京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2020/06/05
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新型コロナウイルス感染防止対策を講じながら学校生活が再開しました。6月12日(金)までの2週間をかけて段階的に通常の学校生活をとりもどせるように「こころ」も「からだ」も整えていきましょう。

教育委員会からのお知らせ

円と多角形☆

6年生は「円と多角形」の学習をしていました。
分度器やコンパスを使いながら作図していました☆
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音楽の課題 リンクについて

今日は,6年生の学習面談相談日でした。
久しぶりに元気な顔が見ることができて,先生たちは嬉しかったです。

さて,ホームページに音楽「ラバーズコンチェルト」と「明日という大空」の音源をのせましたが,コンピューターやスマートフォンのアンドロイドで聴くことができます。しかし,アイフォンでは音楽が再生できないことが分かりました。
もし聴けなくても,学校が再開したらみんなで聴こうと思います。楽しみにしておいてください。
音楽の課題は,できる範囲で大丈夫です。


6年 音楽 「ラバーズ コンチェルト」

21日,22日に配布します課題No.5の音楽の課題の中に「ラバーズコンチェルト」がのっています。
リンクをクリックして,一度音楽をきいてみましょう。

6年音楽 ラバーズ コンチェルト

また,リコーダーで演奏ができるように練習をしておいてくださいね。

6年 音楽 「明日という大空」

No4の課題の中に音楽「明日という大空」という歌がのっています。
リンクをはっておきますので,ぜひきいてみましょう。

6年音楽 明日という大空

その課題の中にステップ1(先生の一言)がのっています。
♪の2つ目に「すてきな一歩」の歌詞を読んでみましょうとありますが,「明日という大空」のまちがいです。

「明日という大空」の歌詞には,どんな気持ちがこめられているか考えてみてください。

☆6年生 脱線だらけの歴史の部屋☆

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 今回も『平清盛(たいらの きよもり)』について書いていきます。
 『平清盛』は,「武力」と「天皇とのつながりの力」を手に入れたことに加えて,「お金の力(経済力)」も手に入れようとしていました。

 『平清盛』は中国大陸にある「宋(そう)」という国との貿易を進めました。これを『日宋貿易(にっそうぼうえき)』といいます。
 『平清盛』は,日本で採れた金や銀などを「宋」に輸出することで,たくさんのお金を手に入れることができました。お金をいっぱい持っていたことで,「平氏(へいし)」の力はどんどん強くなっていきました。

 この『日宋貿易』は,船を使った貿易でした。しかし,当時貿易で使われていた船は,現在の船よりも転覆(てんぷく)【ひっくり返る】しやすかったので,中国大陸へ向かう時には,転覆しないように重りとして船の底に日本で採れた木材をのせて海を渡っていました。
 ちなみに,この木材は輸出品の金や銀といっしょに向こうで売ってしまいます。
 日本へ帰る際の船の重りとしては,「宋」で使われていたお金,「宋銭(そうせん)」を船の底に敷き詰めて帰ってきていました。こうして大量の「銭(お金)」が日本に入ってきました。

 当時の日本では,「銭(お金)」を使って取り引きをするよりも「絹」などの「物」で取り引きをすることの方が多かったので,「宋銭」の輸入は,「銭(お金)」を使った取り引き方法の便利さに気付くきっかけとなり,急速に日本で「銭(お金)」を使った取り引きが増えていきました。
 こうして日本が,「宋銭」を使って買い物などができる世の中になればなるほど,『日宋貿易』を進め大量の「宋銭」を持っていた『平清盛』の「お金の力(経済力)」は強くなっていきました。

☆6年生 脱線だらけの歴史の部屋☆

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 今回は,力をつけた『平氏(へいし)』と『源氏(げんじ)』について書いていきます。
 『平氏』や『源氏』は,朝廷(ちょうてい)や貴族(きぞく)の護衛(ごえい)や地方の反乱をしずめる仕事につきます。こうして,「武士」と「天皇」や「貴族』との関係がどんどん近づいていきました。

 「天皇」や「貴族」との結びつきが強くなった『平氏』や『源氏』は,天皇家や貴族同士の政治の実権をめぐる争いに参加していきます。【保元の乱・平治の乱】(社会科の教科書P.46~P.47)
 この争いの結果,勝った『平清盛(たいらの きよもり)』を中心とした『平氏』が,「貴族」である「藤原氏」にかわって政治の実権をにぎっていくことになります。

