業生の皆さんおめでとうございます。
ご来賓の皆様、保護者の皆様方へ
本日はお忙しい中、本校卒業生のためご列席いただきありがとうございました。おかげさまで無事式を終えることができました。今後とも本校教育活動にご理解ご協力よろしくお願いいたします。

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3月14日(水)3年生 総合的な学習 代表生徒作品2

生徒代表作品です。
「沖縄の歴史」

1、研究の動機
  自分は、親戚の人に買って貰った歴史漫画のおかげで、小学生の頃から歴史に興味を抱いていました。 中でも沖縄の土地は、400年余り薩摩藩及びアメリカの支配を受けていたと言う事実や、太平洋戦争中に日本で唯一地上戦が展開されたということもあって、そこに住む人々がどんな思いで暮らしてきたのか知りたくなったのです。

2、事前学習で分かったこと
 ・15世紀、第一尚氏によって初めて琉球が統一される。(1429年)  
 ・政権が不安定となり、第一尚氏は滅亡し、第二尚氏の時代となる。
 (1469年)
 ・薩摩藩の攻撃を受け抵抗することなく降伏する。これにより琉球王府
 は以後、清と薩摩に支配される二重外交をせざるをえなくなる。
 (1609年)                                       
 ・薩摩藩の支配を受けるようになる以前は豊かに暮らしていた。           
  琉球からの輸出品は硫黄や砥石・馬など僅かな種類しかありません
  が、清・日本・朝鮮・東南アジアなどから買い入れた商品を別の国
  に売る「中継貿易」によって巨大な利益をあげていました。
 ・1609年以後は薩摩と江戸幕府の属国も同然となり、江戸上りの費用
  と大量の年貢などによりどんどん財政難になっていった。住民も重
  い税に苦しんだ。
 ・日本で明治維新が起きると、琉球王国から琉球藩に、そして沖縄県
  へと矢継ぎ早に日本政府に無理矢理組み込まれていった。

3、民泊の方への質問
 ・戦争体験とその後について
 
4、民泊で質問をして分かったこと
 民泊で伊集さんと言う老夫婦に質問した。
 どのような戦争体験をしたのか。
 戦後の人生をどう送ったのか。
 
 ・沖縄の人々の墓は亀甲墓と言い、広くて丈夫なため戦時中は防空壕
  として使われていた。
 ・自分が亀甲墓に避難していると、すぐ近くで帝国軍人が米兵に追い
  かけられて撃ち殺 されてしまった。
 ・戦争末期、米兵が亀甲墓に近づいて来て、日本語で「でてこい」と
  呼びかけてきた。当時は米兵に捕まったら殺されると全員が信じて
  いたため誰も出て行かなかったが、最初の一人が出ていったのを皮
  切りに結局全員出ていった。
 ・驚いた事に、米兵は伊集さんを含めた多くの避難民を殺さなかった
  のである。
 ・米軍が用意した仮設テントで生活させられた。
 ・沖縄は連日の空爆と艦砲射撃と陸軍による焼き打ちで文字通りの焼け
  野原となった。
 ・凄まじい攻撃で城は元より家の一軒も残さず沖縄全土は真っ平になっ
  た。
 ・戦後、自分の家があった土地に戻ってみると、米軍の基地になってい
  たと言うのもよくあったことらしい。
 ・伊集さんはその後運送会社や酒造会社に務め、定年して今に至るらしい。

5、感想
色々調べて分かった事は、沖縄の人々は戦いをしたことがない訳では無い。しかし、「さとうきび畑」と言う唄にもあるように、戦いとは海の向こうからやってくるのであり、小さな琉球の住民には抗えない運命だったのである。
戦争で沖縄は平和の大切さを今に伝える土地となりました。伊集さん夫婦と暮らしていく中で、自分達は沢山の笑顔をもらった。沖縄の素晴らしい眺めを沢山見せてもらえた。
そんな優しい伊集さんと美しい沖縄の過去を知ることができて、とても有意義な修学旅行
になりました。
最終的に何故民泊を始めたのか聞きそびれてしまったが、民泊を訪れた客に沖縄の魅力と平和の精神を説き続けていると確信している。

3月14日(水)3年生 総合的な学習 代表生徒作品1

代表生徒作品です。
「京都と沖縄の伝説の違いからみる宗教の影響の違い」

1.研究の動機
 沖縄と京都には、同じ動物についての伝説や似たシュチュエーションでおこっている伝説がある。しかし、話の細部をよく読むと二つの都市の宗教観やその地域に住む人の考え方の根底が見えてきて、話が似ている伝説からその都市の考え方に影響を及ぼす宗教の違いについて読み取ることができるのではないかと考えた。
 そこで、人々の間で語り継がれる伝説の違いとその特徴について調べることにした。