 『平清盛』は,「藤原氏」にかわって国の政治を中心となって動かしていくために力を手に入れる必要がありました。

 「戦って強い」という「武力」は2つの大きな争いで示せました。

 次に『平清盛』は,「天皇家」との「強い結びつきの力」を手に入れようとします。政治の実権をにぎってきた歴代の「蘇我氏(そがし)」や「藤原氏」が行ってきた,「天皇と自分の娘を結婚させて,生まれた子を天皇にする」ことで,「天皇のおじいちゃん」となり,天皇との結びつきを更に強いものとしました。

 2つの大きな力を手に入れたこことで,政治を動かす中心的な仕事を『平氏』の一族がおこなうようになっていきました。

☆6年生 脱線だらけの歴史の部屋☆

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 NHKの大河ドラマ『麒麟(きりん)がくる』で取り上げられている戦国時代の大名(だいみょう)や武将(ぶしょう)といった武芸を職業とした『武士(ぶし)』といわれる人たちについて数回に分けて書いていきます。

 今回は,『武士』が世の中の表舞台に出てきた時代について書いていきます。
 400年近く続いた平安時代(社会科の教科書P.36~P.40),都(みやこ)で『貴族』が華やかな生活をしていたころ,京都以外の土地では,力を持っていた農民が新しく田畑を開いて自分の領地(りょうち)とし,その領地を他の農民や国の役人から守るために武器を持ったのが『武士』の始まりでした。

 この『武士』たちは,領地争いに負けないために,より多くの『武士』を集めました。こうして,近くの『武士』たちと協力して周囲よりもさらに人数の多い,「大きな集団」を作っていきました。
 より「大きな集団」となった『武士』たちには,自分たちを束ねる,だれもが知っているような有名で頼れるリーダーが必要となりました。

 ここでリーダーとなったのが,社会科の教科書P.45~P49に出てくる,平清盛(たいらの きよもり)や源頼朝(みなもとの よりとも)・源義経(みなもとの よしつね)に代表される平氏(へいし)や源氏(げんじ)といわれる人たちです。
 平氏も源氏も,もともとは天皇の一族だったので,地方の『武士』たちにとっては最高の血筋を持っている「周りにいばることのできる」リーダーだったのです。

 こうして,『武士』たちは,強力なリーダーを迎え,それぞれに『武士団』を作っていきます。この後,有名な戦国時代や江戸時代など700年ほど『武士』が歴史の中心となる世の中が続いていきます。

☆6年生 脱線だらけの歴史の部屋☆

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 今回は794年に都(みやこ)が奈良の平城京(へいじょうきょう)から京都に移されて,約400年もの間続いた平安時代(へいあんじだい)の生活について書いていきます。
 しかし,平安時代と一言に行っても,約400年も続いた時代ですので,平安時代の中でも特に有名な『藤原道長(ふじわらの みちなが)』が活躍した時期の生活について見ていきます。(社会科の教科書P.37~P.40)

 この時代,『藤原道長』のような国の政治を中心となって動かしていた人たちを『貴族(きぞく)』と言いました。『貴族』は,『寝殿造(しんでんづくり)』とよばれる写真の絵の様な大きな屋敷で暮らしていました。(左側の写真)
 こんなに豪華な『寝殿造』の屋敷には,現在の家では当たり前にあるものが,なんとありませんでした。

 ⑴部屋と部屋の間に壁がない(右側の写真)
  ※カーテンのような布で仕切って部屋をつくっていたようです。
 ⑵トイレがない
  ※今でいう「おまる」を使ってトイレをしていたようです。

 しかし,ここで少し不思議なことがあります。平安時代の前,「奈良の大仏」が造られた平城京では,実はトイレがあったようなのです。それも,トイレの後に水で流す,今でいう「水洗トイレ」の形跡も見つかっています。
 では,なぜ「奈良の大仏」ができた頃より時代が進んだ平安時代になって『貴族』の屋敷である『寝殿造』からトイレが無くなってしまったのでしょうか。
 「おまるでする」より「トイレでできる」方が現代の私たちにとって自慢できるポイントなのに,平安時代の『貴族』たちは何を考えてトイレという場所を無くそうとしたのでしょうか。謎は深まるばかりです。