2.事前学習でわかったこと
 まず、沖縄と京都には「カメが人を救った」という内容の伝説があった。
沖縄での伝説は、「唐の国に旅をすることになっている役人が用事で糸満に行った。すると漁師が大きな亀を殺そうとしていたので、お金を払ってその亀を買うと、旅の無事を祈って海へ放した。その役人が乗る船が嵐のせいで壊れてしまった時、あの時助けたカメが役人を陸まで運んでくれた。」というものだ。
それに対し、京都での伝説は、「平安時代、藤原高房という人物が西国へ赴いたとき途中一人の漁師が大きな亀を殺そうとしていたので、着物と交換にその亀を助けた。翌朝、瀬戸内海を船で進んでいたところ乳母が高房の幼子を海に落としてしまったが、昨日助けたカメがその幼子を助けてくれた。高房は日ごろ信仰している長谷観音様のおかげである、と信仰を深めた。時を経て、その幼子は藤原山蔭の名乗り、妻と一人の子とともに幸せな家庭を築いていた。しかし、妻の病死によって迎えられた後妻が太宰府への船で先妻の子を海に突き落としてしまった。その時、以前山蔭を助けたカメがその子を助けてくれた。そのことから、二度も危機を救ってくれた亀は観音様のご加護に違いないと感謝し、新長谷寺を建立した。」というものだ。
沖縄の伝説は、省略したが、役人が亀が殺されそうになっているのを見つけたとき、「海亀は竜宮の使い」という言葉を思い出していると亀が役人のほうを見て涙を流す、という部分がある。そのことも含めたこの沖縄の伝説の特徴として、人々が伝説を信じていることや亀がとても人間に身近な存在だということがいえる。
京都の伝説は、亀の恩を観音様の御恩だと考えていることが特徴で、沖縄は仏教よりも昔から伝わる伝説の影響のほうが大きいが、京都は仏教の影響や考え方が人々の考えに根強くあるということが考えられた。

3.出てきた疑問
 京都と沖縄に同じ「亀が人を救った」という内容の伝説があるが、京都での話は亀の恩を観音様によるものとするなど仏教の影響が強く、沖縄での話は伝説の影響が大きいように感じられたことから、
・沖縄は仏教と伝説の影響ではどちらの影響が大きいか。
・沖縄に仏教の影響の濃い話はあるか。
・沖縄の人は仏教の考え方についてどう思うのか。
について疑問に思った。

4.沖縄で質問をしてわかったこと
 沖縄では、いろんな宗教があるが「祖先崇拝」が多い。それはお墓にも表れているが、最近は人が多くなってそれぞれ墓をつくることがある。墓のかたちが変化してきている。
 また、沖縄に仏教の影響はあまりなく、たまに宗教の勧誘がくるが断っている。しかし、決して沖縄の人々が他の宗教に否定的なのではない。「どの宗教でも信じるものは心の中にあり、その点ではどの宗教も同じだと思う。」と民泊の方がおっしゃっていた。
 これらのことから、沖縄にも仏教をはじめさまざまな宗教が入ってきているが、沖縄のひとは宗教に関して寛容で、それぞれの宗教の考え方を受け入れていることが分かった。決して「祖先崇拝」をたくさんの宗教の中から選んだのではないといえる。

5.まとめと感想
 京都はほかの宗教をあまり受け入れずに「仏教」を信仰しているのに対し、沖縄は宗教の考え方がいろいろ混ざったうえで「祖先崇拝」という信仰のしかたになったのだと思う。沖縄の伝説に京都ほど仏教の影響が感じられなかったのは、沖縄は宗教を受け入れるときの壁が低いことからだと分かった。
 私は沖縄には他の宗教・考え方は入ってきていないと思っていた。しかし、そうではなく、いろんな宗教が入ってきて受け入れてきた上で現在の「祖先崇拝」という考え方になったのだと思った。実際に現地の人に聞くことで初めて分かったこともあり、おもしろかった。

3月14日(水)3年生 総合的な学習

3年生では、総合的な学習の時間の取り組みとして、「沖縄についてテーマを決めて調べ、疑問点を見つけて旅行の中で質問して解決する」という学習をしました。さらにそれを個人レポートにまとめてPCに打込み、レポート集にしたもの(CD)ができあがりました。名付けて『修学旅行なんで?なるほど!レポート集』です。その中から2編のレポートを紹介します
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