☆6年生 脱線だらけの歴史の部屋☆

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 奈良県の東大寺(とうだいじ)にある大仏を見たことはありますか。鹿がたくさんいる奈良公園内の東大寺というお寺にある巨大な仏像です。
 この大仏の正式な名前は『盧舎那仏坐像(るしゃなぶつ ざぞう)』といいます。高さ約16メートルもの大きさのこの仏像です。
 この巨大な仏像は,今から1300年近くも昔,当時の天皇である聖武天皇(しょうむてんのう)が造ることを決め,行基(ぎょうき)というお坊さんを中心として外国からきたと渡来人(とらいじん)と呼ばれる人々の高い技術力も使い造り上げられました。
 今では工事をする際には当たり前である,車も大きな工事用機材も無い中で,こんな大きさのものを造ったのです。
 
 そして752年に,大仏を完成させるために瞳を描きいれる『大仏開眼会(だいぶつ かいげんえ)』が東大寺で行われました。この時,大仏に瞳を描き入れたのは,大仏づくりを中心となって進めた行基でも,造ることを決めた聖武天皇でもありませんでした。そんな大事な儀式で大仏の瞳を描き入れたのは,なんと日本人ではなくインド出身の菩提僊那(ぼだいせんな)というお坊さんでした。
 
 現在では,飛行機の登場で遠くの国へ旅行する時でも「安心」で「安全」,それでいて「速く」移動することができるようになりました。しかし,奈良の大仏ができた当時の世の中は,飛行機などは無く,船で何日もかけて「危険」と隣り合わせな中で外国へと渡っていました。
 そんな時代に四方を海に囲まれた日本に様々な国の人が来ていたということに驚きを感じ,また,そんな危険な旅をしても日本に来ようと思った当時の外国の人たちの強い思いがあったからこそ,今でも日本各地に残る様々な文化財が生まれたのだと思います。

 ちなみに,『大仏開眼会』で実際に菩提僊那(ぼだいせんな)が使ったといわれている筆が奈良の正倉院(しょうそういん)で今でも大切に保管されています。

☆6年生 脱線だらけの歴史の部屋☆

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 今回は,聖徳太子(しょうとくたいし)【厩戸王(うまやとおう)】の時代から国政の中心となって活躍した蘇我氏(そがし)について書いていきます。
 蘇我氏といえば,社会科の教科書P.26にある『大化の改新』での出来事が特に有名です。

 その当時の日本は,蘇我蝦夷(そがのえみし)・蘇我入鹿(そがのいるか)親子が天皇よりも力を持って国の中心となって政治をおこなっていました。
 そんな「蘇我氏中心の政治」を「天皇中心の政治」に戻したいと考えた,中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみの かまたり)は,蘇我氏から暴力を使って権力を奪い返しました。
 この事件以降,蘇我氏の力は衰え,中大兄皇子や中臣鎌足が目指した天皇中心の国づくりが進められていきました。
 しかし,『大化の改新』で政治が大きく変わりましたが,それまで蘇我氏が行ってきた政治の良いところは中大兄皇子たちの政治にも引き継がれていきました。

 ここで気になるのは,蘇我氏の名前です。特に入鹿(いるか)は珍しく感じます。蘇我入鹿の先祖をさかのぼっていくと,稲目(いなめ)・馬子(うまこ)・蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)と特徴的な名前が並びます。
 しかし,『入鹿』に関しては,歴史の表舞台から消された名前が残っています。実は,蘇我入鹿は中大兄皇子たちに殺されてしまうまでは,本名とされる『大郎鞍作(たろうくらづくり)』と呼ばれていたそうです。
 蘇我入鹿の名前が変わってしまったのは,権力争いで負けてしまったからなのか,蘇我氏では歴代珍しい名前を付ける風習があったからなのかは,今現在では知ることは難しいです。

 歴史を学習する時には,語られることの少ない「負けた側」の視点に立って歴史的な出来事を考察することも大切になってきます。

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学校行事
6/5 学級分散登校B(給食なし・4校時授業)
6/8 学級分散登校A(給食あり・終日授業)
6/9 学級分散登B(給食あり・終日授業)
6/10 学級分散登校A(給食あり・終日授業)
6/11 学級分散登校B(給食あり・終日授業)

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